勝ったのはどちらか
公開 2023/09/24 16:53
最終更新
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※11月11日、ポッキーの日にちなんで。
土曜だというのに、今日は珍しく予約が一件も入っていなかった。
開店前の掃除とお茶の準備を済ませてしまえば、お茶汲みアルバイトの俺はもうすることがない。文房具や日用品のお使いも先週済ませてしまっていたのもある。
リチャードに「お客様が来るまで、レポートをここで書いてもいいか?」と聞いてみたらすんなりと了承された。リチャード自身も事務仕事を片付けるつもりだったらしい。
そうしてエトランジェの応接室には俺とリチャード、二人のタイピングの音が響いていたのだが──
「……正義」
「ん?」
「何を食べているのです」
「何って、ポッキーだけど」
赤いパッケージを見せれば、そういうことではないという顔をされた。少しだけ眉間に皺が寄っても美貌が失われるどころか美しさが増すのだから、本当にこいつの美しさは人間離れしていると思う。
「牛乳買いにスーパー寄ったらずらーっと並べられてたからさ、ああ今日はポッキーの日か、って思わず買っちゃったんだよ。ちゃんと会計は別にしておいたぞ?」
「個人の買い物を経費にしなかった点は誉めますが……ポッキーの日とは?」
「ここに書いてある」
箱の裏面にでかでかと書かれた説明を見せてやれば、甘味大王──もとい、麗しの宝石商リチャードは興味深げに記事を読んでいた。日本語で書かれている文章だろうと問題なく読める辺りはさすがだと思う。
「……なるほど、日本人はこういった語呂合わせの使い方を好んでいるのですね」
「販売促進の一環だけど、まあ手に取っちゃうよな。手が汚れないからレポート書くときとかにちょうどいいんだよ。糖分補給にもなるし……あ、リチャードも食べるか?」
「……では、遠慮なくいただきます」
袋ごと差し出せば、白く長い指がポッキーを一本抜き出して口に入れた。いつもは宝石やルーペを摘まむ指がお菓子を、しかもコンビニでも売ってるような庶民的な価格のものを摘まんでいるのを見るのは、なんだか面白くてこそばゆい。
「なるほど、これは確かに食べやすいですね」
「だろ。あとは……ポッキーゲームとかかなぁ」
「ポッキーゲーム……?」
「こうやって咥えて……もう片方ふぉ、食べへもあう……とまぁ、両側から食べ進めてどこまで近付けるかっていうのを楽しむ、ある種の度胸試しみたいな感じ?」
新しく取り出した一本を咥えながら喋ったら、行儀が悪いと小声で叱られたので途中からは外して説明した。
「あなたも、やったことがあるのですか」
「ポッキーゲーム? うーん、どうだったかな……」
ポリポリと食べ進めながら中学や高校のことを思い返す。周りにいたのは男友達ばかりだったし、友達がふざけてやっていたのを見ているばかりだったような気がする。
うん、やっぱり俺はやったことないな。無意識で袋から新しく抜き取り、そんなことを考えていた俺は気付いていなかった。……向かいに座っていたリチャードが、立ち上がっていたことに。
「……正義」
思っていたより近いところから聞こえてきた声にびっくりして、そのまま顔を向けてしまった。リチャードが、俺の大好きな顔を……口を大きく開けたままで一気に距離を詰められ。
パキッと何かが折れる音と共に、鼻の頭が擦れる距離で、目が合った。
「お茶の用意をお願いします。階段を上がってくる足音がしました。お客様かと」
「……ふぇあ!? はい、ただいま!!」
慌ててテーブルの上を片付けながら、中身が半分残されたお菓子の袋を見て振り返った俺は見てしまった。ライトグレーのジャケットのボタンを留めながらドアへと向かうリチャードの口が、何かを飲み込んだのを。
それがなんなのかを理解した途端、ぶわっと頭に血が昇る。それでもなんとか荷物をいつものところに仕舞ってからキッチンへと駆け込めば、俺にタイミングを合わせてくれていたリチャードがドアを開けた音が聞こえてくる。
──お客様にお茶を出さなければ。俺の大事な仕事だ。でも今はすごく顔が熱くて、真っ赤になっているだろうことは明白だった。せめてもう少しだけ時間が欲しい。水で顔を洗ったら熱は引くだろうか。どうしよう、あんな、綺麗なものを間近で……。
「正義」
「ひゃいっ!!」
何通かの封書を手にしたリチャードがキッチンの入り口に立っていた。いつの間に、というかお客様ではなかったのだろうか。
「郵便配達の方でしたのでお茶の用意は結構です……なんです、その顔は」
「えっと、いや、その」
何と言ったらいいのだろうか。睫毛の長さが分かるくらい至近距離でみたお前の顔が美しすぎて、目に焼き付いたみたいに消えなくて、恥ずかしくて、でもそこまで近付くことを許されていることが嬉しくて、それで……それで。
もう一度、同じ距離で見つめてみたいと思っていることを。
「どこか体調を悪くしているのですか?」
「違う」
「……先程のことでしたら、大変失礼いたしました。あなたに何の断りもなく、あのようなことをするつもりは」
「違う、リチャード」
二回連続で否定した俺を、リチャードは訳が分からないというような顔で見た。それはそうだろう。俺だって自分でもよくわかっていないんだから。それでも。
「もう、一回」
「は?」
「もう一回、お前とポッキーゲームがしたいんだけど」
多分まだ真っ赤な顔のままで袋を差し出した俺を、リチャードは目を丸くして見つめ返してきて、そして……抜き取ったポッキーを、静かに俺の口に押し当てた。
土曜だというのに、今日は珍しく予約が一件も入っていなかった。
開店前の掃除とお茶の準備を済ませてしまえば、お茶汲みアルバイトの俺はもうすることがない。文房具や日用品のお使いも先週済ませてしまっていたのもある。
リチャードに「お客様が来るまで、レポートをここで書いてもいいか?」と聞いてみたらすんなりと了承された。リチャード自身も事務仕事を片付けるつもりだったらしい。
そうしてエトランジェの応接室には俺とリチャード、二人のタイピングの音が響いていたのだが──
「……正義」
「ん?」
「何を食べているのです」
「何って、ポッキーだけど」
赤いパッケージを見せれば、そういうことではないという顔をされた。少しだけ眉間に皺が寄っても美貌が失われるどころか美しさが増すのだから、本当にこいつの美しさは人間離れしていると思う。
「牛乳買いにスーパー寄ったらずらーっと並べられてたからさ、ああ今日はポッキーの日か、って思わず買っちゃったんだよ。ちゃんと会計は別にしておいたぞ?」
「個人の買い物を経費にしなかった点は誉めますが……ポッキーの日とは?」
「ここに書いてある」
箱の裏面にでかでかと書かれた説明を見せてやれば、甘味大王──もとい、麗しの宝石商リチャードは興味深げに記事を読んでいた。日本語で書かれている文章だろうと問題なく読める辺りはさすがだと思う。
「……なるほど、日本人はこういった語呂合わせの使い方を好んでいるのですね」
「販売促進の一環だけど、まあ手に取っちゃうよな。手が汚れないからレポート書くときとかにちょうどいいんだよ。糖分補給にもなるし……あ、リチャードも食べるか?」
「……では、遠慮なくいただきます」
袋ごと差し出せば、白く長い指がポッキーを一本抜き出して口に入れた。いつもは宝石やルーペを摘まむ指がお菓子を、しかもコンビニでも売ってるような庶民的な価格のものを摘まんでいるのを見るのは、なんだか面白くてこそばゆい。
「なるほど、これは確かに食べやすいですね」
「だろ。あとは……ポッキーゲームとかかなぁ」
「ポッキーゲーム……?」
「こうやって咥えて……もう片方ふぉ、食べへもあう……とまぁ、両側から食べ進めてどこまで近付けるかっていうのを楽しむ、ある種の度胸試しみたいな感じ?」
新しく取り出した一本を咥えながら喋ったら、行儀が悪いと小声で叱られたので途中からは外して説明した。
「あなたも、やったことがあるのですか」
「ポッキーゲーム? うーん、どうだったかな……」
ポリポリと食べ進めながら中学や高校のことを思い返す。周りにいたのは男友達ばかりだったし、友達がふざけてやっていたのを見ているばかりだったような気がする。
うん、やっぱり俺はやったことないな。無意識で袋から新しく抜き取り、そんなことを考えていた俺は気付いていなかった。……向かいに座っていたリチャードが、立ち上がっていたことに。
「……正義」
思っていたより近いところから聞こえてきた声にびっくりして、そのまま顔を向けてしまった。リチャードが、俺の大好きな顔を……口を大きく開けたままで一気に距離を詰められ。
パキッと何かが折れる音と共に、鼻の頭が擦れる距離で、目が合った。
「お茶の用意をお願いします。階段を上がってくる足音がしました。お客様かと」
「……ふぇあ!? はい、ただいま!!」
慌ててテーブルの上を片付けながら、中身が半分残されたお菓子の袋を見て振り返った俺は見てしまった。ライトグレーのジャケットのボタンを留めながらドアへと向かうリチャードの口が、何かを飲み込んだのを。
それがなんなのかを理解した途端、ぶわっと頭に血が昇る。それでもなんとか荷物をいつものところに仕舞ってからキッチンへと駆け込めば、俺にタイミングを合わせてくれていたリチャードがドアを開けた音が聞こえてくる。
──お客様にお茶を出さなければ。俺の大事な仕事だ。でも今はすごく顔が熱くて、真っ赤になっているだろうことは明白だった。せめてもう少しだけ時間が欲しい。水で顔を洗ったら熱は引くだろうか。どうしよう、あんな、綺麗なものを間近で……。
「正義」
「ひゃいっ!!」
何通かの封書を手にしたリチャードがキッチンの入り口に立っていた。いつの間に、というかお客様ではなかったのだろうか。
「郵便配達の方でしたのでお茶の用意は結構です……なんです、その顔は」
「えっと、いや、その」
何と言ったらいいのだろうか。睫毛の長さが分かるくらい至近距離でみたお前の顔が美しすぎて、目に焼き付いたみたいに消えなくて、恥ずかしくて、でもそこまで近付くことを許されていることが嬉しくて、それで……それで。
もう一度、同じ距離で見つめてみたいと思っていることを。
「どこか体調を悪くしているのですか?」
「違う」
「……先程のことでしたら、大変失礼いたしました。あなたに何の断りもなく、あのようなことをするつもりは」
「違う、リチャード」
二回連続で否定した俺を、リチャードは訳が分からないというような顔で見た。それはそうだろう。俺だって自分でもよくわかっていないんだから。それでも。
「もう、一回」
「は?」
「もう一回、お前とポッキーゲームがしたいんだけど」
多分まだ真っ赤な顔のままで袋を差し出した俺を、リチャードは目を丸くして見つめ返してきて、そして……抜き取ったポッキーを、静かに俺の口に押し当てた。
