夢か現か、幻か
公開 2023/09/24 15:55
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「あ、リチャ、ア、ド……?」
ふと振り向くと、遠くからリチャードが近付いてくるのが見えた。
会えたことが嬉しくて名前を呼ぶ間にも、どんどんどんどんとリチャードは俺に近付いて来て―—とうとう、鼻先がぶつかる距離にまで寄られる。
いくらなんでも近過ぎる。なんだこれは。なんだこれは?
「あの、リチャード、さん?」
おそるおそる問い掛けるも、リチャードはすんっとした何の感情も浮かんでいない顔で、ただじっと俺のことを見てくる。
ああ、横から見た時に気付いてたけど、お前の睫毛はこんなにも長くて輝いているんだな。うわぁ下睫毛までばっさばさだし。さすがにそれは知らなかったぞ。
……ではなく。
「リチャード、なあ、あの、もうこのくらいで……勘弁してくれないか……?」
目と鼻の先、という言葉をまさかこんな形で体感するとは思わなかった。
リチャードの意図がまったく読めない。俺はまたなにかこいつの気に障るようなことをしでかしてしまったのだろうか。
ほんの数センチしか離れていないところから見るリチャードはやはり綺麗だった。肌のきめ細かさ、うっすらと見える産毛すら神々しいと思えるほど、完成された美がここにある。
そうだ、リチャードは美しい。
美しすぎて、未だに直視できないほどに。
俺がじわじわと激しくなる呼吸と動悸を抑えようとしていると、小さな溜め息と共にするりと頬と肩に少し冷たい手が添えられた。
「まったく……いつまでそんな調子でいるのですか」
「ま…………ってくれ、待った、リチャード。あのな、本当にごめん。俺何かしちゃったか? とにかくお前が美しすぎて俺は今すぐにでも死にそうなんだけど」
「死にません」
「いやこれについては自信がある。美しさの、リチャードの過剰摂取で俺は死ねる。確実に死ぬ。自覚があるだろうけどお前の美しさは人を狂わせるどころじゃないんだからな!? 俺が死んでもいいのか!?」
「また面妖なことを。顔を近付けたくらいで死ぬわけがないでしょう。呪いのアイテムか何かだと思っているのですか」
「いやいやもう心臓がヤバいんだよ飛び出そうだしその前に破裂する気がするだから本当に勘弁してくれプリン3つ食べていいから」
「中田正義」
「……み゛」
射貫くような強い視線と声に、潰される瞬間のカエルみたいな声が出た。
「断言します。あなたは死んだりしません。しかと、見なさい」
透き通る蒼の瞳、すっと通った鼻筋、コンクパールのような色の唇。ここが限界だと思っていた距離がさらに縮められ、頬にあった手は耳の後ろを擽るように触ってくる。
ああ、もう、これ以上はヤバい、今だってリチャードの吐息が俺の唇に当たってるのに、これ以上近付いちゃったら、俺のファーストキス──
「う゛わぁぁあぁぁぁぁ!?」
叫びながら飛び起きたそこは、住み慣れた高田馬場のアパートだった。大学に遅れないように、とセットしておいた目覚まし時計はアラームが鳴る1時間前を示している。
「え、ゆ、ゆめ……?」
声に出してようやく、さっきまでのあれやこれやが夢の中の出来事だったのだと理解した。そういえばあそこは変な空間だったな、と今更になって思い出す。
子供の頃、怖い夢を見て起きた時のように心臓がバクバクと煩い。でもこれは恐怖による動悸ではなく、現実ではありえない距離でリチャードを浴びてしまった副作用のようなものだ。
夢の中だったというのに、本当にあの美しさは心臓に悪い。いつか俺が夢を見ながら死んでいたら、きっとリチャードの夢を見たせいなんだろう……あまりに情けない死因だけれど。
「死にません、って言ってたけど、絶対無理だろ……」
……それはそうと、夢の中とはいえキスをされそうになったという事実が、心臓の動きをさらに加速させる。いつだったか「夢は願望の表れ」と聞いたことがあったような気がしたからだ。
本当に? ……だって相手は、リチャードだぞ?
格好良くて、美人で、優しくて、頭が良くて、語学も堪能で、宝石の知識も豊富で、甘いものに目がなくて、俺の作るプリンをこよなく愛してくれる、可愛いやつ。
俺はリチャードのことが好きだ。ものすごく、自分でもびっくりするくらい好きだけど、実はそういう恋愛的な意味でも好きだったんだろうか。
「はー……ほんと、次のバイトの時、どんな顔して会えばいいんだよぉ……」
□ □ □
次の土曜日。
あれは夢あれは夢あれは夢、と呪文を唱えながらエトランジェに出勤したのだが、本物のリチャードを浴びてしまった瞬間に呪文の効力はゼロになった。
「あんまり近寄らないでくれ」
「バイト中に過剰摂取で死んだら労災になるし」
「お茶は入れるけど俺のことは見ないでほしい」
……などと、夢のことが忘れられず挙動不審になった俺をリチャードは不思議そうな目で見ていたが、やはり変な空気には耐えられなかったらしい。
「正義、今日のあなたはおかしい。思い当たる節はまったくありませんが、もし私があなたに何か失礼を働いてしまったのなら教えてください」
「リチャードのせいじゃないんだ。ただ俺が変な夢をだな……あっ、今のなし!」
「夢、ですか? 一体どんな夢を見たのです」
「あぁぁぁ頼むから聞かなかったことにして」
「いいから、全部、話せ」
「……ハイ」
俺がリチャードに口で勝てるはずがなかった。
閉店作業も後回しに、夢の内容を隅から隅まで説明させられた俺は、もう情けないやら恥ずかしいやら大変だった。
そして何よりも、そんな夢に登場させてしまったリチャードに対する申し訳なさはもう土下座でも何でもしようとすら考えるほどだったのだけれど。
「なるほど、大変参考になりました」
妙に楽しそうな顔をしたリチャードが何故かネクタイを直してから、お客様の前でも滅多に見せないような、後光が射しているような笑顔で近付いてくる。
待ってくれ、嫌な予感がする。
「リチャード、あの、俺の話聞いてたよな?」
「ええ、もちろん」
ソファに座る俺に覆いかぶさるようにリチャードが迫ってくる。
夢と同じように肩と頬に手を当てられ、ただ慌てふためくしか出来ない俺のことを見て、妖しく笑った。
「正義。しかと、見なさい」
ふと振り向くと、遠くからリチャードが近付いてくるのが見えた。
会えたことが嬉しくて名前を呼ぶ間にも、どんどんどんどんとリチャードは俺に近付いて来て―—とうとう、鼻先がぶつかる距離にまで寄られる。
いくらなんでも近過ぎる。なんだこれは。なんだこれは?
「あの、リチャード、さん?」
おそるおそる問い掛けるも、リチャードはすんっとした何の感情も浮かんでいない顔で、ただじっと俺のことを見てくる。
ああ、横から見た時に気付いてたけど、お前の睫毛はこんなにも長くて輝いているんだな。うわぁ下睫毛までばっさばさだし。さすがにそれは知らなかったぞ。
……ではなく。
「リチャード、なあ、あの、もうこのくらいで……勘弁してくれないか……?」
目と鼻の先、という言葉をまさかこんな形で体感するとは思わなかった。
リチャードの意図がまったく読めない。俺はまたなにかこいつの気に障るようなことをしでかしてしまったのだろうか。
ほんの数センチしか離れていないところから見るリチャードはやはり綺麗だった。肌のきめ細かさ、うっすらと見える産毛すら神々しいと思えるほど、完成された美がここにある。
そうだ、リチャードは美しい。
美しすぎて、未だに直視できないほどに。
俺がじわじわと激しくなる呼吸と動悸を抑えようとしていると、小さな溜め息と共にするりと頬と肩に少し冷たい手が添えられた。
「まったく……いつまでそんな調子でいるのですか」
「ま…………ってくれ、待った、リチャード。あのな、本当にごめん。俺何かしちゃったか? とにかくお前が美しすぎて俺は今すぐにでも死にそうなんだけど」
「死にません」
「いやこれについては自信がある。美しさの、リチャードの過剰摂取で俺は死ねる。確実に死ぬ。自覚があるだろうけどお前の美しさは人を狂わせるどころじゃないんだからな!? 俺が死んでもいいのか!?」
「また面妖なことを。顔を近付けたくらいで死ぬわけがないでしょう。呪いのアイテムか何かだと思っているのですか」
「いやいやもう心臓がヤバいんだよ飛び出そうだしその前に破裂する気がするだから本当に勘弁してくれプリン3つ食べていいから」
「中田正義」
「……み゛」
射貫くような強い視線と声に、潰される瞬間のカエルみたいな声が出た。
「断言します。あなたは死んだりしません。しかと、見なさい」
透き通る蒼の瞳、すっと通った鼻筋、コンクパールのような色の唇。ここが限界だと思っていた距離がさらに縮められ、頬にあった手は耳の後ろを擽るように触ってくる。
ああ、もう、これ以上はヤバい、今だってリチャードの吐息が俺の唇に当たってるのに、これ以上近付いちゃったら、俺のファーストキス──
「う゛わぁぁあぁぁぁぁ!?」
叫びながら飛び起きたそこは、住み慣れた高田馬場のアパートだった。大学に遅れないように、とセットしておいた目覚まし時計はアラームが鳴る1時間前を示している。
「え、ゆ、ゆめ……?」
声に出してようやく、さっきまでのあれやこれやが夢の中の出来事だったのだと理解した。そういえばあそこは変な空間だったな、と今更になって思い出す。
子供の頃、怖い夢を見て起きた時のように心臓がバクバクと煩い。でもこれは恐怖による動悸ではなく、現実ではありえない距離でリチャードを浴びてしまった副作用のようなものだ。
夢の中だったというのに、本当にあの美しさは心臓に悪い。いつか俺が夢を見ながら死んでいたら、きっとリチャードの夢を見たせいなんだろう……あまりに情けない死因だけれど。
「死にません、って言ってたけど、絶対無理だろ……」
……それはそうと、夢の中とはいえキスをされそうになったという事実が、心臓の動きをさらに加速させる。いつだったか「夢は願望の表れ」と聞いたことがあったような気がしたからだ。
本当に? ……だって相手は、リチャードだぞ?
格好良くて、美人で、優しくて、頭が良くて、語学も堪能で、宝石の知識も豊富で、甘いものに目がなくて、俺の作るプリンをこよなく愛してくれる、可愛いやつ。
俺はリチャードのことが好きだ。ものすごく、自分でもびっくりするくらい好きだけど、実はそういう恋愛的な意味でも好きだったんだろうか。
「はー……ほんと、次のバイトの時、どんな顔して会えばいいんだよぉ……」
□ □ □
次の土曜日。
あれは夢あれは夢あれは夢、と呪文を唱えながらエトランジェに出勤したのだが、本物のリチャードを浴びてしまった瞬間に呪文の効力はゼロになった。
「あんまり近寄らないでくれ」
「バイト中に過剰摂取で死んだら労災になるし」
「お茶は入れるけど俺のことは見ないでほしい」
……などと、夢のことが忘れられず挙動不審になった俺をリチャードは不思議そうな目で見ていたが、やはり変な空気には耐えられなかったらしい。
「正義、今日のあなたはおかしい。思い当たる節はまったくありませんが、もし私があなたに何か失礼を働いてしまったのなら教えてください」
「リチャードのせいじゃないんだ。ただ俺が変な夢をだな……あっ、今のなし!」
「夢、ですか? 一体どんな夢を見たのです」
「あぁぁぁ頼むから聞かなかったことにして」
「いいから、全部、話せ」
「……ハイ」
俺がリチャードに口で勝てるはずがなかった。
閉店作業も後回しに、夢の内容を隅から隅まで説明させられた俺は、もう情けないやら恥ずかしいやら大変だった。
そして何よりも、そんな夢に登場させてしまったリチャードに対する申し訳なさはもう土下座でも何でもしようとすら考えるほどだったのだけれど。
「なるほど、大変参考になりました」
妙に楽しそうな顔をしたリチャードが何故かネクタイを直してから、お客様の前でも滅多に見せないような、後光が射しているような笑顔で近付いてくる。
待ってくれ、嫌な予感がする。
「リチャード、あの、俺の話聞いてたよな?」
「ええ、もちろん」
ソファに座る俺に覆いかぶさるようにリチャードが迫ってくる。
夢と同じように肩と頬に手を当てられ、ただ慌てふためくしか出来ない俺のことを見て、妖しく笑った。
「正義。しかと、見なさい」
