身から出た錆
公開 2023/09/24 15:01
最終更新
2023/09/24 16:11
※ワンドロに投稿したSS
やってしまった。久々にやらかしてしまった。
キャンディの社宅のリビングで蹲り頭を抱えながら。中田正義は呻き声を上げた。やってしまった。
一時間前に商談に向かうリチャードを見送ってからずっとこの調子なので、ジローが不安そうに正義の周りをうろうろしながら「だいじょうぶですかごしゅじん、ぼくをなでてもいいんですよ」とでも言うかのように時折正義の腕に鼻を近付ける。愛犬の可愛い慰めに正義はようやく顔を上げ、そっとジローを抱き締めた。
□ □ □
一時間前。いつも通り隙なくグレーのスーツを着こなしたリチャードの姿を正義は玄関先でジローと共に見ていた。
「正義、チェック」
「……うん、大丈夫だよリチャード。今日も世界一綺麗だな」
「ありがとうございます」
幾度となく繰り返されたやりとりだが、リチャードの美しさに慣れるなんてことはこの先もないだろう。見るたびに新しい魅力に気付かされる。何事にもアップデートを欠かさないリチャードをすぐ傍で見ることが出来ることのなんと幸せなことか……
「その辺りで止めておきなさい」
「あっ、ごめん。また声に出てたか」
「声だけではなく表情も、ですよ。そんなに見つめられては出掛けたくなくなります」
「本当にごめん。でも今日の商談はシャウルさんの代理で行く大切な相手だろ。プリン作って待ってるから、気を付けて行ってこいよ」
「……そういう意味ではない」
溜め息をつきながら指でスルリと目元から頬を撫でられ、リチャードの顔が近付いてくるのに正義は反射的に目を閉じる。リチャードの薄い唇はそのまま──正義の頬にキスを落とした。
「えっ」
「なんです」
「いや、その」
「正義?」
「……口に、してくれるのかと、思ったから」
「…………は?」
リチャードの声が一段低くなったことで今自分が口走った言葉をようやく理解し、正義はぶわわっと顔が赤くなることを自覚する。恥ずかしい、まだ朝なのになんてことを。
そもそも行ってらっしゃいのキスはいつも頬なのに、何故今日に限って口にしてもらえるなどと思ったのか。
リチャードの肩をがしっと掴んでクルリと回し、背を押しながら「なんでもない! なんでもないです! 行ってらっしゃい!」と無理やり玄関の外に送り出してから、その場に蹲る。
車のエンジン音が聞こえたからリチャードは商談に向かったはずだけど、ああ、俺はなんてことを言ってしまったんだ。少しは粗忽な部分がマシになったと思っていたのに。
夕方にはリチャードは帰ってくる。その時どんな顔で出迎えたらいいのか、正義には分からなかった。
□ □ □
プリンを仕込み、家中を掃除し、洗濯をし、夕飯の準備も済ませる。気分転換に始めた家事はしっかりと効果を発揮し、そろそろリチャードが帰ってくるだろう時間になる頃には冷静に考えられるようになった。
まずは朝のことを謝って、プリンとロイヤルミルクティーで労ろう。リチャードに甘えるような形になってしまうのは心苦しいがいつもの粗忽者のしたことだと思ってもらいたい。明日からはしっかりやります、と謝罪の文面を脳内で纏めたところで、数時間振りのエンジン音が聞こえてきた。
キッチンから玄関に向かえば先にドアが開かれた。出掛けて行ったときと変わりなく、美しいままのリチャードの姿にほっとしながら正義は笑顔で出迎え、用意していた言葉を口にする。
「おかえりリチャード! 朝は、むぐっ」
ごめん、の声はリチャードの唇に飲み込まれた。
食べられる勢いで舌が絡められ、目を白黒させている間に腰と後頭部をガッチリ押さえられにげることも出来ない。なんとか鼻で息をしながらも甘い声が上がるのは止められず、ようやく離された唇はお互いの唾液でてらりと濡れていた。
「……あんなことを、あんな顔で言われて、そのまま仕事に向かわなければならなかった私の気持ちが分かりましたか」
はふはふと呼吸を整えていた正義の身体を抱き締めたリチャードが、耳元に口付けながら言う。
「運転中も、商談の間も、昼食の間もあなたのことを考えていたんですよ、正義。シャウルの代理でなければ商談など延期していました」
「おれ、お前に謝るつもりで」
「謝る? なぜ? 別におかしなことはなにも言っていないでしょう。それよりも正義」
ようやく呼吸が落ち着いた正義が至近距離にあるリチャードの顔を見れば、この上なく美しい顔で笑う肉食獣がそこにいた。
「謝って済むと思っているのなら、あなたは相当に考えが甘い」
やってしまった。久々にやらかしてしまった。
キャンディの社宅のリビングで蹲り頭を抱えながら。中田正義は呻き声を上げた。やってしまった。
一時間前に商談に向かうリチャードを見送ってからずっとこの調子なので、ジローが不安そうに正義の周りをうろうろしながら「だいじょうぶですかごしゅじん、ぼくをなでてもいいんですよ」とでも言うかのように時折正義の腕に鼻を近付ける。愛犬の可愛い慰めに正義はようやく顔を上げ、そっとジローを抱き締めた。
□ □ □
一時間前。いつも通り隙なくグレーのスーツを着こなしたリチャードの姿を正義は玄関先でジローと共に見ていた。
「正義、チェック」
「……うん、大丈夫だよリチャード。今日も世界一綺麗だな」
「ありがとうございます」
幾度となく繰り返されたやりとりだが、リチャードの美しさに慣れるなんてことはこの先もないだろう。見るたびに新しい魅力に気付かされる。何事にもアップデートを欠かさないリチャードをすぐ傍で見ることが出来ることのなんと幸せなことか……
「その辺りで止めておきなさい」
「あっ、ごめん。また声に出てたか」
「声だけではなく表情も、ですよ。そんなに見つめられては出掛けたくなくなります」
「本当にごめん。でも今日の商談はシャウルさんの代理で行く大切な相手だろ。プリン作って待ってるから、気を付けて行ってこいよ」
「……そういう意味ではない」
溜め息をつきながら指でスルリと目元から頬を撫でられ、リチャードの顔が近付いてくるのに正義は反射的に目を閉じる。リチャードの薄い唇はそのまま──正義の頬にキスを落とした。
「えっ」
「なんです」
「いや、その」
「正義?」
「……口に、してくれるのかと、思ったから」
「…………は?」
リチャードの声が一段低くなったことで今自分が口走った言葉をようやく理解し、正義はぶわわっと顔が赤くなることを自覚する。恥ずかしい、まだ朝なのになんてことを。
そもそも行ってらっしゃいのキスはいつも頬なのに、何故今日に限って口にしてもらえるなどと思ったのか。
リチャードの肩をがしっと掴んでクルリと回し、背を押しながら「なんでもない! なんでもないです! 行ってらっしゃい!」と無理やり玄関の外に送り出してから、その場に蹲る。
車のエンジン音が聞こえたからリチャードは商談に向かったはずだけど、ああ、俺はなんてことを言ってしまったんだ。少しは粗忽な部分がマシになったと思っていたのに。
夕方にはリチャードは帰ってくる。その時どんな顔で出迎えたらいいのか、正義には分からなかった。
□ □ □
プリンを仕込み、家中を掃除し、洗濯をし、夕飯の準備も済ませる。気分転換に始めた家事はしっかりと効果を発揮し、そろそろリチャードが帰ってくるだろう時間になる頃には冷静に考えられるようになった。
まずは朝のことを謝って、プリンとロイヤルミルクティーで労ろう。リチャードに甘えるような形になってしまうのは心苦しいがいつもの粗忽者のしたことだと思ってもらいたい。明日からはしっかりやります、と謝罪の文面を脳内で纏めたところで、数時間振りのエンジン音が聞こえてきた。
キッチンから玄関に向かえば先にドアが開かれた。出掛けて行ったときと変わりなく、美しいままのリチャードの姿にほっとしながら正義は笑顔で出迎え、用意していた言葉を口にする。
「おかえりリチャード! 朝は、むぐっ」
ごめん、の声はリチャードの唇に飲み込まれた。
食べられる勢いで舌が絡められ、目を白黒させている間に腰と後頭部をガッチリ押さえられにげることも出来ない。なんとか鼻で息をしながらも甘い声が上がるのは止められず、ようやく離された唇はお互いの唾液でてらりと濡れていた。
「……あんなことを、あんな顔で言われて、そのまま仕事に向かわなければならなかった私の気持ちが分かりましたか」
はふはふと呼吸を整えていた正義の身体を抱き締めたリチャードが、耳元に口付けながら言う。
「運転中も、商談の間も、昼食の間もあなたのことを考えていたんですよ、正義。シャウルの代理でなければ商談など延期していました」
「おれ、お前に謝るつもりで」
「謝る? なぜ? 別におかしなことはなにも言っていないでしょう。それよりも正義」
ようやく呼吸が落ち着いた正義が至近距離にあるリチャードの顔を見れば、この上なく美しい顔で笑う肉食獣がそこにいた。
「謝って済むと思っているのなら、あなたは相当に考えが甘い」
