アイリスと独占欲
公開 2023/09/24 14:59
最終更新
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※2.5部軸
ホテルのレストランでビュッフェ形式の朝食をとりながら、向かいに座る雇用主にそういえば、と声を描ける。
「前から考えてはいたんだけどさ、明日あたりパソコン用の眼鏡を買いに行こうかと思って」
俺が就職先をリチャードと決めてから半年。予想以上にハードだった商談や買い付けスケジュールとそれに伴う事務処理を始めとしたタスクをなんとかこなし、最近は時間に余裕を作ることも出来るようになってきた。
今日の仕事はエトランジェでの接客、それと夕方に都内にお住まいのお客様宅への訪問。明日はヨーロッパへの移動日で夕方までフリーなので雑務を片付ける予定だった。
「度の入っていないものですか?」
「うん。視力は別に落ちてないし、ただ目の疲れを軽減させるのが目的だから」
「確かに今までとは比べ物にならないくらいメールや書類作成が増えたでしょうからね。早めに対処するのは正解かと思われます」
「あの量を今までおまえ一人でこなしてたんだよなぁ、本当に尊敬するよ……」
「ふふ、ありがとうございます。要は慣れです。正義、あなたの仕事に於ける成長速度は目を見張るものがありますから、すぐに私以上の働きをするようになるかと」
「うぉぉ……! 変なプレッシャーかけないでくれよ……!」
「期待していますよ、私の秘書さん」
優雅に千切ったクロワッサンを食べながら微笑むリチャードに、改めて心を奪われる。飴と鞭の使い分けが上手いリチャードは俺がどんな言葉や表情に弱いのかも完全に把握しているんだろう。
「ところで、お買い物はどちらへ?」
「いやまだ決めてないけど、普通に量販店かな。お客様の前で掛けることもないだろうから安いものでいいし、出来上がりも早いだろうから」
「……よろしければお店までご一緒しても?」
「そりゃもちろんいいけど」
「ありがとうございます」
今まで眼鏡をかけたことがないから特にこだわりもないし、多分仕上がり含めて三十分もかからないぞと言いたかったが、リチャードが目に見えてご機嫌なので水を差すこともないかと思い口にはしなかった。
□ □ □
翌日。ホテルをチェックアウトしたあと一度エトランジェに行き金庫の中身を整理してから、俺とリチャードは某眼鏡店に向かった。銀座にも店舗があって助かる。
モデルも顔負けの美貌を持つリチャードに向けられる他人の視線が俺としては非常に気になるので、さっさと決めてエトランジェに戻り、空港に移動する時間までお茶とお菓子でも……と思っていたのだが。
そのリチャードが俺の眼鏡を吟味しすぎるせいで、かれこれ1時間が経過していた。俺一人の買い物だったら入店から受け取りまででこの時間より早く済んでいただろう。
「正義、次はこちらの色のものを掛けてください」
「あなたの輪郭に合うのはこの形状ですね……しかしこちらも捨てがたい」
「リムが視界を邪魔してはいませんか? ハーフリムも似合いますが、あまりあなた向けではないかと」
もうずっとこんな調子だ。何度か店員さんが俺たちに声を掛けようとしていたのは分かるが、なぜかそのタイミングでリチャードが微笑むので結局誰も近付いてこない。遠巻きに眺められるのも微妙に気になる。
このままではいつまで経っても買い物は終わらないし、俺としては今日みたいなオフの日にはリチャードにゆっくり甘味とロイヤルミルクティーを味わってもらいたいのだ。
意を決して、棚に並んでいたものから適当に選んだ眼鏡をかけ、一応自分で鏡で確認してからリチャードに正面から向き合う。
「なぁリチャード、これとかどうだ!?」
眼鏡を試着した俺を、ブルーグレイの瞳がまじまじと眺める。視線が輪郭のと目元を何度か行き来してから、おもむろに顎を掴まれて強制的に横を向かされた。痛い。
「えーと、あの、リチャード?」
「……これが私の勝手な希望であることは重々承知のうえなのですが、聞いていただけますか」
「えっ、うん」
「その眼鏡ではいけません。テンプル、つまりこのつるの部分が太めなので、あなたを横から見たときに虹彩がほとんど隠れてしまうのです。それはいけません。私は横から見るあなたの琥珀色の瞳も好きなので、それが見えにくくなることは耐えられない」
「はぁ」
「なのでなるべくテンプルが細めのものを選んでいたのですが、なかなか難しいものですね」
「そうか」
「しかしあまり時間をかけすぎても仕方がない。この焦げ茶のフレームであればあなたの髪と肌の色にも合うかと思います。レンズも大きめなのでリムが視界に入りすぎることもないかと」
「うん、なぁ、リチャード」
「なんでしょうか」
「……横からじゃなくてずっと正面から見てればいいんじゃないか?」
店内の空気が一瞬だけシン……と静まり返った気がしたが、すぐに人の話し声や店内に流れていた音楽で賑やかになる。
なんだろう? と考えていると、目の前にいたリチャードが俺の掛けていた眼鏡を殊更優雅な手つきで外し、代わりに焦げ茶の眼鏡を掛けさせてくれた。さっき言っていたものだ。
やはりこれがいいですね、と満足そうに微笑みながらも、その視線は妙に熱い。
「なんかその、リチャード、怒ってるか?」
「怒ってなどいません。あなたの言うことにも一理あるなと考え直していたところです」
「でもなんかおまえ、視線がなんか痛いというか熱いというか」
「そうですね、怒っているわけではないのですが……私が、あなたを見つめるのに、正面からだけで満足すると思われていたのかと、些か不服に思っているのは確かです」
「ひえっ」
「……眼鏡を掛けた専属秘書を見ることが出来るのは私だけなのだから、あらゆる角度から眺める権利があるとは思いませんか?」
これにしましょう、と俺の顔から眼鏡を取ってリチャードは、そのまま一直線に店員にオーダーをしに行ってしまった。
俺はと言えば至近距離でリチャードの笑顔を浴びたせいで若干過剰摂取の症状を起こしていた。顔が熱くてなんだか酸欠気味になっている。
なにかいろいろ言われていた気がするけど半分くらい聞こえてなかった。
美しさで人は死ねる。今まさに俺は死にそうなのだから、これは確定事項だ。
チラリと視線を上げれば、リチャードはすでに会計を済ませて、レンズ処理待ちのシートを受け取っているところだった。
職務用なのですから経費で落とせますよ、などと言っていた気がするけれど、あれは絶対私費扱いにしてしまっているに違いない。
小さく呻き声を上げそうになったところで、何度か声を掛けようとしてくれていた店員さんと鏡越しに視線が合った。
小さく「わかってますよ」とでも言いたげな顔で微笑まれ、会釈される。
――鏡の中には、今度こそ首から耳まで真っ赤になった俺の顔が映っていた。
ホテルのレストランでビュッフェ形式の朝食をとりながら、向かいに座る雇用主にそういえば、と声を描ける。
「前から考えてはいたんだけどさ、明日あたりパソコン用の眼鏡を買いに行こうかと思って」
俺が就職先をリチャードと決めてから半年。予想以上にハードだった商談や買い付けスケジュールとそれに伴う事務処理を始めとしたタスクをなんとかこなし、最近は時間に余裕を作ることも出来るようになってきた。
今日の仕事はエトランジェでの接客、それと夕方に都内にお住まいのお客様宅への訪問。明日はヨーロッパへの移動日で夕方までフリーなので雑務を片付ける予定だった。
「度の入っていないものですか?」
「うん。視力は別に落ちてないし、ただ目の疲れを軽減させるのが目的だから」
「確かに今までとは比べ物にならないくらいメールや書類作成が増えたでしょうからね。早めに対処するのは正解かと思われます」
「あの量を今までおまえ一人でこなしてたんだよなぁ、本当に尊敬するよ……」
「ふふ、ありがとうございます。要は慣れです。正義、あなたの仕事に於ける成長速度は目を見張るものがありますから、すぐに私以上の働きをするようになるかと」
「うぉぉ……! 変なプレッシャーかけないでくれよ……!」
「期待していますよ、私の秘書さん」
優雅に千切ったクロワッサンを食べながら微笑むリチャードに、改めて心を奪われる。飴と鞭の使い分けが上手いリチャードは俺がどんな言葉や表情に弱いのかも完全に把握しているんだろう。
「ところで、お買い物はどちらへ?」
「いやまだ決めてないけど、普通に量販店かな。お客様の前で掛けることもないだろうから安いものでいいし、出来上がりも早いだろうから」
「……よろしければお店までご一緒しても?」
「そりゃもちろんいいけど」
「ありがとうございます」
今まで眼鏡をかけたことがないから特にこだわりもないし、多分仕上がり含めて三十分もかからないぞと言いたかったが、リチャードが目に見えてご機嫌なので水を差すこともないかと思い口にはしなかった。
□ □ □
翌日。ホテルをチェックアウトしたあと一度エトランジェに行き金庫の中身を整理してから、俺とリチャードは某眼鏡店に向かった。銀座にも店舗があって助かる。
モデルも顔負けの美貌を持つリチャードに向けられる他人の視線が俺としては非常に気になるので、さっさと決めてエトランジェに戻り、空港に移動する時間までお茶とお菓子でも……と思っていたのだが。
そのリチャードが俺の眼鏡を吟味しすぎるせいで、かれこれ1時間が経過していた。俺一人の買い物だったら入店から受け取りまででこの時間より早く済んでいただろう。
「正義、次はこちらの色のものを掛けてください」
「あなたの輪郭に合うのはこの形状ですね……しかしこちらも捨てがたい」
「リムが視界を邪魔してはいませんか? ハーフリムも似合いますが、あまりあなた向けではないかと」
もうずっとこんな調子だ。何度か店員さんが俺たちに声を掛けようとしていたのは分かるが、なぜかそのタイミングでリチャードが微笑むので結局誰も近付いてこない。遠巻きに眺められるのも微妙に気になる。
このままではいつまで経っても買い物は終わらないし、俺としては今日みたいなオフの日にはリチャードにゆっくり甘味とロイヤルミルクティーを味わってもらいたいのだ。
意を決して、棚に並んでいたものから適当に選んだ眼鏡をかけ、一応自分で鏡で確認してからリチャードに正面から向き合う。
「なぁリチャード、これとかどうだ!?」
眼鏡を試着した俺を、ブルーグレイの瞳がまじまじと眺める。視線が輪郭のと目元を何度か行き来してから、おもむろに顎を掴まれて強制的に横を向かされた。痛い。
「えーと、あの、リチャード?」
「……これが私の勝手な希望であることは重々承知のうえなのですが、聞いていただけますか」
「えっ、うん」
「その眼鏡ではいけません。テンプル、つまりこのつるの部分が太めなので、あなたを横から見たときに虹彩がほとんど隠れてしまうのです。それはいけません。私は横から見るあなたの琥珀色の瞳も好きなので、それが見えにくくなることは耐えられない」
「はぁ」
「なのでなるべくテンプルが細めのものを選んでいたのですが、なかなか難しいものですね」
「そうか」
「しかしあまり時間をかけすぎても仕方がない。この焦げ茶のフレームであればあなたの髪と肌の色にも合うかと思います。レンズも大きめなのでリムが視界に入りすぎることもないかと」
「うん、なぁ、リチャード」
「なんでしょうか」
「……横からじゃなくてずっと正面から見てればいいんじゃないか?」
店内の空気が一瞬だけシン……と静まり返った気がしたが、すぐに人の話し声や店内に流れていた音楽で賑やかになる。
なんだろう? と考えていると、目の前にいたリチャードが俺の掛けていた眼鏡を殊更優雅な手つきで外し、代わりに焦げ茶の眼鏡を掛けさせてくれた。さっき言っていたものだ。
やはりこれがいいですね、と満足そうに微笑みながらも、その視線は妙に熱い。
「なんかその、リチャード、怒ってるか?」
「怒ってなどいません。あなたの言うことにも一理あるなと考え直していたところです」
「でもなんかおまえ、視線がなんか痛いというか熱いというか」
「そうですね、怒っているわけではないのですが……私が、あなたを見つめるのに、正面からだけで満足すると思われていたのかと、些か不服に思っているのは確かです」
「ひえっ」
「……眼鏡を掛けた専属秘書を見ることが出来るのは私だけなのだから、あらゆる角度から眺める権利があるとは思いませんか?」
これにしましょう、と俺の顔から眼鏡を取ってリチャードは、そのまま一直線に店員にオーダーをしに行ってしまった。
俺はと言えば至近距離でリチャードの笑顔を浴びたせいで若干過剰摂取の症状を起こしていた。顔が熱くてなんだか酸欠気味になっている。
なにかいろいろ言われていた気がするけど半分くらい聞こえてなかった。
美しさで人は死ねる。今まさに俺は死にそうなのだから、これは確定事項だ。
チラリと視線を上げれば、リチャードはすでに会計を済ませて、レンズ処理待ちのシートを受け取っているところだった。
職務用なのですから経費で落とせますよ、などと言っていた気がするけれど、あれは絶対私費扱いにしてしまっているに違いない。
小さく呻き声を上げそうになったところで、何度か声を掛けようとしてくれていた店員さんと鏡越しに視線が合った。
小さく「わかってますよ」とでも言いたげな顔で微笑まれ、会釈される。
――鏡の中には、今度こそ首から耳まで真っ赤になった俺の顔が映っていた。
