仁義なき戦い~紳士の反省を添えて~
公開 2023/09/24 13:48
最終更新
2023/09/24 13:53
※誰しも譲れないものがあります、と見せかけたしょうもない話
キャンディの穏やかな昼下がり。庭では降り注ぐ日差しを浴びたタオルとシャツが時折風にはためいている。絶好の洗濯日和だからと朝一番に干したのだが、もう乾いているようだ。今はこんなに晴れていても突然雨が降ることがある。そうなる前に取り込まなければ……この状況を、片付けてからだが。
「本当に、本当にいいんだな……リチャード」
「もちろんです」
「あとでやり直しをしたいとか言っても」
「くどい。あなたの国の言葉で言うならば『男に二言はない』……これでよろしいですか」
「わかった。そこまで言うなら俺も覚悟を決める」
右手を強く握りしめる。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
「今回もいつものやり方でやらせてもらうから」
「ええ」
「じゃあ……いくぞ!」
一度だけ深呼吸をしてから、俺は腕を振りかぶり、そして──
「最初はグー! ジャンケンポン!!」
□ □ □
リチャードがキャンディの社宅に帰ってきたのは予定より1日半も早い、昨日の深夜のことだ。
『今空港です。これからの移動なので恐らくそちらには日付が変わる頃に到着するでしょう。気にせず寝ていてくれて構いません。食事も機内で済ませましたのでご心配なく』
夕食と風呂、一日の最後にいつもやるジローとのわちゃわちゃタイムも済ませ、あとは少しばかり読書をしてから眠ろう。そう思っていたところに連続で届いたメッセージに俺は二度文面を読み直し、三度時計を見て、脳内で冷蔵庫の中身を思い出しながらすぐさま返事を送る。
『びっくりした! 言ってくれれば迎えに行ったのに』
『飛行機が取れたのが本当に偶然でしたので』
うーん、しれっと嘘をつかれている気がする。
俺には嘘をつかないと約束したはずの男は、こういう時だけはその約束を反故にするのだ。しかしそれが俺のためだということを分かっているので深く追求したこともないのだけれど。
『起きて待ってるよ。お前が来るって分かったらむしろ眠れないし。少し冷やし足りなくなるかもしれないけどプリンも作る』
『あなたのプリンは出来たてでも美味しいですから気になさらず。気持ちは嬉しいですが明日でも構いません』
『俺が構うんだ。気を付けて来いよ』
『もちろんです』
そこからの行動は早かった。大急ぎで、しかし気持ちは最大限に込めつつプリンをいつもより多めに作り、冷蔵庫に残っていた野菜をいくつか取り出してスープを作る。リチャードが機内で済ませたという時は大抵が栄養補助食品の類だと知っているので(ちなみにこれはニューヨークにいる某金融マンからのタレコミだ)せめて温かいものを食べてから休んでほしいという俺のお節介だ。オートミールもあるのでお粥みたいにしてもいいだろう。
そうしてリチャードが帰ってきてから軽くハグをしあい、いつもの帰宅の挨拶を済ませ、スープ粥とギリギリで出せるレベルにまで冷えてくれたプリンを2つ、それから食後のロイヤルミルクティーを提供してから、俺たちはそれぞれの部屋で眠りについた。翌朝の朝食の下ごしらえをして閉じた冷蔵庫には、プリンはまだ5つあった。
ジェットラグと旅の疲れもあったのだろう。洗濯を済ませてから朝食時にも一応声をかけたが、シーツおばけはギリシャ語で何かをうんうんと唸っていた。多分ギリシャ語だった。多分。
本来リチャードがここに帰ってくるのは明日の午後の予定だったので、今日は買い出しを済ませてしまうつもりだった。この様子だと昼までは起きてこないだろうとふんで「買い物に行ってくるからな」と身体をぽんぽんと叩いてから出かける。あの状態で聞こえていたかわからないのでメモも残しておくことにした。
『買い物に行ってきます。昼過ぎには戻る予定。昼食まで待てなかったらサンドイッチとプリンがあるから先に食べていてくれ』
『ただしプリンは3つまで』
『アイスロイヤルも冷蔵庫に入れてあるからな』
一度に食べるプリンはいつもは2つまでなので、かなり譲歩したほうだと思う。
……ところが、だ。ところが。
帰ってきて食材を仕舞おうと冷蔵庫を開けると、プリンは1つも残っていなかった。おかしい。5つあったはずなのに。
「リチャード」
「はい」
「メモを見たか」
「……見ました」
「今一瞬嘘吐きそうになっただろ」
「なんのことでしょう。あなたに嘘はつかないと再三申し上げていると思いますが」
「……見たんなら、プリン3個までって読んだってことだよな」
「そうですね」
「買い物に行く前は確実に5個あったんだけど、なんで1つも残ってないんだ」
「……家出したのでは」
「家出」
「ええ」
「プリンが」
「まあ」
「家出」
「そうですね」
「……器だけ帰って来たのか」
「……義理堅い器だったのでしょう」
なんだ義理堅い器って。しかもその返答は対ジェフリーのものだろう。
俺が耐えきれず噴きだしたのと同時に、リチャードも笑い出した。会話の途中から唇をむにむにさせていたからこいつも笑い声を我慢していたのだろう。
「5つだぞ、5つ! サンドイッチも食べてるしその上で5つも食べたのか!」
「昨夜食べたのもいつも通り美味しかったですが、しっかり冷やされたものもまた格別の美味しさでした」
「そういうことじゃなくてだな」
「申し訳ありません」
「疲れてたのは分かるけどさすがに食べ過ぎだよ」
「ついつい手が出てしまいまして」
「全部お前のために作ったのは確かだけどさぁ」
「……あなたは私を甘やかすのが上手い」
「そうでもない。今日はもうプリン禁止です」
「えっ」
えっ、ともう一度口にしてリチャードは真正面から俺を見た。絶望的な表情をしていても変わらず美しいのだからすごい。むしろ悲壮感が美しさを際立たせているようにも思える。白皙の肌にかかった金糸が揺れて
「まずはその口を閉じなさい」
「あっごめん」
口に出ていたらしい。オホン、とわざとらしく咳払いをしてからリチャードは軽く首を傾げつつ微笑んだ。そういう笑顔も綺麗だ。
「私の気のせいでしょうか。プリン禁止、などという恐ろしい単語が聞こえたような」
「うん。今日はもうプリン禁止。明日の朝まで」
「なぜそんなひどいことを言うのか! 私があなたのプリンを食べることをどれほど楽しみにしているかご存じのはずでは!?」
「知ってるけど! 知ってるけど1度に5個は食べ過ぎだし……そもそもあれ今日1日の分だったんだぞ!」
「そんな……なんという……」
「いや、リチャード、そんなにショック受けなくても」
「見通しの甘さ……」
「なんでそうなるんだよ」
「私の健康に気を遣ってくださっているのは重々理解していますが、あなたのプリンはもはや私の人生に欠かせないものです。いくらでも食べたいしいくらでも食べられる。それくらい大切なものなのです。なのにそれを、明日の朝まで食べられないなど……」
……そんなに大事なプリンなら余計ちまちまと食べて欲しいんだけどなぁ。
頭の中でうーんと腕を組みつつ唸るが、多分言ったところで別の反論がくるだけだろう。折角早く帰って来てくれたのにしょんぼりさせてしまうのも若干……かなり気が咎める。いつだってリチャードには笑顔でいて欲しい。でもさすがに食べ過ぎなのは確かだ。昨日の夜プリン液を仕込んだときに計った砂糖の量を思い出すんだ中田正義……うーん、これは思い出さない方がいいやつだ。過剰摂取にもほどがある。
「俺だって意地悪したいわけじゃないんだよ。わかるだろ。甘いものたくさん食べた後はジムに行ったりしてるのも知ってるし、健康診断だって受けてるし……結果は知らないけど」
「何も問題ありません。結果はシャウルにも報告しています」
「でも俺にも譲れない部分はあるんだ。だから」
「……だから?」
「じゃんけんで決めよう」
「じゃんけん」
「もうスパッと決めたいから1回勝負で。俺が負けたら、すごくすごく気は乗らないけど、夕飯用にプリンを作るよ。昼はダメだからな! そこだけは譲らないぞ!」
「では、もしあなたが勝ったら先程の発言通り……」
「明日の朝までプリン禁止です……どうだ?」
「……いいでしょう。私にも非はあります」
非しかない気がするけど……まあいいか。とにかくこれ以上言い合っていても仕方がない。さっきからジローの「ごしゅじんだいじょうぶですか? なでますか?」というような視線が気になっているのだ。早く撫で回してやりたいし散歩にも連れて行ってやりたい。
「本当に、本当にいいんだな……リチャード」
「もちろんです」
「あとでやり直しをしたいとか言っても」
「くどい。あなたの国の言葉で言うならば『男に二言はない』……これでよろしいですか」
「わかった。そこまで言うなら俺も覚悟を決める」
右手を強く握りしめる。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
「今回もいつものやり方でやらせてもらうから」
「ええ」
「じゃあ……いくぞ!」
一度だけ深呼吸をしてから、俺は腕を振りかぶり、そして──
「最初はグー! ジャンケンポン!!」
□ □ □
洗濯物を取り込んで手早く畳んでから、夕飯の準備のためキッチンへと向かう。リチャードが来ているときは料理をするのも楽しい。市場で新鮮な魚が手に入ったので、今日のメインは魚料理にしようか。カレーを作るのもいい。前にリチャードが帰って来たとき作ったレシピをあいつは絶賛してくれたけど、少しアレンジをしてみようか。サラダと、果物も準備しなくては。リチャードを元気づけるために。
──自分の握り拳をあんなに悲痛な目で見る人を初めて見た気がする。
俺の開かれた手のひらと、自分の拳を何度か交互に見て、リチャードは目に見えてショックを受けていた。どれだけ自信があったんだと思ったが、多分負けるとは本当に露ほども思っていなかったのだろう。
しょんぼり、という言葉を全身に纏わせたまま「……少し早いですがジローの散歩に行ってまいります」と告げると、玄関に置いてあるリードを片手にとぼとぼと出て行ってしまった。
……ジローを残したまま。
ごしゅじん、もうひとりのごしゅじんはだいじょうぶですか? おさんぽですよね? ぼくもいってもいいんですか?
戸惑ったようにウロウロとするジローの頭を撫でてやってから、リチャードのほうに行っておいで、と声をかければ頭のいいジローは少しだけ俺の顔を見つめてからリチャードを追い掛けた。あれではジローの散歩に行くリチャードではなく、リチャードの散歩に付き添うジローだ。
玄関からこっそり見れば、門のところでちゃんと首輪にリードを繋いでいたのでほっとした。ジローには帰ってきたら多めにおやつをあげることにしよう。
リチャードのプリン禁止令は明日の朝までなので、夕食後にプリンを仕込むことにする。自分も納得したうえでじゃんけんをしたのだから夜中に起きだして冷蔵庫を開けたりすることはないだろう……多分。シーツおばけがプリンを求めて冷蔵庫をそっと開ける姿を想像して、思わず笑いが零れた。
だから、プリンの代わりにワタラッパンで我慢してもらうことにしよう。
俺もワタラッパン禁止とは言っていない。じゃんけんの結果がどうであれ、どちらも作れるように買い物はしてきたのだ……あんなに落ち込むと思っていなかっただけで。その原因を作ったのもリチャード自身ではあるけれど、やっぱりいつだって笑っていて欲しい。
「よし、やるぞー!」
──嗅ぎ慣れた甘い香りに、散歩から帰ってきたばかりの傷心の麗人の顔が綻ぶのは、30分後のことだ。
キャンディの穏やかな昼下がり。庭では降り注ぐ日差しを浴びたタオルとシャツが時折風にはためいている。絶好の洗濯日和だからと朝一番に干したのだが、もう乾いているようだ。今はこんなに晴れていても突然雨が降ることがある。そうなる前に取り込まなければ……この状況を、片付けてからだが。
「本当に、本当にいいんだな……リチャード」
「もちろんです」
「あとでやり直しをしたいとか言っても」
「くどい。あなたの国の言葉で言うならば『男に二言はない』……これでよろしいですか」
「わかった。そこまで言うなら俺も覚悟を決める」
右手を強く握りしめる。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
「今回もいつものやり方でやらせてもらうから」
「ええ」
「じゃあ……いくぞ!」
一度だけ深呼吸をしてから、俺は腕を振りかぶり、そして──
「最初はグー! ジャンケンポン!!」
□ □ □
リチャードがキャンディの社宅に帰ってきたのは予定より1日半も早い、昨日の深夜のことだ。
『今空港です。これからの移動なので恐らくそちらには日付が変わる頃に到着するでしょう。気にせず寝ていてくれて構いません。食事も機内で済ませましたのでご心配なく』
夕食と風呂、一日の最後にいつもやるジローとのわちゃわちゃタイムも済ませ、あとは少しばかり読書をしてから眠ろう。そう思っていたところに連続で届いたメッセージに俺は二度文面を読み直し、三度時計を見て、脳内で冷蔵庫の中身を思い出しながらすぐさま返事を送る。
『びっくりした! 言ってくれれば迎えに行ったのに』
『飛行機が取れたのが本当に偶然でしたので』
うーん、しれっと嘘をつかれている気がする。
俺には嘘をつかないと約束したはずの男は、こういう時だけはその約束を反故にするのだ。しかしそれが俺のためだということを分かっているので深く追求したこともないのだけれど。
『起きて待ってるよ。お前が来るって分かったらむしろ眠れないし。少し冷やし足りなくなるかもしれないけどプリンも作る』
『あなたのプリンは出来たてでも美味しいですから気になさらず。気持ちは嬉しいですが明日でも構いません』
『俺が構うんだ。気を付けて来いよ』
『もちろんです』
そこからの行動は早かった。大急ぎで、しかし気持ちは最大限に込めつつプリンをいつもより多めに作り、冷蔵庫に残っていた野菜をいくつか取り出してスープを作る。リチャードが機内で済ませたという時は大抵が栄養補助食品の類だと知っているので(ちなみにこれはニューヨークにいる某金融マンからのタレコミだ)せめて温かいものを食べてから休んでほしいという俺のお節介だ。オートミールもあるのでお粥みたいにしてもいいだろう。
そうしてリチャードが帰ってきてから軽くハグをしあい、いつもの帰宅の挨拶を済ませ、スープ粥とギリギリで出せるレベルにまで冷えてくれたプリンを2つ、それから食後のロイヤルミルクティーを提供してから、俺たちはそれぞれの部屋で眠りについた。翌朝の朝食の下ごしらえをして閉じた冷蔵庫には、プリンはまだ5つあった。
ジェットラグと旅の疲れもあったのだろう。洗濯を済ませてから朝食時にも一応声をかけたが、シーツおばけはギリシャ語で何かをうんうんと唸っていた。多分ギリシャ語だった。多分。
本来リチャードがここに帰ってくるのは明日の午後の予定だったので、今日は買い出しを済ませてしまうつもりだった。この様子だと昼までは起きてこないだろうとふんで「買い物に行ってくるからな」と身体をぽんぽんと叩いてから出かける。あの状態で聞こえていたかわからないのでメモも残しておくことにした。
『買い物に行ってきます。昼過ぎには戻る予定。昼食まで待てなかったらサンドイッチとプリンがあるから先に食べていてくれ』
『ただしプリンは3つまで』
『アイスロイヤルも冷蔵庫に入れてあるからな』
一度に食べるプリンはいつもは2つまでなので、かなり譲歩したほうだと思う。
……ところが、だ。ところが。
帰ってきて食材を仕舞おうと冷蔵庫を開けると、プリンは1つも残っていなかった。おかしい。5つあったはずなのに。
「リチャード」
「はい」
「メモを見たか」
「……見ました」
「今一瞬嘘吐きそうになっただろ」
「なんのことでしょう。あなたに嘘はつかないと再三申し上げていると思いますが」
「……見たんなら、プリン3個までって読んだってことだよな」
「そうですね」
「買い物に行く前は確実に5個あったんだけど、なんで1つも残ってないんだ」
「……家出したのでは」
「家出」
「ええ」
「プリンが」
「まあ」
「家出」
「そうですね」
「……器だけ帰って来たのか」
「……義理堅い器だったのでしょう」
なんだ義理堅い器って。しかもその返答は対ジェフリーのものだろう。
俺が耐えきれず噴きだしたのと同時に、リチャードも笑い出した。会話の途中から唇をむにむにさせていたからこいつも笑い声を我慢していたのだろう。
「5つだぞ、5つ! サンドイッチも食べてるしその上で5つも食べたのか!」
「昨夜食べたのもいつも通り美味しかったですが、しっかり冷やされたものもまた格別の美味しさでした」
「そういうことじゃなくてだな」
「申し訳ありません」
「疲れてたのは分かるけどさすがに食べ過ぎだよ」
「ついつい手が出てしまいまして」
「全部お前のために作ったのは確かだけどさぁ」
「……あなたは私を甘やかすのが上手い」
「そうでもない。今日はもうプリン禁止です」
「えっ」
えっ、ともう一度口にしてリチャードは真正面から俺を見た。絶望的な表情をしていても変わらず美しいのだからすごい。むしろ悲壮感が美しさを際立たせているようにも思える。白皙の肌にかかった金糸が揺れて
「まずはその口を閉じなさい」
「あっごめん」
口に出ていたらしい。オホン、とわざとらしく咳払いをしてからリチャードは軽く首を傾げつつ微笑んだ。そういう笑顔も綺麗だ。
「私の気のせいでしょうか。プリン禁止、などという恐ろしい単語が聞こえたような」
「うん。今日はもうプリン禁止。明日の朝まで」
「なぜそんなひどいことを言うのか! 私があなたのプリンを食べることをどれほど楽しみにしているかご存じのはずでは!?」
「知ってるけど! 知ってるけど1度に5個は食べ過ぎだし……そもそもあれ今日1日の分だったんだぞ!」
「そんな……なんという……」
「いや、リチャード、そんなにショック受けなくても」
「見通しの甘さ……」
「なんでそうなるんだよ」
「私の健康に気を遣ってくださっているのは重々理解していますが、あなたのプリンはもはや私の人生に欠かせないものです。いくらでも食べたいしいくらでも食べられる。それくらい大切なものなのです。なのにそれを、明日の朝まで食べられないなど……」
……そんなに大事なプリンなら余計ちまちまと食べて欲しいんだけどなぁ。
頭の中でうーんと腕を組みつつ唸るが、多分言ったところで別の反論がくるだけだろう。折角早く帰って来てくれたのにしょんぼりさせてしまうのも若干……かなり気が咎める。いつだってリチャードには笑顔でいて欲しい。でもさすがに食べ過ぎなのは確かだ。昨日の夜プリン液を仕込んだときに計った砂糖の量を思い出すんだ中田正義……うーん、これは思い出さない方がいいやつだ。過剰摂取にもほどがある。
「俺だって意地悪したいわけじゃないんだよ。わかるだろ。甘いものたくさん食べた後はジムに行ったりしてるのも知ってるし、健康診断だって受けてるし……結果は知らないけど」
「何も問題ありません。結果はシャウルにも報告しています」
「でも俺にも譲れない部分はあるんだ。だから」
「……だから?」
「じゃんけんで決めよう」
「じゃんけん」
「もうスパッと決めたいから1回勝負で。俺が負けたら、すごくすごく気は乗らないけど、夕飯用にプリンを作るよ。昼はダメだからな! そこだけは譲らないぞ!」
「では、もしあなたが勝ったら先程の発言通り……」
「明日の朝までプリン禁止です……どうだ?」
「……いいでしょう。私にも非はあります」
非しかない気がするけど……まあいいか。とにかくこれ以上言い合っていても仕方がない。さっきからジローの「ごしゅじんだいじょうぶですか? なでますか?」というような視線が気になっているのだ。早く撫で回してやりたいし散歩にも連れて行ってやりたい。
「本当に、本当にいいんだな……リチャード」
「もちろんです」
「あとでやり直しをしたいとか言っても」
「くどい。あなたの国の言葉で言うならば『男に二言はない』……これでよろしいですか」
「わかった。そこまで言うなら俺も覚悟を決める」
右手を強く握りしめる。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
「今回もいつものやり方でやらせてもらうから」
「ええ」
「じゃあ……いくぞ!」
一度だけ深呼吸をしてから、俺は腕を振りかぶり、そして──
「最初はグー! ジャンケンポン!!」
□ □ □
洗濯物を取り込んで手早く畳んでから、夕飯の準備のためキッチンへと向かう。リチャードが来ているときは料理をするのも楽しい。市場で新鮮な魚が手に入ったので、今日のメインは魚料理にしようか。カレーを作るのもいい。前にリチャードが帰って来たとき作ったレシピをあいつは絶賛してくれたけど、少しアレンジをしてみようか。サラダと、果物も準備しなくては。リチャードを元気づけるために。
──自分の握り拳をあんなに悲痛な目で見る人を初めて見た気がする。
俺の開かれた手のひらと、自分の拳を何度か交互に見て、リチャードは目に見えてショックを受けていた。どれだけ自信があったんだと思ったが、多分負けるとは本当に露ほども思っていなかったのだろう。
しょんぼり、という言葉を全身に纏わせたまま「……少し早いですがジローの散歩に行ってまいります」と告げると、玄関に置いてあるリードを片手にとぼとぼと出て行ってしまった。
……ジローを残したまま。
ごしゅじん、もうひとりのごしゅじんはだいじょうぶですか? おさんぽですよね? ぼくもいってもいいんですか?
戸惑ったようにウロウロとするジローの頭を撫でてやってから、リチャードのほうに行っておいで、と声をかければ頭のいいジローは少しだけ俺の顔を見つめてからリチャードを追い掛けた。あれではジローの散歩に行くリチャードではなく、リチャードの散歩に付き添うジローだ。
玄関からこっそり見れば、門のところでちゃんと首輪にリードを繋いでいたのでほっとした。ジローには帰ってきたら多めにおやつをあげることにしよう。
リチャードのプリン禁止令は明日の朝までなので、夕食後にプリンを仕込むことにする。自分も納得したうえでじゃんけんをしたのだから夜中に起きだして冷蔵庫を開けたりすることはないだろう……多分。シーツおばけがプリンを求めて冷蔵庫をそっと開ける姿を想像して、思わず笑いが零れた。
だから、プリンの代わりにワタラッパンで我慢してもらうことにしよう。
俺もワタラッパン禁止とは言っていない。じゃんけんの結果がどうであれ、どちらも作れるように買い物はしてきたのだ……あんなに落ち込むと思っていなかっただけで。その原因を作ったのもリチャード自身ではあるけれど、やっぱりいつだって笑っていて欲しい。
「よし、やるぞー!」
──嗅ぎ慣れた甘い香りに、散歩から帰ってきたばかりの傷心の麗人の顔が綻ぶのは、30分後のことだ。
