泥の中に咲く
公開 2023/09/24 13:12
最終更新
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※前半モブ子ちゃん視点です
……どうしよう。どうしよう。どうしよう。
さっきから、頭の中はこの文字でいっぱいだった。手がじわりと汗をかいているのが気持ち悪いけれど、それを拭くために手を動かすことが出来ない。自分が少しでも動いてしまったら、もうアレを取り戻せない気がしていたから。
……どうしよう。
目の前にある側溝は、普段は少しの水が流れている程度で、深さだって私の膝まで届かないくらい浅い。なのに今は、一昨日からずっと降っていた雨のせいで濁った水でいっぱいなうえに、上流側から流れてきた落ち葉やらゴミが混ざって底すら見えない。
……そういえば前にここで蛙をたくさん捕まえたと自慢してた子がいた。まさか今日もいるんだろうか。この茶色い水の中に。
蛙は嫌いだ。だけど、でも──
「そんなとこでどうしたの、おじょーちゃん?」
覚悟を決めるためにぎゅうっと目をつぶっていると横から知らない男の人の声がした。
びっくりして目を開けると、私の隣でサングラスをかけた若い男の──黒いスーツにシャツは真っ赤で、お父さんや校長先生とは全然違う、正直に言うと全然マトモそうには見えない──人がしゃがんでこちらを見上げている。
思わずヒッと小さく悲鳴を上げると、その人は目をきょとんと丸くしてからカラカラと笑った。
「あー、うん。そうだよねぇ、知らない人にいきなり声掛けられたらびっくりするよね。ごめんね、そんなつもりはなかったんだ」
「……わ、わたし、私も急に叫んで、ごめんなさい」
「ん? いや、その反応は正しいよ。でももし本当にヤバい奴に会ったら……例えばどっか連れて行こうとするとかね、そういうのに会ったらもっと大きな声で叫んだ方がいいからね。……で、どーしたの」
「ど……どうって」
「いや、ずっとそこに立ってるからさぁ」
男の人は、後ろ側を振り向いて道の先を指差した。
「俺、あっちの角……タバコ屋のところからここまで歩いてきたんだけど、その間ずっと君がここで立って動かないから何してんのかなって思ってたんだ」
「…………」
「何か観察してんのかなって思ったけど何もないし。もしなにか困ってるなら話くらいは聞くけど」
「……こま……って、る、ます」
「うん、敬語じゃなくていいからね」
「……困ってるの。大切なもの、落としちゃって」
「大切なもの?」
「……おばあちゃんがくれた、キーホルダー。大切にしてたんだけど、金具が壊れて、拾おうとしても間に合わなくて……そこに、落ちちゃった」
私が泥水でいっぱいになった側溝を見ながら呟くとその人は「んー……」と小さく唸った。
「まあこの中に手ぇ突っ込むのは勇気いるよね」
「でも、大切なものなの。おばあちゃんは去年、し、死んじゃたん、だけど……最後にくれたものだから」
おばあちゃんのことを思い出すとまだ涙が出そうになる。声が震えるのをどうにか我慢していた私の頭を大きな手がくしゃくしゃと撫でた。
「……ん、そっか」
それだけ言うと、その男の人は突然スーツの上着を脱ぎだした。
「えっ」
「さすがに地面はマズいか。ちょっとコレ持ってて」
言われるまま上着を受け取った私が止める間もなく真っ赤な──よく見たら濃い赤色だった──シャツを両腕とも肘の上まで捲って、よっこいしょとそのまま腕を側溝に一気に突っ込んだ。
ジャブジャブ、と掻き混ぜる音と共に底に溜まっていたらしい泥がまた巻き上がり、水の中で煙みたいに濁りがマーブル模様を描いている。
「おおおおおおおおおおにいさん!?」
「んー? あ、そう言えばそのキーホルダーってどのくらいの大きさなの?」
「え、えっと、大きさは……三センチくらいで、形は丸い毬の形をしてて、あと指輪が」
「指輪?」
「うん、ピンクで綺麗な石がついてて」
「ふはっ、じゃあますます見つけないとなぁ」
何か興味が惹かれることがあったのか、お兄さんは手を動かす範囲を広げた。折角捲ったシャツが濡れるくらいまで手を入れて、ゴミや落ち葉が腕に当たっていても何も気にしていないような顔で。
……そして三分が経過する頃、あ! と嬉しそうな声を上げて右手を持ち上げた。
落ち葉が張り付いた腕の先。指が摘まんでいたのは私が大切にしていた赤い毬のキーホルダーと、一緒に結わえられていた小さな指輪。
「……っ! それ、それだよ、私のキーホルダー!」
「へへ、良かったねぇ流されてなくて。少し重いから助かったのかなー。君のおばあちゃんが助けてくれたのかも。……んー、指輪も大丈夫だね。傷もない」
「ありがとうお兄さん。だけど、その……服がすごく汚れちゃったの、私のせいだよね……お、お金は家に帰れば貯金箱があるから弁償するから、その」
「あー、いいのいいの。ちょっと事情があってさぁ。別ので汚しておきたかったんだよね。それに服なんて汚れたら洗濯するだけだしへーきへーき」
「でも」
「んー、じゃあそのお金で、ちゃんと指輪を仕舞っておけるケースを買うといいよ。大切な指輪なんだからちゃんと仕舞っておいた方がいい。将来大人になって着けられる日まで大切に、ね?」
キーホルダーと交換するように、私が手にしていた上着を抜き取ったお兄さんは、サングラスをずらして綺麗なウィンクをした。
改めて見たら──改めなくても結構なイケメンで、さっきまでしゃがんでいたから気付かなかったけれど思ってたよりもずっと背が高い。しかも足も長い。
「じゃ、早く帰ってそれ洗いなね。指輪は本物だから大事にするんだよ。あと金具、直してもらいな」
びびび、と泥水が付いた手を振っているのがまるで犬みたいだった。さっきまで上着を汚すのを嫌がっていた気がするのに、今ではどうでもよくなったのか、普通に汚れた手で持っている。なんなら上着で自分の腕を拭いている。
「あの、本当にありがとうございました」
「ん、じゃあ元気でね。あなたにもご加護がありますように……なんてね」
立ち去りながらひらひらと手を振るお兄さんの姿が曲がり角で見えなくなってから、私もキーホルダーを握り締めて家へと駆け出す。
……路地の向こう、お兄さんが向かっていった方の道から変な呻き声が聞こえたような気がしたけれど、確かめに行くことはしなかった。
□ □ □
「ぅげっ」
「……おや、飼い主の顔を見た第一声がそれですか。遅かったですね山田さん? 仕事が終わったらすぐに報告するようにとお伝えしていたはずですが」
少女と別れて曲がった道の先。いつもと同じ純白のスーツに完璧な肢体を包んだ俺の大好きな人が、腕を組んで待っていた。ごく普通の住宅街の中にあっても先生の美しさは一ミリたりとも揺らぐことがない。
だけど、事務所に帰る前に先生に捕まるとは思っていなかった俺は後ろめたさに目を逸らすしかない。
「あー……すみません俺事務所にスマホ忘れて」
「でしょうね、ここにありますから」
先生の手の中にあるのは、使い慣れた俺のスマホ。でもそれならGPSもないのに先生はどうやって俺の居場所を割り出したんだろうか。
……怖いから聞かないでおこう。うん。
「えーと、先生、怒ってます?」
「ハハハ、まさか。この程度で私が怒るとでも?」
「怒ってるじゃないですかぁ……」
乾いた笑いと、貼り付けたような笑顔が恐ろしい。これは事務所に帰ったらお説教コースだなぁと溜息をついていると、上着で隠していた腕を先生に掴まれて振り払いきれていなかった泥水と汚れを見た先生が、無言でポケットからハンカチを出して拭き出す。
綺麗に洗われたハンカチが汚れていくことに慌てて腕を引っ込めようとするも、びくともしない。先生はこう見えて結構ゴリラだ。
「せっ先生、拭かなくていいよ!」
「何故」
「何故って、汚れちゃうから、先生の綺麗なハンカチ泥で汚すなんて嫌だ。俺の腕なんかどうでもいいし」
「おや、『服なんて汚れたら洗濯すればいいだけ』と言っていたのは嘘でしたか」
「さっきの聞いてたの?」
「盗み聞きするつもりではありませんでしたが、耳に届きましたので。……反対の腕も出しなさい」
「……ん」
先生が俺の腕を拭く間、ただただ無言だった。俺はなんて言ったらいいか分からなかったけれど、先生は多分俺の言葉を待っていた。
「……俺、別に、あの子に同情したとかじゃなくて」
「ええ」
「……ばあちゃんの形見を大切にしたいって気持ちは理解できるから、ただそれだけで」
「ええ」
「だからその……綺麗な石がついた指輪って聞いたらちょっと引っ込みがつかなく、なって」
「ええ」
「……あの子のも綺麗な指輪だったよ。まぁさすがにパパラチアじゃあなかったけど」
「そうですか。……見つかって良かったですね」
「…………うん」
もういいですよ、と先生が俺の腕を解放する。泥が落とされて綺麗になった腕をまじまじと眺めていると汚れたハンカチを渡された。
「あなたのシャツと一緒に洗濯をしておいて下さい」
「はーい」
「ああ、ですがその前にあなたのシャツに飛び散った返り血を処理してからにしてくださいね」
「……ナ、ナンノコトカナー……?」
「泥で誤魔化せると思うな、愚か者」
何層にも重なった氷のような青い瞳に睨まれると、俺は完全降伏するしかない。
これはお説教+お仕置きコースだろうか。一番奥でイクまで縛られるとかそういうディープなやつだと、明日の仕事にも響くからちょっと困るんだけどな。
「あーあ、先生にはバレるかぁ……」
あの少女は気付いていないようだったから、先生も気付かないかと思っていたのに甘かったらしい。泥の汚れにまぎれたもう黒く変わりつつある血痕を見て、もう捨てた方が早そうだなぁと思いながら、事務所へ向かって歩き出した先生の背中を追い掛けた。
……どうしよう。どうしよう。どうしよう。
さっきから、頭の中はこの文字でいっぱいだった。手がじわりと汗をかいているのが気持ち悪いけれど、それを拭くために手を動かすことが出来ない。自分が少しでも動いてしまったら、もうアレを取り戻せない気がしていたから。
……どうしよう。
目の前にある側溝は、普段は少しの水が流れている程度で、深さだって私の膝まで届かないくらい浅い。なのに今は、一昨日からずっと降っていた雨のせいで濁った水でいっぱいなうえに、上流側から流れてきた落ち葉やらゴミが混ざって底すら見えない。
……そういえば前にここで蛙をたくさん捕まえたと自慢してた子がいた。まさか今日もいるんだろうか。この茶色い水の中に。
蛙は嫌いだ。だけど、でも──
「そんなとこでどうしたの、おじょーちゃん?」
覚悟を決めるためにぎゅうっと目をつぶっていると横から知らない男の人の声がした。
びっくりして目を開けると、私の隣でサングラスをかけた若い男の──黒いスーツにシャツは真っ赤で、お父さんや校長先生とは全然違う、正直に言うと全然マトモそうには見えない──人がしゃがんでこちらを見上げている。
思わずヒッと小さく悲鳴を上げると、その人は目をきょとんと丸くしてからカラカラと笑った。
「あー、うん。そうだよねぇ、知らない人にいきなり声掛けられたらびっくりするよね。ごめんね、そんなつもりはなかったんだ」
「……わ、わたし、私も急に叫んで、ごめんなさい」
「ん? いや、その反応は正しいよ。でももし本当にヤバい奴に会ったら……例えばどっか連れて行こうとするとかね、そういうのに会ったらもっと大きな声で叫んだ方がいいからね。……で、どーしたの」
「ど……どうって」
「いや、ずっとそこに立ってるからさぁ」
男の人は、後ろ側を振り向いて道の先を指差した。
「俺、あっちの角……タバコ屋のところからここまで歩いてきたんだけど、その間ずっと君がここで立って動かないから何してんのかなって思ってたんだ」
「…………」
「何か観察してんのかなって思ったけど何もないし。もしなにか困ってるなら話くらいは聞くけど」
「……こま……って、る、ます」
「うん、敬語じゃなくていいからね」
「……困ってるの。大切なもの、落としちゃって」
「大切なもの?」
「……おばあちゃんがくれた、キーホルダー。大切にしてたんだけど、金具が壊れて、拾おうとしても間に合わなくて……そこに、落ちちゃった」
私が泥水でいっぱいになった側溝を見ながら呟くとその人は「んー……」と小さく唸った。
「まあこの中に手ぇ突っ込むのは勇気いるよね」
「でも、大切なものなの。おばあちゃんは去年、し、死んじゃたん、だけど……最後にくれたものだから」
おばあちゃんのことを思い出すとまだ涙が出そうになる。声が震えるのをどうにか我慢していた私の頭を大きな手がくしゃくしゃと撫でた。
「……ん、そっか」
それだけ言うと、その男の人は突然スーツの上着を脱ぎだした。
「えっ」
「さすがに地面はマズいか。ちょっとコレ持ってて」
言われるまま上着を受け取った私が止める間もなく真っ赤な──よく見たら濃い赤色だった──シャツを両腕とも肘の上まで捲って、よっこいしょとそのまま腕を側溝に一気に突っ込んだ。
ジャブジャブ、と掻き混ぜる音と共に底に溜まっていたらしい泥がまた巻き上がり、水の中で煙みたいに濁りがマーブル模様を描いている。
「おおおおおおおおおおにいさん!?」
「んー? あ、そう言えばそのキーホルダーってどのくらいの大きさなの?」
「え、えっと、大きさは……三センチくらいで、形は丸い毬の形をしてて、あと指輪が」
「指輪?」
「うん、ピンクで綺麗な石がついてて」
「ふはっ、じゃあますます見つけないとなぁ」
何か興味が惹かれることがあったのか、お兄さんは手を動かす範囲を広げた。折角捲ったシャツが濡れるくらいまで手を入れて、ゴミや落ち葉が腕に当たっていても何も気にしていないような顔で。
……そして三分が経過する頃、あ! と嬉しそうな声を上げて右手を持ち上げた。
落ち葉が張り付いた腕の先。指が摘まんでいたのは私が大切にしていた赤い毬のキーホルダーと、一緒に結わえられていた小さな指輪。
「……っ! それ、それだよ、私のキーホルダー!」
「へへ、良かったねぇ流されてなくて。少し重いから助かったのかなー。君のおばあちゃんが助けてくれたのかも。……んー、指輪も大丈夫だね。傷もない」
「ありがとうお兄さん。だけど、その……服がすごく汚れちゃったの、私のせいだよね……お、お金は家に帰れば貯金箱があるから弁償するから、その」
「あー、いいのいいの。ちょっと事情があってさぁ。別ので汚しておきたかったんだよね。それに服なんて汚れたら洗濯するだけだしへーきへーき」
「でも」
「んー、じゃあそのお金で、ちゃんと指輪を仕舞っておけるケースを買うといいよ。大切な指輪なんだからちゃんと仕舞っておいた方がいい。将来大人になって着けられる日まで大切に、ね?」
キーホルダーと交換するように、私が手にしていた上着を抜き取ったお兄さんは、サングラスをずらして綺麗なウィンクをした。
改めて見たら──改めなくても結構なイケメンで、さっきまでしゃがんでいたから気付かなかったけれど思ってたよりもずっと背が高い。しかも足も長い。
「じゃ、早く帰ってそれ洗いなね。指輪は本物だから大事にするんだよ。あと金具、直してもらいな」
びびび、と泥水が付いた手を振っているのがまるで犬みたいだった。さっきまで上着を汚すのを嫌がっていた気がするのに、今ではどうでもよくなったのか、普通に汚れた手で持っている。なんなら上着で自分の腕を拭いている。
「あの、本当にありがとうございました」
「ん、じゃあ元気でね。あなたにもご加護がありますように……なんてね」
立ち去りながらひらひらと手を振るお兄さんの姿が曲がり角で見えなくなってから、私もキーホルダーを握り締めて家へと駆け出す。
……路地の向こう、お兄さんが向かっていった方の道から変な呻き声が聞こえたような気がしたけれど、確かめに行くことはしなかった。
□ □ □
「ぅげっ」
「……おや、飼い主の顔を見た第一声がそれですか。遅かったですね山田さん? 仕事が終わったらすぐに報告するようにとお伝えしていたはずですが」
少女と別れて曲がった道の先。いつもと同じ純白のスーツに完璧な肢体を包んだ俺の大好きな人が、腕を組んで待っていた。ごく普通の住宅街の中にあっても先生の美しさは一ミリたりとも揺らぐことがない。
だけど、事務所に帰る前に先生に捕まるとは思っていなかった俺は後ろめたさに目を逸らすしかない。
「あー……すみません俺事務所にスマホ忘れて」
「でしょうね、ここにありますから」
先生の手の中にあるのは、使い慣れた俺のスマホ。でもそれならGPSもないのに先生はどうやって俺の居場所を割り出したんだろうか。
……怖いから聞かないでおこう。うん。
「えーと、先生、怒ってます?」
「ハハハ、まさか。この程度で私が怒るとでも?」
「怒ってるじゃないですかぁ……」
乾いた笑いと、貼り付けたような笑顔が恐ろしい。これは事務所に帰ったらお説教コースだなぁと溜息をついていると、上着で隠していた腕を先生に掴まれて振り払いきれていなかった泥水と汚れを見た先生が、無言でポケットからハンカチを出して拭き出す。
綺麗に洗われたハンカチが汚れていくことに慌てて腕を引っ込めようとするも、びくともしない。先生はこう見えて結構ゴリラだ。
「せっ先生、拭かなくていいよ!」
「何故」
「何故って、汚れちゃうから、先生の綺麗なハンカチ泥で汚すなんて嫌だ。俺の腕なんかどうでもいいし」
「おや、『服なんて汚れたら洗濯すればいいだけ』と言っていたのは嘘でしたか」
「さっきの聞いてたの?」
「盗み聞きするつもりではありませんでしたが、耳に届きましたので。……反対の腕も出しなさい」
「……ん」
先生が俺の腕を拭く間、ただただ無言だった。俺はなんて言ったらいいか分からなかったけれど、先生は多分俺の言葉を待っていた。
「……俺、別に、あの子に同情したとかじゃなくて」
「ええ」
「……ばあちゃんの形見を大切にしたいって気持ちは理解できるから、ただそれだけで」
「ええ」
「だからその……綺麗な石がついた指輪って聞いたらちょっと引っ込みがつかなく、なって」
「ええ」
「……あの子のも綺麗な指輪だったよ。まぁさすがにパパラチアじゃあなかったけど」
「そうですか。……見つかって良かったですね」
「…………うん」
もういいですよ、と先生が俺の腕を解放する。泥が落とされて綺麗になった腕をまじまじと眺めていると汚れたハンカチを渡された。
「あなたのシャツと一緒に洗濯をしておいて下さい」
「はーい」
「ああ、ですがその前にあなたのシャツに飛び散った返り血を処理してからにしてくださいね」
「……ナ、ナンノコトカナー……?」
「泥で誤魔化せると思うな、愚か者」
何層にも重なった氷のような青い瞳に睨まれると、俺は完全降伏するしかない。
これはお説教+お仕置きコースだろうか。一番奥でイクまで縛られるとかそういうディープなやつだと、明日の仕事にも響くからちょっと困るんだけどな。
「あーあ、先生にはバレるかぁ……」
あの少女は気付いていないようだったから、先生も気付かないかと思っていたのに甘かったらしい。泥の汚れにまぎれたもう黒く変わりつつある血痕を見て、もう捨てた方が早そうだなぁと思いながら、事務所へ向かって歩き出した先生の背中を追い掛けた。
