冬のダイヤモンド
公開 2023/09/24 11:44
最終更新 -
「プラネタリウム、ですか?」

 梅雨入りしてからじっとりと続く雨と湿気にさすがに気分が沈みかけていたところに現れたジェイが差し出したのは、ここから車で30分ほどの地区にあるというプラネタリウムの招待券だった。

「そう。ちょっとした仕事のツテでここの天文台とは繋がりがあってね。長いこと改修工事をしていたんだけどそれが終わったんで、リニューアルオープン前にごく少人数を招いてプラネタリウムの上映会をするらしいんだ。チケットがちょうど2枚あるからエディと行っておいでよ。山田くんは綺麗なものが好きでしょう。最新鋭のプラネタリウムにふかふかのソファも新設したんだってさ。きっと気に入るんじゃないかな」
「へぇー、プラネタリウムかぁ……」
「山田さん、興味がないのならはっきりそう言っていいのですよ。この財布の口車に乗ることはありません」
「口車だなんて酷い言い草だなぁエディ。僕は本心でしか喋っていませんよ」
「えーと、プラネタリウムって、星を見せてくれるんですよね?」
「山田くん……まさか」
「すみません、俺行ったことないんですよねぇ」

 たはは、と頭を掻きながら笑う山田さんを見て、私はすぐさま予定を調整すべくスマートフォンを取り出した。

  □ □ □

 雲シートと呼ばれる直径2mほどの真っ白な円形の大型ソファを見て、山田さんはぱぁぁと顔を輝かせた。

「先生! このソファふかふかですよ先生! 何これすごい! 真っ白!」
「山田さん、お静かに。上映前とはいえ他の方の迷惑になります」
「はぁい」

 適度な柔らかさのソファに乗り、小振りなクッションを枕替わりに仰向けになる。のっぺりとした天井のスクリーンは不思議な色合いで、じっと見ていると吸い込まれるような感覚がした。真横で同じように仰向けになった山田さんは少しばかり落ち着かない様子でキョロキョロとあちこちを見回していたが、最終的に私の顔見つめてヘラリと笑う。

「……私の顔に何かついていますか?」
「世界で1番綺麗な鼻と目と口がついてますねー」
「左様ですか」
「……ふふ、こんなに近くで先生の顔が見れるの嬉しいなぁ。ソファふかふかだし先生はキラキラだし」
「もっとキラキラしたものがすぐに見れますよ、山田さん……さて、上映時間です」

 小さなブザー音と共に室内がゆっくりと闇に包まれていく。一瞬だけピクリと震えてにじり寄ってきた山田さんが思わずといった風に手を掴んできたので、ゆるく握り返してやる。
 真っ暗なスクリーンにビルや家の映像が浮かび、やがて暗闇の中に星々が少しずつ浮かんできた。静かなアナウンスに合わせ、星空はゆっくりと回転する。

『――夜空にはたくさんの星座があり、季節ごとに移り替わります。代表的な四季の星座を見ていきましょう』

 うわぁ、うわぁという小さな小さな囁き声が横から上がる。ちらりと視線をやれば、ぽかりと口を開けた山田さんが琥珀色の目を大きく開いて偽りの夜空を見ていた。握ったままの手が時折きゅ、きゅと握り直されるのがこそばゆい。

『――有名な北斗七星をもつおおぐま座、おとめ座のスピカが――南の空に広がるうみへび座は全天にある中でもっとも大きなもので――』
『――こと座のベガ、わし座のアルタイルは七夕の織姫と彦星としてよく知られており、これとはくちょう座のデネブを結んだものが夏の大三角形と――』

 くるくると表情を変えるスクリーン映像は思っていたより見応えがあり美しい。聞くところによると投影機の精度は年々進化が著しいらしく、より正確な星座を見れるのだそうだ。上映プログラムも子供向けからデートにぴったりなロマンチックなものまで多岐にわたり、宮沢賢治の作品の朗読に合わせて映像を流すこともあるらしい。

 星座の解説が秋に差し掛かる頃には、隣で仰向けになっていたはずの山田さんは横向きになり、私の肩の辺りに寄せた顔からはすぴすぴと静かな寝息が聞こえてきていた。このシートの存在を知りすぐさま申し込みをしたのは山田さん自身だが、思った以上に快適だったのだろう。適温に保たれた部屋、薄暗い室内、柔らかいソファ……寝落ちの条件は完全に揃っていた。

「まったく……あなたのために来たのですよ」

 悪態をついたところでどうせ聞こえてはいない。さっきまで夜空の映像を眺めて輝いていた琥珀は薄い瞼に隠され、普段の姿より少し幼く見える寝顔に私も思わず微笑んでしまう。

『――こいぬ座のプロキオンはおおいぬ座のシリウスより先に上ります。全天で最も明るいシリウスは――』

 シリウスには「焼き焦がすもの」という意味がある。他を寄せ付けない強い光。太陽の次に明るい恒星。1つの星に見えるが、実際は連星……双子星だ。古代エジプトでは川の氾濫時期を教えてくれるとして重要視されていた。
 そのシリウスを見つけるのに役立つとしてこいぬ座のプロキオンもまた目印とされた。アラビア語ではシリウスを「南のシリウス」と名付けたのに合わせ、プロキオンを「北のシリウス」と命名したという。

(……この世で一番輝く星を、導くもの)

 私の隣で間抜けな寝息を立てるこの仔犬は、ことあるごとに私の容姿を褒め称える。世界で一番美しい、どんな花や景色より綺麗、好きです、大好き……彼がそう告げるたび、私の中の何かが綻んでいくのを感じる。媚びへつらいなどではなく本心から向けられる賛辞に何度心臓が跳ねただろう。

(そんなこと、あなたはまったく気にしていないのでしょうけれども)

 山田さんに向かい合うように横を向く。アナウンスは四季の星座の統括に入っていて、あと5分程度で上映も終わるだろう。片手でそっと山田さんの頬を撫でたあと、はらりと落ちた前髪を掻き上げてやる。吐息を肌に直に感じられる距離まで近付いて、そのまま……


 ペチン!


 叩いた額からいい音がするのと、室内の照明が点くのは同時だった。

「先生ひどい!」
「何が酷いものですか。狸寝入りとは感心しませんね」
「うぅ、あとちょっとでキスしてもらえたのにぃ……」

 額をこすりながら山田さんが身体を起こす。おそらく冬の星座の説明が始まるころには起きていたのだろう。寝起きにしてはスッキリした顔をしている。

「よくお休みでしたね」
「はい! すごいふわふわだったし、先生のすぐ横で、先生の香りがしてて、もう気持ちよくて気持ちよくて」
「まったく。せっかくプラネタリウムに来たというのに寝ていては意味がないでしょう」
「うーん、プラネタリウムは楽しかったし星も綺麗だったけど、やっぱり先生のほうが綺麗だから」
「……は?」
「ニセモノの星も、もちろん本物の星も綺麗だけど、俺にとってはどんな星座のどんな星より先生のほうが綺麗だから。星を見るより先生を見ている方がいいなぁ。星なんかよりずっと、ずーっと近くで」

 ……ああ、この仔犬を今すぐ煮て焼いて頭から食べてしまいたい。妄信的とも思える発言や感情は本来なら忌避すべきものなのに、手放すことなど想像もできない。それくらい彼は私の中心に居座っているのだ。古代エジプト人にとってのシリウスのように。

「じゃ、先生帰りましょー! 途中でご飯食べます? どっかパフェ食べられそうな店探しましょうか?」

 こちらの胸の内など知らない仔犬は見えない尻尾をパタパタさせつつホールの出口へ向かう。私だけが翻弄されるのはどうにも面白くない。プラネタリウムホールの扉を出るところでこちらを振り向いた山田さんの口に、ガブリと思い切り噛み付いた。


びすさんが書いてくれたイメージイラストはこちら
活きの良い腐った鮭です。
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