はじめてのおつかい
公開 2023/09/24 00:12
最終更新
2023/09/24 12:10
「正義、横断歩道では?」
「みぎみて、ひだりみて、もういっかいみぎみる!」
「誠司、知らない人には?」
「ぜったい、ついていきません!」
数日かけて覚え込ませた元気よく手を挙げて答える子供たちの姿に、リチャードとバクスチャーは揃って深く息を吐いた。本当ならば行かせたくはない。だが。
「おつかい、いってもいい? いいでしょお?」
「おやくそくはちゃんとまもるからぁ」
滅多にない養い子からのお願い事は、何があろうと叶えるというのが、二人の信条でもあるのだ。
☆ ☆ ☆
「……買い物、ですか? それならば一緒に」
「ちがうのー、りちゃーどといっしょにじゃなくて、せいじといきたいの」
「子供だけで買い物に行くなど危なすぎます、正義。いいですか、この辺りは治安がいいですが、変質者や誘拐犯がいないとは限りません。愛らしいあなたをみすみす危険に晒すような行為を私は許可できません」
「んんぅ……りちゃーど、むずかしいよぉ」
「……山田さんとお買い物に行きたいのであれば、私かバクスチャー氏と共に行きましょう。ね?」
「だから、それじゃだめなんだってばぁ」
「どうしても二人だけで行きたいと?」
「……ぃに」
「え?」
「おつかいにぃ」
「おつかい」
「おつかいに、いきたいんだもん」
「行きたいんですか……」
「りちゃーど、おねがいだからぁ……」
大きな瞳をうるうるとさせたままお願いされて、リチャードはそれ以上説得できる自信がなかった。正義のおねだりには昔から弱いのだ。
そして現在まったく同じ状況に陥っているだろう男に連絡すべく、スマートフォンを取り出した。
「ハロー?」
『……ミスター・ドヴルピアン。ちょうどいいタイミングでお電話をいただきありがとうございます』
「その様子だとそちらもお使いについて話を聞いたところでしょうか、ミスター・バクスチャー」
『ええ。どうしても中田さんと行きたいのだと。どうやら、幼稚園のクラスメイトからお使い行った話を聞いたようです。それで自分たちにも出来ると考えたようですが』
「……私は反対です。幼い子供を狙った犯罪はあとを立たない」
『その点については私も同意見ですが、どうにも誠司は頑固なところがありましてね。ああ、それは中田さんも同じかと思いますが』
「それは……確かにそうですが」
『……私の部下を数名護衛として出しましょう。そちらから出発させれば商店街も近い』
「二人だけで行かせるのですか!?」
『言ったでしょう、護衛は付けます。周囲の安全の確保と、不埒な輩がいた時のために。それに可愛い子には旅をさせよ、というではいですか』
「しかし」
『どちらにしろ私は誠司の願いを叶えるしかありません。それに、あなたは中田さんの頼みを断れないのでは?』
電話をする私のことを、正義が不安そうな顔で見上げてくる。電話の相手が誰かは分かっているのだろう。あまり周りの大人のことを困らせることはしない子だ、あと一度でも駄目だと言われたなら、素直に諦めることは想像に容易い。
しかし、そのせいで笑顔が曇ってしまうのでは本末転倒である。
「……分かりました」
渋々ではあったが了解の返事を出すと、正義が嬉しそうに笑いながら膝に抱き着いた。ああもう、それだけで全部許してしまう自分が一番腹立たしい。
☆ ☆ ☆
「よいですか、正義。あなたにお願いしたい買い物はジローのおやつです」
「うん!」
「誠司は文具店で、私の万年筆を受け取ってきてください。ついでにいつものメモ用紙の購入を」
「はーい!」
「お釣りで買えるものならおやつを買ってきても構いませんからね」
「困ったことがあったら商店街の方に相談するんですよ」
色違いで買い与えた服を着せ、背中にはお金の入ったポーチだけを入れたリュック。さすがにカードを持たせるわけには行かないので、それぞれのために千円札を一枚ずつ入れてある。
二人のお使い先は幼稚園に行く途中にある商店街だ。小さいが活気のあるそこは、老舗の和洋菓子屋や文房具店もあり固定客が多いことで有名だった。
ペットグッズを扱う店もあるので正義を連れて定期的に買い物に行っているため、顔はちゃんと覚えられている。
グッズショップの店員だけでなく、他の店の大人たちにも挨拶を欠かさない正義は「今時珍しく礼儀正しい良い子だ」と日頃から可愛がられているので、万が一何かあっても周りが助けてくれるだろう。
「いってきまぁす」
「いってきまーす」
手を繋いで玄関を出ていく二人をそわそわしながら見送る。
信号を二つ渡り、あとはただ直進するだけの迷いようのないルート。いつも幼稚園へ向かうときに通っているので、どこが危ないかはここ数日で教え込んだ。
「本当に大丈夫でしょうか……」
「数分おきに連絡を寄越すようにと言ってあります。隠しカメラで道中の撮影もさせています。……が」
「……胃が痛い」
「……ええ、本当に」
「……バクスチャーめ。アイツ俺が暇だと思っているだろう」
舌打ちを隠すこともせず、ヴィは離れた位置からぽてぽてと並んで歩く子供たちの後姿を見た。
バクスチャーの養い子である山田誠司とヴィはもう数年来の付き合いだ。尾行がバレる心配はしていないが気を付けておくにこしたことはない。他のメンバーに指示を出しつつ完全に裏方として周囲に不穏分子がいないかだけを気にしておく。
(しかしまあ、あのちびっこが大きくなったもんだ)
バクスチャーに引き取られてから長い間言葉を失っていた子供が、今は煩いくらいにおしゃべりだ。幼稚園で仲良くなった中田正義という子供について聞きもしないのに話してくるお陰で、今ではヴィも中田正義のことはよく知っている。「おれとそっくり!」という誠司の言葉の通り、二人はよく似ていた。
信号では青信号になってからも左右を確認しつつ渡り、信号のない分岐道でも毎回立ち止まって車や自転車が来ないかを確認している。子供らしからぬ慎重さは保護者たちの教育の賜物だろうか。
そんなことを考えている間にも子供二人は商店街の入り口に到着し、ペット用品店へと仲良く向かっていく。その様子を確認してから、ポケットからスマホを取り出し三回目の定時連絡を送る。まったく、過保護にも程がある。
『商店街到着。異常なし』
ヴィは少しだけ距離を詰め、はっきり二人が目視できる位置にまで近付く。
ペット用品店の女性店員は馴染みの相手らしく、早々に買い物を済ませていた。滞在時間数分で店を出た子供たちは、そのまま軽い足取りで斜向かいの文房具店へと入っていった。
そこの大層不愛想な店主はヴィも知っていて、かつて別の場所で店をやっていた頃によく使いに出されていた。ここに移転してからは来たことがないが、バクスチャーが変わらず贔屓にしているということは元気にやっているのだろう。
子供相手でもピクリとも表情を変えない店主と誠司は何かを話し合い、中田正義はきょろきょろと店内を眺めている。それも数分のことで、入ったときと同じように手を繋いで出てきた。
『お使い終了しました。異常なし』
さて、このあとどこに行くのかは聞いていない。お釣りは自由に使って構わないと言ってありますので、おやつを買うようであればそこまで見届けるように、とバクスチャーは言っていたが、子供たちはお菓子を買うつもりはないのか洋菓子店も和菓子店もコンビニもスーパーも通り過ぎ、商店街の入り口まで一直線に戻っていく。
(早く家に帰ろうとしているのか? いや、この先には確か……)
商店街の中の店の配置は頭に入っている。ヴィが思い浮かべた店の前で立ち止まった二人は小銭だけが入ったポーチを店員に見せてから、楽しそうに店の中に入っていった。
……何を買うのかは秘密にしておいた方が楽しそうだ。毎回面倒くさいことに巻き込む上司の顔を思い浮かべつつ、ヴィは最後の定時連絡を送った。
『お釣りの使い道は決まったみたいです。これより帰還します』
ピンポーン、と玄関のチャイムがなると同時にリチャードはドアを開けた。予め用意しておいた台に乗ってインターホンを押したらしく、正義の頭はいつもより高い位置にあった。
「正義! ああ、無事で……」
「誠司、おかえりな、さ、い……?」
「りちゃーど、ただいまぁ!」
「せんせぇ、ただいまぁー!」
おつかいできたよー、とニコニコ笑いながら報告する子供たちの手には、紙に包まれたリンドウが一輪ずつ握られている。青い花が子供たちの笑顔と重なってちらちらと揺れていた。
「正義、その花はどうしたのです?」
「おつりでかった! りちゃーどにおみやげ!」
「おれのはせんせいにおみやげ、です!」
「お菓子を買ったわけではないのですか……?」
「? おれはおかしより、せんせいにおはなあげるほうがうれしいよ?」
「りちゃーどと、えどわーどせんせいにぴったりのおはながあるといいねって、せいじとおはなししたの。きれいなおはながあってよかったぁ」
だからおみやげです! と差し出される花を受け取るよりも先に、リチャードとバクスチャーは自分の養い子の身体を抱き締めた。
──リンドウの花言葉「正義」「誠実」
「みぎみて、ひだりみて、もういっかいみぎみる!」
「誠司、知らない人には?」
「ぜったい、ついていきません!」
数日かけて覚え込ませた元気よく手を挙げて答える子供たちの姿に、リチャードとバクスチャーは揃って深く息を吐いた。本当ならば行かせたくはない。だが。
「おつかい、いってもいい? いいでしょお?」
「おやくそくはちゃんとまもるからぁ」
滅多にない養い子からのお願い事は、何があろうと叶えるというのが、二人の信条でもあるのだ。
☆ ☆ ☆
「……買い物、ですか? それならば一緒に」
「ちがうのー、りちゃーどといっしょにじゃなくて、せいじといきたいの」
「子供だけで買い物に行くなど危なすぎます、正義。いいですか、この辺りは治安がいいですが、変質者や誘拐犯がいないとは限りません。愛らしいあなたをみすみす危険に晒すような行為を私は許可できません」
「んんぅ……りちゃーど、むずかしいよぉ」
「……山田さんとお買い物に行きたいのであれば、私かバクスチャー氏と共に行きましょう。ね?」
「だから、それじゃだめなんだってばぁ」
「どうしても二人だけで行きたいと?」
「……ぃに」
「え?」
「おつかいにぃ」
「おつかい」
「おつかいに、いきたいんだもん」
「行きたいんですか……」
「りちゃーど、おねがいだからぁ……」
大きな瞳をうるうるとさせたままお願いされて、リチャードはそれ以上説得できる自信がなかった。正義のおねだりには昔から弱いのだ。
そして現在まったく同じ状況に陥っているだろう男に連絡すべく、スマートフォンを取り出した。
「ハロー?」
『……ミスター・ドヴルピアン。ちょうどいいタイミングでお電話をいただきありがとうございます』
「その様子だとそちらもお使いについて話を聞いたところでしょうか、ミスター・バクスチャー」
『ええ。どうしても中田さんと行きたいのだと。どうやら、幼稚園のクラスメイトからお使い行った話を聞いたようです。それで自分たちにも出来ると考えたようですが』
「……私は反対です。幼い子供を狙った犯罪はあとを立たない」
『その点については私も同意見ですが、どうにも誠司は頑固なところがありましてね。ああ、それは中田さんも同じかと思いますが』
「それは……確かにそうですが」
『……私の部下を数名護衛として出しましょう。そちらから出発させれば商店街も近い』
「二人だけで行かせるのですか!?」
『言ったでしょう、護衛は付けます。周囲の安全の確保と、不埒な輩がいた時のために。それに可愛い子には旅をさせよ、というではいですか』
「しかし」
『どちらにしろ私は誠司の願いを叶えるしかありません。それに、あなたは中田さんの頼みを断れないのでは?』
電話をする私のことを、正義が不安そうな顔で見上げてくる。電話の相手が誰かは分かっているのだろう。あまり周りの大人のことを困らせることはしない子だ、あと一度でも駄目だと言われたなら、素直に諦めることは想像に容易い。
しかし、そのせいで笑顔が曇ってしまうのでは本末転倒である。
「……分かりました」
渋々ではあったが了解の返事を出すと、正義が嬉しそうに笑いながら膝に抱き着いた。ああもう、それだけで全部許してしまう自分が一番腹立たしい。
☆ ☆ ☆
「よいですか、正義。あなたにお願いしたい買い物はジローのおやつです」
「うん!」
「誠司は文具店で、私の万年筆を受け取ってきてください。ついでにいつものメモ用紙の購入を」
「はーい!」
「お釣りで買えるものならおやつを買ってきても構いませんからね」
「困ったことがあったら商店街の方に相談するんですよ」
色違いで買い与えた服を着せ、背中にはお金の入ったポーチだけを入れたリュック。さすがにカードを持たせるわけには行かないので、それぞれのために千円札を一枚ずつ入れてある。
二人のお使い先は幼稚園に行く途中にある商店街だ。小さいが活気のあるそこは、老舗の和洋菓子屋や文房具店もあり固定客が多いことで有名だった。
ペットグッズを扱う店もあるので正義を連れて定期的に買い物に行っているため、顔はちゃんと覚えられている。
グッズショップの店員だけでなく、他の店の大人たちにも挨拶を欠かさない正義は「今時珍しく礼儀正しい良い子だ」と日頃から可愛がられているので、万が一何かあっても周りが助けてくれるだろう。
「いってきまぁす」
「いってきまーす」
手を繋いで玄関を出ていく二人をそわそわしながら見送る。
信号を二つ渡り、あとはただ直進するだけの迷いようのないルート。いつも幼稚園へ向かうときに通っているので、どこが危ないかはここ数日で教え込んだ。
「本当に大丈夫でしょうか……」
「数分おきに連絡を寄越すようにと言ってあります。隠しカメラで道中の撮影もさせています。……が」
「……胃が痛い」
「……ええ、本当に」
「……バクスチャーめ。アイツ俺が暇だと思っているだろう」
舌打ちを隠すこともせず、ヴィは離れた位置からぽてぽてと並んで歩く子供たちの後姿を見た。
バクスチャーの養い子である山田誠司とヴィはもう数年来の付き合いだ。尾行がバレる心配はしていないが気を付けておくにこしたことはない。他のメンバーに指示を出しつつ完全に裏方として周囲に不穏分子がいないかだけを気にしておく。
(しかしまあ、あのちびっこが大きくなったもんだ)
バクスチャーに引き取られてから長い間言葉を失っていた子供が、今は煩いくらいにおしゃべりだ。幼稚園で仲良くなった中田正義という子供について聞きもしないのに話してくるお陰で、今ではヴィも中田正義のことはよく知っている。「おれとそっくり!」という誠司の言葉の通り、二人はよく似ていた。
信号では青信号になってからも左右を確認しつつ渡り、信号のない分岐道でも毎回立ち止まって車や自転車が来ないかを確認している。子供らしからぬ慎重さは保護者たちの教育の賜物だろうか。
そんなことを考えている間にも子供二人は商店街の入り口に到着し、ペット用品店へと仲良く向かっていく。その様子を確認してから、ポケットからスマホを取り出し三回目の定時連絡を送る。まったく、過保護にも程がある。
『商店街到着。異常なし』
ヴィは少しだけ距離を詰め、はっきり二人が目視できる位置にまで近付く。
ペット用品店の女性店員は馴染みの相手らしく、早々に買い物を済ませていた。滞在時間数分で店を出た子供たちは、そのまま軽い足取りで斜向かいの文房具店へと入っていった。
そこの大層不愛想な店主はヴィも知っていて、かつて別の場所で店をやっていた頃によく使いに出されていた。ここに移転してからは来たことがないが、バクスチャーが変わらず贔屓にしているということは元気にやっているのだろう。
子供相手でもピクリとも表情を変えない店主と誠司は何かを話し合い、中田正義はきょろきょろと店内を眺めている。それも数分のことで、入ったときと同じように手を繋いで出てきた。
『お使い終了しました。異常なし』
さて、このあとどこに行くのかは聞いていない。お釣りは自由に使って構わないと言ってありますので、おやつを買うようであればそこまで見届けるように、とバクスチャーは言っていたが、子供たちはお菓子を買うつもりはないのか洋菓子店も和菓子店もコンビニもスーパーも通り過ぎ、商店街の入り口まで一直線に戻っていく。
(早く家に帰ろうとしているのか? いや、この先には確か……)
商店街の中の店の配置は頭に入っている。ヴィが思い浮かべた店の前で立ち止まった二人は小銭だけが入ったポーチを店員に見せてから、楽しそうに店の中に入っていった。
……何を買うのかは秘密にしておいた方が楽しそうだ。毎回面倒くさいことに巻き込む上司の顔を思い浮かべつつ、ヴィは最後の定時連絡を送った。
『お釣りの使い道は決まったみたいです。これより帰還します』
ピンポーン、と玄関のチャイムがなると同時にリチャードはドアを開けた。予め用意しておいた台に乗ってインターホンを押したらしく、正義の頭はいつもより高い位置にあった。
「正義! ああ、無事で……」
「誠司、おかえりな、さ、い……?」
「りちゃーど、ただいまぁ!」
「せんせぇ、ただいまぁー!」
おつかいできたよー、とニコニコ笑いながら報告する子供たちの手には、紙に包まれたリンドウが一輪ずつ握られている。青い花が子供たちの笑顔と重なってちらちらと揺れていた。
「正義、その花はどうしたのです?」
「おつりでかった! りちゃーどにおみやげ!」
「おれのはせんせいにおみやげ、です!」
「お菓子を買ったわけではないのですか……?」
「? おれはおかしより、せんせいにおはなあげるほうがうれしいよ?」
「りちゃーどと、えどわーどせんせいにぴったりのおはながあるといいねって、せいじとおはなししたの。きれいなおはながあってよかったぁ」
だからおみやげです! と差し出される花を受け取るよりも先に、リチャードとバクスチャーは自分の養い子の身体を抱き締めた。
──リンドウの花言葉「正義」「誠実」
