出発したった
公開 2024/05/14 23:27
最終更新
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上の子が修学旅行に発った。
ぼくの最終ミッション、朝食の用意は成功し、6時前に無事送り出すことが出来た。
大げさに言う。
本人はあまり寝られなかったそうだ。
わかる。
現地は晴れているそうでバスのなかで爆睡してたら良いと思う。
今日はどさくさに紛れて休みにして、映画「プリシラ」を観にいった。
以下は頭の整理および感想にしてネタバレ。
プリシラを演じたケイリー・スピニーがめちゃくちゃ可愛い。アイドルみたいな小さ可愛さ。
濃いアイメイクを施すシーンから始まる。初期作品の「リッツ・ザ・スター」のヒロインを思い出した。学校の廊下を歩くスローモーションが重なる。
異国の地で感じる孤独感とは、ソフィア・コッポラが描き続けるテーマだ。
プリシラは口数が少なく、余計なことは言わない。自分が子どもである事を理解している賢さがある。よく見て、よく聞いている。
自分が孤独であることがわかっている。
青いドレスはプリシラによく似合う。
不思議の国に来てしまったアリスのようにも見えた。一瞬だけど。
エルヴィスの繊細さ、本質的な誠実さが描かれて、エルヴィスも本当は孤独な「こっち側」なのだ。
ベッドのうえで着せ替えし合ってポラロイドカメラで撮り合う遊びは「恐るべき子ども達」を思わせた。
でも孤独なものどうしが融合する奇跡は起こらない。
誰にでもひとつやふたつあるであろう火傷の跡をこするような描写をようするな、と思いつつも懲りずに観てしまうのがソフィア・コッポラの映画だ。
好きなひとが自分の目の前で違うひとに魂を奪われる。自分が惨めでここで消滅してしまいたいと思う。そんな記憶を爪で刺激するような描写が必ずある。
夜の森の馬鹿騒ぎはマリー・アントワネットにも描かれていた。あれは舞踏会が終わって森を走り抜けたのか。そのあと眺めた夜明けがいい。
中世も現代も貴族の充実と空虚を描いた場面で、どちらも好きだ。
ソフィア・コッポラの登場人物たちはよく家族との関係性のなかで自己規定している。父がいて母がいて自分がいる…という。
共感しやすい部分だと思う。
病院で赤ちゃんを抱いて出てきたプリシラにエルヴィスが「女の子か サトニン」と呼びかけるシーンがあり、サトニン?て何?と思ったらサトニンとは愛称で、ボールを避けた祖母をドジャー(dodger)と呼び続けたように、親しい女性たちには独自の呼び名をつけたのだそうだ。
エルヴィスがサトニン(satnin)と最初に呼んだのは母だった。
母が当時の人気曲の「私のベイビーはショートニング(shortnin’)ブレッドが好き」というフレーズを「私のベイビーはサテン(satin)の肌」と替え歌で歌っていたそうで、サトニンとはこれに由来する。
エルヴィスは母の丸いお腹を撫でてサトニンと呼んだそうだ。
(出典はこちら↓)
https://www.distractify.com/p/why-did-elvis-call-priscilla-satnin
ぼくの最終ミッション、朝食の用意は成功し、6時前に無事送り出すことが出来た。
大げさに言う。
本人はあまり寝られなかったそうだ。
わかる。
現地は晴れているそうでバスのなかで爆睡してたら良いと思う。
今日はどさくさに紛れて休みにして、映画「プリシラ」を観にいった。
以下は頭の整理および感想にしてネタバレ。
プリシラを演じたケイリー・スピニーがめちゃくちゃ可愛い。アイドルみたいな小さ可愛さ。
濃いアイメイクを施すシーンから始まる。初期作品の「リッツ・ザ・スター」のヒロインを思い出した。学校の廊下を歩くスローモーションが重なる。
異国の地で感じる孤独感とは、ソフィア・コッポラが描き続けるテーマだ。
プリシラは口数が少なく、余計なことは言わない。自分が子どもである事を理解している賢さがある。よく見て、よく聞いている。
自分が孤独であることがわかっている。
青いドレスはプリシラによく似合う。
不思議の国に来てしまったアリスのようにも見えた。一瞬だけど。
エルヴィスの繊細さ、本質的な誠実さが描かれて、エルヴィスも本当は孤独な「こっち側」なのだ。
ベッドのうえで着せ替えし合ってポラロイドカメラで撮り合う遊びは「恐るべき子ども達」を思わせた。
でも孤独なものどうしが融合する奇跡は起こらない。
誰にでもひとつやふたつあるであろう火傷の跡をこするような描写をようするな、と思いつつも懲りずに観てしまうのがソフィア・コッポラの映画だ。
好きなひとが自分の目の前で違うひとに魂を奪われる。自分が惨めでここで消滅してしまいたいと思う。そんな記憶を爪で刺激するような描写が必ずある。
夜の森の馬鹿騒ぎはマリー・アントワネットにも描かれていた。あれは舞踏会が終わって森を走り抜けたのか。そのあと眺めた夜明けがいい。
中世も現代も貴族の充実と空虚を描いた場面で、どちらも好きだ。
ソフィア・コッポラの登場人物たちはよく家族との関係性のなかで自己規定している。父がいて母がいて自分がいる…という。
共感しやすい部分だと思う。
病院で赤ちゃんを抱いて出てきたプリシラにエルヴィスが「女の子か サトニン」と呼びかけるシーンがあり、サトニン?て何?と思ったらサトニンとは愛称で、ボールを避けた祖母をドジャー(dodger)と呼び続けたように、親しい女性たちには独自の呼び名をつけたのだそうだ。
エルヴィスがサトニン(satnin)と最初に呼んだのは母だった。
母が当時の人気曲の「私のベイビーはショートニング(shortnin’)ブレッドが好き」というフレーズを「私のベイビーはサテン(satin)の肌」と替え歌で歌っていたそうで、サトニンとはこれに由来する。
エルヴィスは母の丸いお腹を撫でてサトニンと呼んだそうだ。
(出典はこちら↓)
https://www.distractify.com/p/why-did-elvis-call-priscilla-satnin