木皿泉さんの本
公開 2024/02/24 22:12
最終更新
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不安を自覚。
久しぶりだね、と思う。
河合隼雄さんの本に書かれていた事だけど、怒りを感じたときも、その怒りを冷静に観察する。それはどこから来たのか、と。
自分の不安は週明けに面倒な事が控えていて今は待ちの姿勢、その待ちの空白こそが原因のような気がする。
昨日手を動かしたのはよかったが、今朝よく晴れた青空をみたらまた強い不安がぐわっと噴き出て焦る。
もしかしたら焦る気持ちの本質とはこちらだったかもしれない、とも思う。
Kindleの本棚を眺めて、これも久しぶりに木皿泉さんの「ぱくりぱくられし」を再読する。
木皿泉さんのドラマがずっと好きだ。
本は「木皿泉」の二人の対話とエッセイからなる。対話には次に読みたい本がざくざく登場し、エッセイには不思議にその時々で立ち止まる言葉がある。
妻鹿さんサイドのエッセイにあるくだり。
「私はいつも自由でいたいのだと思う。自由とは、思い通りにすることではない。からっぽの箱を持ってニュートラルな状態にいることだ。そこに、私は何だって詰められる。そう思うと心がどんどん広がってゆく。」
自分の現在の空白もからっぽの箱に似たところがあると思えないだろうか。
この状態をただのん気でいたっていい筈だ。
なぜこの空白はあえて「不安」を吸い込む真空になるのかと思う。
失敗したらどうしよう?なのか。修正がある。さらに待たされたらどうしよう?ぼくにとって待ち時間とはストレスだ。
でもそれもひとつの余白に書き換えられないだろうか?自由な時間が増えたと。
などと気持ちを観察しているうちに段々とわかってきた。
もうひとつ待ちの他にやらなきゃいけない事があって、ぶっちゃけ本当に面倒でいやなのはそちらなのだ。
空白→時間ができる→そこでやればいいじゃん?→それをやりたくないんだよ…
という自己の葛藤を覆うのが「不安」という靄だったということ。ぐわ。
河出ムック本「木皿泉」も良い。小説「晩パン屋」を読み返した。
最後に読んだのはコロナよりも前だった。
今日は泣きすぎて目が痛い。
久しぶりだね、と思う。
河合隼雄さんの本に書かれていた事だけど、怒りを感じたときも、その怒りを冷静に観察する。それはどこから来たのか、と。
自分の不安は週明けに面倒な事が控えていて今は待ちの姿勢、その待ちの空白こそが原因のような気がする。
昨日手を動かしたのはよかったが、今朝よく晴れた青空をみたらまた強い不安がぐわっと噴き出て焦る。
もしかしたら焦る気持ちの本質とはこちらだったかもしれない、とも思う。
Kindleの本棚を眺めて、これも久しぶりに木皿泉さんの「ぱくりぱくられし」を再読する。
木皿泉さんのドラマがずっと好きだ。
本は「木皿泉」の二人の対話とエッセイからなる。対話には次に読みたい本がざくざく登場し、エッセイには不思議にその時々で立ち止まる言葉がある。
妻鹿さんサイドのエッセイにあるくだり。
「私はいつも自由でいたいのだと思う。自由とは、思い通りにすることではない。からっぽの箱を持ってニュートラルな状態にいることだ。そこに、私は何だって詰められる。そう思うと心がどんどん広がってゆく。」
自分の現在の空白もからっぽの箱に似たところがあると思えないだろうか。
この状態をただのん気でいたっていい筈だ。
なぜこの空白はあえて「不安」を吸い込む真空になるのかと思う。
失敗したらどうしよう?なのか。修正がある。さらに待たされたらどうしよう?ぼくにとって待ち時間とはストレスだ。
でもそれもひとつの余白に書き換えられないだろうか?自由な時間が増えたと。
などと気持ちを観察しているうちに段々とわかってきた。
もうひとつ待ちの他にやらなきゃいけない事があって、ぶっちゃけ本当に面倒でいやなのはそちらなのだ。
空白→時間ができる→そこでやればいいじゃん?→それをやりたくないんだよ…
という自己の葛藤を覆うのが「不安」という靄だったということ。ぐわ。
河出ムック本「木皿泉」も良い。小説「晩パン屋」を読み返した。
最後に読んだのはコロナよりも前だった。
今日は泣きすぎて目が痛い。
