ティルダ・スウィントンの効能
公開 2025/02/05 23:00
最終更新
2025/02/06 08:18
ペドロ・アルモドバルの「The room next door」を観てきた。

ティルダ・スウィントンが末期がんに侵された女性を演じ、その最期の時間に付き添う友人をジュリアン・ムーアが演じている。
ジュリアン・ムーアが演じるイングリッドがよかった。温かくて誠実で人間味があって、ぼくはイングリッドがそのやさしさと豊かな感受性ゆえに、生の側から死の側に転んでしまわないように(マーサの闇に引き摺られないように)と祈りながら緊張して観た。
マーサ(ティルダ・スウィントン)はタフな女性で、その強さと誇りを最期まで貫いていた。
これはとても個人的な思いだけど、ぼくは根深いマザコンなので母子関係が重要なキーになる物語はものすごく自分に引き寄せて歪んだ見方になる。この映画も、見終わったあと母の告知後から臨終までの出来事が頭の中に押し寄せて、映画館からの帰りの電車で涙が止まらなくなってしまった。マスクをしていて良かったと思う。
話がそれた。
マーサは戦場記者で、同時に娘の母親だった。最期の時間というのは自分の生きた軌跡を確かめる時間でもあり、ぼくはマーサが、娘が父親以外に欲しかったもの、必要だったものについて考えたり気づいたりするんかな…とこれもまた緊張しながら観たが、そういう展開にはならなかった。
最後のシーンまでマーサを自分の意思に生きたひとりの人間として観ることが出来て安心した。これはティルダ・スウィントンという俳優に依るところが大きいと思う。
(おそらく配役が逆だったらマザコンが発動しただろう。ジュリアン・ムーアの女性性に満ちたルックスの受容的なマーサだったら、「歪な母」を投影していたと思う)
ひとりの人間の意思と尊厳について(加えて人間が酷い世界で希望を見出して生き続ける事について)、重いテーマだけど、アートと自然という色彩に溢れた画面で受け取れたのは喜びである。
映画はとてもよかったけど、音楽がずっと流れていてそこは正直疲れる。アルモドバルの他の映画もそうだから「そういう映画なの」と受け容れるしかないけど気は散る。ここは無音でいいのでは…?という場面もオーケストラ演奏のオリジナル曲が流れる。何だろう。サービス精神だろうか。

ティルダ・スウィントンが末期がんに侵された女性を演じ、その最期の時間に付き添う友人をジュリアン・ムーアが演じている。
ジュリアン・ムーアが演じるイングリッドがよかった。温かくて誠実で人間味があって、ぼくはイングリッドがそのやさしさと豊かな感受性ゆえに、生の側から死の側に転んでしまわないように(マーサの闇に引き摺られないように)と祈りながら緊張して観た。
マーサ(ティルダ・スウィントン)はタフな女性で、その強さと誇りを最期まで貫いていた。
これはとても個人的な思いだけど、ぼくは根深いマザコンなので母子関係が重要なキーになる物語はものすごく自分に引き寄せて歪んだ見方になる。この映画も、見終わったあと母の告知後から臨終までの出来事が頭の中に押し寄せて、映画館からの帰りの電車で涙が止まらなくなってしまった。マスクをしていて良かったと思う。
話がそれた。
マーサは戦場記者で、同時に娘の母親だった。最期の時間というのは自分の生きた軌跡を確かめる時間でもあり、ぼくはマーサが、娘が父親以外に欲しかったもの、必要だったものについて考えたり気づいたりするんかな…とこれもまた緊張しながら観たが、そういう展開にはならなかった。
最後のシーンまでマーサを自分の意思に生きたひとりの人間として観ることが出来て安心した。これはティルダ・スウィントンという俳優に依るところが大きいと思う。
(おそらく配役が逆だったらマザコンが発動しただろう。ジュリアン・ムーアの女性性に満ちたルックスの受容的なマーサだったら、「歪な母」を投影していたと思う)
ひとりの人間の意思と尊厳について(加えて人間が酷い世界で希望を見出して生き続ける事について)、重いテーマだけど、アートと自然という色彩に溢れた画面で受け取れたのは喜びである。
映画はとてもよかったけど、音楽がずっと流れていてそこは正直疲れる。アルモドバルの他の映画もそうだから「そういう映画なの」と受け容れるしかないけど気は散る。ここは無音でいいのでは…?という場面もオーケストラ演奏のオリジナル曲が流れる。何だろう。サービス精神だろうか。