セラピー
公開 2024/12/05 23:33
最終更新
2024/12/06 07:48
韓国の戒厳令と解除から丸一日過ぎた。
Kim Sujinさんのinstagramに一枚の絵が流れて来た。たくさんのひとが暗闇の中同じ寝台でスマホの明かりをじっと見つめている絵だ。真夜中の国会前に即座に足を運んだ勇敢なソウル市民がいる一方で、家を出る事が難しかったひと達も多いだろう。そんなひと達の静かな連帯を表した絵だった。
セラピー的なトークとインタビュー記事を読んだあと感じたしんどさの理由について。
トークの着地場所は、「自分の価値が高まっている」ことだろう。
今がつらい。納得のいく評価を得ていない。収入が少ない。自尊感情が失われていく環境を何とかしたい。
なら必要な事は何だろう。これまでしてきた努力の方向性を見直してみよう。
水面上で起こる事を善きものにしたいなら、ときには水面下に深く潜り、自分の避けて来た内面とも向き合う事をおそれずじっくり取り組もう。
間違っていることは何一つない。反対したい事は全くない。
ただ、セラピーだなとは思う。そして語る方の時制と求める(=聞く)側の時制が違ってないかな、とも思う。いま差し迫った状況の方にとっては、渦中を潜りぬけ遥か遠くにいる方が大きな声で応援してくれてるけど…?とどこかもどかしい気持ちになるんじゃないだろうか。
「すべき」「こんな風にしたら良い」というニュアンスはたとえその語を使わずとも伝わる。そのときその話者は時間軸の先にいて、聞いている側の、聞いて欲しい現在形を強い力で過去(完了)形に変えていないだろうか。
今この状況を何とかしたい、そこまで追い詰められた方(=トークを聞く側)に必要なのは自分と同じ時制での対話のほうでは、と思ったのだ。
それが多分ケアという行為になるのだろう。自分の内面と向き合うときも、べき論が優位になるのは未来の時制が干渉するときだ。自分の事なのに辛くなってしまう。何より現在形で語られるはずの、とても大事な問題が見えづらくなる。
現在形で語られる事は重要なのだ。
自尊感情を削られている(いま進行している)。勉強に集中できない(妨げる何かは次の段階で気づく事もある)。
自分を遥かに超えた問題が現れたりもする。
などという事を、読後感じたしんどさの理由をつらつら考えてみた。
自分の価値を高めよう、問題を集約して自己をより良いものにしよう、とは資本主義的な考えだなと思う。プロテスタント的といった方がいいのか。ある様式(例えば学校教育的な評価基準)に順応して成功してきた自己が、それまでと違う価値の様式(例えば貨幣経済社会)にシフトしてどうにも適合しきれない。そこに順応して稼げる自分になるのが例のひとつ。この社会で幸せになるためのストーリーがある。
メッセージは充分に伝わる。幸せになろう、と自分以外のひと達を勇気づけることは誰にでも出来ることではない。たとえそれがマネタイズの一環とわかっても鼓舞される事は事実だ。
ただ動かすのはあくまで自分サイド。てとこは変わらないんだなと思う。
そこが自分にとって本当にしんどい理由かも知れない。
Kim Sujinさんのinstagramに一枚の絵が流れて来た。たくさんのひとが暗闇の中同じ寝台でスマホの明かりをじっと見つめている絵だ。真夜中の国会前に即座に足を運んだ勇敢なソウル市民がいる一方で、家を出る事が難しかったひと達も多いだろう。そんなひと達の静かな連帯を表した絵だった。
セラピー的なトークとインタビュー記事を読んだあと感じたしんどさの理由について。
トークの着地場所は、「自分の価値が高まっている」ことだろう。
今がつらい。納得のいく評価を得ていない。収入が少ない。自尊感情が失われていく環境を何とかしたい。
なら必要な事は何だろう。これまでしてきた努力の方向性を見直してみよう。
水面上で起こる事を善きものにしたいなら、ときには水面下に深く潜り、自分の避けて来た内面とも向き合う事をおそれずじっくり取り組もう。
間違っていることは何一つない。反対したい事は全くない。
ただ、セラピーだなとは思う。そして語る方の時制と求める(=聞く)側の時制が違ってないかな、とも思う。いま差し迫った状況の方にとっては、渦中を潜りぬけ遥か遠くにいる方が大きな声で応援してくれてるけど…?とどこかもどかしい気持ちになるんじゃないだろうか。
「すべき」「こんな風にしたら良い」というニュアンスはたとえその語を使わずとも伝わる。そのときその話者は時間軸の先にいて、聞いている側の、聞いて欲しい現在形を強い力で過去(完了)形に変えていないだろうか。
今この状況を何とかしたい、そこまで追い詰められた方(=トークを聞く側)に必要なのは自分と同じ時制での対話のほうでは、と思ったのだ。
それが多分ケアという行為になるのだろう。自分の内面と向き合うときも、べき論が優位になるのは未来の時制が干渉するときだ。自分の事なのに辛くなってしまう。何より現在形で語られるはずの、とても大事な問題が見えづらくなる。
現在形で語られる事は重要なのだ。
自尊感情を削られている(いま進行している)。勉強に集中できない(妨げる何かは次の段階で気づく事もある)。
自分を遥かに超えた問題が現れたりもする。
などという事を、読後感じたしんどさの理由をつらつら考えてみた。
自分の価値を高めよう、問題を集約して自己をより良いものにしよう、とは資本主義的な考えだなと思う。プロテスタント的といった方がいいのか。ある様式(例えば学校教育的な評価基準)に順応して成功してきた自己が、それまでと違う価値の様式(例えば貨幣経済社会)にシフトしてどうにも適合しきれない。そこに順応して稼げる自分になるのが例のひとつ。この社会で幸せになるためのストーリーがある。
メッセージは充分に伝わる。幸せになろう、と自分以外のひと達を勇気づけることは誰にでも出来ることではない。たとえそれがマネタイズの一環とわかっても鼓舞される事は事実だ。
ただ動かすのはあくまで自分サイド。てとこは変わらないんだなと思う。
そこが自分にとって本当にしんどい理由かも知れない。