考え方の癖、ぼくのぬいぐるみ
公開 2023/09/04 21:39
最終更新
2023/09/04 21:39
ネガティブな事態が発生すると、頭のなかで最悪の方向へ展開をすすめる癖がある。
つまり腹を据えるために最悪方面への一周回が必要で、腹が据わる事で以後の現実的な処理にストレスを感じなくなる。
昨日買い物しながら最悪方面へ考えを巡らせた。
家に戻るタイミングで無事に戻れた。
その後ぬいぐるみのいろいろを読むことが出来て、ぬいぐるみのおかげでパワーチャージもできた。
おかげで今日は朝から諸々とても安らかに対応できた。
かかりつけ医の先生は感染が疑われるものすべて検査してくれた。結果は全部陰性だった。
ただの風邪なんて何年ぶりなんだろう。
ぬいぐるみの話。
ぼくのぬいぐるみは3歳のとき手に入れた。
12歳上の姉が中学の家庭科でつくったものをもらった。ぼくがあんまり気に入って離さなかったのだ。
ぬいぐるみはキキと名づけられたおさるさんで、ぼくは以後大学に進学するまでずっと彼と一緒だった。「大切なもの」を描く宿題は彼を描き、夏休みの課題では紙粘土の人形にした。さらに小さい人形はキーホルダーにした。
平たい袋縫いのウールの体に白いサラシの顔、フェルトの黒目はたれ気味で、ピンクの刺繍糸でかがった笑った口。いまでも描ける。
小学一年生の時だ。
学校から帰ってきてキキのもとへ行くと優しいキキの顔が嫌な表情の新しい顔にかわっていた。
世界がひっくり返ったような感覚になった。
自分の身体まで裏返ったような感覚に半狂乱になり、ぼくは泣き叫んだのだと思う。
やったのは仕事が休みで家にいた母で、「汚れていたから」だという。
絵の上手な姉の作った優しい顔あってのキキなのに、その一言以後のぼくの記憶は抜け落ちている。
結局母は姉の作ったもとの顔に戻したが、それは帰宅した父や兄が母のやったことを批判したからだと母から後で聞いた。
ぼくには「剥がした顔を早く捨ててしまうんだった」と笑って言った。姉は進学で不在だったが、母のした事に呆れていた。
フェルトの黒目まで剥がそうとしたのか少し欠けていたが、もう母には触って欲しくなかった。
キキは休み中祖母の家へいくときは必ず連れて行った。
駅へいく途中道の真ん中で落としたときは兄が急いで拾いにいってくれた。
子どもが世界に対して抱く不信感と信頼感とはこういうところで形成される。
だからぼくは自分の子どもたちが大事にしているぬいぐるみはぜったい粗末にしたくなかった。
どこへ連れて行きたいというのも賛成した。多すぎるときは選抜をし、そのときは一緒にたくさんのことを考えた。
洗うときは何日も前からコンセンサスを取った。
当たり前のことだが、子ども達は成長し、以前ほどぬいぐるみを構わなくなった。それでも全員そのままにしてある。決めるのは彼らだからだ。
ぼくはあのとき自分が感じたような絶望を子ども達が味わうことが本当に怖い。
つまり腹を据えるために最悪方面への一周回が必要で、腹が据わる事で以後の現実的な処理にストレスを感じなくなる。
昨日買い物しながら最悪方面へ考えを巡らせた。
家に戻るタイミングで無事に戻れた。
その後ぬいぐるみのいろいろを読むことが出来て、ぬいぐるみのおかげでパワーチャージもできた。
おかげで今日は朝から諸々とても安らかに対応できた。
かかりつけ医の先生は感染が疑われるものすべて検査してくれた。結果は全部陰性だった。
ただの風邪なんて何年ぶりなんだろう。
ぬいぐるみの話。
ぼくのぬいぐるみは3歳のとき手に入れた。
12歳上の姉が中学の家庭科でつくったものをもらった。ぼくがあんまり気に入って離さなかったのだ。
ぬいぐるみはキキと名づけられたおさるさんで、ぼくは以後大学に進学するまでずっと彼と一緒だった。「大切なもの」を描く宿題は彼を描き、夏休みの課題では紙粘土の人形にした。さらに小さい人形はキーホルダーにした。
平たい袋縫いのウールの体に白いサラシの顔、フェルトの黒目はたれ気味で、ピンクの刺繍糸でかがった笑った口。いまでも描ける。
小学一年生の時だ。
学校から帰ってきてキキのもとへ行くと優しいキキの顔が嫌な表情の新しい顔にかわっていた。
世界がひっくり返ったような感覚になった。
自分の身体まで裏返ったような感覚に半狂乱になり、ぼくは泣き叫んだのだと思う。
やったのは仕事が休みで家にいた母で、「汚れていたから」だという。
絵の上手な姉の作った優しい顔あってのキキなのに、その一言以後のぼくの記憶は抜け落ちている。
結局母は姉の作ったもとの顔に戻したが、それは帰宅した父や兄が母のやったことを批判したからだと母から後で聞いた。
ぼくには「剥がした顔を早く捨ててしまうんだった」と笑って言った。姉は進学で不在だったが、母のした事に呆れていた。
フェルトの黒目まで剥がそうとしたのか少し欠けていたが、もう母には触って欲しくなかった。
キキは休み中祖母の家へいくときは必ず連れて行った。
駅へいく途中道の真ん中で落としたときは兄が急いで拾いにいってくれた。
子どもが世界に対して抱く不信感と信頼感とはこういうところで形成される。
だからぼくは自分の子どもたちが大事にしているぬいぐるみはぜったい粗末にしたくなかった。
どこへ連れて行きたいというのも賛成した。多すぎるときは選抜をし、そのときは一緒にたくさんのことを考えた。
洗うときは何日も前からコンセンサスを取った。
当たり前のことだが、子ども達は成長し、以前ほどぬいぐるみを構わなくなった。それでも全員そのままにしてある。決めるのは彼らだからだ。
ぼくはあのとき自分が感じたような絶望を子ども達が味わうことが本当に怖い。