象徴としての
公開 2023/08/25 06:30
最終更新
2023/08/25 21:34
ひとが心理的精神的に親を滅する事は成長するうえで必要なアクション。
象徴としての親コロしは子どもの成長に必要な物語だ。
フィクションでは実際に手を下す場面が子どもを癒すこともあるし(傷つけることももちろんある)、親が既に亡いという設定が子どもを勇気づけたりする。
ぼくは親元にいる間身体的に酷いコントロール下にあった。本来全てがのびやかに変化し続けるはずの子どもにとって、身体的にそうだということは精神的には言わずもがなだ。
利き手のことは以前も書いたとおりだけど、具体的には親のつくる服ばかり着せられたことだ。
母はずっと服を仕立てる仕事をしていた。
オーダーメイドのスーツやドレス。家にはさまざまな素材の布地とボタン、大きなミシンが鎮座していた。
姉と兄のお下がり。季節感ぎりぎり。伸びない素材、経年で縮んだもの。自分に、と新しく作られたものすらいつも窮屈だった。
母の意識の焦点は変化し成長しつづける子ども自身には合っていなかった。
自分が作った服、言い換えるなら自分の作った型。
子育てとは型に嵌めて矯正することと信じて疑いを持たなかった。
会社員だった頃、何気なく同僚にもらした「子どもの頃親のつくった服が窮屈で」とぼくの言った事に、同僚は、
「わざわざ子どもに作る服にそんな窮屈なんてあるんすか笑」と本気にしなかった。
そうだ。ひとによってはそういうレベルの話だ。
親が子どもに強いるものは、価値観が違う視点からは滑稽にみえる。
兄とぼくはずっと酷い皮膚炎だった。
ある種の皮膚炎は神経症だという説は真実だと思う。
親元にいる間、皮膚をかきむしる自分はそこにいて無いような存在だった。
ぼくは親元を離れた大学四年間で、自力で皮膚科を探し続け、治療を続け、ほぼ本来の肌を取り戻すことができた。
自分の身体が自分のものだという実感はいまもぼくを勇気づける。
受験に失敗して親の期待から外れ、親の強いた型から自由になるにつれて、心が自由になっていくことが嬉しかった。
抑えつけていた怒りと悲しみに襲われるたび、想像のなかで親にあり得ないほどの暴力をふるう。頭の中で親が出す悲鳴はかつての自分があげられなかったものだ。
母の癌が見つかり、既に手の施しようが無い、余命は一年ほど、という知らせを受けたのはコロナ渦中だった。母の関心はすでにぼくになく、たまの帰省では母自身の抑圧された怒りが客扱いのぼくに向けられることがあり、最期にお互いがギスギスした思いを残すくらいなら、とぼくはコロナを理由に帰らなかった。
安置された遺体を見たときは悲しかった。
頑なな一方で子どもが不安になるくらい無垢で無私のところがあった。あんなにぼくの頭のなかで何度も死んでたのに。本当に死ぬなんて。
親のことを考えるといつも愛憎のまま引き裂かれる気分になる。子どものままだと感じる。
でも言葉にすることで、裂けた何かがぎこちなくも綴じられていくようにも思う。
象徴としての親コロしは子どもの成長に必要な物語だ。
フィクションでは実際に手を下す場面が子どもを癒すこともあるし(傷つけることももちろんある)、親が既に亡いという設定が子どもを勇気づけたりする。
ぼくは親元にいる間身体的に酷いコントロール下にあった。本来全てがのびやかに変化し続けるはずの子どもにとって、身体的にそうだということは精神的には言わずもがなだ。
利き手のことは以前も書いたとおりだけど、具体的には親のつくる服ばかり着せられたことだ。
母はずっと服を仕立てる仕事をしていた。
オーダーメイドのスーツやドレス。家にはさまざまな素材の布地とボタン、大きなミシンが鎮座していた。
姉と兄のお下がり。季節感ぎりぎり。伸びない素材、経年で縮んだもの。自分に、と新しく作られたものすらいつも窮屈だった。
母の意識の焦点は変化し成長しつづける子ども自身には合っていなかった。
自分が作った服、言い換えるなら自分の作った型。
子育てとは型に嵌めて矯正することと信じて疑いを持たなかった。
会社員だった頃、何気なく同僚にもらした「子どもの頃親のつくった服が窮屈で」とぼくの言った事に、同僚は、
「わざわざ子どもに作る服にそんな窮屈なんてあるんすか笑」と本気にしなかった。
そうだ。ひとによってはそういうレベルの話だ。
親が子どもに強いるものは、価値観が違う視点からは滑稽にみえる。
兄とぼくはずっと酷い皮膚炎だった。
ある種の皮膚炎は神経症だという説は真実だと思う。
親元にいる間、皮膚をかきむしる自分はそこにいて無いような存在だった。
ぼくは親元を離れた大学四年間で、自力で皮膚科を探し続け、治療を続け、ほぼ本来の肌を取り戻すことができた。
自分の身体が自分のものだという実感はいまもぼくを勇気づける。
受験に失敗して親の期待から外れ、親の強いた型から自由になるにつれて、心が自由になっていくことが嬉しかった。
抑えつけていた怒りと悲しみに襲われるたび、想像のなかで親にあり得ないほどの暴力をふるう。頭の中で親が出す悲鳴はかつての自分があげられなかったものだ。
母の癌が見つかり、既に手の施しようが無い、余命は一年ほど、という知らせを受けたのはコロナ渦中だった。母の関心はすでにぼくになく、たまの帰省では母自身の抑圧された怒りが客扱いのぼくに向けられることがあり、最期にお互いがギスギスした思いを残すくらいなら、とぼくはコロナを理由に帰らなかった。
安置された遺体を見たときは悲しかった。
頑なな一方で子どもが不安になるくらい無垢で無私のところがあった。あんなにぼくの頭のなかで何度も死んでたのに。本当に死ぬなんて。
親のことを考えるといつも愛憎のまま引き裂かれる気分になる。子どものままだと感じる。
でも言葉にすることで、裂けた何かがぎこちなくも綴じられていくようにも思う。
