歌う女
公開 2024/10/15 22:14
最終更新
2024/10/15 22:23
午前中は映画館で「ヒューマン・ポジション」を観た。
いい画面しかない。距離と隙間のたくさんある映画だった。
冒頭、主人公のアスタがシャツをめくってスポット的にチューブのクリームを塗る場面で、もしかして縫合痕のひきつれ用だろうか、と思った(ぼくも同じ経験があるからだけど)。
アスタが新聞記者という立場から社会の制度、仕組みからこぼれ落ちてしまう存在を思う気持ちに深く共感できる。
制度を作るのが人間なら制度によって動かされるのも人間だ。弱い立場で守ってくれるものがその制度以外に存在しなければ、あっけなく制度の外に放り出される事実がある。
アスタの恋人のライヴが遊ぶ手動のゲームにはそんな不穏さが密かに現れていたと思う。
ライヴが歌う歌が良い。
家具の補修を生業にしながら家で打ち込み音と鍵盤ポップをつくるライヴが「歌う女」でほんとうに良かったと思った。
ぼくはこの映画をみながら、アニエス・ヴァルダの「歌う女・歌わない女」を思い出していた。人生を謳歌し、言葉より先に歌が溢れ出る「歌う女」と、女性を家に縛りつける社会制度にノーと言い続け、闘い続けた「歌わない女」。二人は生涯に渡って助け合い、友情で支え合った同士だ。
歌わない女は歌う女から勇気をもらい、歌う女は歌わない女に危機を救われる。
「歌わない女」に描かれているようにみえるアスタに歌うライヴがいるのは僥倖だと思ったのだ。
ヒューマン・ポジションの二人は恋人どうしで、アスタは病後という事もありなかなかそういう気分になれない。ライヴはその辺りも歌に乗せて気持ちを伝える。
お互いが誠実である。誠実であることは孤独で寂しいことでもあるのだなと思う。
二人が家で観る映画は小津安二郎の「お茶漬けの味」だ。淡島千景のうたう「すみれの花咲く頃」が流れ、アスタはライヴにもたれてウトウトする。
小津安二郎の「歌う映画」が目配せ的なのもたいへん好感を持った。

(映画館で記念に撮影したポスター。鑑賞後に階段を登って出ていく方の姿が映り込んでいる)
いい画面しかない。距離と隙間のたくさんある映画だった。
冒頭、主人公のアスタがシャツをめくってスポット的にチューブのクリームを塗る場面で、もしかして縫合痕のひきつれ用だろうか、と思った(ぼくも同じ経験があるからだけど)。
アスタが新聞記者という立場から社会の制度、仕組みからこぼれ落ちてしまう存在を思う気持ちに深く共感できる。
制度を作るのが人間なら制度によって動かされるのも人間だ。弱い立場で守ってくれるものがその制度以外に存在しなければ、あっけなく制度の外に放り出される事実がある。
アスタの恋人のライヴが遊ぶ手動のゲームにはそんな不穏さが密かに現れていたと思う。
ライヴが歌う歌が良い。
家具の補修を生業にしながら家で打ち込み音と鍵盤ポップをつくるライヴが「歌う女」でほんとうに良かったと思った。
ぼくはこの映画をみながら、アニエス・ヴァルダの「歌う女・歌わない女」を思い出していた。人生を謳歌し、言葉より先に歌が溢れ出る「歌う女」と、女性を家に縛りつける社会制度にノーと言い続け、闘い続けた「歌わない女」。二人は生涯に渡って助け合い、友情で支え合った同士だ。
歌わない女は歌う女から勇気をもらい、歌う女は歌わない女に危機を救われる。
「歌わない女」に描かれているようにみえるアスタに歌うライヴがいるのは僥倖だと思ったのだ。
ヒューマン・ポジションの二人は恋人どうしで、アスタは病後という事もありなかなかそういう気分になれない。ライヴはその辺りも歌に乗せて気持ちを伝える。
お互いが誠実である。誠実であることは孤独で寂しいことでもあるのだなと思う。
二人が家で観る映画は小津安二郎の「お茶漬けの味」だ。淡島千景のうたう「すみれの花咲く頃」が流れ、アスタはライヴにもたれてウトウトする。
小津安二郎の「歌う映画」が目配せ的なのもたいへん好感を持った。

(映画館で記念に撮影したポスター。鑑賞後に階段を登って出ていく方の姿が映り込んでいる)
