聖なる…
公開 2024/10/06 22:52
最終更新
2024/10/07 09:21
「エストニアの聖なるカンフーマスター」を観てきた(ライネル・サルネ監督)。
去年は同監督の「ノヴェンバー」を観たのだ。画面の美しさが話題だった。
ノヴェンバーは、ぼくには閉ざされた古いムラ社会の蒙昧さがキツいな、正確には蒙昧さが招く悲劇の気配だけど。ギャグはブラックでこれは笑いのツボが違うんだな、でもこの死者と生者が融合してる世界観はいいな、という印象。
今日みた聖なるカンフーマスターは、冒頭シーンからどう突っ込めと…?の連続だ。音楽と俳優たちのどことない素朴さのおかげでありし日の「空耳アワー」を見ている錯覚に陥り、いつのまにかスヤスヤと眠っていた。
映画館で寝たのは久しぶりである(よく寝た)。
孔雀が歩く寺院の庭、修道士の様式美(というほども整然として無いけど)に「ざくろの色」でも思い出せばいいのか、起きたあともどう観ていいのかずっと落ち着かない。
あたまを空にして観たままを受け取るには俳優たちの顔が好みじゃなさ過ぎて厳しい。
意味を探して何とかついていこうと試みる。
閉ざされた世界(旧ソ連しかも修道院)であるのはノヴェンバーと同様だ。しかし今日観たこちらは蒙昧ながらも主人公はあほを貫き通し希望が感じられた。あと導師の人間性にも。
もしかしたら聖と穢と俗で考えたら良かったのか。しかしここまで突き抜けた映画に観る側が意味を考え過ぎるはダサいとわかった。
全編を通してカンフーのシーンはCGかつギャグであった。この映画は一人で観に行って本当に良かった。
去年は同監督の「ノヴェンバー」を観たのだ。画面の美しさが話題だった。
ノヴェンバーは、ぼくには閉ざされた古いムラ社会の蒙昧さがキツいな、正確には蒙昧さが招く悲劇の気配だけど。ギャグはブラックでこれは笑いのツボが違うんだな、でもこの死者と生者が融合してる世界観はいいな、という印象。
今日みた聖なるカンフーマスターは、冒頭シーンからどう突っ込めと…?の連続だ。音楽と俳優たちのどことない素朴さのおかげでありし日の「空耳アワー」を見ている錯覚に陥り、いつのまにかスヤスヤと眠っていた。
映画館で寝たのは久しぶりである(よく寝た)。
孔雀が歩く寺院の庭、修道士の様式美(というほども整然として無いけど)に「ざくろの色」でも思い出せばいいのか、起きたあともどう観ていいのかずっと落ち着かない。
あたまを空にして観たままを受け取るには俳優たちの顔が好みじゃなさ過ぎて厳しい。
意味を探して何とかついていこうと試みる。
閉ざされた世界(旧ソ連しかも修道院)であるのはノヴェンバーと同様だ。しかし今日観たこちらは蒙昧ながらも主人公はあほを貫き通し希望が感じられた。あと導師の人間性にも。
もしかしたら聖と穢と俗で考えたら良かったのか。しかしここまで突き抜けた映画に観る側が意味を考え過ぎるはダサいとわかった。
全編を通してカンフーのシーンはCGかつギャグであった。この映画は一人で観に行って本当に良かった。