言葉について
公開 2024/09/23 22:53
最終更新
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盛岡から届いた本は、言うまでもなく標準語の書き言葉なのだけど、その底には盛岡弁、南部弁の拍があり旋律があって、読んでるうちにぼくのなかの「むこうの言葉」が起きた。
今日は朝から実家にいるときの言葉が出てきた。なも、カラス鳴ぐにかってゃ、こったに早ぐ目え覚めだじゃ。家族はおじいちゃんと話してるときみたいね、とそれだけである。
郷愁とはよく使う言葉で、自分でもそれを楽しんでいたりする。自分にとっての郷愁は遠いところに来た諦めが生む情緒だ。コスプレ的だ。でも朝起きて喉から出てきた言葉は誰に聞かせるわけでもない、身体の現象だった。
子どもの習い事のために外に出て友だちと話して普段の言葉に切り替わった。
平素のぼくは外はもちろん家族に対しても訛りが現れることは無い。多くの語彙は実家を離れてから得たものだし、家族は「こっち」のひとで、こちらのひとと話すときはこちらの言葉しか出てこないからだ。
でも頭が切り替えてもぼくの身体には生まれ育った土地の言葉の拍子も旋律もずっと流れていて、それはもう身体そのものなのだろう。
言葉は不思議だ。
今日は朝から実家にいるときの言葉が出てきた。なも、カラス鳴ぐにかってゃ、こったに早ぐ目え覚めだじゃ。家族はおじいちゃんと話してるときみたいね、とそれだけである。
郷愁とはよく使う言葉で、自分でもそれを楽しんでいたりする。自分にとっての郷愁は遠いところに来た諦めが生む情緒だ。コスプレ的だ。でも朝起きて喉から出てきた言葉は誰に聞かせるわけでもない、身体の現象だった。
子どもの習い事のために外に出て友だちと話して普段の言葉に切り替わった。
平素のぼくは外はもちろん家族に対しても訛りが現れることは無い。多くの語彙は実家を離れてから得たものだし、家族は「こっち」のひとで、こちらのひとと話すときはこちらの言葉しか出てこないからだ。
でも頭が切り替えてもぼくの身体には生まれ育った土地の言葉の拍子も旋律もずっと流れていて、それはもう身体そのものなのだろう。
言葉は不思議だ。
