休みの日には『休日』を。
公開 2025/02/11 11:11
最終更新
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2024年より。 #
2024年が幕を下ろし、2025年の幕が上がった。大型連休とまではいかないが、ある程度まとまった『休日』を手にした。スケジュールを確認しながら、仕事始めの日やその先の予定に思いを馳せ、師走のバタバタは長く続きそうだなと半ば諦めつつも、これを充実と呼ばずに何と呼ぶ、と思ってしまう自分もいる。
昔から、予定を組むのが苦手だ。この日は夜だけ予定が入っているだけだから実質休み、この日はオンラインミーティングがあるだけだから実質休み、といった具合に、全然休みではないのにスケジュールを固めてしまう。結果、『休日』と呼べるような日が週一回あるかないか、のようなゾッとする毎月を送る羽目になる。ある程度決められた枠組みの中で過ごしていた中学・高校の頃ですら似たような傾向にあったため、これはもうある種の癖のようなものだ。
よくある質問の中に「休みの日の過ごし方は?」とあるが、一体この質問にはどう答えるのが正解なのだろうか。少なくとも私にとっては「一日中家でゴロゴロすること」が、個人的な大正解ではあるのだが、何となくそれでは納得いってもらえない節がある気がする。お芝居をやっている側としては観劇や鑑賞、YouTubeをやっている側としては撮影や編集辺りが、おおよその正解になるのかもしれない。けれども、それは『休日』なのかと思ってしまう自分もいて、確かに休みでないと観劇も鑑賞も撮影も編集も出来ない。ただ、仕事ではないけれども、趣味というのも何だか違う気がする。
このエッセイでさえ、勿論自分がやりたくて始めたことで、好きで続けていることだ。しかし文章と向き合う時間は本気で取り組んでいるのだ。本気と書いてマジと読むならば、休みと書いて何と読むのだろう。
2025年にて。 #
と、ここまで書いて、筆を置いていたらしい。らしい、というのは、2月はどういうエッセイにしようかなと思って、エッセイを書き貯めているファイルを開いたら、この文章が残っていて、今これを出したいと思ったのだ。
1月に年末に出そうとしていた動画を年始に出したように、書き残していた文章に続きを足すだけで2月のエッセイとしてしまうように、無理をせず、ありのままに、自分のペースで、一日を過ごすことが、自分にとって理想の『休日』な気がする。
何かをしてもしなくても、その日が『休日』であることは変わらない。どこかへお出掛けするのも楽しいだろうし、ダラダラとSNSを見続けるのもまた面白いだろう。カウンターしかない天ぷら屋さんのかき揚げも、ローリングストックのカップラーメンも、美味しいに決まっている。休みの日だからこそ、無限の可能性に満ち溢れていることを、改めて今感じている。であるならば、何かをすることを褒めたいし、何もしないことを称えたい。『休日』に何をするかなんて、本来は最大にして最強の自由であるべきだ。
とは言え、所謂「表に出る」ことをしていると、観客の方とお会いするのは、その方がお休みの時であることが多い。だからこそ「良い休日だったな」と思ってもらえるようにしたい。エッセイを書く『休日』に、そんなことを思った。今日は何もしなかった。もう一度言う。今日は、何も、しなかった。これが『休日』の過ごし方だ。
【次回は3月11日(火)に公開予定です】
中西崇将 エッセイ『ハチミツはまだ早い』
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