子鳩を追う子どもの手
公開 2024/08/27 17:37
最終更新
2024/08/27 17:37
8月2日、長澤知之のバンドライブに行ってきた。
最近の彼のライブ、特にバンドライブは、とにかく楽しい!嬉しい!という熱狂があって
ステージから伝わってくる研ぎ澄まされた集中力、拡張された長澤知之のゾーンに自分がお邪魔させて頂くような、まっしろな空間である。
それは彼自身のモードがそうなのかもしれないし、自分の受け止め方がそう解釈させているのかもしれない。
だから他の人の窓からはまた違って見えるのだろう。
とにかく最近の自分は、彼のライブにいくと、
ただ、いま・このときのグルーヴに身を委ねる感覚的な体験になることが多くて、
昔のようにライブ中に個人的な出来事を思ったり、彼の人生を思ったりして涙するみたいなことはかなり減ってきたと思う。
(教会ライブは別で、あれは瘦せるほど泣いた)
でも今回のライブはデビュー18年記念日の開催ということもあって、ライブ前に彼がラジオで周年について語っていたし、始まる前から既に特別な意味・物語を感じていた。
それに最近のこのクソ暑い季節をただただ無心で走り抜けるような日々にもどうやらかなり限界がきていたようで、
図らずも今回のライブは、木陰に座って物思いに耽るみたいな、センチメンタルと内観の時間だった。
いつものバンドライブでは盛り上がりのピークに置かれるような「誰より愛をこめて」からライブが始まったこと、何十回も生で聴いてはきたけれどバンド編成では初めてだった「左巻きのゼンマイ」に心を打たれ、3曲目の「夢先案内人」で完全に感情の蓋がべりべりっと剥がされた。
長澤知之に出会った19歳の夏、フラッシュバック瞬きと夢先案内人を延々とリピートさせて、深夜の徘徊に耽っていたことを思い出す。
誰もいない大学の陸上競技場、街灯のない田んぼ道、閉店間際の西友、あの頃抱えていたどうしようもないいらつき。
今思えば、いったい何に怒っていたのだろう。
これまで何回も同じようなことをツイートしているけれど、長澤知之に出会って自分の価値観は変わった、というか彼に出会って初めてそれが形作られたように思う。
その価値観はなかなか端的には言い表せないけれど、頑張って言葉にするなら
前向きな諦念、つまり自分のコンプレックスとか他人との分かり合えなさとか人生の無意味さとか、そういうあらゆるクソが無くならないと受け入れた上でそれでも望んでいくこと、能動的ニヒリズム。
あと、安易に感傷に浸らない強さ。過去に生きるのではなく、より良い未来のために現在を何より大事にするということ。
前にライブで出会った人が、「長澤知之とドストエフスキーが好き」と言っていた。
ダイナミックだなあ、と思ったけど実際気持ちはよくわかって、自分なら「長澤知之と社会学が好き」と言うと思う。
おれたちは彼の作品を超えて、彼の哲学に、強く惹かれている。
「そのキスひとつで」が聴けたことが本当に嬉しかった。
台風が窓を叩くようなサウンド、津野ちゃんのコーラス、サビに向けて膨れ上がっていく激情、そしてふたりの愛らしいMVもすべて大好きなのだ。
津野ちゃんが亡くなってから、この曲はたぶん気軽に演奏できなくなったんじゃないかと思う。
たしか前に聞いたのは、彼女が亡くなった年の配信ライブだった。
そのキスひとつで→P.S.S.O.S.という流れに当時バカほど泣いたような。
彼女はP.S.S.O.S.が大好きだったんだ。
津野ちゃんのことを抜きにしても、この曲をとにかく爆音で聴きたい衝動に駆られることがある。
君さえいればすべて良くなるのに!という叫びは、なんて素直なんだろう。
「おれが大好きなお前が、今ここに、いろよ!!」という逆ギレ気味の恋焦がれは、
自分にだって経験がある。

MCで語っていたこと。
「つくづく、曲を書くことが好き。自分の曲は自分の言いたいことを言ってくれているから。
ストレス発散になっている。自分に合った職業だと思う。」
彼のライフワークが、音楽という我々を巻き込むものであったことの、その偶然に、どれだけ感謝してもしきれない。
彼が曲やライブという作品を作るから、それらが自分のところへ届いて、結果としてものすごく心を動かされているわけだけど
彼は音楽で人の心を動かしたいとか、問題提起したいとか、何かを伝えたいとかは、もしかしたらそれほど意識していないんじゃないかと思う。
単純に自分の納得いく作品を仕上げて自分を満足させること、自分を喜ばせることに妥協がなくて
その自己表現を目の当たりにしている我々が、勝手に感動しているのだろう。
だからこそ彼の作品には嘘や衒いが全くなくて、信頼できて、それを誠実だと思う。美しいと思う。
そして、彼の音楽に共鳴する人間が一定数確実に存在することをライブハウスという空間で確かめられるのが、とてもとても嬉しい。
半年くらい前に、今年の本屋大賞の成瀬シリーズを読んだ。

成瀬の魅力は、長澤知之の魅力に似ている。
言ってしまえば、ふたりとも究極の自分勝手だ。
自分を満たすことにストイックで、その姿が、結果として周囲の人間を惹きつける。
オリンピアンが我々を感動させるのにも、近いものがあるだろう。
目に見えないしがらみはたくさんあるだろうが、彼らが自己実現のために奮闘し、汗や涙を流す様に、私たちは強く心を打たれる。
ガチな人たちは、本人にその気がなくとも人の心を動かすのだ。
長澤知之の話に戻る。
彼がそういう自己中心的なベクトルを持っている上で、自己実現を叶えてきていること、つまりちゃんと自分自身を楽しませていることを、おれは深く深く尊敬している。
だって、出会った頃の彼は苦しそうだった。
P.S.S.O.S.を初めて聴いた時は、正直心配してしまった。
だから、彼が今楽しそうに、たとえばムーを演ったりすることがおれはとてもとても嬉しい。
そしてかなり大丈夫になったように見える彼が、今でもP.S.S.O.S.を演ってくれることで、
昔の苦しそうだった彼も、楽しそうな今の彼も、しっかり地続きだということを実感する。
その物語は、そのまま自分にとっての希望になる。
★★★
スランプに陥ったためこの先が書けなくなりました^_^;
こういうのが嫌い こういうの🎶
最近の彼のライブ、特にバンドライブは、とにかく楽しい!嬉しい!という熱狂があって
ステージから伝わってくる研ぎ澄まされた集中力、拡張された長澤知之のゾーンに自分がお邪魔させて頂くような、まっしろな空間である。
それは彼自身のモードがそうなのかもしれないし、自分の受け止め方がそう解釈させているのかもしれない。
だから他の人の窓からはまた違って見えるのだろう。
とにかく最近の自分は、彼のライブにいくと、
ただ、いま・このときのグルーヴに身を委ねる感覚的な体験になることが多くて、
昔のようにライブ中に個人的な出来事を思ったり、彼の人生を思ったりして涙するみたいなことはかなり減ってきたと思う。
(教会ライブは別で、あれは瘦せるほど泣いた)
でも今回のライブはデビュー18年記念日の開催ということもあって、ライブ前に彼がラジオで周年について語っていたし、始まる前から既に特別な意味・物語を感じていた。
それに最近のこのクソ暑い季節をただただ無心で走り抜けるような日々にもどうやらかなり限界がきていたようで、
図らずも今回のライブは、木陰に座って物思いに耽るみたいな、センチメンタルと内観の時間だった。
いつものバンドライブでは盛り上がりのピークに置かれるような「誰より愛をこめて」からライブが始まったこと、何十回も生で聴いてはきたけれどバンド編成では初めてだった「左巻きのゼンマイ」に心を打たれ、3曲目の「夢先案内人」で完全に感情の蓋がべりべりっと剥がされた。
長澤知之に出会った19歳の夏、フラッシュバック瞬きと夢先案内人を延々とリピートさせて、深夜の徘徊に耽っていたことを思い出す。
誰もいない大学の陸上競技場、街灯のない田んぼ道、閉店間際の西友、あの頃抱えていたどうしようもないいらつき。
今思えば、いったい何に怒っていたのだろう。
これまで何回も同じようなことをツイートしているけれど、長澤知之に出会って自分の価値観は変わった、というか彼に出会って初めてそれが形作られたように思う。
その価値観はなかなか端的には言い表せないけれど、頑張って言葉にするなら
前向きな諦念、つまり自分のコンプレックスとか他人との分かり合えなさとか人生の無意味さとか、そういうあらゆるクソが無くならないと受け入れた上でそれでも望んでいくこと、能動的ニヒリズム。
あと、安易に感傷に浸らない強さ。過去に生きるのではなく、より良い未来のために現在を何より大事にするということ。
前にライブで出会った人が、「長澤知之とドストエフスキーが好き」と言っていた。
ダイナミックだなあ、と思ったけど実際気持ちはよくわかって、自分なら「長澤知之と社会学が好き」と言うと思う。
おれたちは彼の作品を超えて、彼の哲学に、強く惹かれている。
「そのキスひとつで」が聴けたことが本当に嬉しかった。
台風が窓を叩くようなサウンド、津野ちゃんのコーラス、サビに向けて膨れ上がっていく激情、そしてふたりの愛らしいMVもすべて大好きなのだ。
津野ちゃんが亡くなってから、この曲はたぶん気軽に演奏できなくなったんじゃないかと思う。
たしか前に聞いたのは、彼女が亡くなった年の配信ライブだった。
そのキスひとつで→P.S.S.O.S.という流れに当時バカほど泣いたような。
彼女はP.S.S.O.S.が大好きだったんだ。
津野ちゃんのことを抜きにしても、この曲をとにかく爆音で聴きたい衝動に駆られることがある。
君さえいればすべて良くなるのに!という叫びは、なんて素直なんだろう。
そのキスひとつで 僕の行方は決まって
この惨めな現実も怒りもすべて捨てられるのに
そのキスひとつで 僕の居場所は決まって
不安な未来も過去の傷も今すぐ葬れるのに
君さえいれば
君さえいればいいんだよ
簡単なことさ
そのキスひとつでいいんだよ
(そのキスひとつで)
どんなにいいだろう あなたがいたら
白け切った朝に「あああ!」って言うよ
(あああ)
「おれが大好きなお前が、今ここに、いろよ!!」という逆ギレ気味の恋焦がれは、
自分にだって経験がある。

MCで語っていたこと。
「つくづく、曲を書くことが好き。自分の曲は自分の言いたいことを言ってくれているから。
ストレス発散になっている。自分に合った職業だと思う。」
彼のライフワークが、音楽という我々を巻き込むものであったことの、その偶然に、どれだけ感謝してもしきれない。
彼が曲やライブという作品を作るから、それらが自分のところへ届いて、結果としてものすごく心を動かされているわけだけど
彼は音楽で人の心を動かしたいとか、問題提起したいとか、何かを伝えたいとかは、もしかしたらそれほど意識していないんじゃないかと思う。
単純に自分の納得いく作品を仕上げて自分を満足させること、自分を喜ばせることに妥協がなくて
その自己表現を目の当たりにしている我々が、勝手に感動しているのだろう。
眉間の奥あたりに審査員がいて、多分死ぬまで高得点を望んでる。
それをずっと喜ばせられたらいいし、嘘が通用しないんでしっかりやる。
2023.1.28 インスタグラムより
だからこそ彼の作品には嘘や衒いが全くなくて、信頼できて、それを誠実だと思う。美しいと思う。
そして、彼の音楽に共鳴する人間が一定数確実に存在することをライブハウスという空間で確かめられるのが、とてもとても嬉しい。
ひとりじゃないよ
一緒にいられないだけ
みんなそこにいるよ 誰かさん
(そこ)
半年くらい前に、今年の本屋大賞の成瀬シリーズを読んだ。

何かに夢中になっている人が、こんなにも愛らしく他人の目に映るものかと驚いた。
外野の視線に気を取られず、自分の興味の赴くままに、やりたいことを追求し続ける成瀬のなんと痛快なことか。その純真さは、周囲を巻き込み、惹きつけていく。
(2024.2.19 自分の読書ノートから抜粋)
成瀬の魅力は、長澤知之の魅力に似ている。
言ってしまえば、ふたりとも究極の自分勝手だ。
自分を満たすことにストイックで、その姿が、結果として周囲の人間を惹きつける。
オリンピアンが我々を感動させるのにも、近いものがあるだろう。
目に見えないしがらみはたくさんあるだろうが、彼らが自己実現のために奮闘し、汗や涙を流す様に、私たちは強く心を打たれる。
ガチな人たちは、本人にその気がなくとも人の心を動かすのだ。
長澤知之の話に戻る。
彼がそういう自己中心的なベクトルを持っている上で、自己実現を叶えてきていること、つまりちゃんと自分自身を楽しませていることを、おれは深く深く尊敬している。
だって、出会った頃の彼は苦しそうだった。
P.S.S.O.S.を初めて聴いた時は、正直心配してしまった。
だから、彼が今楽しそうに、たとえばムーを演ったりすることがおれはとてもとても嬉しい。
そしてかなり大丈夫になったように見える彼が、今でもP.S.S.O.S.を演ってくれることで、
昔の苦しそうだった彼も、楽しそうな今の彼も、しっかり地続きだということを実感する。
その物語は、そのまま自分にとっての希望になる。
★★★
スランプに陥ったためこの先が書けなくなりました^_^;
こういうのが嫌い こういうの🎶


