最近思ってること
公開 2024/06/20 21:22
最終更新
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先日フリースクールでの弁論大会の審査員をやる機会があって、それがめちゃくちゃ刺激的だった。
弁論を披露してくれた高校生たちは通信制高校に通っていて、何らかの理由で学校に行かなくなった経験を持っている。
不登校容認論もいくらか台頭してきたとはいえ、学校に行けなかった自分に全くコンプレックスの無い子は少ない。
情報社会の影響は大きい。自分が高校生だったときよりもずっとSNSが発達していて、彼らには他者の視線が絶え間なく注がれていて、「どうふるまうか・どう見られるか」というのが大人たちの想像が及ばないくらい彼らの中で大きな問題になっている。
そして彼らは、大卒からの就職というメジャールート(日本の大学進学率は60%だから実はそんなにメジャーではないのだが)に乗った人たちよりもずっと、将来のことを真剣に考えている。
だから、大半の人にとってでさえ流動的で先行きの見えないこの社会で生きていくことが、彼らにとってなおさらイージーゲームでは無いということを、彼らはしっかりと認識している。
そんな彼らがこれまでの人生と真摯に向き合い、紡ぎ出された彼ら自身の言葉で、声を震わせながらも自らを物語っている姿を見て、おれは何の涙か分からないが何度も涙ぐんでしまったし、彼らのそういう真摯さを目の当たりにして、アドレナリンがドバドバ分泌されるのを感じて、なんというか、大袈裟にいうと、生きていく力を受け取った気がする。
自分と向き合うって残酷でとてもつらいことだと思う。
しかも自分というものも変わり続けるから、いわゆる自己分析というものには、たぶん終わりがない。
自分を知ることから逃げて、所与のキャラに逃げ込むこともできる。実際おれもずっとそうしてきたと思う。
でもそれは自分じゃない誰かを演じているということだから、どこかでしんどくなるし、その道で開花することはありえないんだよね。
自分が高校生のとき、自分のことなんて全然知らなかったなと思う。
**
アドレナリンが出る出来事といえば、先日、試験監督の仕事をした。
留学生が日本の大学に入るためのセンター試験みたいなもので、当たり前だが、みんなガチだ。
そこにいる人がみんなガチでやってる場所の空気って、なんというか、熱を帯びつつ澄み渡っていて、純度が高くて、居心地が良い。
こういう空気を久しぶりに吸ったなあと思う。
高校3年生のとき、7時過ぎに学校について自習室で勉強するのが好きだった。
あそこにいた人たちはみんな同志だと思っていた。
大学生のとき、授業は必ず前から3列目以内に座るようにしていた。
単純に空いていて快適というのも大きい。
何より士気の高い人たちに囲まれて自分も臨戦態勢にあることが心地よかった。
いまでも、ジムでストイックに鍛えているゴリゴリの人に囲まれたりするのが好きだ。
こうしてみると自分はわりと向上心のある方だと思う。
いつも前向きでいられるわけではないけど。
世の中には、やりたくないことをやりたくねえなあと言いながら続けている人が多いと思う。
もちろんどんな仕事や趣味であっても、プロセスの中にやりたくないことは必ずある。
また、楽しそうと思って飛び込んだ環境が楽しくないものに変わってしまったり、抜け出したくても抜け出せない場合も多い。
自分は状況を変えたくて仕方なかった最初の会社を、体調を崩してぶっ倒れて退職するということでしか、どうにかできなかった。
でもできるならば、弱音は日記かSNSに吐き出す程度に留めておいた方がいいと思う。
人のテンションは伝播する。
だから、なるべく良いものに囲まれていたい。
そして、自分のテンションを下げるものに対して冷静に目を瞑る賢さをおれは持っていたい。
SNS、特にTwitterを見ていると、見なければいいものをわざわざ見に行って怒っている人が多いなあと感じる。
浮気をされたとかフェミがなにとか街にヤバい人がいたとか、そういうのばっか出てくる。
広告で流れてくる漫画の内容も、胸糞系というか、ドロドロ系というか、そんなものばっかりで、実際に需要はあってお金になるんだろうなあ
怒りって、一種の自己正当化だ。
だから、怒りたいという欲求って確実にあるのだろう。
でも誰かを否定してアイツよりはマシだと、相対的な自分の正しさを主張することでしか自分を満たせない人は、しんどいだろうね。
まとめ系のアカウントで、「ほらみんなが怒れそうなネタを用意してあげたよ。好きなだけ怒ってごらん。自分はネタを提供しただけでどこにも加担しないけどね」というスタンスのやつが多くて本当に最悪だ。
テレビや週刊誌だって昔からそういうことをしている。
そこに尊厳や人間の感情に対する配慮というものが見えることはほとんどなくて、本当にフェアなスタンスを保ってるケースは皆無だと思う。
そういうもので収益を得ることの価値って、自分にはよくわからない。
何をするにしたって明るく楽しい方が良い。
これは自分が絶対に根暗に分類される人間だからこそ思うことだ。
先日フリースクールでの弁論大会の審査員をやる機会があって、それがめちゃくちゃ刺激的だった。
弁論を披露してくれた高校生たちは通信制高校に通っていて、何らかの理由で学校に行かなくなった経験を持っている。
不登校容認論もいくらか台頭してきたとはいえ、学校に行けなかった自分に全くコンプレックスの無い子は少ない。
情報社会の影響は大きい。自分が高校生だったときよりもずっとSNSが発達していて、彼らには他者の視線が絶え間なく注がれていて、「どうふるまうか・どう見られるか」というのが大人たちの想像が及ばないくらい彼らの中で大きな問題になっている。
そして彼らは、大卒からの就職というメジャールート(日本の大学進学率は60%だから実はそんなにメジャーではないのだが)に乗った人たちよりもずっと、将来のことを真剣に考えている。
だから、大半の人にとってでさえ流動的で先行きの見えないこの社会で生きていくことが、彼らにとってなおさらイージーゲームでは無いということを、彼らはしっかりと認識している。
そんな彼らがこれまでの人生と真摯に向き合い、紡ぎ出された彼ら自身の言葉で、声を震わせながらも自らを物語っている姿を見て、おれは何の涙か分からないが何度も涙ぐんでしまったし、彼らのそういう真摯さを目の当たりにして、アドレナリンがドバドバ分泌されるのを感じて、なんというか、大袈裟にいうと、生きていく力を受け取った気がする。
自分と向き合うって残酷でとてもつらいことだと思う。
しかも自分というものも変わり続けるから、いわゆる自己分析というものには、たぶん終わりがない。
自分を知ることから逃げて、所与のキャラに逃げ込むこともできる。実際おれもずっとそうしてきたと思う。
でもそれは自分じゃない誰かを演じているということだから、どこかでしんどくなるし、その道で開花することはありえないんだよね。
自分が高校生のとき、自分のことなんて全然知らなかったなと思う。
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アドレナリンが出る出来事といえば、先日、試験監督の仕事をした。
留学生が日本の大学に入るためのセンター試験みたいなもので、当たり前だが、みんなガチだ。
そこにいる人がみんなガチでやってる場所の空気って、なんというか、熱を帯びつつ澄み渡っていて、純度が高くて、居心地が良い。
こういう空気を久しぶりに吸ったなあと思う。
高校3年生のとき、7時過ぎに学校について自習室で勉強するのが好きだった。
あそこにいた人たちはみんな同志だと思っていた。
大学生のとき、授業は必ず前から3列目以内に座るようにしていた。
単純に空いていて快適というのも大きい。
何より士気の高い人たちに囲まれて自分も臨戦態勢にあることが心地よかった。
いまでも、ジムでストイックに鍛えているゴリゴリの人に囲まれたりするのが好きだ。
こうしてみると自分はわりと向上心のある方だと思う。
いつも前向きでいられるわけではないけど。
世の中には、やりたくないことをやりたくねえなあと言いながら続けている人が多いと思う。
もちろんどんな仕事や趣味であっても、プロセスの中にやりたくないことは必ずある。
また、楽しそうと思って飛び込んだ環境が楽しくないものに変わってしまったり、抜け出したくても抜け出せない場合も多い。
自分は状況を変えたくて仕方なかった最初の会社を、体調を崩してぶっ倒れて退職するということでしか、どうにかできなかった。
でもできるならば、弱音は日記かSNSに吐き出す程度に留めておいた方がいいと思う。
人のテンションは伝播する。
だから、なるべく良いものに囲まれていたい。
そして、自分のテンションを下げるものに対して冷静に目を瞑る賢さをおれは持っていたい。
SNS、特にTwitterを見ていると、見なければいいものをわざわざ見に行って怒っている人が多いなあと感じる。
浮気をされたとかフェミがなにとか街にヤバい人がいたとか、そういうのばっか出てくる。
広告で流れてくる漫画の内容も、胸糞系というか、ドロドロ系というか、そんなものばっかりで、実際に需要はあってお金になるんだろうなあ
怒りって、一種の自己正当化だ。
だから、怒りたいという欲求って確実にあるのだろう。
でも誰かを否定してアイツよりはマシだと、相対的な自分の正しさを主張することでしか自分を満たせない人は、しんどいだろうね。
まとめ系のアカウントで、「ほらみんなが怒れそうなネタを用意してあげたよ。好きなだけ怒ってごらん。自分はネタを提供しただけでどこにも加担しないけどね」というスタンスのやつが多くて本当に最悪だ。
テレビや週刊誌だって昔からそういうことをしている。
そこに尊厳や人間の感情に対する配慮というものが見えることはほとんどなくて、本当にフェアなスタンスを保ってるケースは皆無だと思う。
そういうもので収益を得ることの価値って、自分にはよくわからない。
何をするにしたって明るく楽しい方が良い。
これは自分が絶対に根暗に分類される人間だからこそ思うことだ。
