朝ドラ、想像力
公開 2024/05/20 11:00
最終更新
2024/05/21 10:36
歴史が苦手だった。
小学生の頃は、自主学習ノートに偉人についてまとめて提出していたし、
中学生の頃はテストや受験で問われることくらいはほぼ完璧に覚えていた。
でも高校に入るとダメになった。歴史ガチ勢がたくさんいて、そういう好きでやってる人にはテストでも敵わないと思ってしまったし、日本史や世界史は普通に毎回12点とかで、単位を落とさない最低限の勉強しかしなくなった。
昔の人の生活や文化に別に興味は湧かなかったし、こんな事件や戦争があったと言われても、今の自分の生活に関係ないじゃんと思ってしまう。
政治経済も歴史同様に苦手だった。
大人たちがやってるそういう小難しいことは、直接自分に影響しない。
税金が上がろうが政権が代わろうが、当時の自分の最重要課題は彼女との関係とか、100m走どうやってコンマ1秒削ろうとかであって、大人たちの世界がどうであろうが知ったこっちゃねえーよという感じだった。
「現代社会」というフレーズにリアリティを一切感じられなかった。
一方、大学に入ったあと社会学には関心が持てた。
まあ、自分が面白いと思ったのは「自己責任」「構造主義」「自己物語」「後期近代社会」などのトピック、幅広い社会学の中のほんの一部、ギデンズ系譜だけ。
10代後半以降の自分は、両親の不仲で家庭が分散しかけたり、友達との関係がうまくいかなくなったり、身体的コンプレックスを抱えるようになったりのめちゃくちゃしんどい時期で、漠然とした「生きづらさ」を抱えていたから、
そんな自分の問題を解決し得るような、いや解決はせずとも少なくとも俎上に載せて語ってくれるような社会学というものは、自分ごとに感じられて自然と関心が向いた。
良くも悪くも自分の問題で精一杯で、「他人ごと」にまで目を向ける余裕がなかったのだと思う。もっぱら自分の問題を解決してくれそうなものだけ手に取っていた。
朝ドラを見ている。
本来なら、昭和モリモリの衣装やセットを一目見るだけで「歴史モノじゃん」ってアレルギーが出て距離を置いていただろうし
あからさまに社会問題を投げかけていること自体に冷めて?しまったり「説教くさい」と嫌厭していたと思う。
伊藤沙莉たち俳優の魅力か、脚本の良さか、もしくは自分の受け入れ態勢が知らないうちに整っていたのか、わからないけど、すごく引き込まれた。
そして自然と、世の女性たちを取り巻くさまざまなことについて、自分が男だからといってもはや無関心ではいられなくなった。
制作陣、すごいよ。
自分は2分の1の確率で(生物学的)男を引いただけだなあと思う。
それがラッキーとかそういう話ではないけれど、男であるゆえに経験しない辛さは確実にある。
生理の痛みも、支える役割を期待されることのしんどさも、「女のくせに」と言われることの悲しみも、自分は経験しない。
権利の面ではだいぶ状況が変わったのだろうけど、
日常の中で身の回りの女性に(女性であるというだけで)無意識に期待したり押し付けたりしている規範が、自分にもあるのだと思う。
たとえば自分はいま実家暮らしだから、7時に起きれば既に洗濯機が回っていて、毎日お願いをしなくても母親が朝食を用意してくれる。
全然当たり前じゃないよなあ。
結婚する同級生がかなり増えたけど、二十数年使ってきた名字が変わるのってどんな気持ちなんだろう。
突然「主人(あるじ⁉)」が自分にできて、「奥さん(奥のひと⁉)」とか「家内(!!??)」とか呼ばれる気持ちってどんなだろう。
逆に将来自分は、あるじになって、家にいるひとができて、へっへーんという感じになるのだろうか。
去年丸1年間個人事業主として完全に独りで仕事をしてきて気付いたけれど、人間はどう転んだって社会的動物だ。
つながりを求め、つながりがなければ生きられない動物。
そしてコミュニティの中で生きるということは、ある程度の責務を果たしていかなければいけないということ。(大きく捉えれば国や国際社会だってひとつのコミュニティだ)
だって、自分が当事者じゃないのは、本当にたまたまなんだから。
たまたま男として生まれてきたし、たまたま現代の東京に爆弾が降ってこないし、たまたま生活が困窮していないし、たまたま虐げられていないだけ。
現在進行形で起こっている世の中の出来事や、過去の出来事について、当事者意識を持てるようになりたい。
いや、当事者意識が芽生えない遠く離れた事柄であろうと、想像力をフルに発揮して、自分の立場で出来ることを行動に移していける賢さを持ちたい。
悲しいニュースに心を痛めて涙を流す人を尊いと思う。
きっとその人だって、自分の身の回りのことがすべて順調というわけではないんだろう。
心が弱っているとき、人は他人の悲しみに感情移入しやすいと聞く。
それでも他人事と放置せず、ちゃんと目を向けて心を痛めることができる人は、本当に優しい人だと思う。大好きだ。
でも、自分のことで精一杯なときは、情報を遮断して、自分自分になってもいいと思う。
シャンパングラスの法則っていうんだっけ。
自分(シャンパンタワーの一番上のグラス)が満たされていないと、他人を満たしてあげることはできない。
まずは自分が幸せになるべきだ。それは間違いない。
今、自分にはすこしキャパがある。
元気なときこそ、冷静にやるべきことを判断して実行できる。
知ることから始めていきたい。
小学生の頃は、自主学習ノートに偉人についてまとめて提出していたし、
中学生の頃はテストや受験で問われることくらいはほぼ完璧に覚えていた。
でも高校に入るとダメになった。歴史ガチ勢がたくさんいて、そういう好きでやってる人にはテストでも敵わないと思ってしまったし、日本史や世界史は普通に毎回12点とかで、単位を落とさない最低限の勉強しかしなくなった。
昔の人の生活や文化に別に興味は湧かなかったし、こんな事件や戦争があったと言われても、今の自分の生活に関係ないじゃんと思ってしまう。
政治経済も歴史同様に苦手だった。
大人たちがやってるそういう小難しいことは、直接自分に影響しない。
税金が上がろうが政権が代わろうが、当時の自分の最重要課題は彼女との関係とか、100m走どうやってコンマ1秒削ろうとかであって、大人たちの世界がどうであろうが知ったこっちゃねえーよという感じだった。
「現代社会」というフレーズにリアリティを一切感じられなかった。
一方、大学に入ったあと社会学には関心が持てた。
まあ、自分が面白いと思ったのは「自己責任」「構造主義」「自己物語」「後期近代社会」などのトピック、幅広い社会学の中のほんの一部、ギデンズ系譜だけ。
10代後半以降の自分は、両親の不仲で家庭が分散しかけたり、友達との関係がうまくいかなくなったり、身体的コンプレックスを抱えるようになったりのめちゃくちゃしんどい時期で、漠然とした「生きづらさ」を抱えていたから、
そんな自分の問題を解決し得るような、いや解決はせずとも少なくとも俎上に載せて語ってくれるような社会学というものは、自分ごとに感じられて自然と関心が向いた。
良くも悪くも自分の問題で精一杯で、「他人ごと」にまで目を向ける余裕がなかったのだと思う。もっぱら自分の問題を解決してくれそうなものだけ手に取っていた。
朝ドラを見ている。
本来なら、昭和モリモリの衣装やセットを一目見るだけで「歴史モノじゃん」ってアレルギーが出て距離を置いていただろうし
あからさまに社会問題を投げかけていること自体に冷めて?しまったり「説教くさい」と嫌厭していたと思う。
伊藤沙莉たち俳優の魅力か、脚本の良さか、もしくは自分の受け入れ態勢が知らないうちに整っていたのか、わからないけど、すごく引き込まれた。
そして自然と、世の女性たちを取り巻くさまざまなことについて、自分が男だからといってもはや無関心ではいられなくなった。
制作陣、すごいよ。
自分は2分の1の確率で(生物学的)男を引いただけだなあと思う。
それがラッキーとかそういう話ではないけれど、男であるゆえに経験しない辛さは確実にある。
生理の痛みも、支える役割を期待されることのしんどさも、「女のくせに」と言われることの悲しみも、自分は経験しない。
権利の面ではだいぶ状況が変わったのだろうけど、
日常の中で身の回りの女性に(女性であるというだけで)無意識に期待したり押し付けたりしている規範が、自分にもあるのだと思う。
たとえば自分はいま実家暮らしだから、7時に起きれば既に洗濯機が回っていて、毎日お願いをしなくても母親が朝食を用意してくれる。
全然当たり前じゃないよなあ。
結婚する同級生がかなり増えたけど、二十数年使ってきた名字が変わるのってどんな気持ちなんだろう。
突然「主人(あるじ⁉)」が自分にできて、「奥さん(奥のひと⁉)」とか「家内(!!??)」とか呼ばれる気持ちってどんなだろう。
逆に将来自分は、あるじになって、家にいるひとができて、へっへーんという感じになるのだろうか。
去年丸1年間個人事業主として完全に独りで仕事をしてきて気付いたけれど、人間はどう転んだって社会的動物だ。
つながりを求め、つながりがなければ生きられない動物。
そしてコミュニティの中で生きるということは、ある程度の責務を果たしていかなければいけないということ。(大きく捉えれば国や国際社会だってひとつのコミュニティだ)
だって、自分が当事者じゃないのは、本当にたまたまなんだから。
たまたま男として生まれてきたし、たまたま現代の東京に爆弾が降ってこないし、たまたま生活が困窮していないし、たまたま虐げられていないだけ。
現在進行形で起こっている世の中の出来事や、過去の出来事について、当事者意識を持てるようになりたい。
いや、当事者意識が芽生えない遠く離れた事柄であろうと、想像力をフルに発揮して、自分の立場で出来ることを行動に移していける賢さを持ちたい。
悲しいニュースに心を痛めて涙を流す人を尊いと思う。
きっとその人だって、自分の身の回りのことがすべて順調というわけではないんだろう。
心が弱っているとき、人は他人の悲しみに感情移入しやすいと聞く。
それでも他人事と放置せず、ちゃんと目を向けて心を痛めることができる人は、本当に優しい人だと思う。大好きだ。
でも、自分のことで精一杯なときは、情報を遮断して、自分自分になってもいいと思う。
シャンパングラスの法則っていうんだっけ。
自分(シャンパンタワーの一番上のグラス)が満たされていないと、他人を満たしてあげることはできない。
まずは自分が幸せになるべきだ。それは間違いない。
今、自分にはすこしキャパがある。
元気なときこそ、冷静にやるべきことを判断して実行できる。
知ることから始めていきたい。
