ボトラー
公開 2024/06/08 00:13
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"意識"というものが、人間のものだけで80億同時にこの世に存在しているということが、いまだによくわからない。
すべての人間がそれぞれの人生の主人公で、それぞれ思ったり感じたりしている、ということは、どこまでいっても腹落ちせず、結局は信じるしかない。
あなたという存在は実は私が見ているただの映像であるという可能性を、はたして本当に否定できるのだろうか。
、、、
この世に80億人分の意識があるとして、
私が考えたり感じたりすることを、他の誰かは同じように考えたり感じたりしない、ということが、やはり、よくわからない。
相手の立場で考えよう、というとき
自分ならどう思うかを起点に、相手の個性、境遇、自分との差異を加味して軌道修正をしながら、それっぽい結論を目指していく。
または、こういうタイプの人はこういう傾向があると、量的に、実感を伴わない形で、科学と自分の経験に対する信頼を前提に、理論上、自分を納得させている。
でも完全なシンクロはない。
他人のことをわかった気になれれば御の字で、だからこそ、所詮他人のことはわからないという謙虚さを持っていないと、私たちはいとも簡単に暴力性を持ってしまう。
甲の薬は乙の毒ーーー
「みんな自分の人生で精一杯、お前が思うほど誰もお前のことを気にしてない(から、やりたいようにやれ)」と言う人は多いけど、この言葉、あまりピンとこない。
だって自分の場合、尊敬する人や自分と関わった人のことを考えている時間はすごく長いと思うから。
まあ、考えていることといえば
あの人ならこの問題にどう対処するだろうとか
自分があの人にどんな影響を与え(てしまっ)ただろうかとかで、
結局は他人を通して自分を見ているのかもしれないが。
ともかく、この種の言説に納得する人は多いようだ。
自分はそう思わないが、多くの人がそう思えるらしい。
だからこの言説は、自分にとって実感が湧かないまま、真であると無理矢理納得して過ごした方が、いろいろ生活が楽になるんだろうと思う。
他人のものさしで世界を見るというのはとても難しい。

長澤知之のボトラーという曲は、
ボトラー(トイレにいくのが億劫でペットボトルで用を足す人)がそのヤバい行為を部屋の外の誰からも見られないように、他人は自分のことなんて気にしていないから、ありのままで生きていけよ、という一種の応援歌だと思う。
話が逸れるけどこのGIFTというアルバム、「ボトラー」「舌」「無題」と比喩的・抽象的タイトルが多い中、7曲中4曲目のド真ん中に「君だけだ」というドストレートのラブソングが鎮座しているところ、めちゃくちゃ好き。

おれは最近、他人からの視線に囚われずに生きていくために、街ですれ違う人に声を掛けるというチャレンジをしている。
(このブログを始めたのにもそういう意味合いがある。どう思われるかを気にせずに書きたいことを書くということ)
挨拶とか、天気の話とか、ちょっと褒めてみるとか、大したことはしてないのだけど
やっぱり「話しかけたら変人と思われるかな」という妄想はなかなか手放せない。
たいていの人は、おれのことなんてすぐに忘れるそうだけど。
自分のものさしを捨てるのって難しいなあ
はやく、ボトラーになりたい(語弊がある)
すべての人間がそれぞれの人生の主人公で、それぞれ思ったり感じたりしている、ということは、どこまでいっても腹落ちせず、結局は信じるしかない。
あなたという存在は実は私が見ているただの映像であるという可能性を、はたして本当に否定できるのだろうか。
、、、
この世に80億人分の意識があるとして、
私が考えたり感じたりすることを、他の誰かは同じように考えたり感じたりしない、ということが、やはり、よくわからない。
相手の立場で考えよう、というとき
自分ならどう思うかを起点に、相手の個性、境遇、自分との差異を加味して軌道修正をしながら、それっぽい結論を目指していく。
または、こういうタイプの人はこういう傾向があると、量的に、実感を伴わない形で、科学と自分の経験に対する信頼を前提に、理論上、自分を納得させている。
でも完全なシンクロはない。
他人のことをわかった気になれれば御の字で、だからこそ、所詮他人のことはわからないという謙虚さを持っていないと、私たちはいとも簡単に暴力性を持ってしまう。
甲の薬は乙の毒ーーー
「みんな自分の人生で精一杯、お前が思うほど誰もお前のことを気にしてない(から、やりたいようにやれ)」と言う人は多いけど、この言葉、あまりピンとこない。
だって自分の場合、尊敬する人や自分と関わった人のことを考えている時間はすごく長いと思うから。
まあ、考えていることといえば
あの人ならこの問題にどう対処するだろうとか
自分があの人にどんな影響を与え(てしまっ)ただろうかとかで、
結局は他人を通して自分を見ているのかもしれないが。
ともかく、この種の言説に納得する人は多いようだ。
自分はそう思わないが、多くの人がそう思えるらしい。
だからこの言説は、自分にとって実感が湧かないまま、真であると無理矢理納得して過ごした方が、いろいろ生活が楽になるんだろうと思う。
他人のものさしで世界を見るというのはとても難しい。

長澤知之のボトラーという曲は、
ボトラー(トイレにいくのが億劫でペットボトルで用を足す人)がそのヤバい行為を部屋の外の誰からも見られないように、他人は自分のことなんて気にしていないから、ありのままで生きていけよ、という一種の応援歌だと思う。
イヤホンコードのもつれを直す朝
意地悪に絡まってやがるから 誰かの顔浮かんできてる
空回って絡まって いっそちぎりそう
思いだし怒りを飲み殺す夜
酔ったまま寝ちゃって自然が呼ぶ
だけどベッドから出ると消えてしまいそう
正気になっちゃダメだ そう壊れそう
いいやあるがままここはあるがままでいいや
コードなんか買えばいいし とっくにボトラーなんだから
これは俺の映画なんだから
何我慢してんだろ ボトルはお前自身さ
何我慢してんだろ 誰が見るというんだ
もうあるがまま ここはあるがままでいいや
壁なんかもうないんだ とっくにボトラーなんだから
これは俺の映画なんだから
ボトルは俺自身かい そうだ お前自身だ
くたばりきるまで いばり散らす道だ
でも誰が見るというんだ 誰が見るというんだ
一体どこで誰が
自然が呼ぶ
一体どこで誰が
誰が見るというんだ
ボトラー/長澤知之
話が逸れるけどこのGIFTというアルバム、「ボトラー」「舌」「無題」と比喩的・抽象的タイトルが多い中、7曲中4曲目のド真ん中に「君だけだ」というドストレートのラブソングが鎮座しているところ、めちゃくちゃ好き。

おれは最近、他人からの視線に囚われずに生きていくために、街ですれ違う人に声を掛けるというチャレンジをしている。
(このブログを始めたのにもそういう意味合いがある。どう思われるかを気にせずに書きたいことを書くということ)
挨拶とか、天気の話とか、ちょっと褒めてみるとか、大したことはしてないのだけど
やっぱり「話しかけたら変人と思われるかな」という妄想はなかなか手放せない。
たいていの人は、おれのことなんてすぐに忘れるそうだけど。
自分のものさしを捨てるのって難しいなあ
はやく、ボトラーになりたい(語弊がある)

