空
公開 2024/05/27 19:34
最終更新
2024/06/07 09:15
ここ1週間、調子が悪い。
先週の日曜日に大きく自信を損なう出来事があって、そこから自分に何を与えてあげれば自分が満たされるのかずっとわからないでいる。
節制のない生活になっているし、自分との約束を全然守れていない。
あげくのはてには大昔の恋人の夢を毎日見て、ぬるま湯に似た心地よさと最悪な自己嫌悪で目が覚めてを繰り返している。
文字にしてみたらあまりにも惨めったらしくて、笑うしかない、、
つくづく、良いときは全てが上手くいき、悪いときは全てが悪くなると思う。
自分のモードというか、解釈の問題なんだろう。
世界を見る眼鏡や窓が、曇っていたりピカピカだったりの違いなんだろうとは思う。
今日は仕事が夕方までないので、朝ジムで運動して(フィジカルの調子も悪い)、雨が降る前にと思って近くのデカい公園を歩いた。






空と一体になった作品を見るとあっ!となって、長澤知之が彫刻家カール・ミレスの作品「神の手」が好きだということを思い出す。
神の手はいろんなところで見たことがある。
初めて見たのは、メルボルンのデカい公園(キングス・ドメイン)内にある野外音楽堂的な施設のそば。


関係ないけどメルボルンで過ごした日々は本当に最高だった。
カフェとアートの街、水と緑の豊かな都会という感じで本当に居心地がよかった。

箱根彫刻の森美術館にも神の手がある。



同じくカールミレスの「人とペガサス」もある。
この時はたまたま霧が出ていたんだろうか?
これは新卒で入ったハウスメーカーで藤沢に住んでいた頃、不動産特有の空気と初めての社会人生活に毎日息が詰まって詰まって仕方がなくて、本当に毎週箱根へ行って癒しを求めていたときのだ。。
この写真はあの頃の心象風景そのものだと思う、見てるだけで動悸がする笑
あと長澤知之が見ていたであろう九大病院の神の手も見に行った。

去年のトラス(長澤知之×小山田壮平×石崎ひゅーい)で福岡にいったとき。
空が見えない場所は不安になる。
前に京都行きの夜行バスで通路側に座ったとき、夜行バスって全く窓の外を見れないから、ふいに「このまま船に乗せられてどこか連れてかれるんじゃないか」とか「いまぶつかりそうなくらい前の車と距離が近いんじゃないか」とかが頭によぎって、それを考え出したらめちゃくちゃに不安になってヤバかったことがある。
カーテンを開けてちゃんと状況を確認したいけどできないし(窓側であろうと開けられないつくりのカーテンが多い)、心臓がバクバクになって呼吸も荒くなって、「やばいこのまま死ぬかも」と本気で思ってガチパニックだった。
どうやってやり過ごしたのか覚えてない、、
とにかくそれがトラウマになって、それ以降窓のないホテルとか、狭いカラオケボックスとかが無理になってしまった。
いわゆる閉所恐怖症だと思う。
こないだ3列シートの窓側で大阪から帰ってきたときは疲れすぎて爆睡したので何ともなかったっけ、、
克服してきているのかもしれない。
青空は大好きだ。
自分のメンタルは、露骨に空模様の影響を受ける。
快晴の日はそれだけで生命力がみなぎってきて、ポジティブを保って1日のタスクに取り掛かれることが多い。
大学生のときすんでいたつくばという街には、電柱と電線がない。
「つくば市無電柱化条例」というのがあって、電線はすべて地中に埋まっている。
しかも景観を守るために建物の高さも一定以下になっている(おれは宅建士でほんのちょっとだけ建築に明るいのだ)。
さらに、関東平野のど田舎だから土地は田んぼばかりで、ぺったーんとしている。
だから、空が広い。


今日みたいな曇り空の日には、気が滅入ってしまうので、むしろ空を見ないで淡々と仕事を進めたり、物語の世界へ逃げ込むことが多い。
ところで朝ドラというのは、1日の始まりに見る人が多いから爽やかに送り出せるようにか、綺麗な空の描写が多いね。
ありがたい。
夕方の空も好きだ。



これは京都の禅寺で宿坊をしていたとき、坐禅の休憩時間に撮った夕焼け。
厳しい修行のおわりに、1日おつかれさまと言ってくれているような空。
こんな夕焼けを見れるのは今日頑張ったご褒美だなあと思える。
最近も綺麗な夕焼けが多くて嬉しい。まあ、夕焼けの時間は大体屋内にいて見られないんだけど。
夜空はあまり好きではない。
夜の曇り空は昼よりも閉塞感があるし、
星空を眺めていると自然と考え事をしてしまって、しかも夜の考え事はたいてい良い方向にいかない。
むしろできることなら毎日22時には寝て、朝陽を拝みに早起きしたい。
明け方の空は一番好きな空だ。

街が起きる前、太陽が昇る前に起きられた朝は最高。
帽子をかぶってサンダルを履いて、コンビニでコーヒーを買って朝焼けを眺める。
そんなことができた朝は、なんでもうまくいきそうな気がする。
自分の機嫌は、自分でとれたらそれが一番良い。
好きなものに触れたり、自分の成長を喜んだりすることで自分を満たしていけるのであれば、それはとても健康的なことだと思うし、自立とはそういうことだと思う。
でもどうしても、おれは他人の承認にすがってしまう。
昨日、公園のベンチに座って電話をしているおじいさんがはっきり「愛してるよ」と言っていた。
すげえな、人生で一度も言ったことのない言葉だな、と思った。
通話相手が連れ合いの人なのか、子どもなのか孫なのか、はたまた愛人なのか、
そして愛してるという言葉に対してどんな言葉が返ってきたのかをおれは知らない。
もし、そんなことを伝えてくれる人がこれから自分に現れたとして、実際そういう言葉や人を求めてはいるけれど、
それをしっかり受け取る事ができて、自分が満たされるのかは、やはりわからない。
なんとも傲慢で自分勝手なことを言っていると思う。
そういう考えがよぎるとき、自分もまた誰かにとってのどうにもならない他人であるということを強く思い出す。
他者というものは、自分に大きく影響してくるくせに、本当にどうにもならない。
それは空も同じことだと思う。
好きな空がいつでも見られるわけじゃない。
それでも空は、自分のメンタルに強く強く影響を与える。
どうにもならないものが、気まぐれに自分が望むようになっているとき。
それが永遠にその状態であるなんて幻想はもつべきではない。
でも少なくともその時は、本当に最高な気分になる。
そしてその記憶を大事にしながら、いつか過去よりも良いものに出会えますようにと、望みながら生きていける。
先週の日曜日に大きく自信を損なう出来事があって、そこから自分に何を与えてあげれば自分が満たされるのかずっとわからないでいる。
節制のない生活になっているし、自分との約束を全然守れていない。
あげくのはてには大昔の恋人の夢を毎日見て、ぬるま湯に似た心地よさと最悪な自己嫌悪で目が覚めてを繰り返している。
文字にしてみたらあまりにも惨めったらしくて、笑うしかない、、
つくづく、良いときは全てが上手くいき、悪いときは全てが悪くなると思う。
自分のモードというか、解釈の問題なんだろう。
世界を見る眼鏡や窓が、曇っていたりピカピカだったりの違いなんだろうとは思う。
今日は仕事が夕方までないので、朝ジムで運動して(フィジカルの調子も悪い)、雨が降る前にと思って近くのデカい公園を歩いた。






空と一体になった作品を見るとあっ!となって、長澤知之が彫刻家カール・ミレスの作品「神の手」が好きだということを思い出す。
神の手はいろんなところで見たことがある。
初めて見たのは、メルボルンのデカい公園(キングス・ドメイン)内にある野外音楽堂的な施設のそば。


関係ないけどメルボルンで過ごした日々は本当に最高だった。
カフェとアートの街、水と緑の豊かな都会という感じで本当に居心地がよかった。

箱根彫刻の森美術館にも神の手がある。



同じくカールミレスの「人とペガサス」もある。
この時はたまたま霧が出ていたんだろうか?
これは新卒で入ったハウスメーカーで藤沢に住んでいた頃、不動産特有の空気と初めての社会人生活に毎日息が詰まって詰まって仕方がなくて、本当に毎週箱根へ行って癒しを求めていたときのだ。。
この写真はあの頃の心象風景そのものだと思う、見てるだけで動悸がする笑
あと長澤知之が見ていたであろう九大病院の神の手も見に行った。

去年のトラス(長澤知之×小山田壮平×石崎ひゅーい)で福岡にいったとき。
空が見えない場所は不安になる。
前に京都行きの夜行バスで通路側に座ったとき、夜行バスって全く窓の外を見れないから、ふいに「このまま船に乗せられてどこか連れてかれるんじゃないか」とか「いまぶつかりそうなくらい前の車と距離が近いんじゃないか」とかが頭によぎって、それを考え出したらめちゃくちゃに不安になってヤバかったことがある。
カーテンを開けてちゃんと状況を確認したいけどできないし(窓側であろうと開けられないつくりのカーテンが多い)、心臓がバクバクになって呼吸も荒くなって、「やばいこのまま死ぬかも」と本気で思ってガチパニックだった。
どうやってやり過ごしたのか覚えてない、、
とにかくそれがトラウマになって、それ以降窓のないホテルとか、狭いカラオケボックスとかが無理になってしまった。
いわゆる閉所恐怖症だと思う。
こないだ3列シートの窓側で大阪から帰ってきたときは疲れすぎて爆睡したので何ともなかったっけ、、
克服してきているのかもしれない。
青空は大好きだ。
自分のメンタルは、露骨に空模様の影響を受ける。
快晴の日はそれだけで生命力がみなぎってきて、ポジティブを保って1日のタスクに取り掛かれることが多い。
大学生のときすんでいたつくばという街には、電柱と電線がない。
「つくば市無電柱化条例」というのがあって、電線はすべて地中に埋まっている。
しかも景観を守るために建物の高さも一定以下になっている(おれは宅建士でほんのちょっとだけ建築に明るいのだ)。
さらに、関東平野のど田舎だから土地は田んぼばかりで、ぺったーんとしている。
だから、空が広い。


今日みたいな曇り空の日には、気が滅入ってしまうので、むしろ空を見ないで淡々と仕事を進めたり、物語の世界へ逃げ込むことが多い。
ところで朝ドラというのは、1日の始まりに見る人が多いから爽やかに送り出せるようにか、綺麗な空の描写が多いね。
ありがたい。
夕方の空も好きだ。



これは京都の禅寺で宿坊をしていたとき、坐禅の休憩時間に撮った夕焼け。
厳しい修行のおわりに、1日おつかれさまと言ってくれているような空。
こんな夕焼けを見れるのは今日頑張ったご褒美だなあと思える。
最近も綺麗な夕焼けが多くて嬉しい。まあ、夕焼けの時間は大体屋内にいて見られないんだけど。
夜空はあまり好きではない。
夜の曇り空は昼よりも閉塞感があるし、
星空を眺めていると自然と考え事をしてしまって、しかも夜の考え事はたいてい良い方向にいかない。
むしろできることなら毎日22時には寝て、朝陽を拝みに早起きしたい。
明け方の空は一番好きな空だ。

街が起きる前、太陽が昇る前に起きられた朝は最高。
帽子をかぶってサンダルを履いて、コンビニでコーヒーを買って朝焼けを眺める。
そんなことができた朝は、なんでもうまくいきそうな気がする。
自分の機嫌は、自分でとれたらそれが一番良い。
好きなものに触れたり、自分の成長を喜んだりすることで自分を満たしていけるのであれば、それはとても健康的なことだと思うし、自立とはそういうことだと思う。
でもどうしても、おれは他人の承認にすがってしまう。
昨日、公園のベンチに座って電話をしているおじいさんがはっきり「愛してるよ」と言っていた。
すげえな、人生で一度も言ったことのない言葉だな、と思った。
通話相手が連れ合いの人なのか、子どもなのか孫なのか、はたまた愛人なのか、
そして愛してるという言葉に対してどんな言葉が返ってきたのかをおれは知らない。
もし、そんなことを伝えてくれる人がこれから自分に現れたとして、実際そういう言葉や人を求めてはいるけれど、
それをしっかり受け取る事ができて、自分が満たされるのかは、やはりわからない。
なんとも傲慢で自分勝手なことを言っていると思う。
そういう考えがよぎるとき、自分もまた誰かにとってのどうにもならない他人であるということを強く思い出す。
他者というものは、自分に大きく影響してくるくせに、本当にどうにもならない。
それは空も同じことだと思う。
好きな空がいつでも見られるわけじゃない。
それでも空は、自分のメンタルに強く強く影響を与える。
どうにもならないものが、気まぐれに自分が望むようになっているとき。
それが永遠にその状態であるなんて幻想はもつべきではない。
でも少なくともその時は、本当に最高な気分になる。
そしてその記憶を大事にしながら、いつか過去よりも良いものに出会えますようにと、望みながら生きていける。
真っ青な空がある
それだけで最高さ
誰かに期待しすぎない
望むのは空さ
知らないことはこわいかい/長澤知之
