花岡だった
公開 2024/07/04 20:22
最終更新
2024/07/04 20:22
安易にすごいね、と言うのはやめた方がいいかもしれないと思った。
誰かが好きでやってることや趣味に対してすごいね、と言うことは、単純に敬意を伝えるということにはなり得ないのかもしれない。
たとえば、不動産に勤めるAが、会社から宅建の資格を取れと言われる。
宅建士は営業所ごとに一定の人数がいれば事足りるから、取得していなくても個人の業務に支障が出ることはほとんどない。
国家資格である宅建に合格するための勉強時間は300時間以上、合格率は15%程度と言われている。
一方、合格したとしても資格手当は月の給料に数千円上乗せされる程度。
さらに重要事項説明の業務を、宅建を持っていない人の契約の分まで任されることになる。
だからAにとっては、うまみがほとんどない話である。
加えてAは勉強が得意ではなく、普通自動車免許以外の特筆すべき資格を持っていない。
けれど真面目なAは、不動産の激務の合間にオンライン講座を活用して勉強を積み続け、見事試験に合格する。
休みの日に2人でご飯に行き、そんなことがあったと話を聞かされる。
自分はAに反射的に「すごいね!!」と言うだろう。
たぶん、落ちてたとしても言うと思う。
Aの場合、受かろうが落ちようが、会社のためにやりたくもないことを真面目にやったという過程そのものがとても尊いもので、ましてやその努力に見合う報酬がないのならば、せめて称賛の言葉は存分に贈りたいとおれは思う。
その場でビール一杯くらい奢るかもしれない。
子どもの頃から映画が大好きで年間に何十回も映画館に通い、映画評論のブログを運営しているBがいるとする。
最近は自身が脚本を書き監督になって、短編映画を自主制作している。
Bは物事に対する知見が深く、誰にも侵されない自身の領域を持っていて、素直に「自分もこうありたい」と思わせてくれる魅力的な人である。
友達の紹介で自分とBは出会い、やはり休みの日にご飯に出かけ、初めてお互いの身の上話をする。
おれはBに、「そんなに映画が好きなんてすごいね、自分でもつくってるなんて尊敬しちゃうよ」という。
Bは、「そんなすごいものじゃないよ、好きでやってるだけだし」という。
「いやいやすごいことだって!おれは全然映画観ないし、好きなものを追求する姿勢がうんたらかんたら」
Bは照れたり謙遜したりしているのではなく、本当にそれがすごいことだと思っていないのだろう。
映画はBにとって当たり前にそばにあるものであり、褒められるようなことではないのだ。
褒めてくれてありがとうと言ってくれるが、心の中では嬉しい気持ちはそんなにない。
すごいね、と言葉にすることは
自分と相手の目線をフラットではないものにし、ひとつの断絶を生み出す行為なのかもしれない。
おれは起業したことを、周りの人からすごいね、とよく言われる。
けど、そのときに感じるのは嬉しいよりも「さみしい」である。
個人で働くことってそんなにみんなと違うことなのか。
この人とも住んでる世界は違うのだろうかと、勝手にいじけたりする。
こういうとき、なんて返せばいいんだろうといつも思う。
そんなことないですよ〜はなんとなく鼻につくかな?と思ったり
ありがとうございます‼︎嬉しいです‼︎は思ってもないことなので嘘っぽくなってしまうし
いやぁ、へへへ、どうも……ってなってる気がする(キモい)
もちろん、人が「すごいね」と言ってくれることを、自分は別にすごいと思ってないからといって他人にもやらせようとすると、嫌な奴になってしまうと思う。
たとえば掃除が得意なCさんがいて、掃除が苦手なDさんに「部屋が整っていてすごいね。私の部屋は全然片付かなくて」と言われる。
それに対してCは「掃除なんて簡単だよ!〇〇して△△したらすぐ片付くから、やってごらん」と言う。
後日Dは言われた通りに部屋の掃除を試みるけど、Cが言うようにはなかなか進まない。
「私はこんな簡単なこともできないのか」と意気消沈して、それからCさんと会うたびにだんだん自己肯定感が下がっていってしまう……。
だから自分も、起業なんて簡単っスよ!!会社辞めたいならさっさと辞めちゃって独立しちゃいましょう!!とかは言えない。(いや、言っちゃったかも…)
難しい。。。
逆に「すごいね」と言われたくないならば、自分はなんて言ってほしいのだろう。
たぶん、良い悪いとか、すごいすごくないとか、そういう意味付けの話は必要なくて
単純に興味を示してくれてあれこれ聞いてくれたら嬉しいな、と思う。
「え!俺も気になってたんだけど」とか
「その話めっちゃ興味ある!」とか言ってくれたら、嬉しくて気を許しちゃうだろうな
いい気になってベラベラ話して、気づかないうちにどこかで相手を傷つけるかもしれないが……
すごいね、と言ってくれる人はまあ本当にありがたいのだが、
いつだって同志がいることに勝る安心感はないと思う。
すごいね、と言って相手を見上げている限りは
相手はきっと完全には心を開いてくれないし
相手を理解すること(その傲慢さは置いといて)は難しいだろう。
そんなことを考えていたら、虎に翼の学生時代の花岡悟を思い出した。
彼の女性に対する一見紳士的な振る舞いの裏には、
法を学ぶ寅子たちが他とは違う"特別な女性"であるという前時代的な認識があった。
花岡は寅子たちを見下さないでやっている、つまり自分たち男子法学徒に確固とした自信を持っていたので
おれが花岡と同じだった、というのはそれこそ傲慢なのかもしれないが
フラットではない関係性を作り出してしまっていた、という点では、昔の嫌な花岡と同じだなあと思う。
正義感の強い人ほど
希望や夢を「与える」とか、
困難の中にある人を「支援する」とか言いがちな気がする。
言葉尻を捉えてるだけかもしれないが、
人間関係の綻びってこういうところから始まるんだろう。
言葉って難しいなあ。
誰かが好きでやってることや趣味に対してすごいね、と言うことは、単純に敬意を伝えるということにはなり得ないのかもしれない。
たとえば、不動産に勤めるAが、会社から宅建の資格を取れと言われる。
宅建士は営業所ごとに一定の人数がいれば事足りるから、取得していなくても個人の業務に支障が出ることはほとんどない。
国家資格である宅建に合格するための勉強時間は300時間以上、合格率は15%程度と言われている。
一方、合格したとしても資格手当は月の給料に数千円上乗せされる程度。
さらに重要事項説明の業務を、宅建を持っていない人の契約の分まで任されることになる。
だからAにとっては、うまみがほとんどない話である。
加えてAは勉強が得意ではなく、普通自動車免許以外の特筆すべき資格を持っていない。
けれど真面目なAは、不動産の激務の合間にオンライン講座を活用して勉強を積み続け、見事試験に合格する。
休みの日に2人でご飯に行き、そんなことがあったと話を聞かされる。
自分はAに反射的に「すごいね!!」と言うだろう。
たぶん、落ちてたとしても言うと思う。
Aの場合、受かろうが落ちようが、会社のためにやりたくもないことを真面目にやったという過程そのものがとても尊いもので、ましてやその努力に見合う報酬がないのならば、せめて称賛の言葉は存分に贈りたいとおれは思う。
その場でビール一杯くらい奢るかもしれない。
子どもの頃から映画が大好きで年間に何十回も映画館に通い、映画評論のブログを運営しているBがいるとする。
最近は自身が脚本を書き監督になって、短編映画を自主制作している。
Bは物事に対する知見が深く、誰にも侵されない自身の領域を持っていて、素直に「自分もこうありたい」と思わせてくれる魅力的な人である。
友達の紹介で自分とBは出会い、やはり休みの日にご飯に出かけ、初めてお互いの身の上話をする。
おれはBに、「そんなに映画が好きなんてすごいね、自分でもつくってるなんて尊敬しちゃうよ」という。
Bは、「そんなすごいものじゃないよ、好きでやってるだけだし」という。
「いやいやすごいことだって!おれは全然映画観ないし、好きなものを追求する姿勢がうんたらかんたら」
Bは照れたり謙遜したりしているのではなく、本当にそれがすごいことだと思っていないのだろう。
映画はBにとって当たり前にそばにあるものであり、褒められるようなことではないのだ。
褒めてくれてありがとうと言ってくれるが、心の中では嬉しい気持ちはそんなにない。
すごいね、と言葉にすることは
自分と相手の目線をフラットではないものにし、ひとつの断絶を生み出す行為なのかもしれない。
おれは起業したことを、周りの人からすごいね、とよく言われる。
けど、そのときに感じるのは嬉しいよりも「さみしい」である。
個人で働くことってそんなにみんなと違うことなのか。
この人とも住んでる世界は違うのだろうかと、勝手にいじけたりする。
こういうとき、なんて返せばいいんだろうといつも思う。
そんなことないですよ〜はなんとなく鼻につくかな?と思ったり
ありがとうございます‼︎嬉しいです‼︎は思ってもないことなので嘘っぽくなってしまうし
いやぁ、へへへ、どうも……ってなってる気がする(キモい)
もちろん、人が「すごいね」と言ってくれることを、自分は別にすごいと思ってないからといって他人にもやらせようとすると、嫌な奴になってしまうと思う。
たとえば掃除が得意なCさんがいて、掃除が苦手なDさんに「部屋が整っていてすごいね。私の部屋は全然片付かなくて」と言われる。
それに対してCは「掃除なんて簡単だよ!〇〇して△△したらすぐ片付くから、やってごらん」と言う。
後日Dは言われた通りに部屋の掃除を試みるけど、Cが言うようにはなかなか進まない。
「私はこんな簡単なこともできないのか」と意気消沈して、それからCさんと会うたびにだんだん自己肯定感が下がっていってしまう……。
だから自分も、起業なんて簡単っスよ!!会社辞めたいならさっさと辞めちゃって独立しちゃいましょう!!とかは言えない。(いや、言っちゃったかも…)
難しい。。。
逆に「すごいね」と言われたくないならば、自分はなんて言ってほしいのだろう。
たぶん、良い悪いとか、すごいすごくないとか、そういう意味付けの話は必要なくて
単純に興味を示してくれてあれこれ聞いてくれたら嬉しいな、と思う。
「え!俺も気になってたんだけど」とか
「その話めっちゃ興味ある!」とか言ってくれたら、嬉しくて気を許しちゃうだろうな
いい気になってベラベラ話して、気づかないうちにどこかで相手を傷つけるかもしれないが……
すごいね、と言ってくれる人はまあ本当にありがたいのだが、
いつだって同志がいることに勝る安心感はないと思う。
すごいね、と言って相手を見上げている限りは
相手はきっと完全には心を開いてくれないし
相手を理解すること(その傲慢さは置いといて)は難しいだろう。
そんなことを考えていたら、虎に翼の学生時代の花岡悟を思い出した。
彼の女性に対する一見紳士的な振る舞いの裏には、
法を学ぶ寅子たちが他とは違う"特別な女性"であるという前時代的な認識があった。
「君たちはどこまで特別扱いを望むんだ。男と同様に勉学に励む君たちを、僕たちは最大限敬い、尊重している。特別だと認めているだろ!」
「私たちは特別扱いされたいんじゃない。特別だから見下さないでやっている?自分がどれだけ傲慢か理解できないの?」
花岡は寅子たちを見下さないでやっている、つまり自分たち男子法学徒に確固とした自信を持っていたので
おれが花岡と同じだった、というのはそれこそ傲慢なのかもしれないが
フラットではない関係性を作り出してしまっていた、という点では、昔の嫌な花岡と同じだなあと思う。
正義感の強い人ほど
希望や夢を「与える」とか、
困難の中にある人を「支援する」とか言いがちな気がする。
言葉尻を捉えてるだけかもしれないが、
人間関係の綻びってこういうところから始まるんだろう。
言葉って難しいなあ。
