染む香り
公開 2026/02/16 22:16
最終更新
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MarieとLyonの追及は苛烈であることが予想され、身支度を整えながら漂流者はどうすればいいかなと頭を抱えた。
泣いて飛び出していったMarieと、壊れんばかりにドアを閉めていったLyon。
なぜそんなに感情むき出しに否定するのか。
そんなにRoatheのことが嫌いなんだろうか、と不思議に思う。
Roatheが本当に不快だと思うなら、あの二人はとうに命を失っていたに違いない。
だけどRoatheはそうしなかった。
彼らを尊重し、静かに生きてきただけだ。
ぶつぶつ言いながら支度をする漂流者を、ぼんやりと眺めていたRoatheだったが、どうも独り言を聞くにこの件について齟齬があるように思える。
説明をしに行く前に互いの意見をすり合わせねば紛糾することは間違いなく、嫌な予感しかしない。
「なぁ我が愛よ。お前なんであの二人が我に対してこの状況を許容できない態度を取ったのかわかってないだろう」
「え? Roatheのこと気にくわないからじゃないの??」
「……ふむ、では我の何が気にくわなくて怒りを露わにしたと思っているのだ?」
「えっと、いつも皮肉や嫌味言ったりするから??」
「そうか、よし……我も心の機微には疎い方だと思っていたが、我以上にお前はポンコツだということが分かった」
Roatheは目をつぶり天を仰いだ。
我ですらあの二人の気持ちが分かったというのに、なぜこんなにも理解できぬのか……。
長い時間をかけて歪んでいった自分に理解を示し、寸分の狂いなく欲しかった言葉をくれた心の機微を完全に読み取ってくれている漂流者。
この違いは何なのか。
自惚れでなければ──漂流者は我しか見ていない。
「いや、そんなまさか……」
思わず口から言葉がこぼれた。
漂流者は誰にでも同じ熱量で接しているように見えたし、だからこそもどかしくもあったのに……。
そんなうまい話があってたまるか、と気を引き締める。
世界は自分に優しくはない。
そのことをRoatheは厭というほど理解していた。
自分の幸福の追求など、頭の片隅にも残らなくなるほどに。
思考に没頭すると周りの音が消え、自分一人だけの寂寥とした世界に佇むイメージになる。
なのにそのイメージの中で初めて柔らかな陽だまりのような香りに、自分以外の気配を感じて思考が現在に引き戻される。
「まーた難しい顔して」
すぐ隣で寄り添う漂流者がそこにはいた。
Roatheの肩に頭を預け、思考の海に漕ぎ出した恋人を声もかけずにただ見守っていた。
「あぁ、少しな。考えていたのだ。なんというか、言葉にするのは難しいが聞いておきたい」
「うん、何でも聞いて」
「何を聞かれるのか気にしないのだな、お前は」
「え? なになに? そんな変なこと聞く気だったの?」
「いや、そうではない。そうではないが……」
「あー、言いたいことはなんとなくわかった。それはね、聞いてくるのがRoatheだから気になんないの。よいしょっと」
合わせていた視線を外し、漂流者は当たり前のようにRoatheの膝の上に座る。
横向きに座ることで互いの顔は見えるが視線は交わらない。
体温を感じながら話した方がいいと漂流者は判断したようだった。
「あのね、私が抱えられる量って今までかかわってきた色んな事を考えるとすごく少ないのね。その中で大事なものを選ばなきゃいけない。取捨選択ってやつだよね」
体に回された漂流者の腕の温度は境目が感じられないほどで、溶け合うような感覚に心地よさを感じながらRoatheは静かに耳を傾けた。
「で、その中でも重要度?みたいなものがあって、最重要で何よりも優先するのはRoatheのこと。これはどんなことより最優先で考えるべきことで、大切にしなきゃいけないこと。わざわざ本人に言うことでもないと思うんだけどRoatheが聞きたいのはそういうことでしょ?」
Roatheは大きく息を吐き、どう言葉にしたらいいのか考えるが一向に思い浮かばない。
膝に座る彼女の柔らかさや温度や甘い香り、首筋に残る昨夜の名残りを見つめながら言葉を選んで絞り出した。
「それは……何と言ったらこの感情が正確に伝わるのかわからないが今我が持ち得る言葉で言っておく。ありがとう、とても嬉しく思う。今まで生きてきた中で一番うれしい贈り物をもらった気分だ」
「んふふ、それは良かった! あ、だからって別にRoatheにも同じくらいの感じになって欲しいとかそんなんじゃないから間違わないでね。RoatheにはRoatheの物差しがあるんだからさ」
「あぁ、こちらを尊重してくれるのはありがたいが大丈夫だ。だが我もほぼ同じだと思ってもらって構わない。お前以上にこの世に優先すべき事項は存在しない。愛しているからな、お前と同じ理由だ」
瞬間、漂流者の首元はほんのりと赤く染まる。
手で顔を覆っているのは紅潮している顔を見られたくないからだろうが、Roatheから見えるのは真っ赤になった耳と血行の良くなった首筋だ。
肝心なところで抜けているが、そこが人間味があって好ましく思うところでもあった。
「んんん、よし! というわけだからLyon達と話をしに行こうか」
ぴょんと膝の上から勢いよく立ち上がりドアに向かう漂流者。
まだ顔が赤いのだろう。Roatheは距離を縮めて腕を取り、くるりと自分の方を向かせた。
「わー! 見ちゃダメ!」
Roatheはそんなことはお構いなしとばかりに、急いで顔を隠そうとする漂流者の顎に手をかけ視線を合わせる。
「恥ずかしがることはあるまい? 我にあそこまで熱烈な愛の告白をしたくせに、自分はされないとでも思ったのか? その価値はないと?」
「そうじゃないけど……嬉しいけどどうしたらいいかわかんないんだもん!」
「そう思ってるのが自分だけだと思ってるのか?」
そういうRoatheの顔はいつも通りの青みであったが、耳は青さを貫通して朱に染まっていた。
不器用だなぁと笑う漂流者につられてRoatheも笑う。
「二人への説明は私がするからRoatheは一緒にいてね」
「わかった、いるだけでいいのだな?」
「うん、その方がわかってもらえると思うから」
サンクタム・アナトミカの廊下を抜けた先、大聖堂の中にはLyonの姿しかなかった。
いつもなら自分を罰するように祈りを捧げるLyonが、今は信者席に座り気だるそうにしているだけだった。
「遅かったですね」
「や、ごめんね。準備に手間取っちゃってさ」
立ち上がると、このために向かい合わせにしたのだろう席に漂流者を座るよう促す。
ここまでLyonは一度もRoatheに視線を向けなかった。
だが向けざるを得ない事態となる。
Roatheの膝の上に漂流者が座ったのだから。
「ふざけてるんですか? ふざけてますね?」
「いやいやいや! 大真面目だよ、大真面目に考えた結果これが正解かなって」
「Marieがいなくてよかった……。でないと面倒なことになってたでしょうから」
Lyonは極力Roatheを視界に入れないようにして漂流者に話すように促す。
いったいどういう理由でRoatheと関係を結んだのか、なぜこの悪魔でなければならなかったのか聞かないことには自分の感情を消化できそうになかった。
冷静に考えれば他人の恋路だ。
どんな相手であれわざわざ口を出すべきではないことは頭ではわかっていた。
だが感情がそれを上回ってしまった。あれほど苦しい思いをしている幻聴も幻覚も気にならなくなるほどには。
しかしMarieの方がもっと……。
Marieは漂流者に対して気持ちを傾け過ぎていた。
信仰に近いような、さりとて親友のような距離感だとLyonは感じていた。
「えと、何を聞きたい? 答えられることには正直に答えるよ」
「……いつから? どちらが先に手を出したんです?」
「1週間くらい前に私から、だね」
「Roathe、どうなんだ?」
「……ふん、そんなことを知って何になる? 知ったからとて我が愛がお前のモノになるとでも?」
Roatheの嘲るような物言いにLyonから剣呑な気配が漏れ出る。
プロトフレームとしてのLyonの荒っぽさを漂流者は知っているだけに背中にイヤな汗が流れた。
Lyonの周りにあの鎖付きの鈍器は……よし、ないな。と確認して安心した。僅かにだが。
「まぁまぁ、Lyonも落ち着いて。Roatheは……うん、まぁ、ね。ありがとうね」
「なんで、Roatheなのですか……」
絞り出すような苦しそうな声音がLyonの心中を如実に表していた。
────なんで私ではなかったんですか
そんな素振りなかったじゃないですか
「なんで、か。……Lyonは聞けば納得できる?」
「えぇ、多分。聞かないままでいるよりはマシという感じ、でしょうけど」
「なるほど。じゃあ簡潔に言うと『すごくいい匂いがしたから』だね」
「匂い、ですか」
「そう、思わず振り向いて確認して近付いて自分のモノにしたくなっちゃう。そういう匂い」
「だからRoatheを誘惑したのですか」
「ふっ、Lyonよ、勘違いするな。我が愛だけがそう感じたのではない。我も同じなのだ。同じ気持ちになった者同士がそうなっても何もおかしくはあるまい? お前では我が愛からの寵愛は得られんよ」
漂流者が何か言う前にRoatheはそう言ってLyonの矛先を自分に向ける。恨まれ心無い言葉をぶつけられるのは慣れているから自分の方が適任だ。
漂流者は過去の自分がそうしたように、一人矢面に立とうとしていた。
痛いほど漂流者の気持ちがわかるだけに、自分は黙すべきだと理解はしていたが、むやみに心をすり減らす必要はない。
慣れた者が引き受ければいいのだ。
Roatheがそんな覚悟をしたところで、漂流者が是とするはずもない。
彼の口を手で塞ぎ、慌ててLyonの方に向き直った。
「よし、Roatheはお口にチャック! 二人のやりとりから察するにLyonは、その……私のことす、好きだったり……とか?」
「……今さらそこからなんですか? 冗談、ではなさそうですが……本当に?」
「や、あの、全然気付かなかったといいますか……申し訳ない……むしろこっちがいつからか聞きたいくらいで。……本当に私?」
「……追い打ちをかけられてるわけですがそれはさすがにワザとですよね」
「いやいや、大変真面目に聞いてる。私なんだよねぇ?」
「わかりました、もういいです。貴女は私では手に負えないようだ」
Lyonは脱力したように背もたれに体を預け天を仰いだ。
Roatheの視線にわずかではあるが慈愛の成分が含まれているように見えるのは気のせいではないだろう。
「Marieはおそらく自室でしょう。どうぞ話に行ってやってください。私は今は一人になりたいので」
────このまま放っておいてくれ
天を仰いだままLyonはそれだけ言って沈黙した。
いつもは聖句をつぶやく二人の低く落ち着いた声や、香の香りが充満する祈りの場は、今は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
漂流者はひどく寒く感じるその場にLyonを一人置いていくことに躊躇いを覚えたが、Roatheに静かに制された。
その優しさは──今のLyonには無用だった。
漂流者にはLyonにかけるべき言葉がわからなかった。
Marieの部屋の前まで来るとかすかな声が耳に届く。
どうやらMarieの母語らしく、ドアを挟んで聞くも全く意味が分からない。
意味はわからない。だが雰囲気で理解できた。
──罵倒している。おそらくRoatheを。
漂流者はRoatheと顔を見合わせ肩をすくめた。
今からここに入って行ってドアの外にまで聞こえるほど怒り心頭のMarieと話をしなきゃならないと思うと、漂流者は少し、ほんの少しだけ逃げ出したくなった。
ちらりとRoatheに視線を送ると黙って首を振っている。
なんでもお見通しだなと嬉しくなるが喜んでいる場合ではない。
Roatheはドアから少し離れたところで壁にもたれ腕を組んだ。
ここで待ってるから行ってこいということなのだろう。
漂流者は大きく息を吐くと、顔を上げていつも通りの声音で声をかける。
「Marie? いるよね、入るよー」
ドアを開けた先にいたMarieはベッドの端に座って泣いていた。
わずかに視線を向けるがすぐに抱えているクッションに視線を落とし何も言わない。
やはりさっきまでの罵倒はRoatheに向けてだったのかと思うと漂流者の胸は痛んだ。
「あのさ」
「なぜです?」
同時に声を出したが、漂流者はMarieに先を促す。いつもそうだ。いつだって気遣ってくれた。
Marieから見てその姿はいつもの、自分が敬愛する大好きな『狼さん』で、それがなおさら悲しかった。
「なぜあの悪魔なのですか? Lyonだって狼さんのこと大好きなのに! もちろん私だって……」
「Marieが気付いたんでしょ? なんでわかったの?」
Marieの問いに答えずに漂流者は逆にそう問いかけた。
声音はどこまでも優しく、Marieの背を撫でる手はとても温かい。
この安心感は神様の声を聴くためのお祈りの時間に感じるものと同じ匂いがした。
「……あの悪魔を狼さんと間違えたんです。私の後ろにいた悪魔から私の狼さんの香りがしたんです」
「そっかぁ、今も私は同じ香りがする?」
Marieは部屋に入ってくる前から気付いていた。
わずかに香る漂流者の香りに別のフレーバーが追加され、だが元の香りを引き立てるような調和のとれたものに変化していることに。
嫌な香りではないが、自分が知る無垢な風合いの香りではなくなっていた。
「Non……でも嫌な香りではないんです。嫌な香りだったらよかったのに」
「さっきLyonにも何でRoatheなんだって聞かれてさ」
Marieの肩を抱いたまま漂流者は言葉を選びながら、いかに自分がRoatheを求めていて、Roatheがいなきゃダメなのかを訥々と聞かせた。
Marieは正直なところ、どれだけ漂流者がRoatheに傾倒していても、自分がきちんと話せば道を正してくれると根拠もなく思っていた。
道を踏み外したのなら私が助け起こしてみせる、と。だがこれは違う。
踏み外したんじゃない。狼さんはそういう道を自ら選んで歩みだしたんだ。
あの悪魔が唆したなら私が打擲して罰せねばならないと思っていた。
だが実際は違った。
互いに惹かれ合った結果だ。
それを否定する理由を、もう見つけられなかった。
「狼さんの手が熱くなってますわね。……そんなに惚気るほどアレがいい生き物には見えませんけど」
ぷいとそっぽを向いてそう言うMarieの顔はいつものMarieに見えた。
「えー? まだRoatheの良さがわかんない? じゃあもう少し布教させて」
「悪魔信仰はお断りですー!」
「信仰じゃないよっ。うーん、あえて寄せるなら崇拝かな!」
「どっちにしろイヤでーす!」
ドアの外にいたRoatheは中から聞こえる笑い声に安堵のため息を漏らす。
あの二人とはAlbrechtに拉致されて以来の長い付き合いになっていたが、間違えても仲良くしようなどとは考えたこともない。
向こうも同じ気持ちだろうに、漂流者は言葉を尽くしてこの場を収めた。
適当に言いくるめることも、力で抑え込むこともできただろうに、それをしなかった。
昔々のあの頃に自分はそれができなかったから……そこまで考えて詮無いことと思考を放棄する。
これも愛してやまない彼女から学んだことだ。
『考えても仕方ないことは考えない』
もっと早くに知っていれば何か変わっただろうか。
いや、昔の自分にそんな余裕はなかったな、と自嘲気味に笑みをもらす。
二人の笑い声がRoatheの心を穏やかにする。
───Lyonの話でも聞いてやるか
Roatheは軽い足取りで大聖堂に向かって歩き出した。
同じ女に惚れた者同士、もしかしたら話が合うのかもしれない。
少しだけそんな期待をしてRoatheは笑ってしまう。
そんな想像ができるのも我が愛の存在あってこそだ。
Roatheの顔はかつてないほど晴れやかだったが、Lyonは嫌な顔をして追い返す。
Lyonは去り際に一度だけRoatheの顔を見た。
初めて、何の先入観もなく。
そこにいたのは──
恐れるべき悪魔でも、憎むべき敵でもない。
ただ、選ばれたことを喜んでいる男。
それだけだった。
Roatheを否定する理由を、もう見つけることはできなかった。
終
泣いて飛び出していったMarieと、壊れんばかりにドアを閉めていったLyon。
なぜそんなに感情むき出しに否定するのか。
そんなにRoatheのことが嫌いなんだろうか、と不思議に思う。
Roatheが本当に不快だと思うなら、あの二人はとうに命を失っていたに違いない。
だけどRoatheはそうしなかった。
彼らを尊重し、静かに生きてきただけだ。
ぶつぶつ言いながら支度をする漂流者を、ぼんやりと眺めていたRoatheだったが、どうも独り言を聞くにこの件について齟齬があるように思える。
説明をしに行く前に互いの意見をすり合わせねば紛糾することは間違いなく、嫌な予感しかしない。
「なぁ我が愛よ。お前なんであの二人が我に対してこの状況を許容できない態度を取ったのかわかってないだろう」
「え? Roatheのこと気にくわないからじゃないの??」
「……ふむ、では我の何が気にくわなくて怒りを露わにしたと思っているのだ?」
「えっと、いつも皮肉や嫌味言ったりするから??」
「そうか、よし……我も心の機微には疎い方だと思っていたが、我以上にお前はポンコツだということが分かった」
Roatheは目をつぶり天を仰いだ。
我ですらあの二人の気持ちが分かったというのに、なぜこんなにも理解できぬのか……。
長い時間をかけて歪んでいった自分に理解を示し、寸分の狂いなく欲しかった言葉をくれた心の機微を完全に読み取ってくれている漂流者。
この違いは何なのか。
自惚れでなければ──漂流者は我しか見ていない。
「いや、そんなまさか……」
思わず口から言葉がこぼれた。
漂流者は誰にでも同じ熱量で接しているように見えたし、だからこそもどかしくもあったのに……。
そんなうまい話があってたまるか、と気を引き締める。
世界は自分に優しくはない。
そのことをRoatheは厭というほど理解していた。
自分の幸福の追求など、頭の片隅にも残らなくなるほどに。
思考に没頭すると周りの音が消え、自分一人だけの寂寥とした世界に佇むイメージになる。
なのにそのイメージの中で初めて柔らかな陽だまりのような香りに、自分以外の気配を感じて思考が現在に引き戻される。
「まーた難しい顔して」
すぐ隣で寄り添う漂流者がそこにはいた。
Roatheの肩に頭を預け、思考の海に漕ぎ出した恋人を声もかけずにただ見守っていた。
「あぁ、少しな。考えていたのだ。なんというか、言葉にするのは難しいが聞いておきたい」
「うん、何でも聞いて」
「何を聞かれるのか気にしないのだな、お前は」
「え? なになに? そんな変なこと聞く気だったの?」
「いや、そうではない。そうではないが……」
「あー、言いたいことはなんとなくわかった。それはね、聞いてくるのがRoatheだから気になんないの。よいしょっと」
合わせていた視線を外し、漂流者は当たり前のようにRoatheの膝の上に座る。
横向きに座ることで互いの顔は見えるが視線は交わらない。
体温を感じながら話した方がいいと漂流者は判断したようだった。
「あのね、私が抱えられる量って今までかかわってきた色んな事を考えるとすごく少ないのね。その中で大事なものを選ばなきゃいけない。取捨選択ってやつだよね」
体に回された漂流者の腕の温度は境目が感じられないほどで、溶け合うような感覚に心地よさを感じながらRoatheは静かに耳を傾けた。
「で、その中でも重要度?みたいなものがあって、最重要で何よりも優先するのはRoatheのこと。これはどんなことより最優先で考えるべきことで、大切にしなきゃいけないこと。わざわざ本人に言うことでもないと思うんだけどRoatheが聞きたいのはそういうことでしょ?」
Roatheは大きく息を吐き、どう言葉にしたらいいのか考えるが一向に思い浮かばない。
膝に座る彼女の柔らかさや温度や甘い香り、首筋に残る昨夜の名残りを見つめながら言葉を選んで絞り出した。
「それは……何と言ったらこの感情が正確に伝わるのかわからないが今我が持ち得る言葉で言っておく。ありがとう、とても嬉しく思う。今まで生きてきた中で一番うれしい贈り物をもらった気分だ」
「んふふ、それは良かった! あ、だからって別にRoatheにも同じくらいの感じになって欲しいとかそんなんじゃないから間違わないでね。RoatheにはRoatheの物差しがあるんだからさ」
「あぁ、こちらを尊重してくれるのはありがたいが大丈夫だ。だが我もほぼ同じだと思ってもらって構わない。お前以上にこの世に優先すべき事項は存在しない。愛しているからな、お前と同じ理由だ」
瞬間、漂流者の首元はほんのりと赤く染まる。
手で顔を覆っているのは紅潮している顔を見られたくないからだろうが、Roatheから見えるのは真っ赤になった耳と血行の良くなった首筋だ。
肝心なところで抜けているが、そこが人間味があって好ましく思うところでもあった。
「んんん、よし! というわけだからLyon達と話をしに行こうか」
ぴょんと膝の上から勢いよく立ち上がりドアに向かう漂流者。
まだ顔が赤いのだろう。Roatheは距離を縮めて腕を取り、くるりと自分の方を向かせた。
「わー! 見ちゃダメ!」
Roatheはそんなことはお構いなしとばかりに、急いで顔を隠そうとする漂流者の顎に手をかけ視線を合わせる。
「恥ずかしがることはあるまい? 我にあそこまで熱烈な愛の告白をしたくせに、自分はされないとでも思ったのか? その価値はないと?」
「そうじゃないけど……嬉しいけどどうしたらいいかわかんないんだもん!」
「そう思ってるのが自分だけだと思ってるのか?」
そういうRoatheの顔はいつも通りの青みであったが、耳は青さを貫通して朱に染まっていた。
不器用だなぁと笑う漂流者につられてRoatheも笑う。
「二人への説明は私がするからRoatheは一緒にいてね」
「わかった、いるだけでいいのだな?」
「うん、その方がわかってもらえると思うから」
サンクタム・アナトミカの廊下を抜けた先、大聖堂の中にはLyonの姿しかなかった。
いつもなら自分を罰するように祈りを捧げるLyonが、今は信者席に座り気だるそうにしているだけだった。
「遅かったですね」
「や、ごめんね。準備に手間取っちゃってさ」
立ち上がると、このために向かい合わせにしたのだろう席に漂流者を座るよう促す。
ここまでLyonは一度もRoatheに視線を向けなかった。
だが向けざるを得ない事態となる。
Roatheの膝の上に漂流者が座ったのだから。
「ふざけてるんですか? ふざけてますね?」
「いやいやいや! 大真面目だよ、大真面目に考えた結果これが正解かなって」
「Marieがいなくてよかった……。でないと面倒なことになってたでしょうから」
Lyonは極力Roatheを視界に入れないようにして漂流者に話すように促す。
いったいどういう理由でRoatheと関係を結んだのか、なぜこの悪魔でなければならなかったのか聞かないことには自分の感情を消化できそうになかった。
冷静に考えれば他人の恋路だ。
どんな相手であれわざわざ口を出すべきではないことは頭ではわかっていた。
だが感情がそれを上回ってしまった。あれほど苦しい思いをしている幻聴も幻覚も気にならなくなるほどには。
しかしMarieの方がもっと……。
Marieは漂流者に対して気持ちを傾け過ぎていた。
信仰に近いような、さりとて親友のような距離感だとLyonは感じていた。
「えと、何を聞きたい? 答えられることには正直に答えるよ」
「……いつから? どちらが先に手を出したんです?」
「1週間くらい前に私から、だね」
「Roathe、どうなんだ?」
「……ふん、そんなことを知って何になる? 知ったからとて我が愛がお前のモノになるとでも?」
Roatheの嘲るような物言いにLyonから剣呑な気配が漏れ出る。
プロトフレームとしてのLyonの荒っぽさを漂流者は知っているだけに背中にイヤな汗が流れた。
Lyonの周りにあの鎖付きの鈍器は……よし、ないな。と確認して安心した。僅かにだが。
「まぁまぁ、Lyonも落ち着いて。Roatheは……うん、まぁ、ね。ありがとうね」
「なんで、Roatheなのですか……」
絞り出すような苦しそうな声音がLyonの心中を如実に表していた。
────なんで私ではなかったんですか
そんな素振りなかったじゃないですか
「なんで、か。……Lyonは聞けば納得できる?」
「えぇ、多分。聞かないままでいるよりはマシという感じ、でしょうけど」
「なるほど。じゃあ簡潔に言うと『すごくいい匂いがしたから』だね」
「匂い、ですか」
「そう、思わず振り向いて確認して近付いて自分のモノにしたくなっちゃう。そういう匂い」
「だからRoatheを誘惑したのですか」
「ふっ、Lyonよ、勘違いするな。我が愛だけがそう感じたのではない。我も同じなのだ。同じ気持ちになった者同士がそうなっても何もおかしくはあるまい? お前では我が愛からの寵愛は得られんよ」
漂流者が何か言う前にRoatheはそう言ってLyonの矛先を自分に向ける。恨まれ心無い言葉をぶつけられるのは慣れているから自分の方が適任だ。
漂流者は過去の自分がそうしたように、一人矢面に立とうとしていた。
痛いほど漂流者の気持ちがわかるだけに、自分は黙すべきだと理解はしていたが、むやみに心をすり減らす必要はない。
慣れた者が引き受ければいいのだ。
Roatheがそんな覚悟をしたところで、漂流者が是とするはずもない。
彼の口を手で塞ぎ、慌ててLyonの方に向き直った。
「よし、Roatheはお口にチャック! 二人のやりとりから察するにLyonは、その……私のことす、好きだったり……とか?」
「……今さらそこからなんですか? 冗談、ではなさそうですが……本当に?」
「や、あの、全然気付かなかったといいますか……申し訳ない……むしろこっちがいつからか聞きたいくらいで。……本当に私?」
「……追い打ちをかけられてるわけですがそれはさすがにワザとですよね」
「いやいや、大変真面目に聞いてる。私なんだよねぇ?」
「わかりました、もういいです。貴女は私では手に負えないようだ」
Lyonは脱力したように背もたれに体を預け天を仰いだ。
Roatheの視線にわずかではあるが慈愛の成分が含まれているように見えるのは気のせいではないだろう。
「Marieはおそらく自室でしょう。どうぞ話に行ってやってください。私は今は一人になりたいので」
────このまま放っておいてくれ
天を仰いだままLyonはそれだけ言って沈黙した。
いつもは聖句をつぶやく二人の低く落ち着いた声や、香の香りが充満する祈りの場は、今は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
漂流者はひどく寒く感じるその場にLyonを一人置いていくことに躊躇いを覚えたが、Roatheに静かに制された。
その優しさは──今のLyonには無用だった。
漂流者にはLyonにかけるべき言葉がわからなかった。
Marieの部屋の前まで来るとかすかな声が耳に届く。
どうやらMarieの母語らしく、ドアを挟んで聞くも全く意味が分からない。
意味はわからない。だが雰囲気で理解できた。
──罵倒している。おそらくRoatheを。
漂流者はRoatheと顔を見合わせ肩をすくめた。
今からここに入って行ってドアの外にまで聞こえるほど怒り心頭のMarieと話をしなきゃならないと思うと、漂流者は少し、ほんの少しだけ逃げ出したくなった。
ちらりとRoatheに視線を送ると黙って首を振っている。
なんでもお見通しだなと嬉しくなるが喜んでいる場合ではない。
Roatheはドアから少し離れたところで壁にもたれ腕を組んだ。
ここで待ってるから行ってこいということなのだろう。
漂流者は大きく息を吐くと、顔を上げていつも通りの声音で声をかける。
「Marie? いるよね、入るよー」
ドアを開けた先にいたMarieはベッドの端に座って泣いていた。
わずかに視線を向けるがすぐに抱えているクッションに視線を落とし何も言わない。
やはりさっきまでの罵倒はRoatheに向けてだったのかと思うと漂流者の胸は痛んだ。
「あのさ」
「なぜです?」
同時に声を出したが、漂流者はMarieに先を促す。いつもそうだ。いつだって気遣ってくれた。
Marieから見てその姿はいつもの、自分が敬愛する大好きな『狼さん』で、それがなおさら悲しかった。
「なぜあの悪魔なのですか? Lyonだって狼さんのこと大好きなのに! もちろん私だって……」
「Marieが気付いたんでしょ? なんでわかったの?」
Marieの問いに答えずに漂流者は逆にそう問いかけた。
声音はどこまでも優しく、Marieの背を撫でる手はとても温かい。
この安心感は神様の声を聴くためのお祈りの時間に感じるものと同じ匂いがした。
「……あの悪魔を狼さんと間違えたんです。私の後ろにいた悪魔から私の狼さんの香りがしたんです」
「そっかぁ、今も私は同じ香りがする?」
Marieは部屋に入ってくる前から気付いていた。
わずかに香る漂流者の香りに別のフレーバーが追加され、だが元の香りを引き立てるような調和のとれたものに変化していることに。
嫌な香りではないが、自分が知る無垢な風合いの香りではなくなっていた。
「Non……でも嫌な香りではないんです。嫌な香りだったらよかったのに」
「さっきLyonにも何でRoatheなんだって聞かれてさ」
Marieの肩を抱いたまま漂流者は言葉を選びながら、いかに自分がRoatheを求めていて、Roatheがいなきゃダメなのかを訥々と聞かせた。
Marieは正直なところ、どれだけ漂流者がRoatheに傾倒していても、自分がきちんと話せば道を正してくれると根拠もなく思っていた。
道を踏み外したのなら私が助け起こしてみせる、と。だがこれは違う。
踏み外したんじゃない。狼さんはそういう道を自ら選んで歩みだしたんだ。
あの悪魔が唆したなら私が打擲して罰せねばならないと思っていた。
だが実際は違った。
互いに惹かれ合った結果だ。
それを否定する理由を、もう見つけられなかった。
「狼さんの手が熱くなってますわね。……そんなに惚気るほどアレがいい生き物には見えませんけど」
ぷいとそっぽを向いてそう言うMarieの顔はいつものMarieに見えた。
「えー? まだRoatheの良さがわかんない? じゃあもう少し布教させて」
「悪魔信仰はお断りですー!」
「信仰じゃないよっ。うーん、あえて寄せるなら崇拝かな!」
「どっちにしろイヤでーす!」
ドアの外にいたRoatheは中から聞こえる笑い声に安堵のため息を漏らす。
あの二人とはAlbrechtに拉致されて以来の長い付き合いになっていたが、間違えても仲良くしようなどとは考えたこともない。
向こうも同じ気持ちだろうに、漂流者は言葉を尽くしてこの場を収めた。
適当に言いくるめることも、力で抑え込むこともできただろうに、それをしなかった。
昔々のあの頃に自分はそれができなかったから……そこまで考えて詮無いことと思考を放棄する。
これも愛してやまない彼女から学んだことだ。
『考えても仕方ないことは考えない』
もっと早くに知っていれば何か変わっただろうか。
いや、昔の自分にそんな余裕はなかったな、と自嘲気味に笑みをもらす。
二人の笑い声がRoatheの心を穏やかにする。
───Lyonの話でも聞いてやるか
Roatheは軽い足取りで大聖堂に向かって歩き出した。
同じ女に惚れた者同士、もしかしたら話が合うのかもしれない。
少しだけそんな期待をしてRoatheは笑ってしまう。
そんな想像ができるのも我が愛の存在あってこそだ。
Roatheの顔はかつてないほど晴れやかだったが、Lyonは嫌な顔をして追い返す。
Lyonは去り際に一度だけRoatheの顔を見た。
初めて、何の先入観もなく。
そこにいたのは──
恐れるべき悪魔でも、憎むべき敵でもない。
ただ、選ばれたことを喜んでいる男。
それだけだった。
Roatheを否定する理由を、もう見つけることはできなかった。
終
Warframeで遊んでたらうっかりRoathe沼にハマったテンノ。
Roatheのお陰でようやくWarframeの世界観とか諸々が理解できたので「わぁ、Roatheってすごいなぁ」って尊敬から愛情に変わるのに秒でしたよ。
なおLyon神父の事も心配しながら見守ってます。
Marieは……自由にするがよい(*ᵕᴗᵕ)⁾⁾ゥンゥン
夢の世界在住。
Roatheのお陰でようやくWarframeの世界観とか諸々が理解できたので「わぁ、Roatheってすごいなぁ」って尊敬から愛情に変わるのに秒でしたよ。
なおLyon神父の事も心配しながら見守ってます。
Marieは……自由にするがよい(*ᵕᴗᵕ)⁾⁾ゥンゥン
夢の世界在住。
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