星にときめく 6-①
公開 2026/04/04 00:01
最終更新
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6 -①
カーディガンの君の面影を慕ったわけでもないが誠は久しぶりに市立中央図書館に行ってみた。地元の大学への入学を決めた者には途轍もなく長い春休みが保証されるのは有難いが脳細胞がふやけてきそうな怖れが浸食し始めた所為でもあった。
図書館の学習室は明るく開放的だ。穴倉に籠るより開放的な空間で政治的な思想や論理学を眺めておく方が、まずは外堀を埋めて置くことが、入学後の本丸攻め入りに寄与するだろうと思った為でもある。
甚だ感覚的な理由で踏み入れた足は戦争の幾つかを眺め直せる場所を黙々と経巡った。侵略戦争はもってのほかとして他の多くは自らの正義の為に、さらには他国や他民族を救う為の大義名分で紛争や戦争に突入する。ところが……古代ギリシャの都市国家の在り方に目が、いや、心が奪われた。理想的な人間社会において「民主主義」を生み出し、交渉による外交でネットワーク経済をも成立させたという。但し、小さな集団は国家レベルには遠く及ばず自然淘汰されることになる。集団が大きくなると他の大集団との差異から比較、羨望、嫉妬、ついには略奪へと進み始める人間の業(ごう)の恐ろしさ。そして略奪が叶っても満足を覚えずその国家は更なる侵略戦争に突き進み、次には多数の国家が群れをなして国家群同士で世界大戦に向かうのは人が「ヒト」から遠退く歴史と思えた。野生の生物たちは憲法、道徳など持たずとも無意味な殺生は行わない。だから「戦争」は人間特有の性質が成す業(わざ)なのであって、ともすれば自滅に及ぶ愚行を成す。敵味方を分けるのが宗教、論理等の世界観の相違という善悪ではないことへの矛盾を誠は辛く、悲しく感じた。第二次世界大戦は侵略国家が同盟を結んで連合国に挑んだ。ナチスの反ユダヤが底流を成すという奇異な内容に触れて、手を組んだイタリア、大日本帝国に共通根があったのかと疑った。それにしても第二次世界大戦という愚行の限界に臨み、漸く平和に目覚めると思いきや今度は自由主義対共産主義の旗印の下「冷戦」に入る。よくよく人類は戦争無しには済まぬ悍(おぞ)ましき生物なのだと我慢しながらの数日間に心底嫌気が差したところで、自らの理論武装をせねばと思い出し、翌日からはずっと読まねばならぬと思っていたマルクスを手に取った。
プロイセン王国に生まれたマルクスは三十三歳で国籍を離脱、以後無国籍者だった。ユダヤ人種で座高の長い小男というから見栄えはしなかったが、資本主義に反意を翻したことで哲学者兼革命家は一躍名を馳せる。資本主義は格差を生み、それが膨満する時、不満分子の暴発が起こりやがては衰退を齎(もたら)すという論理。誠も資本主義がヒトの本能的欲望を許すことで現代の繁栄を構築したのは極めて自然の成り行きだと元々思い、この儘進めば第三次世界大戦は免れられぬ怖れを強くしていたから、マルクスの考えに一々頷いて読み進められた。格差社会に世界の平等公平は望める筈も無く、脱却するには共産主義を奉じて国家が絶対的権利を持ち、不平・不満が生じないよう富を分配する社会を造るしかないと思った。しかし、残念ながらそれを阻むのが人の欲望であり、だから行き着く先は滅亡なのだというシナリオを否定できなかった。自分が中流家庭で育った為に人の欲に嫌悪を感じたものか定かではなかったが、この国の上流階級が僅か一〇%に満たないというなら世の中の改変が政治の力で何ともならぬのが不可解だった。世界全体ならその比率は更に低くなろうけれど世界の政治の仕組みの変革もやはり富者でない限りリーダーシップは採れぬものなのか。
楽して生きたいのはやまやまでも「平等」である為にはエゴを出さず所与の労働をこなす必要がある。だから平等にはルールがあり「自由」は制限されて然るべきなのだが、それに抗(あらが)うのが人間の本然である「欲望」なのだから厄介至極だ。それでも現実問題として階級闘争にはリーダーが必要であり、それにはやはり非搾取労働者の先頭に立てる理論家となるとマルクスの僚友エンゲルスが適任かと読んだが、結果がそうならなかったのは既に時代が世界大戦に向かって動いてしまっていた為だったのかと目の開く思いがした。この辺りは勉強不足で模糊としていたけれども、理想を共産主義と考えていたのは誤りではなく、理想は理想でしかないことも知ってはいた。その体現が中華人民共和国だとはさすがに信じられなかったからである。
「持てる国」と「持たざる国」の語句を知ったのは小学校の六年生だったろうか。小さな国土の日本に対し米国、ソ連、中国の広大なる理由が究極「武力」で獲得したものと理解が行けば、歴史のどの時点をもって固有の領土とするのか極めて不平等なものと考えるのが当たり前だろう。日本が嘗て満州国を打ち立てたのも理解ができる。「だって周りもやってるじゃん」とは悪行に陥る入り口だ。人類の始原のルーシーやクシムを牽き出すと面倒になるから止すが、ヒトが文明を築き始めるのと同時に労働の搾取は並行して誕生したのであろう。それはヒトの本能が成せる業であり宿命なのだから。一旦、どこかで公平に世界を分配し直すことは不可能だから初段階として各国内で平等に富を分配する、それができた時点で世界ネットワークを構築して世界平和実現の為に良心的に「持てる国」から「持たざる国」へと物資が搬入されれば良いのだ。
その考えの基盤にあったのが中学の歴史で習った古代ギリシャの都市国家である。周囲には既にエジプト王国やメソポタミアのバビロニア王国などのヒエラルキー構造の国家があったのに存立できた点に感動を覚えた。現代社会を大変革しての共産主義など絵空事と分からぬでもないのだが魅せられたことを否定する要もない。小遣いをあまり使いたくなかった子供時代だったがもはや性分となっていて自ら吝嗇(りんしょく)家と高校時代には公言して憚(はばか)らなかったのもそんな考えの下であったと自認する。
歴史を大雑把(おおざっぱ)に俯瞰(ふかん)すれば戦争の仕方に変化があり、その牽引(けんいん)役が科学である。よって、戦争が歴史を動かす中で世の中をよりよく造り変える一面もあったと言えるのだろう。原子力が広島、長崎の不幸を生んだ一方でその平和利用が人間たちに多大な恩恵を施している現実を例に持ち出すまでも無い。政治がそこにどう関わるのか。科学が独り歩きするわけはなく法の下で学者はそれを操作する。その功罪はともかく利用するのは政治家あるいは軍属である。政治の力は世界とどう関わるのか、ふっと疑念が過(よぎ)る。荒廃後に初めて政治の存在意義が生まれるとしたら遣り切れないではないか。
原始時代に二つの家族ができればそこに差異が生まれ比較が交換を導くうちはいいが、欲が生じて競争が生まれる。それがヒトの性であり、それが本能のなせる業なのだ。部落単位に拡大すれば群れ毎の性格の違いが一層格差を意識し闘争を生む。延いては現代も同じでより強力な武器を用いて戦闘が繰り広げられている。戦火を生ずとも形を変えて経済戦争あるいは宗教上の争いも起きている。ヒトとは戦いに生き戦いに死んでゆく生物なのだ(誰の言葉でもない、誠の思っていたことだ)。だからこそ、命を奪う争闘に反発する芸術芸能、あるいは倫理道徳、そして宗教が生まれて緩和ケアされるのではあるまいか。政治もそんな働きをする分野であるのか。政治上のある出来事が戦争を引き起こし、荒廃の憂き目に遭っても必ずや新たな政治機構が立ち上がり復興に赴く。やがて新たな平和国家が建設されるとしても万々歳とは行かない。何が正義で何が悪なのか。一つの真理で割り切れる例はないのだ。一つの理論が立てば必ず反する理論が対峙(たいじ)する。正反合(せいはんごう)とは複雑な紛糾を解決に結びつける実に納得できる理論だと考えた時があったけれど、世に名を残した世界の政治家の顔を時系列に並べて見るうちに覚えず長嘆息(ちょうたんそく)を漏らしてしまった。
戦争が無くなった時間の無い人類史に、国際連盟、国際連合という平和の機関が生まれても、いざ、戦争が始まれば形無しとなる。ならばこの先どうすればよいのか。政治、経済、外交、いずれも人類世界の未来を約束してくれるパワーを感じ取れそうもないけれど、所詮(しょせん)、人類が未来に待っているのは絶滅であろうと最期(さいご)まで齷(あく)齪(せく)努力していくのがヒトの辿(たど)る道なのだろう。生まれて死んでいく人生と同じとは皮肉なことだ。人類はこの先いかなる変遷を辿るのか、歴史を学んでその絡(から)繰(く)りを凝視したいとひとまず考えたのだが……。
合格通知を貰った時には政治というものへの興味関心にやや陰りが生じていたのをまさか親には言えないし、言うつもりもなかった。高校の三者面談で頭を抱えていた両親が担任の前だからと堪えて、分かったような素振(そぶ)りでいたのを思い出す。母の目に浮かんだ涙の意味は今も判然としないが、彼らを前に言葉を弄(ろう)していた誠自身が途中で何を喋っているやら混乱を来(きた)したのだけれど、初志貫徹、大学は政治経済学部を選んだ。何ごとも始めてみなけりゃ分からない、親には済まないが混迷やら心配やら不安を抱えていても「当たって砕けろ精神さ」と嘯いたものだ。あの頃は調子に乗って、末は首相、そこまで行かぬとも国会議員などとほざいていたのは極々初期までだった。理系は知らぬが文系の学部学科は勉学の成果が就職先と直結していないのがむしろ嬉しく、モラトリアムであることを不安に思うどころかまだ枠を嵌められていない自由を誠は喜んでいた。
図書館を出ると、もう夕景色になっていた。けれど寒さを感じぬ初春の大気が身を包んでくれる。道脇の白梅も影を潜めて静寂を極めていた。長い春休みをのんびり図書館で読書できたのは幸か不幸か、いずれだろう。この余裕のある今だったら出願先は変更したかも知れない、そう思って即、不甲斐なくなる。人生三度目の「新入生」としての晴れを迎える前に大学卒業後の就職まで考えてしまう自分を喜べなかった。未来も捗々(はかばか)しく想像できないし、過去を眺め直して暇を潰すのは快いものではない。なにせ今まで馴染(なじ)んだものが容赦(ようしゃ)なく流れ去るのだから感傷的になっても無理はない。時は無情だ。大学図書館を利用することになればこの図書館も想い出の中に仕舞われてしまうのだと思うと霞の中にぼんやり明るむ街灯にもその後ろに聳(そび)える建物にも切なさを覚えた。
数週間後、何だか落ち着かない気持ちを引きずりながら、それでも無いわけではない清新な気持ちで受験時以来久しぶりの大学の門を潜(くぐ)った。入学式である。誠の隣には父がいて並んで歩を進めるのが照れくさくやや遅れて歩いた。今まで、晴れの日には母親が同行したものだったが、どうしたものだろう、父親の方から申し出て来たのである。地元の大学を選んだことで親に付いて来られるのを歓迎していなかったのだが拒絶するほどのことではない、親にしてみれば息子に対する期待の念を表したくてのことと察した。かくして親孝行な誠の大学第一歩であった。
意識変革は高校時の反動として付き合い方にまず顕著に出た。コンパに誘われればそそくさと小綺麗にめかし込んで参加する男となった。自宅通学生の新鮮味の無さに風穴を空けようと自分を急き立てた理由もあろう。好みの女性談義といった話題にも首を出す新軟派のデビューである。だが、その度に「君は理想を追い求め過ぎるきらいがあるな」「子供だなぁ、清州は。外見はともかく内実は入り口を潜らんで分かるものか」「尻込みするうちに蟄居(ちっきょ)老人になっちまうぞ」「ともかく積極的に接してみてタイプか否かをチェックしなきゃ」などと実(まこと)しやかに意見されるのを一々頷(うなず)く振りはしていても、心の底では腑に落ちてはいなかった。容認できぬ自分をもしかしてどこか悪いのかと怪しんだこともある。気付かぬ寸前の病者? だからこそ誘われれば敢えて首を出す羽目に陥ったのか? いやはや幼い話である。耳(みみ)年魔(どしま)などいう言葉があって、普通は女性に対して言うが、その種の談義に加わる中にも多分にそんな輩(やから)もいて、誠はそれを新鮮かつ真面目な思いで真に受けた。その姿勢に立つことで従来の自分を変える一つの条件をクリアできると性急に考えたからであった。いわゆる「コンパ」なるものへの参加機会が回数を重ねた。しかし、接近する現実の女性は当然のこと「お姫様」には遥かに遠く、ややもすれば中学以来の理想を目前の女の子とオーバーラップさせる如き誠の目つきは相手を不快にさせたのではなかったか。誠としても己の心とぴったり重なる女の子が簡単に見出されるとは思ってなどいなかった。ただ、相性がかなりの重要性と心得れば機会を減らす要はないけれど、自分の理想像を貶(おとし)める気は毛頭無いとの独断が、親しく会話していてもついには中学時のそれから一歩も出ない女性像、交際観にハンドルを切ってしまうのだった。ある意味妥協して遇するのが現実と弁えるのは却って相手に失礼だと思った。すると、異性を友人、あるいはアルコール上の相手としか見ない偏向した気分でコンパに出向くようになり、却ってマスメディアに立ち現れる女優やモデル、あるいは容姿端麗なスポーツ・ウーマンに自分の理想像が比肩するのを喜んで現実との乖離(かいり)を寂しく味わい、実際の相手は理想とならぬが条理と昵懇(じっこん)までに至らぬことを虚しき現実と心得た。片や勉学を疎(うと)ましく思うような学生ではない誠だから、世間には自分と合致する存在は無いのかと天を仰(あお)いだのを最後に前期末には男女交際に尻ごみする傾向が強まった。要は晩稲(おくて)の男子に分類されるに及んだのである。
……懐かしきは青春期。「女嫌い」を標榜した覚え無く、勿論、異性拒絶の気質・体質であるわけもない。だから、好みと見るや素早く目を遣ったり後を付けたり、あるいは遠望するだけで諦めを心内に吐いたりして、理想を掴むことがない不遇さ、虚しさを託ったものだった。
でもなぁ、仮に見つけたら忽(たちま)ち追い付いて細腕を掴(つか)んでしまう、そうしたら次は? 妄想通りにキスしちゃえば良かったのか? まあ、それが行き過ぎなら強く抱きしめちゃうのはどう? いやあ、違う! 当時の私はそれができなかった。前に回って頭から足先まで目を走らせる、これすらガチゴチ体が音を立てた筈だ。そいでもって「すみません、人違いでした」と頭を下げたら忽ちドラマだ。もし、もしもだよ、これが正に意中の女性だったらどうしたろうな?
現実には何にも起こらなかった。つまり、相手のあることだから自分の意の儘にならないのは当然のこと、相手の気持ちを慮(おもんぱか)っての行動を取らなきゃならないという性格。青春真っただ中の人間にもこんなタイプはいるわけさ。なのに、アンテナ(勿論股間の意ではないよ)を張るだけは張るのが寧ろ虚しかった。が、愚者ではない、実際は夢想像から多少外れても逃げたりはしなかった、人格者だからね。忠恕、復活だ。コンパの終わるまでいるだけはいた(生来の右党は寝込んじまうのが常だったかも)。時には気持ちを擽(くすぐ)る女性がいることもあって、そんな時は概してこう! 真面目な性格は尚もじっくり観察する、とあろうことか(否、案の定(じょう))他の誰かとくっ付いてしまう。落胆を味わって所詮(しょせん)は尻軽女だったかと嘯(うそぶ)く、そんな自分を早、慰めよう無し。自己嫌悪に陥るパターンを何度繰り返したろう。ただ一つ開き直って言えるのは妥協が嫌だった、これを貫いたことだろう(だからこの結果を招いたわけなのだが)。
要は青年の一つのパターンだった。とても『ヰタ=セクスアリス』なんてもんじゃない、でも慰めの文章にはなるかもな。生涯の異性は見出せなくとも平々凡々と貴重な青春生活を費消はできた。よく遊びよく学んだモラトリアム型の青年にも大学生活は総じて楽しく過ごしたと宜(うべな)わせるだけのことは保証してくれたのだよ。……
カーディガンの君の面影を慕ったわけでもないが誠は久しぶりに市立中央図書館に行ってみた。地元の大学への入学を決めた者には途轍もなく長い春休みが保証されるのは有難いが脳細胞がふやけてきそうな怖れが浸食し始めた所為でもあった。
図書館の学習室は明るく開放的だ。穴倉に籠るより開放的な空間で政治的な思想や論理学を眺めておく方が、まずは外堀を埋めて置くことが、入学後の本丸攻め入りに寄与するだろうと思った為でもある。
甚だ感覚的な理由で踏み入れた足は戦争の幾つかを眺め直せる場所を黙々と経巡った。侵略戦争はもってのほかとして他の多くは自らの正義の為に、さらには他国や他民族を救う為の大義名分で紛争や戦争に突入する。ところが……古代ギリシャの都市国家の在り方に目が、いや、心が奪われた。理想的な人間社会において「民主主義」を生み出し、交渉による外交でネットワーク経済をも成立させたという。但し、小さな集団は国家レベルには遠く及ばず自然淘汰されることになる。集団が大きくなると他の大集団との差異から比較、羨望、嫉妬、ついには略奪へと進み始める人間の業(ごう)の恐ろしさ。そして略奪が叶っても満足を覚えずその国家は更なる侵略戦争に突き進み、次には多数の国家が群れをなして国家群同士で世界大戦に向かうのは人が「ヒト」から遠退く歴史と思えた。野生の生物たちは憲法、道徳など持たずとも無意味な殺生は行わない。だから「戦争」は人間特有の性質が成す業(わざ)なのであって、ともすれば自滅に及ぶ愚行を成す。敵味方を分けるのが宗教、論理等の世界観の相違という善悪ではないことへの矛盾を誠は辛く、悲しく感じた。第二次世界大戦は侵略国家が同盟を結んで連合国に挑んだ。ナチスの反ユダヤが底流を成すという奇異な内容に触れて、手を組んだイタリア、大日本帝国に共通根があったのかと疑った。それにしても第二次世界大戦という愚行の限界に臨み、漸く平和に目覚めると思いきや今度は自由主義対共産主義の旗印の下「冷戦」に入る。よくよく人類は戦争無しには済まぬ悍(おぞ)ましき生物なのだと我慢しながらの数日間に心底嫌気が差したところで、自らの理論武装をせねばと思い出し、翌日からはずっと読まねばならぬと思っていたマルクスを手に取った。
プロイセン王国に生まれたマルクスは三十三歳で国籍を離脱、以後無国籍者だった。ユダヤ人種で座高の長い小男というから見栄えはしなかったが、資本主義に反意を翻したことで哲学者兼革命家は一躍名を馳せる。資本主義は格差を生み、それが膨満する時、不満分子の暴発が起こりやがては衰退を齎(もたら)すという論理。誠も資本主義がヒトの本能的欲望を許すことで現代の繁栄を構築したのは極めて自然の成り行きだと元々思い、この儘進めば第三次世界大戦は免れられぬ怖れを強くしていたから、マルクスの考えに一々頷いて読み進められた。格差社会に世界の平等公平は望める筈も無く、脱却するには共産主義を奉じて国家が絶対的権利を持ち、不平・不満が生じないよう富を分配する社会を造るしかないと思った。しかし、残念ながらそれを阻むのが人の欲望であり、だから行き着く先は滅亡なのだというシナリオを否定できなかった。自分が中流家庭で育った為に人の欲に嫌悪を感じたものか定かではなかったが、この国の上流階級が僅か一〇%に満たないというなら世の中の改変が政治の力で何ともならぬのが不可解だった。世界全体ならその比率は更に低くなろうけれど世界の政治の仕組みの変革もやはり富者でない限りリーダーシップは採れぬものなのか。
楽して生きたいのはやまやまでも「平等」である為にはエゴを出さず所与の労働をこなす必要がある。だから平等にはルールがあり「自由」は制限されて然るべきなのだが、それに抗(あらが)うのが人間の本然である「欲望」なのだから厄介至極だ。それでも現実問題として階級闘争にはリーダーが必要であり、それにはやはり非搾取労働者の先頭に立てる理論家となるとマルクスの僚友エンゲルスが適任かと読んだが、結果がそうならなかったのは既に時代が世界大戦に向かって動いてしまっていた為だったのかと目の開く思いがした。この辺りは勉強不足で模糊としていたけれども、理想を共産主義と考えていたのは誤りではなく、理想は理想でしかないことも知ってはいた。その体現が中華人民共和国だとはさすがに信じられなかったからである。
「持てる国」と「持たざる国」の語句を知ったのは小学校の六年生だったろうか。小さな国土の日本に対し米国、ソ連、中国の広大なる理由が究極「武力」で獲得したものと理解が行けば、歴史のどの時点をもって固有の領土とするのか極めて不平等なものと考えるのが当たり前だろう。日本が嘗て満州国を打ち立てたのも理解ができる。「だって周りもやってるじゃん」とは悪行に陥る入り口だ。人類の始原のルーシーやクシムを牽き出すと面倒になるから止すが、ヒトが文明を築き始めるのと同時に労働の搾取は並行して誕生したのであろう。それはヒトの本能が成せる業であり宿命なのだから。一旦、どこかで公平に世界を分配し直すことは不可能だから初段階として各国内で平等に富を分配する、それができた時点で世界ネットワークを構築して世界平和実現の為に良心的に「持てる国」から「持たざる国」へと物資が搬入されれば良いのだ。
その考えの基盤にあったのが中学の歴史で習った古代ギリシャの都市国家である。周囲には既にエジプト王国やメソポタミアのバビロニア王国などのヒエラルキー構造の国家があったのに存立できた点に感動を覚えた。現代社会を大変革しての共産主義など絵空事と分からぬでもないのだが魅せられたことを否定する要もない。小遣いをあまり使いたくなかった子供時代だったがもはや性分となっていて自ら吝嗇(りんしょく)家と高校時代には公言して憚(はばか)らなかったのもそんな考えの下であったと自認する。
歴史を大雑把(おおざっぱ)に俯瞰(ふかん)すれば戦争の仕方に変化があり、その牽引(けんいん)役が科学である。よって、戦争が歴史を動かす中で世の中をよりよく造り変える一面もあったと言えるのだろう。原子力が広島、長崎の不幸を生んだ一方でその平和利用が人間たちに多大な恩恵を施している現実を例に持ち出すまでも無い。政治がそこにどう関わるのか。科学が独り歩きするわけはなく法の下で学者はそれを操作する。その功罪はともかく利用するのは政治家あるいは軍属である。政治の力は世界とどう関わるのか、ふっと疑念が過(よぎ)る。荒廃後に初めて政治の存在意義が生まれるとしたら遣り切れないではないか。
原始時代に二つの家族ができればそこに差異が生まれ比較が交換を導くうちはいいが、欲が生じて競争が生まれる。それがヒトの性であり、それが本能のなせる業なのだ。部落単位に拡大すれば群れ毎の性格の違いが一層格差を意識し闘争を生む。延いては現代も同じでより強力な武器を用いて戦闘が繰り広げられている。戦火を生ずとも形を変えて経済戦争あるいは宗教上の争いも起きている。ヒトとは戦いに生き戦いに死んでゆく生物なのだ(誰の言葉でもない、誠の思っていたことだ)。だからこそ、命を奪う争闘に反発する芸術芸能、あるいは倫理道徳、そして宗教が生まれて緩和ケアされるのではあるまいか。政治もそんな働きをする分野であるのか。政治上のある出来事が戦争を引き起こし、荒廃の憂き目に遭っても必ずや新たな政治機構が立ち上がり復興に赴く。やがて新たな平和国家が建設されるとしても万々歳とは行かない。何が正義で何が悪なのか。一つの真理で割り切れる例はないのだ。一つの理論が立てば必ず反する理論が対峙(たいじ)する。正反合(せいはんごう)とは複雑な紛糾を解決に結びつける実に納得できる理論だと考えた時があったけれど、世に名を残した世界の政治家の顔を時系列に並べて見るうちに覚えず長嘆息(ちょうたんそく)を漏らしてしまった。
戦争が無くなった時間の無い人類史に、国際連盟、国際連合という平和の機関が生まれても、いざ、戦争が始まれば形無しとなる。ならばこの先どうすればよいのか。政治、経済、外交、いずれも人類世界の未来を約束してくれるパワーを感じ取れそうもないけれど、所詮(しょせん)、人類が未来に待っているのは絶滅であろうと最期(さいご)まで齷(あく)齪(せく)努力していくのがヒトの辿(たど)る道なのだろう。生まれて死んでいく人生と同じとは皮肉なことだ。人類はこの先いかなる変遷を辿るのか、歴史を学んでその絡(から)繰(く)りを凝視したいとひとまず考えたのだが……。
合格通知を貰った時には政治というものへの興味関心にやや陰りが生じていたのをまさか親には言えないし、言うつもりもなかった。高校の三者面談で頭を抱えていた両親が担任の前だからと堪えて、分かったような素振(そぶ)りでいたのを思い出す。母の目に浮かんだ涙の意味は今も判然としないが、彼らを前に言葉を弄(ろう)していた誠自身が途中で何を喋っているやら混乱を来(きた)したのだけれど、初志貫徹、大学は政治経済学部を選んだ。何ごとも始めてみなけりゃ分からない、親には済まないが混迷やら心配やら不安を抱えていても「当たって砕けろ精神さ」と嘯いたものだ。あの頃は調子に乗って、末は首相、そこまで行かぬとも国会議員などとほざいていたのは極々初期までだった。理系は知らぬが文系の学部学科は勉学の成果が就職先と直結していないのがむしろ嬉しく、モラトリアムであることを不安に思うどころかまだ枠を嵌められていない自由を誠は喜んでいた。
図書館を出ると、もう夕景色になっていた。けれど寒さを感じぬ初春の大気が身を包んでくれる。道脇の白梅も影を潜めて静寂を極めていた。長い春休みをのんびり図書館で読書できたのは幸か不幸か、いずれだろう。この余裕のある今だったら出願先は変更したかも知れない、そう思って即、不甲斐なくなる。人生三度目の「新入生」としての晴れを迎える前に大学卒業後の就職まで考えてしまう自分を喜べなかった。未来も捗々(はかばか)しく想像できないし、過去を眺め直して暇を潰すのは快いものではない。なにせ今まで馴染(なじ)んだものが容赦(ようしゃ)なく流れ去るのだから感傷的になっても無理はない。時は無情だ。大学図書館を利用することになればこの図書館も想い出の中に仕舞われてしまうのだと思うと霞の中にぼんやり明るむ街灯にもその後ろに聳(そび)える建物にも切なさを覚えた。
数週間後、何だか落ち着かない気持ちを引きずりながら、それでも無いわけではない清新な気持ちで受験時以来久しぶりの大学の門を潜(くぐ)った。入学式である。誠の隣には父がいて並んで歩を進めるのが照れくさくやや遅れて歩いた。今まで、晴れの日には母親が同行したものだったが、どうしたものだろう、父親の方から申し出て来たのである。地元の大学を選んだことで親に付いて来られるのを歓迎していなかったのだが拒絶するほどのことではない、親にしてみれば息子に対する期待の念を表したくてのことと察した。かくして親孝行な誠の大学第一歩であった。
意識変革は高校時の反動として付き合い方にまず顕著に出た。コンパに誘われればそそくさと小綺麗にめかし込んで参加する男となった。自宅通学生の新鮮味の無さに風穴を空けようと自分を急き立てた理由もあろう。好みの女性談義といった話題にも首を出す新軟派のデビューである。だが、その度に「君は理想を追い求め過ぎるきらいがあるな」「子供だなぁ、清州は。外見はともかく内実は入り口を潜らんで分かるものか」「尻込みするうちに蟄居(ちっきょ)老人になっちまうぞ」「ともかく積極的に接してみてタイプか否かをチェックしなきゃ」などと実(まこと)しやかに意見されるのを一々頷(うなず)く振りはしていても、心の底では腑に落ちてはいなかった。容認できぬ自分をもしかしてどこか悪いのかと怪しんだこともある。気付かぬ寸前の病者? だからこそ誘われれば敢えて首を出す羽目に陥ったのか? いやはや幼い話である。耳(みみ)年魔(どしま)などいう言葉があって、普通は女性に対して言うが、その種の談義に加わる中にも多分にそんな輩(やから)もいて、誠はそれを新鮮かつ真面目な思いで真に受けた。その姿勢に立つことで従来の自分を変える一つの条件をクリアできると性急に考えたからであった。いわゆる「コンパ」なるものへの参加機会が回数を重ねた。しかし、接近する現実の女性は当然のこと「お姫様」には遥かに遠く、ややもすれば中学以来の理想を目前の女の子とオーバーラップさせる如き誠の目つきは相手を不快にさせたのではなかったか。誠としても己の心とぴったり重なる女の子が簡単に見出されるとは思ってなどいなかった。ただ、相性がかなりの重要性と心得れば機会を減らす要はないけれど、自分の理想像を貶(おとし)める気は毛頭無いとの独断が、親しく会話していてもついには中学時のそれから一歩も出ない女性像、交際観にハンドルを切ってしまうのだった。ある意味妥協して遇するのが現実と弁えるのは却って相手に失礼だと思った。すると、異性を友人、あるいはアルコール上の相手としか見ない偏向した気分でコンパに出向くようになり、却ってマスメディアに立ち現れる女優やモデル、あるいは容姿端麗なスポーツ・ウーマンに自分の理想像が比肩するのを喜んで現実との乖離(かいり)を寂しく味わい、実際の相手は理想とならぬが条理と昵懇(じっこん)までに至らぬことを虚しき現実と心得た。片や勉学を疎(うと)ましく思うような学生ではない誠だから、世間には自分と合致する存在は無いのかと天を仰(あお)いだのを最後に前期末には男女交際に尻ごみする傾向が強まった。要は晩稲(おくて)の男子に分類されるに及んだのである。
……懐かしきは青春期。「女嫌い」を標榜した覚え無く、勿論、異性拒絶の気質・体質であるわけもない。だから、好みと見るや素早く目を遣ったり後を付けたり、あるいは遠望するだけで諦めを心内に吐いたりして、理想を掴むことがない不遇さ、虚しさを託ったものだった。
でもなぁ、仮に見つけたら忽(たちま)ち追い付いて細腕を掴(つか)んでしまう、そうしたら次は? 妄想通りにキスしちゃえば良かったのか? まあ、それが行き過ぎなら強く抱きしめちゃうのはどう? いやあ、違う! 当時の私はそれができなかった。前に回って頭から足先まで目を走らせる、これすらガチゴチ体が音を立てた筈だ。そいでもって「すみません、人違いでした」と頭を下げたら忽ちドラマだ。もし、もしもだよ、これが正に意中の女性だったらどうしたろうな?
現実には何にも起こらなかった。つまり、相手のあることだから自分の意の儘にならないのは当然のこと、相手の気持ちを慮(おもんぱか)っての行動を取らなきゃならないという性格。青春真っただ中の人間にもこんなタイプはいるわけさ。なのに、アンテナ(勿論股間の意ではないよ)を張るだけは張るのが寧ろ虚しかった。が、愚者ではない、実際は夢想像から多少外れても逃げたりはしなかった、人格者だからね。忠恕、復活だ。コンパの終わるまでいるだけはいた(生来の右党は寝込んじまうのが常だったかも)。時には気持ちを擽(くすぐ)る女性がいることもあって、そんな時は概してこう! 真面目な性格は尚もじっくり観察する、とあろうことか(否、案の定(じょう))他の誰かとくっ付いてしまう。落胆を味わって所詮(しょせん)は尻軽女だったかと嘯(うそぶ)く、そんな自分を早、慰めよう無し。自己嫌悪に陥るパターンを何度繰り返したろう。ただ一つ開き直って言えるのは妥協が嫌だった、これを貫いたことだろう(だからこの結果を招いたわけなのだが)。
要は青年の一つのパターンだった。とても『ヰタ=セクスアリス』なんてもんじゃない、でも慰めの文章にはなるかもな。生涯の異性は見出せなくとも平々凡々と貴重な青春生活を費消はできた。よく遊びよく学んだモラトリアム型の青年にも大学生活は総じて楽しく過ごしたと宜(うべな)わせるだけのことは保証してくれたのだよ。……
