星にときめく ……あえかなる誠の往交記
公開 2026/03/12 23:04
最終更新 -
1(つづき)

「助けてーッ」とまた大声を出す香代子。間歇(かんけつ)的に悲鳴を上げるのもお決まりのことだ。叫び続けられては母親たちへの邪魔になるだろうが、「落ち」でも決まり文句でも『水戸黄門』の印籠の紋所が決め手なのだから、その迫力、迫真性の為にムードを高めていくことが肝要なのだといつだったか誠が二人に滾々(こんこん)と教授したものだ。
「正義の使者よーッ、まだだからねぇー。あと五分くらいだよーッ!」
美帆が母親に時間を尋ねている。香代子を抱き上げると、一瞬嫌がるそぶりを見せたが
逆らったら殺されるのだ、自分でも奥の高みへと這い登る。けれど、一年生では無理な高さだし布団は滑るし、と言って今さら止められるか、初志貫徹だ。誠がさらに力を入れて持ち上げようとしたら香代子のお尻、白のパンツが目前に。構わず、むぎゅーッと掴んで押し上げた。お尻の肉の柔らかさがちょぴり罪意識を齎(もたら)す。
押し入れを閉めようとすると香代子が「いやだッー」と叫んだ。
「マコちゃんも一緒じゃなきゃ、ヤだよ。暗くて怖いんだもん――」
 幾分、声を落として行くのに誠は気付く。
「分かった、分かったよ」(これだから女の子は困る、とつい思う)
 誠を見下ろす香代子の隣の隙間目掛けてずるずるとよじ登り、体勢を変えて襖(ふすま)戸(ど)を閉めるとしがみ付いてきた。怖いんだなぁ、女の子は。こんなにぴったりと女の子と体を合わせたことが無い。ぎゅうぎゅう詰めだと暑さが増した。何やら喋る香代子の息が熱く甘酸っぱい。
そこへ美帆の気配だ。香代子がいっそう強くしがみ付いて来た。正義の使者は新パターンに戸惑っている(成功だ!)。「悪者めぇ、どこに隠れてるんだぁ?」がやがて「お兄ちゃんたち、どこに隠れてんのぉ?」と独語が変化した。
暗闇の中で竦(すく)んだ香代子が僕を見上げる。それが思ったより近くて、白目に小さな瞳の揺らめくのが真面(まとも)に見えた。もはや恐怖心は微塵も無く、まるで共犯を楽しんでいるような素振りが誠を苛(いら)つかせた。
「姫、決して声を出すなよ」
と小声で指を立てたら香代子がそれを咥えようとした。「ばかっ」と指を引っ込めた誠を白目がちの目が笑う。その下方の頬も唇も歪んでいる気がした。共謀を楽しむ薄ら笑いはけっしてお姫様のものではないと確信する。
香代子が身じろいだのは逃げようとの演技か、だから横向きになって捕まえた。汗の匂いと体臭や口臭がない交ぜとなって誠を襲う。動かなくなった香代子が息遣いを整えながら「ずうっと見つからなきゃ面白いね」と言ったのに誠は慌てふためく。邪心? 悪魔の囁き? 女の子の怖さを覗いた気がした。まだ一年生の香代子の口から放たれた言葉は恐らく異性の心が言わせたのであり、だからそれは「女」というものが生来有する本能なのだと敷衍(ふえん)させ、うっすらであっても疑念と恐怖が小三の誠の頭にその後も長く占めることになる。少年の純粋さはその恐ろしい真理めいたことを他言無用と本能的に悟って頭の深奥に収めたのである。

……そう言えば、香代子は三年生になった頃から事あるごとに自分はマコちゃんのお嫁さんになるんだと言い始めた。その度に誠は「やだよ。カヨ坊なんかと…」とつっけんどんに返すのだが、あまりにしつこいのでそのうち面倒になって無視した。
ある日、香代子が友達とままごと遊びをしているところに通りかかると直ぐに「マコちゃーん、お父さん役やってー」と臆面も無く大声で呼んだ。「やだよぉ」以外の返事はあり得ない。昨年のある日を境に金輪際、ままごと遊びには付き合わないと決めたのだ。家庭内の役柄の毎日を延々と繰り返す遊戯に閉口しての断言だったのに、人の気持ちは香代子には通じないと思うとよけいに腹が立った。女の子特有の粘着性も鼻持ちならなかった(男でもそんな性格のやつはいたけれど当時は『女の子の』と形容して憚(はばか)らなかった。「男の腐った奴」という文句もあったが、まさか……)。
五年生にもなると異性が興味関心の一つになり『好き嫌い』の話題がドッと増えた。あからさまに付き合いを始める者もいたが、概して男子は晩稲(おくて)で表面化するのを決まり悪がり、むしろ「女嫌い」と表明するのが男らしさとも思えて誠もそんなポーズを採っていた。
ところがある日の放課後、たまたま一人で教室に残っていた時のことだ。太めで肌黒の本条百合が真っ赤な顔をしてドカドカ教室に入って来た。小柄な南沙也加と川田泉が後ろに隠れて、こ奴らはコバンザメだった。だが、誠の席の横まで来ながら何にも言わずに、嫌な間を作る。
「な、なんだい?」と誠が席を立って向かい合わせになると、
「清州くん、……」
既に何の用かは鈍感な誠も察していて、だからこの「間」がとっても不快だったのだ。
「何、何さ?」と本条を見ると異常な赤さに顔が膨らんでいる。地獄谷の鬼の形相だ。
「清州くん、……一対一で、…交際してください」と言うが早いかぺコンと頭を下げた。
ワッ、やっぱり来た。たとえ子分であっても彼女らのいる前でよくぞ言えたものだと瞬間的に憤(いきどお)る。誠にすれば男女の付き合いに関わることは秘密裏に行わねば何かが犠牲になると妙な了解をしていたから。
「ぼくは……、ぼくは、そういうの嫌なんだ。みんな同じ友達でなきゃあ。だから、悪い!」
 『ごめんなさい』と尻に付けるのがその頃の決まり文句と知ってはいたが敢えて変えた。学級委員長らしい好ましい断り方だった筈だ。随分前から決めていた文句だが初めて口にしたから唇が震えたんだけど。
本条はキッと振り向くと二人を従え戸をけたたましく開けて猛スピードで駆け去った。本条らしくて良かった。……戸がちゃんと閉められていなかったのかな? そこを狙われたのだと誠は思った。何度か嫌な視線に実は以前から気づいていた。「いいんじゃないの」と嘯いたのはそんなステージに乗るのは性に合わず全く関心が無かったからだ。冷着に最前を分析してみた。ぼくだってホントは逃げ出したかったんだと誠は思う。本条が嫌いというんじゃない、ただ好き嫌いの範疇には入っていなかっただけのこと。異性との交遊など全く未経験な誠には不可解な分野だが、「好き」だと言える対象はあの子だなとこの頃漠然と思う子がいたのだ。
ほんと言うと、かなり前から同級の白川智子が気になっていて、何かの弾みで彼女を思い出すたび恥ずかしくなった。別に「好き」なんてことじゃなく「可愛いな」と思う対象だと自らを偽っても、とっても気になってならなかった。その意味では本条に嘘を吐いたわけだが、だから学級委員長らしい断わりの言葉なんだと納得もできた。けれど智子が自分をどう思っているのかも判らない。と言って、彼女からの告知も到底考えられない。上品で奥ゆかしく恥ずかしがり屋の子にそういうのは似合わない。でも、万一あったら「好き」の世界にずんずん入ってゆくのかなと好奇心が疼(うず)いた。もちろん誠の方からだってあり得ない。チャラチャラは嫌いだし性に合わない、固より恥ずかしくて堪らなかったから。流行の「告白」のパターンを借りるなんてのは漢(おとこ)気(ぎ)が許さない。いや、それより五年坊主が一対一で交際するのは何か信義に悖(もと)ると意外なほど真面目に考えていた。

……ほんとにいつからだったろう、好きになった。「いつ」が不文明なら縁は無いのだと考えた、一瞬にして互いに好きにならなくちゃ嘘だと信じていたから。六年生に上がる際のクラス替えでまた同じクラスになった時、神仏を崇(あが)めたくなったし、全く信じちゃいない占いをして貰いたくもなった。その時点だったのか。だからと言ってその時の思いは今にして思うなら軽過ぎた。確信したのは……やっぱりあの時だったかと追い詰める。
凡そふた月が経った頃、爽風が教室に吹き入る心地よい季節になった。友達を早く知るためだと担任が言い、日直(二人ずつ担当)が一回りしたところでクジ引きに依る席替えをすると勝手に決めた。すると三回目の席替えで、斜め一つ前に白川智子が座ったのだ。長めの髪が微風にそよぐのを綺麗だと思った。黒髪が元々好きだった。「男」じゃない異性、「女」の美点と思えた。まさか特等席で見られるなんてと思うと忽ち恋めいた感情が芽生え、途端に心臓が高鳴った。藍色の、地味だけど高価に思えるヘアバンドが彼女に本当に似合った。ぷっくりした頬から口籠るような甘いアルトの声は小さくて聞き取り辛いけれども可愛く思えた、何より大きくて綺麗な瞳が何事にも応えてくれるようだった。
それにしても細めの長い髪の一本一本がそよぐ風につられて微妙な動きを見せる善美の極みは誠を見惚れさせるに充分だった。妹の美帆の髪も長かったが思い出す前に比べる対象ではなかった。ふと正気に戻って自分の行為に何度もハッとする。まさか寝ていたのではとの錯覚が起きた。妄想とは睡眠の中で展開するとは限らない。ともかく授業時間が智子を見つめる好機だった。さすがに凝視すれば目敏い教師に露見しそうなので「盗み見」という微かに罪悪感を伴う行為を採らざるを得なかった。しかし、そのシチュエーションが却って智子への恋心を焚き付けたとも言える。誰にも知られぬ一方的な卑しい行為が楽しくさえあった。
また別な日、突風が吹き込んでみんな慌てたことがあった。担任が窓を閉めるよう言い放つ前に窓側の生徒はサッサとそうしたけれど、誠は一点を注視していた。強風がまるで智子のすべての髪を靡(なび)かせたのだ。その瞬間、見たことの無い智子の揃えられた綺麗なうなじが目に飛び込んだ。白肌に逆さ富士のような整美で清艶なうなじが網膜に焼き付く。秘められた場所を見て興奮し、世にも稀な美しいものを独占したいと誠は思った。
窓が閉められた。誠には智子のうなじを見られる機会が永遠に閉ざされたと切なく感じられた。色白の首筋に沿ううっすらと美しい和毛(にこげ)。妹の美帆のそれは珍しくもないのに智子のそれは美的な対象と信じられる自分を怪しく思ったけれど真実なのだ。それを智子の恥部を見た思いに譬(たと)える自分を恥じたがこれも消去できない。正に一瞬だった、だから永遠のものなのだ。元に戻った髪を智子はか細い手で調えるように撫ぜる。もう見たよと誠は淫(みだ)らに呟(つぶや)く。

……六十四年生きて来て一番美しい少女と思ったのが白川智子だ。若干中学二年の坊主が見初めて堪らなく可愛いと執着した。もうどうにかしちゃいたいという自分でもよく分からない衝動の一歩手前だったというのは大袈裟過ぎるか。一瞬の情意が「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」という心理に駆られたかも知れないが、けっして“自分好みの女”というのではない。そんな下賤な感覚ではもうとう無い。飽く迄、生身の少女での一等賞なのだ。目の前に現れた“天使”“妖精”、あるいは“王女様”“お姫様”。現代風に言うなら“アイドル”、いや違う、アイドルは多くのファンを従えるべく表でぶりっ子に励む営業上のスターだし、絶世の美女というより身近な可愛い女の子という感じだろうから、本質的にほど遠い。獺(だっ)祭(さい)じゃあるまいし、ここまで並べてしまうと却って印象が定まりにくくなるが、たとえ目前に現れても自分のものにできない対象、だからどうにかしちゃいたくもなる存在、そういう狂おしい客体なんだよなぁ。あの頃理解不能だった己の心が六十路の私に明解かというと全くそうではなかった。だからこそ無性(むしょう)に懐かしく思い出の中に照り映えるのだろう。
すらりとした体形に小さな卵型の顔が乗り、背中まで黒光りする髪が垂れている。モデル業を既にしていると聞かされても驚かぬ少女の優美さ。一日に一回ならず彼女を盗み見、妄想の中では信条を破って「交際してください」と直立不動で何度も告白した。彼女を見る度の幸福感はたとえ一方的な好意でも、現実に目が合った瞬間には智子もまた同じ気持ちだと手応えを感じてしまう魔訶不思議。けれども、それでジ・エンド。肝が据わる前の妄想世界でしか結ばれぬ最美の存在ということなのだろう。   
私には髪の長さが女性評価の大きなポイントだった。小学校の頃には結構いたロングヘアーが中学になると激減しクラスに若干名となったのは学校の規則が関わっていた所為かも知れない、あるいは時の流行もあったのだろうか。大半の女の子がショートとなったが為に余計気になり始めたのかも。女嫌いを標榜(ひょうぼう)するのと美少女に好感を持つことは矛盾しない。だが、現在まで継続保持していたらそれはロリコンと指摘されるのかも知れない。好きな子の後を付けるのが今はストーカーという立派な犯罪なのだから。
言わば「おとな」になると価値の有無を問わず雑多なものを身にまとい中身までもが秩序化困難な状況にもなり、それを取り巻く世の中も何かと絞り切れぬ塵芥を帯びているから、敢えて言うなら既にみな皺深く薄汚れて、早や単純明快、純粋無垢なるものは存在しなくなる。例えば目に鮮やかな原色は精神的疲労を誘発し、子供の頃には老人のイメージと思っていた茶系統を三色くらい混ぜて渋くしたような色が疲労を和らげホッとさせるようになり、あろうことか、これが老若男女に共通に持て囃されている。大切なものほど黒ずんでくるとでも言いたげに。水清ければ魚棲まずということだろうか……
馬齢重ねて……若人等に紛れて文字に遊び親しむ……未だにそれが楽しくて……貴ブログにも手を引いて貰いました。

目眩く二月の朝の雪の照り騒ぐ小鳥にこころ合はせる
最近の記事
星にときめく ……あえかなる誠の往交記
1(つづき) 「助けてーッ」とまた大声を出す香代子。間歇(かんけつ)的に悲鳴を上げるのもお決まりのことだ。叫び続けられ…
2026/03/12 23:04
星にときめく ……あえかなる誠の往交記
☆連載Start☆ ……本日より1日置きに送信す 星にときめく……あえかなる誠の往交記                      …
2026/03/12 22:49
赤烏帽子……年甲斐もなしに
濁声の誘いに乗ってくるかい ……文芸の広場をつくる為のひとつの試み                            …
2026/03/10 13:19
もっと見る
タグ
もっと見る