星にときめく 2
公開 2026/03/14 10:17
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誠が秋季の行事である「クラス対抗ポスターコンクール」でクラス割り当ての三枚をひとりで買って出たのは、もちろん目論見と勝算があったからだ。道具を家に持ち帰ってやるまでもない。隠れてやる必要がないのは自信があるからだけでなく締め切りが今週末だったからでもある(それに加えて美帆が小学校に上がった時に親戚からピアノを譲られることになり、誠の六畳部屋と妹の四畳半がチェンジされた。しぶしぶ納得したのはいいがその後の練習が時間制限されても神経に障ることになったこともあった)。
その日も教室にひとり残って黙々と作業していた。口々に「頑張れよ」と言葉を掛けて級友たちが帰ってからもう三、四〇分は経っていたろうか。三人一枚ずつテーマを同じくする作品を各家庭で創作するのが普通だった。誠は敢えて似たというより殆ど同じ絵柄三枚にしてワンポイントだけ変える趣向のものが並べて掲示される場合インパクトがあるだろうと昨年度のコンクール結果を見て「来年」を期していたのだ。
そこに……唐突に「手伝ってあげる」と幾分照れた可愛いソプラノが後ろから。驚いて振り仰ぐと小柄な山下泉とその後ろにすらりとした白川智子がいた。無論、可愛い声の主は泉で、くぐもった声は微かだったが間違えようなく智子のものだった。二人の仲がよいのは先刻承知で智子と泉のペアは自分とちょろすけの安田努が行動を一緒にするのと感じが似ていると最初は思っていた。良き親友関係の一類型と誠は考えていたからだが(「コバンザメのツトム」とよく言われるが兄貴弟分の関係ではない)、智子と泉の寄り添い方は度を越えていた……ように思えた。男女の差なのかも知れない、そういう点でも性差を感じる誠であった。
 人に手助けするのが好きな誠だったが逆に手を貸されるのは好まなかった。下手な手出しは却って迷惑と考えるのであって別に遠慮からではない。と言って此方(こちら)から選別する場合でも、過去にひとが悪いと思われ、結果としてそれぞれに不愉快な気持ちが残る嫌な経験もした。だからこの時も「いいよ。一人で大丈夫だから」とまずは断った。だが、他の生徒から見られない状況であったこと、それに何より好意を抱く智子だということ、そしてこの二人共に絵は上手だと知っていたことで、初めて断りたくない気持ちを押し込めての謂(い)いとなった。苦々しい後悔が生じたけれども自分の信条を貫くのが正道だと自らを納得させた。
ところが、二人は帰ろうとしない。
「清州君の、……指示通りに、色付けするだけでもダメ? …ですか」
と、ただでさえ小声なのにデクレッシェンドで言うではないか。勿論、山下のソプラノ、しかも敬語で食い下がってくれた。「ありがた山のとんびからすだい!」と心のうちで叫ぶ。この二人なら安心して任せられるし何より……、だから嬉しさを隠し必要以上に冷静に努めて、でも心優しく、そして即座に答えた。
「そう、ほんとにいいの? 助かるよ。じゃあ着色を頼むかな。下絵は殆どできてるんだ」

……「あなた、まだ起きてるの?」
寝言ではあるまい。かなり前に寝室に入った妻の声だ。安普請ではない筈がここ数年、我が書斎の明かりが寝室に漏れるのだ。
「明日が辛いわよ。早く寝て!」
ちぇっ、と舌打ちする。けれど、睡魔に到底勝てそうもない気怠さが妻の声にあった。恐らく二度目は無い。こちらこそ一度邪魔されたメンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)は乗り損ねるのが普通なのだ、それは困る。珍しく頭が冴えている。今夜は桁違いの明瞭さで懐かしい映像が繰り広げられた。我が脳内美人測定器の最高位は白川智子であり永久に破れはしまい。何から何まで透き通るような心象を与え、どんなに見入ろうと染みどころか笑った時の小皺も無く、体の動きに因る皮膚の捩れも一切無い美しさを如実に見せている(断っておくが智子の六十四歳を想像してのことではない。ならば当然か。いや、そうではあるまい)。
明日も多少眠くったってできる仕事だ。それを立腹したり悲嘆したりはしない。寧ろ大事無きよう小事に勤めれば他への余裕ができようってなものである。睡眠不足、大いに結構。お肌の曲がり角は疾うに越えている。だから続きを……(追憶能力、今夜は快調。あの時の絵の具の匂いか、プルースト効果が発揮された)……

普段から智子の机に泉が行っては二人でクスクスやってるのを目にしていた。ある日そうっと後ろから覗くと水森亜土ふうの可愛い絵を智子が描いている。男の子と女の子が向かい合い互いに腰を直角に折っていっぱいいっぱいのところでキスしている絵柄だった。背景には大きなハートが描かれている。見られたと知って智子が慌てて机に突っ伏す、気付かれたと知って誠は慌てて後方に逃れた。去り際に目敏(めざと)く捉えたのは長い髪から現れた朱に染まった耳朶(みみたぶ)だった。泉がちょっと睨(にら)むふうに誠を見たから、思わず、気づかぬふりをして遠ざかった。一筆書きのような亜土の絵は注文通りのタッチだがそれが模写でなく智子は自分のものにしていると誠には思えた。簡単なタッチの絵でも上手さが判った。とんだミスをしでかしたけれど誠にとって智子の評価を一段上げる出来事だった。
泉は美術同好会に属しているのを知っていたからその実力のほどは分からなくとも、この際躊躇(ためら)っている場合ではないとの即断でもあったのである。
委員長というのは人望があってなるのだから何かと教室内を歩き回っても胡散臭(うさんくさ)い顔をされることはない。それ故、クラスの個人情報を得るのも容易で好都合なことが多かった。その時はそれが為の油断だったわけだがいつかタイミングの良い時に謝ろうと心に収めた。
「ワンポイントだけ変えてあとは全く同じ絵にするんだ。だからベースはこれ。変えるのは色でもいいし、形に変化を与えるのでもいい。今回のミソはここにあるわけ。君たちに任せてもいい? ぼくも下絵が終わったら君たちの色付けに倣(なら)っていくから」
机の中から下絵の二枚を取り出して広げて見せた。わあッ、二人の口から同時に溜息が漏れた。「面白い、写楽でしょ。鼻だけベルジュラックなのね」(ベルジュラックなんて言葉が飛び出すなんて、泉に感心した)、「まるでジグソーパズルなのね」と智子。「任せて貰っても大丈夫かなぁ、原画は無いの」と泉が言うから「きみたちに任せる。そもそもジグソーにした時点で原画の意味なんて無いだろ。肌も髪の毛も濃淡以上に色を変えたっていい。ただ一枚だけ色を変えればいいからさ」と誠が言うと、「迷ったら……清州君に、聞けばいい、よね」と智子がごもごも言った。
「いいアイデアね。さすがは委員長」と泉。今まで見たことの無い生き生きした表情だった(いつも智子の陰、否、隣にいて気付かなかったんだな)。それから智子に目を移すと多分「面白い」と言ったのだろう、もごもごと。でも両手で作った拳を胸にしていかにも可愛らしかった。
机を二脚くっ付けて誠とはちょっと距離を取っていた。水彩バッグが同じなのは中学校が同じだったことを意味しているのか。その時、誠はハハンと気付いた。今日は芸術の授業は無かったのに二人が持参していたと。それからは二人がこそこそ話し合う声に聞き耳を立てた。声の違いで話し手が分かるのが面白い。不安を強く感じてるのが智子であるのは想定内だ。「最初は肌からね」とリードする泉。色の薄い部分から塗っていくのが常道だ。
「清州くん、肌はやっぱり同系色にするわね。でないと色違いのピースが全く分からなくなってしまうから」
泉の言うのに向かいで智子も頷いている。確かにそうかも知れないと誠も思った。彩色するまでは髪の毛を薄い色で、肌はいっそ黒っぽく、大胆な色遣いで行こうかなと思っていたくらいだが確かに泉の言う通りかも知れないと思った。
「いいね、確かに。もう、完全に二人に任せた。楽ちんさせて」
二人がくすっと笑ったのは普段は見せない誠の寛いだ雰囲気故か、「楽ちん」という語句故か。
その後も二、三尋ねてきた泉に対して智子は声を発しなかったけれど目がキラキラと真剣だった。
このサーモンピンク、綺麗だから一点で繋いでいかない? そっか、智ちゃんグッド!  泉ちゃん、襟は白でいいよね。後のことだけど着物は何色がいい? 江戸紫かな? えっ、紫色とどう違うの? 知らない!(エへっ) 「泉ちゃん、適当」と智子が言って二人が笑い合うのを誠はチラ見していた。
「清州くんは知ってる? 江戸紫」と聞いてきた泉に、
「海苔の佃煮の瓶のレッテルの色」と誠が答えた。
「それで、違いは?」
「分かんない。だから君たちにお任せと言ったろ」
「清州くんもテキトー」の智子の言葉に今度は三人で笑った。
当然のようにリードする泉の綺麗な声を中心に笑い声を交えながら作業は着々と進んだ。
チラ見する誠の視線に智子は気付いていただろうか。誠に近い方の机で彩色する泉の方が誠をちらちら眺める気配があったけれど、智子はどうして寡黙を通しているのだろう。家でもそうなのかな。恥ずかしがり屋なのは知ってるけどクラスメイト同士じゃないか。それも向かいは親友の泉だろ。不思議なことをそのままにできない性分の誠にすれば、首をどれだけ傾けても理解できないのが癪だった。三人だけでいられるチャンスなんてまず無い、この際仲良く会話したいとの誠の欲求は強まっても独り相撲の感じが強い。今は時間的な余裕があるようで無いのだった。
俯(うつむ)いて作業する智子の横顔を覗き見する。気取られてはならぬ、だから二人を交互に見遣るように努めた。その誠の配慮は心優しい繊細さからか、いや、抜け目の無さ故だろう。
でも、沈着な姿勢を崩さない智子に対して泉の絵に向かう表情は豊かで、かつ賢く映じた。個性の違いなんだ、進捗の差が生まれるのも自然のことだ。誠の視線を敏感に捉えたか、泉がふっとこちらを見て零した笑顔は満更でない可愛いさだった。誠が見入るようにしたのも、泉が可憐な可愛さを返したのも初めてだった。ショートヘアが余計に小柄に見えさせていたことにも気付いた。きりっとした逆三角形顔の泉に比して智子は上背があるのに童顔の丸顔だ。ふっくらした顔は搗き立ての餅のような肌で、触ればぽちっとした感じが想像された。泉の頬はきっと引き締まった感じなのだろうなぁと考える途中で、当然のごとく二人を見比べている自分に気付いた。何だか自分がとても嫌らしく思えて思わず首をぶるぶるっと振った。
折しも涼やかな風が窓から吹き込んだ。途端に誠はチャンス到来とばかりに期待する。また、智子の白いうなじが……目を智子に集中させる。うなじは見えなかった、けれど夕(ゆう)影(かげ)の当たった肌理(きめ)の細かな頬に金色(こんじき)にそよぐ産毛(うぶげ)を見てしまう。それだけ近距離だった所為だろうが、夕陽(ゆうひ)が見せてくれた奇跡に思えた。餅肌というより水蜜桃のような肌触りなのだろうと推量した。女の子の頬に和毛(にこげ)の生えていることの発見に驚き(でも、見惚れ)、泉のそれと比較しなかった不覚を思い、また、不埒(ふらち)に踏み入っている自分を恥じて、まるで悪戯を隠す悪童のように素早く目を戻した時に、唾をのんで誠の喉が鳴った。聞かれた? けれど二人は何事も無いように懸命に彩色している。ただ智子の頬にほんのり赤みが差した気もして、そう思うにつけ自分の頬にも血液が集中し始めた。また秘密を得たからなのか、或いは両思いの印だろうか? そんなことを考え始めたらそれ以後はもう目を向けられなくなった。
それで、やっと絵に集中できたのだが、隣の作品には随分遅れを取っていた。途端に、「ごめん!」という言葉が思考回路を経ずに飛び出した。手助けを頼んだ自分なのに……との思いがいきなり向きを変えて別なことを引き寄せた。
 きょとんとした二人に躊躇(ちゅうちょ)なくふいっと誠が言った。
「ずっと前に……、白川さんの席の後ろを通った時、……白川さんが絵を描いてるのを山下さんが見ていて、……ぼくも何気なく覗いた。白川さんは咄嗟に隠そうとしたし山下さんは僕を睨んだ気がしたから、思わずその場から逃げちゃった、……だから、ずうっと気にしてた。ごめん、今頃謝るなんて。謝り損ねちゃった……」
真剣に聞いていた二人の頬がやがて解(ほど)けた。クスクスと笑い声も立てた。やっぱり泉が口を開く。
「ああ、あの時ね。そんなこと気にしてたの。却ってごめんね。清洲くんだけじゃない、しょっちゅうだもの。その度に智子は恥ずかしがるの、とっても上手なのにぃ」
「時効」と微かなくぐもり声が聞こえた。
「えっ、ジコウ?」誠が智子を見た。
「ああ、時効ね。起訴できなくなるタイムリミット」と泉。
「ああそうか。時効成立のジコウかぁ。じゃあ、やっぱり犯罪行為だったんだ」と言うと泉が笑い、智子も釣られて笑った。
「白川さんはそんなことも言うんだ、面白いね。ところで、水森亜土が好きなの?」
と誠が切り替えると、智子はこくんと頷く。
「写すんじゃなくて、どんなシチュエーションのものでも自在に描けるよね、きっと。直ぐに分かったよ」
智子は下を向く。緊張した空気になりそうになるのを掻き回すように泉が言った。
「もう言わないで。褒(ほ)められると智子は異常に恥ずかしがるの。……清州くんはわたしの絵には何にも言わないのね」
「ええッ! だって美術部に顔を出したこと無いもの」
「まあ、失礼しちゃう。美術の時間に描いた図書館の水彩画だって教室の後ろに貼ってあったじゃない」
「ごめん、だけどあれは、みんなのが貼られてあったじゃないか。だから特に……。どうか勘弁して」
図書館を斜交(はすか)いに見て遠くの工場を描くという他の生徒とは全く異なるアングルの二枚だったのを誠は鮮明に記憶していた。水彩画は泉の方が部員だけのことはあると思ったので智子と比べるような物言いになってしまうのを嫌い、忘れた振りをしたのだ。
途中、二人の申し出を受け入れ背景もジグソーパズルのピースのように色分けを施したお陰で、一層カラフルな摩訶不思議な絵となった。完成したら空いてる箇所に智子得意のカットをお願いするかなとちょっと前に思い付いたが、完成するまでそのタイミングは得られなかった。
作業は結局、七時半を回った。断ってはいたとは言え小学生には遅すぎる時刻だ、そうっと帰った方がいいかとも思ったが完成の喜びが遥かに上回った。予想以上の出来栄えに職員室まで行く間中、満足の笑みを堪えるのに苦労した。
「二人が手伝ってくれたので、今日、提出できました」と言うと、いかにも満足気に大らかな性格の担任はねぎらってくれた。それぞれの家庭には電話を入れておくから、済まないけど二人は家が近い、清州がエスコートしてくれないかと頼まれた。願ってもなかったので嬉しくなったがそこのところは抑えて、
「二人には礼をしなくちゃと思ってたので、それくらい当然です」
 と利口を装う返事をした。実際のところ「エスコート」って具体的に送るだけの謂いなのかと調子に乗り、「送り狼」という語句もあるよなと滑ってみた、これはこれでませた知識もある誠であった。
馬齢重ねて……若人等に紛れて文字に遊び親しむ……未だにそれが楽しくて……貴ブログにも手を引いて貰いました。

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