ミヒャエル・エンデの『モモ』と『はてしない物語』の感想とfedibirdというSNS空間について(後編)
公開 2023/12/13 00:00
最終更新 -
この日記はFediverse Advent Calendar 2023の13日目の記事です。
前編はこちら→https://simblo.net/u/zt5KHb/post/25125

『はてしない物語』の感想 #

 さて、そうなると、私はもう『はてしない物語』が読みたくてたまらなくなりました。『モモ』を読み終え、これは素晴らしい話だ、時間とは存在とは…聞くとは…命とは…心とは…となる一方で、「『はてしない物語』にもまたTwitterっぽいつらい話があるかもよ?」と思ったのです。そして、残りわずかな無料会員期間を使い『はてしない物語』を読み始めたのです。

『はてしない物語』の主人公バスチアン #

 audible版の『はてしない物語』は岩波少年文庫版と同じように上下巻に別れていました。
 上巻は主人公のバスチアン少年がはてしない物語という本と出会い、盗み、読み始め、またその中の緑の肌族アトレーユが病に臥せった女王幼ごころの君とファンタージエン国を救う冒険が中心に描かれています。
 全体を読んでみてこれはTwitterにありそうな話だ! という部分は『はてしない物語』にはあまり見かけられませんでした。しかし、主人公のバスチアンという少年は何というか、親近感の湧く少年でした。

バスチアンのプロフィールと物語の始まり #

 バスチアン・バルタザール・ブックス
 10歳~11歳。でぶで、背が低く、X脚、勉強も、運動もできない。得意なことはお話を考えたり、名前を付けること。父親は歯科技師で母親は死んでいる。学校ではいじめられている。いとこにクリス・タという心優しい少女がいて、彼女だけはバスチアンの話を聞いてくれるが彼女は現在、会うことができない。

 バスチアンは学校でのいじめから逃れるためにカール・コーンラート・コレアンダー氏の古本屋に入り、そこで見つけた『はてしない物語』という本に情熱を感じ盗み出します。そして、学校の屋根裏で本の扉をめくり物語の冒険に出る、そんな感じで始まる作品です。

 上巻は『はてしない物語』の中で不治の病にかかっている女王幼ごころの君からおしるし「アウリン」を授かった緑の肌族の少年・アトレーユの救国の冒険を中心に話が展開していきます。
 しかし、幼ごころの君の病を治すにはファンタージエン国の外の者に新たな名をつけてもらうこととわかると、バスチアンは物語の中に入るよう誘われ始めます。バスチアンが直接ファンタージエン国でした冒険、それが下巻の内容です。

 私は、「Twitterで見たことのある出来事」を期待して読んでいました。しかし、この本は人々の話を聞くことのできるモモと違って(ご紹介し忘れましたが、モモの特技は人々の話を聞いてそれによって相手がスッキリすることです!)、誰にも聞いてもらえないがお話を考え、名をつけることのできる少年・バスチアンが主人公で、この主人公自体が自分にとって親近感の塊だったのだと思います。
 バスチアンの描写はひどく、コレアンダー氏に最初出会ったときも若者はろくでもない帰れと厄介払いを受けたり、更にいじめの話をしたら弱虫だといわれますし、『はてしない物語』の本も欲望に火がついてコレアンダー氏の隙をついて盗み出したものです。また、でぶで、背が低く、X脚で、勉強もできず、運動もできず、弱虫で、誰も話を聞いてくれない、聞いてくれた子も遠くへ行ってしまったという背景は悲惨で、それが何度も何度も語られます。
 正直、聞いているだけでモモと違い「これはひどい目に合いそう!」という予感がヒシヒシとする主人公なのです。※
※モモはバスチアン少年とは逆に浮浪児だけど彼女のもとにはいつも人々が集い、モモが人々の話を聞くと人々の心がスッキリして動き出せるようになるという少女でした。しかし、ひどい目に合いそう! というのは、罰当たりめ! とか、いじめられそう! いじめられろ! とか、そういうことではなく、仕掛け絵本の仕掛けが見えているようなものだということを付け加えておきます。

帰りたくない現実世界と友達の心配 #

 さて、期待通りかわかりませんが、バスチアンの冒険は上巻のアトレーユが見せたような勇士の冒険譚とは違いもやもやが積み重なっていく苦しいものでした。

 下巻のバスチアンは上巻のアトレーユがそうだったように女王幼ごころの君からアウリンという宝のメダルを授けられます。そして、東方の王子様のように姿かたちを変えられ、ファンタージエン国で最初に出会ったライオン・色のある死・グラオー・グラマーンから魔法の剣を授かり、それを自らシカンダと名付け相棒とし、ファンタージエン国を冒険します。

 下巻も三分の一くらいのところで上巻で活躍したアトレーユと合流し、その辺りまでは幸福な雰囲気がありました。が、しかし、バスチアンとアトレーユの間に考えのすれ違いが生じ冒険の行き先は段々と闇に閉ざされていきます。

 宝のメダル・アウリンの力でバスチアンが願ったことや語ったことは全て叶えられますが、願いが叶えられるとファンタージエン国の生きものではないバスチアンは自分にまつわる記憶を少しずつなくしてしまうのです。
 そのことにアトレーユは心配を募らせ警告するのです。
 しかし、アトレーユの心配とは裏腹にバスチアンは自分の人生に戻りたいという動機を全く持っていませんでした。
 前述したように学校ではいじめられていましたし、父親は母親が亡くなってから心を開いてバスチアンと話してはくれませんでした。唯一話を聞いてくれるクリス・タも今はそばにいません。家庭と学校という子どもにとって重要な二つの環境でバスチアンは自分が必要とされているとは感じにくく、むしろ拒絶されている、またこんな自分だからいけないんだと思っていたのです。
 ファンタージエンに行ってからバスチアンに最初に起こった変化は見た目が東方の王子のようにかわることでしたし、他にもとにかく現実世界の自分の存在を認められない、そのような調子のため、アトレーユの心配も、もとの世界に戻りたいか? という質問にもバスチアンには通じませんでした。

無責任な語りとその結果 #

 話は変わりますが彼の特技は現実世界でもファンタージエン国でもお話を考え・名前を付けることです。
 そのため、女王幼ごころの君に新しい名前を授けた後もファンタージエンでの冒険中生きものたちに物語を語り、名前を与えます。
 さて、その中に常泣虫(とこなきむし)のアッハライという生きものがいます。常泣虫のアッハライは常泣虫の名前の通り地中深く、暗い谷で常に涙を流し、銀の都アマルガントの涙の湖ムーフーと、都の銀を産み形作る生きものとして、バスチアンが物語を語ることで生み出した生きものです。しかし、バスチアンが生み出してから実際にアッハライに会ってみると、彼らは暗い谷で蠢きながら、自らの醜さを嘆き、悲しみ「ファンタージエン国で最も不幸な生き物」を自称するいもむしであることがわかりました。
 自分の語りによって不幸になってしまったファンタージエン国の生きものと対面したバスチアンは責任を感じ、常泣虫のアッハライを常笑虫(とこわらいむし)のシュラムッフェンとして語りなおします。しかし、恐ろしいことにこの笑いとは騒々しく、インターネットミーム的に表現すると「煽り厨」という言葉がぴったりな様子になりました。話す相手の言葉尻を捕えて爆笑したり、オウム返しや名前を間違いをわざとして爆笑したり、自分たちで作っていた銀の塔を集団で破壊したりします。見た目もめちゃくちゃでいもむしに蛾の羽が生え、体に合わない服を着て、顔もバラバラ。道化蛾とも表現されていました。
 シュラムッフェンとバスチアンの会話は出会ってから別れるまで成立せず、バスチアンをひたすら揶揄した後シュラムッフェンが飛び立っていくことで終了します。バスチアンも良かれと思ってやったことが本当に良かったのかわからず呆然としました。

 私はこのアッハライとシュラムッフェンのエピソードを現実の誰かやなにかに擬えたいとは思いません。が、それでも、自分が相手を憐れに思ったことで語ったことが相手の姿を変え、それも言葉が通じない存在にかえてしまったことに「ヒュッ」と声が出ました。バスチアンにはアウリンの力があるとはいえ、語る力って怖いな……と思った瞬間です。

 しかし、このシュラムッフェンの話はこれでおしまいではありませんでした。色々あったバスチアンがもとの世界に帰ろうとした最後の最後で再び彼の前に現れるのです。

 そして、長い旅路の果て記憶どころか名前まで失ってしまった元バスチアン少年を見つけてこういいます。
「お偉い恩人さんよ! アッハライだったおれたちを救ってくれたこと、覚えてるかい? なるほどおれたちは、あのときファンタージエンで一番不幸な生きものだったさ。けど、今じゃ、自分で自分にうんざりしちまった。あんたが姿を変えてくれたのは、そりゃ始めはとても愉快だったさ。でも、今じゃ、死ぬほどたいくつだ。こうしてふらふらととびまわっているだけで、たしかなものはなんにもない。決まりってものがないから、遊び一つできやしない。救ってくれるなんていって、あんた、おれたちをばかげたおっちょこちょいにしちまった。あんた、おれたちをだましたんだ! え? お偉い恩人さんよ!」
「ぼくは、よかれと思ってしたのだ。」少年は恐怖におののきながらささやいた。
「そうとも、あんた自身によかれってね!」シュラムッフェンは声をそろえて叫んだ。「あんたは自分がたいそうご立派に思えたんだろう。だがね、あんたのご親切の感情を払わされたのは、おれたちよ、お偉い恩人さん!」

(中略)

「おれたちゃ命令がほしいのさ。指図してもらいたいのさ。強制してもらいたいのさ。禁止してもらいたいのさ! おれたちゃ、なんか意味のある生き方をしたいのさ!」

(中略)

「なら、あんたはおれたちを元に戻してくれなくちゃいけないぜ!」耳をつんざくような声がいった。「そんならおれたち、またアッハライにもどるほうがいいよ。涙の湖が干上がっちまったんで、アマルガントの町は困ってるんだ。あの見事な銀細工のできるものもいない。おれたち、またアッハライになりたいよ。」

『はてしない物語 下巻』(岩波少年文庫/ミヒャエル・エンデ作・上田真而子/佐藤真理子訳)p377~p379より引用。

 私はこれを読んで「うわー!」と声が出ました。バスチアンが自ら語ることで生み出されたアッハライ/シュラムッフェンが責任をとれ! と迫ってきたのですが、これは今、インターネットのあちこちで起こっていることとそっくりだと思ったからです。
 実際には責任をとれ! と迫る段階まで行かないかもしれません。しかし、そこに希望があったとしても、善意があったとしても誰かの無責任な語りによって自分や集団が変質してしまうということをインターネットで私はいろいろと見てきました。もちろん、事が終わった後に変質などなかったように日常に戻っていく人も沢山います。しかし、戻れなくて苦しんだり、消せない罪を犯してしまい引き返せなくなりますます深みにはまっていく人も沢山います。勿論、インターネット以前、今までにこのようなことがなかったわけではありません。それでも結びつくはずのなかった人が、知るはずではなかった語りがある日自分の目の中に飛び込んできて自分が思ってもいない姿に変わってしまう機会はインターネットがあることでぐんと増えたのではないかと思います。以前、私はインターネットは都市だとおっしゃる人に出会ったことがありますが、家の中でも世界中のどこでも画面越しに都市を歩くのなら都市の陰の部分も引き受けるのかもしれないなと思いました。

これからのSNS空間での活動 #


『モモ』と『はてしない物語』から得たもの #

 さて、ここまで私が苦しい! つらい! と感じてきた事例とその感想をいくつかあげました。もちろん、これだけでは、「ぐわー!」だけで終わってしまうので、私が『モモ』『はてしない物語』で得たものを簡単にご紹介します。
 
 まず、『モモ』からですが、私は『モモ』を読んだことで、時間と命と心の関係性を理解しました。また「遅いが早い」を理解したことで、SNSやインターネット空間にくぎ付けだった目がそこから自由になりました。これにより、読書という一文一文を目で追っていく行為が再びできるようにもなりました。
 思えば、紙の本を使った読書というものは身体性を伴う活動でした。芥川賞受賞作品『ハンチバック』(市川沙央作)にも描かれている通り、手で本を持ち、目で文字を追い、またページを手でめくるという作業が紙の本の読書には必要です。体が自由で強くないとできない行為です。
 なお、私自身は文字にすると映像や音声よりも頭に入りやすいという性質を持っています。なので、文字を読むことはとても好きです。しかし、Twitterに出会ってからというもの何故か読書から遠ざかってしまいました。Twitterでは毎日誰かがおすすめの本をツイートしていますし、それが何冊も流れてきます。しかし、魅力的と思いいざ本を手にとってもそれを読み進めるのが難しく挫折してしまうことも多々ありました。私は自分の興味がかっこつけで中途半端だったから読めなかったのかな? とか、内容が難しくて読めなかったのかな? と、思ったのですが『モモ』を読んだことで自分の目がTLのスクロールや、便利な検索機能、トレンド欄の充実、おすすめ機能の飽きの来なさ(多種の刺激)に入り浸ったことから頭が「時間感覚を忘れて情報の間を飛び回れるようになった」と思い込んだため、目が疲れ、目の力を失い、自力で追わないと話が展開していかない本に対して静けさや遅さを感じイライラとしてしまい、最終的に挫折をしていたのだということに気が付きました。簡単にいえばTwitterをやりすぎて読書に対する目の感覚を失ってしまったこと、それが原因だったと気が付いたのです。

 次に『はてしない物語』から得たのは自分の存在の空っぽさでした。これは以前のブログ(週報2023年第42週 再起動 https://simblo.net/u/zt5KHb/post/19843 )にも書きましたが、自分の存在が自分にとってとても希薄だったのだと気が付いたのです。インターネット空間でも自己肯定感や自分の存在が大事なのだと盛んに説かれていますし、私もそれが大事だと思い理解したつもりでした。けれども、この本を読みまるきり逆だったのだと気づきました。
 何故、自分を存在させることが難しかったのか。理由は様々にあるのですがおそらくメディアを通じて送られてくるイメージが原因のひとつではないかと思います。面白くてドキドキするお話、素敵で沢山の魅力的な次々と販売される新しいおもちゃ、憧れの生活、かわいいアイドルや魔法少女、かっこいいヒーロー、わいわいした青春物語、心を揺さぶる人生劇、成功物語とその方法……。メディアの中の素敵な物は私を励ますことも多いですが、その影で現実の冴えない自分と比べて、冴えない自分を選ばず捨ててきた。また、冴えないのなら自分を作り変えてより良い自分にならなければいけないと思いこんで行動してきた。こうしたことが自分の中で自分の存在を希薄にしてきたのだと思います。
 しかし、『はてしない物語』を通じてバスチアンの冒険をすっかり見届けた今では素朴な自分の存在をもっと感じていこうと思えるようになりました。アッハライ/シュラムッフェンのように「誰か私の責任をとって!」と泣かないで、周りの人とコミュニケーションをとりながら、自分自身の世話をえっちらおっちら亀の歩みでやっていこうと思えたのです。それが、この二つの作品・冒険を通して得たものでした。

 今後のSNSとの付き合い方とfedibirdというSNS空間 #

 さて、こうして、自分自身の存在を強め、自分の存在を認めるということを決めたわけですが、主題のもう一つSNSについて述べてこの話を終えたいと思います。
 今まで、物語の中の色々なつらい事例をあげましたが、それらは自分が主にTwitterで見たことある! と感じたものでした。しかし、『モモ』も『はてしない物語』もTwitterよりはるか以前に書かれた物語でしたので、このような事例というのは、SNS・インターネットの時代から、テレビの時代から、映画の時代から、ラジオの時代から、本の時代から、石板の時代さらにさかのぼり、言葉ができた時からすでにあったのではないかと思います。
 言葉というのは時々、「言葉だけなら何とでもいえる」「身体性とは違う」という評価が下されます。スポーツや歌や踊り演劇などと違って言葉は肉体を必要としないという意味でそういわれるのでしょう。しかし、『モモ』や『はてしない物語』で起きた事例の中には言葉によって身体感覚を奪われたり、変えられたりするものがありました。それらは私にとっても身に覚えのある事でした。逆に私が読書時の身体感覚を再び意識できるようになったのも『モモ』、『はてしない物語』を読んだことによってでした。なので、言葉というのは決して肉体と無関係ではないと思いました。時に飛び道具のように外に飛びだし、逆にするりと体に入っていくものなのです。
 
 それらを念頭に置きながら、じゃあ自分にとってどんな場所・SNSがいいの? とも私は考えました。私は現在8つのSNSのアカウントを持っています。アカウントを作成した古い順にmixi、Pixiv、Twitter(現X)、Instagram、fedibird、くるっぷ、タイッツー、Blueskyです。
 
 今日は最後にこの中からfedibirdと私の関わり方について語りたいと思います。
 といっても、私はまだまだ未熟で分散型SNSやfedibirdの機能の把握がおぼつかず十分に生かせていません。
 しかし、現在、私とfedibirdの関係は良好だと感じています。その中でもタグ、特に #fedibird での淡い交流がとても気に入っています。
 fedibirdはLTLを持ちませんが、かわりに#fedibird は現在、サロンのようなタグになっていてここに様々なユーザーが集まっています。fedibirdでの交流方法は様々なのですが、ここで私の活動を後押ししているのが「絵文字リアクション」という機能です。
 さて、今までのSNSに基本的にある機能といえば「いいね」や「コメント」、「拡散機能」でした。勿論、fedibirdにもそれらはあります。しかし、私はそれらを使うよりも「絵文字リアクション」を主に使います。何に使うかというとタグに書き込まれたトゥート(投稿)を「読む」ためです。最初は「絵文字リアクションって楽しいな! 押したいな!」という発信する感覚が主だったのですが、気が付けばトゥートを慎重に「読む」、受信することが主になっていました。というのも絵文字リアクションは気軽な一言コメントに近いので当然、他の人のトゥートをよく読むことが肝要なのです。
 これは他のSNSではあまりなかったことです。特に最近のTwitterでは「いかに自分がいい発信をしたか」や「有益な情報を得たか」「交流が上手くいったか」がどこか頭にあり集中できていませんでした。しかし、fedibirdではタグを追うことで自然と読むことに集中できていることに驚きました。
 本当はTwitterでも自分自身のTLが構築できていた頃はフォローした人のツイートをもっとしっかりと読んでいたと思うのですが今はTLの境目がシステムにより曖昧になってしまったために閲覧中は終わりのない連想ゲームをしているようで、しっかりと読むことができているのかがわかりません。

 また、 #fedibird のいいところは誰かの報告が自慢やお手本や営業に見えないところです。誰に対しても「頑張っているな~」と相手の頑張りに思いをはせることができ、それを自分の生活にも適応できます。それは絵文字リアクションを使った交流と様々な数字を隠せる機能が自分にとってプラスに働くからだと思います。
 絵文字リアクションは楽しいだけじゃなくいいねとコメントの中間に位置していると感じるのですが、いいねと違って相手に大体の意図が伝わる上に、コメントのように事情を深読みし言葉をひねり出さなくても大丈夫なのが私は安心だと思いました。完璧であるとは保証しませんが、絵文字リアクションは関わりたいけど、深くは難しいというジレンマに対応し緩やかに場を共有できると感じています。
 また、SNSで提示される数字というのは本当に厄介で、比較が容易なため指針として役にも立ちますが、そうやって役立たせようとした時、数字の向こうに私や大事な人、知らない人、とにかくそこに人間がいることを忘れてしまうこともしばしばです。あとは私はSNSで商業活動をしていません。また趣味で続けていた同人活動もオフラインのイベント参加を今はやめています。そのため交流や閲覧数、お気に入り、いいね、拡散、ブックマーク、点数等には縛られなくてもいい状態です。しかし、ほとんどのSNSはそれらを隠すことを選べず、個人利用と商業利用の境目を意識することもなく自他の比較をし続けなければならない環境です。それは私の性格上とてもつらいことでした。その点、fedibirdは設定により絵文字リアクションの集計数やフォロー・フォロワー数他、パッと見た時に気になる数がわからないよう隠せる設定を持っています(それも繊細に設定できます)。他にも様々な機能がありますが、そういう機能を自分で組み合わせれば、私が望むようなSNSでの時間の過ごし方――、神経を落ち着かせ、生活や活動を穏やかながらもしっかりと前に進ませる環境が作れる、そういうSNSだと思いました。

 もちろん、今までTwitterや他のSNSを通じて自分自身の活動を充実させ、日常に生かしてこなかったわけではありません。あたたかな交流も沢山ありましたし、私の人生に喜びをもたらしたことも一度ではありません。今でも日常的にそれらを行っています。しかし、『モモ』、『はてしない物語』を読んだことにより、絶えず目と手を動かし続けさせ言葉や画像、動画等の刺激で絶え間なく神経を興奮させ、危険なコミュニケーションに身を浸す必要はないと判断できるようになりました。また、fedibirdという自分の判断で環境を選べる、作れるSNSに出会えたことで人と比較しない、しすぎない前向きさや豊かな時間を手に入れられたと思います。
 
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成人済腐/オタクの日常・オタ活日記。
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