『書く習慣』2024/07/28〜2024/07/29
公開 2024/08/03 00:11
最終更新
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『書く習慣』雑感 #
ご来訪ありがとうございます。
今日は8月2日で東北も梅雨明けとなりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
8月の東北の梅雨明けは11年ぶりだそうです。ここから夏本番。
最後まで読んでくださると嬉しいです。
個人的テーマ #
前回同様、家族から疎まれ世界的災難で全てを失いながらも正義を貫き強く生きる青年と、自らが聖と邪どちらの存在か不明な別世界の魂を持った少女の二人をテーマに書いております。
できる限り簡潔で繊細な表現を目指してます。
時間軸を統一していないので、片思い、両片思い、両思いと二人の関係性が話によって変わります。ご了承下さい。
『書く習慣』再掲文章 #
2024/07/28《お祭り》 #
夏も盛りのある日の事。僕は魔術と学問の国を治める導師から、ある祭に参加しないかと招待を受けていた。
ただ、闇に魅入られし者として僕が監視をしている少女も名指しで招待をされていた。
本来ならば同席出来る立場ではないために何故招待されたのか、彼女と二人で首を捻りながらも話を受けて、応じる事にした。
「ようこそ我が国へおいでくださいました。」
宮殿で導師が歓迎をしてくれたので、彼女と揃って礼をする。
導師は見た目は僕よりも若く、三年前と全くお変わりない。
噂では数十年とそのお姿が変わられていないとも言うが、どこまで真実なのかは知る由もない。
ただ、全てを見通す力があると言われ、その能力に幾度も国が救われてきたそうだ。
その導師が、僕の隣の彼女をじっと見つめている。
妨げるもの全てを許さないようなその眼差しは、その後すっと緩み、細められた。
「お二人に来ていただいたのは他でもありません。国同士の交流の一環として、我が国の祭を楽しんでいただこうかと思いまして。」
そう発言された直後、脇の従者が素早く前に出て、僕達に仮面を一つずつ手渡してきた。
「若者がその祭に参加する際は、民族衣装を纏いこの仮面を着けるのが為来りなのです。」
仮面は顔の右が白、左が黒で塗られていて、男女の区別はあるが被れば顔の見分けが全く付かないような物だ。
そしてそれはこの国にあるジャングルにのみ生える木で作られ、独特の意匠が施されている。
祭の内容は、かつて手紙でのみ心を通い合わせていた男女が偶然人混みで出会った際、お互いを会話のみで見つけ合いやがては結ばれたという伝説になぞらえているのだそう。
これに参加出来るのは若い男女に限られ、顔が分からぬように仮面を被り民族衣装に身を包み、その状態で会話から相手の名前を当てる事が出来れば願いを一つだけ叶えてもらえると説明された。
なるほど、伝説を利用した男女の出会いの場の提供というわけか。
方向性としては気が進まないが、他国の文化を学び国同士の交流を深めるには良い機会だ。
彼女の招待は、女性側に知った顔があれば気を張り過ぎずにすむだろうという導師の計らいだろう。
「ありがとうございます。喜んで参加させていただきます。」
僕は導師に参加の意を告げ、礼を述べる。
合わせて隣の彼女も頭を下げた。
導師はそんな僕と彼女の顔を交互に見やり、にこやかな表情でこう告げた。
「仮面を被った際は、多少心が緩むかもしれません。それも合わせて楽しんでくださいね。」
導師の話が終わると、僕らはあれよあれよという間に男女に別れた控室に連れて行かれ、民族衣装を着付けられる。
上は、前開きのゆったりした生成りシャツ。全体にシャツと同じ生成りの糸でレースのような刺繍が施されていて、熱帯の華やかな植物の色彩を損なう事なく霽れの日を演出している。
下はこれまたゆったりとした黒のボトムスで、シャツは外に出して着付ける。上下とも素材はパキッとしてて艶があるのに、通気性が良いのか暑苦しくならない。気候に良く合った作りに感心した。
そして最後に仮面を着ける。
すると驚いた事に、鏡の中の自分の髪が短く刈り込んだダークヘアーに変わった。
それは祭の醍醐味である、男女が目的の人物を探し当てる事に見た目という要素を加えないようにする為に施された魔術の力だそうだ。
「これは…!」
鏡に向かって発した声を聞き、更に驚愕した。
自分の発した声の筈なのに、まるで赤の他人の声だ。
さすが守りを魔法のシールドで固めている国だ。魔術の使い方も質も徹底されている。
が、これではますます彼女を探し出すのは容易ではないな。
他国にまで公にはしていないが、彼女は闇の力を持つのではと僕が疑いを掛けている人物だ。
今回は導師のたっての希望で同席させているが、本来ならばここに来れるはずのない立場。逃亡や騒ぎを起こす可能性がない訳ではない。
普段の生活ぶりからは想像は付け難いが。
…そして、あの満月の夜の元で見た彼女の言葉が真実であるのならば。
過った心配に頭を悩ませていれば、控えの者から声が掛かる。
「どうしましたか? もしやお連れ様の事でございますか?」
そのとおりではあるので頷けば、控えの物は訳知り顔でこう答えた。
「大丈夫です。導師様からのお言い付けもございますれば。お連れ様の”身の安全”はこちらで確実に保証致しますので。」
そうこうしているうちに時間が過ぎ、僕は祭の場に案内された。
彼女は別の出口から祭に案内されているそうで、見つけ出せるといいですねと案内人から言葉を掛けられた。
見れば会場は同じ民族衣装、同じ仮面、仮面の魔術により性別ごとに同じ髪色で髪型の男女でごった返している。
判別が付くのは、年長者と子供。要は祭の主役ではない、この仮面と衣装を着けていない者達だ。
この中から彼女を探し出すのは至難の業ではないのか。そんな心配を抱きながら歩き出す。
祭の趣向なので仕方はないが、あちこちからやってくる同じ衣装で同じ仮面の女性達に話しかけられる。
「一緒にお酒でも飲みませんか?」
「特産の美味しい果物を分けてさしあげますよ。」
「あちらで二人でお話しませんこと?」
「私、ダンスのパートナーを探してまして。」
次から次へとグイグイ押し迫ってくる女性達。
祭の無礼講という空気も手伝ってはいるのだろうが、この強引さにかなり辟易した僕は一度集団から抜け出して、宮殿へ続く道を彩る鮮やかな花のアーチの影に
身を潜めた。
落ち着いてよく見れば、声を掛けられているのは男女ともに体格の良い者だ。
体格の良い者は病に罹っている可能性は極めて低い。これなら健康な者同士が出会いやすい。伝説を利用した合理性もあるわけか。
参加してみると理解出来る他国の文化に感心していると、背後からかさりと音がした。
「あ…すみません。」
そこには一人の女性がしゃがみ込んでいた。
服は薄手の艶のある生成りの生地に、生成りの糸で丁寧な花の刺繍が刺されているブラウスに薄手の絹のショールを羽織り、白いスカートの上からは艶の良い布が巻き付けられている。この祭の民族衣装だ。
髪はダークヘアーを首のすぐ上で一つにまとめている。被った仮面による魔術で女性の皆が同じ髪型になっている。
そしてその顔には白と黒の仮面が被せられているため表情は分からないが、今少し覇気のない声だった。
「大丈夫ですか? もしや具合を悪くされているのでは?」
もしもという事もあるためしゃがみ込んでいる女性に聞いてみたが、
「ごめんなさい、大丈夫です! ちょっと人混みに酔ってしまっただけなので。」
言うなり女性はすくっと立ち上がった。
突然現れた僕に驚いてしまったのではと心配したが、それでも女性は「いえ、大丈夫なので。こちらこそご心配おかけしてすみません。」と謝るばかり。
「いえ、お詫びはいりません。そのまま休んでいてください。」
そう告げると、ホッとしたような声音で
「ありがとうございます、そうさせてもらいますね。」
と言いその場に留まった。
後から来たのは僕の方なのだ。謝らなくていいのに。
しばしの沈黙を遮るように、女性が話し始めた。
「…実は私、このお祭りには誘われて来たんです。」
それは密やかなそよ風のように。まるでひとり言を呟くかのように。
「ここに連れて来てくれた人なんですけど、私を多分好きではないんです。私が…悪い人間だって疑っているから。
けれど、いつも私の事を優しく一人の人間として扱ってくれて。私は、そんな彼を直接出会う前からずっと凄い人だなって思ってました。」
俯きながら話す女性からは、喜びと悲しみが綯い交ぜになった空気が滲み出ている。
その語り口だけで、相手を大切に想っているのだろうと理解出来る程だ。
静かに聞いていた方が良さそうだと、僕は黙って耳を傾けていた。
「…ごめんなさい、変な話をしちゃって。貴方はお祭りに戻らなくていいのですか?」
すると気持ちを切り替えると言わんばかりに勢いを付けてその場に立ち上がり、女性は僕に聞いてきた。
逆に気を使わせてしまったか。
「いえ、構いませんよ。他人の方が話しやすい事もありますから。
僕ももう少し人混みを避けていたいですし。」
そう返すと、女性はふっと笑った。
「確かに貴方の背格好を見ているとモテそうですからね。」
「ありがた迷惑ですけれどね。」
そしてお互いにクスクスと笑いあった。
何故だろう。他国の異文化の祭に混ざりながら、ここには日常の空気が流れている。
そんな安らぎに背中を押されてか、僕は思った事を口にした。
「多分ですけれど、聞く限り貴女の同伴者は貴女を大事にしていると思いますよ。貴女の話しぶりには、その彼の思いやりが背後にあるように伺えました。
…僕も相手の方と似たような心境なので、率直にそう感じました。」
これは本音だ。
この女性は大切にされているからこそ、その相手に絶大な信頼を抱いているのだろう。
あの短い言葉とその口調からは、その信頼が溢れ出していた。
…僕は果たして彼女を丁寧に扱えているのだろうか。
すると女性の仮面の下から、息を飲む音がした。
そして詰まるような声で話し始めた。
「…あ、ありがとうございます…。励ましてくれて嬉しいです。」
女性は一度しゃくりあげると、夜空を見上げて続けた。
「…でも、もう決めてるんです。絶対に出会える筈のないあの人に出会えた時から。
何が起こっても構わない。彼に引き金を引かれるなら死んでも本望だって。」
その言葉を聞いた瞬間、幻が見えた。
目の前の空を見上げる女性の髪はまとめたダークヘアーではなく、いつもの見慣れた白に近い銀の流れるような髪で。
沈みかけた三日月ではなく、天の頂にほど近い満月が女性の視線の上で煌々と輝いている。
『私がこの世界に来た理由が裁きを受ける為ならば、私は貴方に裁かれたい。
貴方が黒だと言うのなら、喜んでこの生命を捧げます。
だからその時にはいつでもその引き金を引いて下さい。』
あの満月の夜の、彼女の密かな誓い。僕が見ているとも知らずに立てられた、固い決意。
それが今、はっきりと脳裏に蘇った。
「ごめんなさい、本当に。じゃあ、私は失礼しますね。」
そう断り駆け去ろうとする彼女の手首を掴んで引き止める。
…本当に、いつも貴女はそうだ。そんな必要はないのに。
「謝る必要はないですよ。」
彼女の口癖。
いつも何も悪いことなどしていないのに謝る彼女。
それを止めるためのいつもの言葉を、僕は口にした。
その言葉を聞いて、弾かれたように彼女は振り向いた。
そして僕達は、同時にお互いの名前を口にした。
乾いた仮面が落ちる音が、二つ鳴り響く。
目の前の少女のダークヘアーは、見る間に輝く流れるような白銀に変わる。
赤くなった目尻には、大きな涙の粒が溜まっている。
ああ、いつもの彼女だ。
こんな僕を見つけて、名前を呼んでくれた。
いつも僕を見て気遣ってくれる、いつもの彼女だ。
目の奥に来る物をぐっと堪えながら、空いている方の手でハンカチを取り出して彼女の目元に当てる。
こくりと頷いた彼女はハンカチを受け取り、目元の涙を拭った。
そのまま僕は手を繋ぎ直し、彼女を連れて祭に戻った。
すると祭の広場は大きな盛り上がりを見せていた。
据え付けられた舞台の上で、仮面が外れた男女が口づけを交わしていたのだ。
舞台下には、年配者や一人で出歩ける程度の年齢の子供、そして仮面を着けたままの若者達で賑わっていた。
その観客達は、男女に舞台下から祝いの声を掛けながら花吹雪を散らしていた。
仮面が外れたら願いを叶える、という趣旨ではなかったのか?
その喝采の中、頭が真っ白になった状態で二人立ち止まっていると、背後から年配の男性に声を掛けられた。
「おお、お二人さんも互いの名前を当てられたか、おめでとう。
今は仮面を外した者の願いを叶えるとなっておるが、古くは心を通わせ合った二人の誓いの口づけが慣わしだったんだよ。」
どうかね、お前さん方も?
そう話を振られ、顔が焼けてしまうのではというくらいの熱が帯びた。
慌てて振り向けば、彼女の頬もこの南国に咲く花のように真っ赤に染まっていて。
握り合った手から伝わる互いの熱が混じり合い弾けるかのように、舞台上の夜空に大きな花火が咲いた。
2024/07/29《嵐が来ようとも》 #
それは今季の議題が全て片付き、次の日から休暇が始まろうという時だった。「いや〜ありがたい。それではお願いするわ〜。」
そう言って自宅を訪れていたかつての上司だったご老人は、僕に両手で抱えられるかどうかという大きさのペットキャリーを手渡してきた。
話を聞くところ、ご自宅の老朽化に伴って修理をする必要が出たらしいが、その間は業者の出入りと水回りが完全に止まるので近場の宿に泊まる事にしたそうで。
しかし、宿にはペットを連れては行けない。そこでかつての部下であり、帝都に自宅を持つ僕に白羽の矢が立ったというわけだ。
「ご安心下さい。責任を持って預からせていただきます。」
そう言って僕はキャリーを受け取った。
この方には、軍で苦しい時に本当にお世話になった。これで恩返しになるとは思わないが、少しでも助けになるなら何でもない事だ。
「この中にトイレとご飯が入ってるよ〜。ちょっと元気が過ぎる事もあるが、可愛い猫だ〜。よろしく頼むよ〜。」
ご老人は足元のトランクを指し、皺の中の目を細めていた。
泰然自若としたそのご様子は、いつまでもお変わりがない。お元気そうで何よりだ。
そして、ご老人はその足でお帰りになられた。
さて、猫どころかペットを飼った経験がないが、まずはキャリーを開けても大丈夫な場所へ移動しよう。
しかし、静かなものだ。鳴き声一つ立てないとは。
僕はキャリーを持ち上げ、奥の部屋へと移動した。
奥の部屋へ行く廊下には、彼女が待っていた。
「お客様でしたか? 何かすることはありますか?」
と、彼女は僕が持っているキャリーを見て、目を輝かせた。
「あれ? もしかして中に動物が入ってますか?」
心做しか声が上ずっている。よかった。動物好きのようだ。
「ええ。以前僕の上司だった方から猫をお預かりしたのですよ。」
「猫! 猫ちゃんですか!? 見たい、見たいです!!」
答えると、彼女はますます目を輝かせ前のめりになった。頬も上気している。
…よほど好きなのだろう。何と言うかその様子からは、何か迫力のようなものも感じる。
「では、あちらの部屋に入ってからキャリーを開けましょう。」
そうして奥の空き部屋に入り、そっと猫の入ったキャリーを下ろす。
移動の間も今も、彼女からは「猫♪ 猫♪ 猫ちゃん♪」と明るくリズミカルな呟きが聞こえてくる。
そしてその呟きは、部屋の隅から隅へ素早く移動をした。窓がきちんと閉じられているか確認してくれたようだ。
かなり手慣れている様子がありがたくもあり、早く猫と触れ合いたいのだという微笑ましさにも溢れていた。
「それでは開けますよ。」
戸締まりが確認されたところで、そっとキャリーの扉を開けた。
すると開けた矢先に、モノクロの塊が扉の隙間を縫うように物凄い勢いで飛び出し、カーテンの影へと入り込んだ。
危ないところだった。彼女が戸締まりの確認をしてくれていなかったら、逃げられていた可能性もあった。
しかし、目にも止まらぬとはこの事。残像しか姿を見せてくれていない猫は、カーテンの影からしばらく出て来ようとはしなかった。
我慢が出来なくなったのか、彼女がそっとカーテンに近寄り、手を差し出した。
すると「シャーーー!!」という威嚇音と共に、布の影から猫が彼女の手に高速でパンチを繰り出してきた。
「あっ!」
僕は思わず声を上げた。
手に爪が刺さったのでは? 大丈夫だろうか?
心配になって側に行き彼女の手元を見ると、指先にぷっくりと血の玉が出ている。
しまった、先程彼女を止めておくべきだった。
その傷口を見て後悔していると、くるりと振り向き、彼女は声を潜めて言った。
「か…可愛いーー!! 見ましたか、今の手? 肉球ふにっふにでしたよ!」
…引っかかれた事は全く意にも介していないようだ。それどころか、己の手を傷付けた爪を気にせず、その手に触れた肉球に甚く感動している。
潜めた声はしかし、かなりの興奮を伴っていて、これ以上はないほど上ずっている。
まあ彼女がいいなら問題ないが。これは心の底から猫が好きなんだな。
ここまで来ると感心を通り越して畏怖の念にもなる。
何と言うか…原理主義、という言葉がしっくり来た。
が、それでも傷口は何とかしたほうがいいと手を出そうとしたところ、カーテンの影からまたモノクロの塊が高速で飛び出してきた。
その影は一瞬で棚の上の物を薙ぎ払い、戸棚に飛び乗ろうとして失敗し、着地した勢いでカーテンによじ登ろうとしたところで爪が引っかかったのか、そのレール近くの上の方で動きを止めてぶら下がっていた。
そこで初めて、その猫をじっくり見る事が出来た。
体毛は、白黒のぶち模様。少し太め…ぽっちゃりとした目付きの鋭い顔の猫だった。
その猫は無防備で身が危うい体勢にも関わらず、完全に僕らを敵視している様子でじとりと上からこちらを睨み付けていた。
「ありゃー、引っかかっちゃたのね。今取ってあげますからねー♪」
そんな猫の視線などお構いなしに、カーテンに近寄っていく彼女。
いや、また引っかかれたらどうするのか!
「待ってください! 危ないですから、僕が降ろします!」
そう言って彼女を止め、僕はカーテンへ素早く向かっていった。
背後からは「大丈夫ですか?」と言われるが、それは僕の台詞ですから!
先程引っかかれた貴女の台詞じゃありませんから!
「いいですから、貴女は今のうちに傷口を洗ってきてください!」
そう指示すると、今になって初めて傷口に気が付いたかのように指先を見つめ、
「あ、そうでした。じゃあ、よろしくお願いしますね。」
そう言って、彼女は部屋を出て、手早く扉を閉めた。
その後、僕はカーテンへ向き直り、爪を引っ掛けて往生している猫と格闘を始めた。
その数分後。
ノック音がしたので返事をすると、彼女が足元から視線を移動させながら素早く部屋に入ってきた。
「ただいま戻りました。猫ちゃんどうですか?」
その手には、救急箱と水の入った手洗い用のボウル。
全く、手際が良い事この上ない。
「…何とか降ろせました…。」
僕は遠い目になりながら、彼女に返事をした。
窓際には、破れ目が付いたカーテン。舞い散る白黒の毛。僕の腕には、大量の引っかき傷。
カーテンから降りたくとも降りれず、かと言って見知らぬ人間には触られたくない猫は、そこから降ろそうと手を伸ばした僕を相手に爪が引っかかった状態で力の限りで抵抗をした。その結果が、この惨憺たる状況だ。
その格闘の相手は、今はソファーのクッションに陣取ってフーフーと鼻息を荒くしている。
泰然自若としたご老人の様子が頭を過る。元気過ぎるとは仰っていたが、これは…。
まるで、嵐が来たかのようだ。
「うわ、傷だらけじゃないですか! だから大丈夫かって聞いたのに!」
持ってきてよかった、と彼女はボウルに入った水ですぐに僕の腕の引っかき傷を洗い始めてくれた。
「私、猫の引っかきには慣れてるから平気ですからね?」
そう言う彼女の腕には、引っかき傷どころか少しの傷跡も、シミすらない。
それでも、その動きには確かに猫に慣れて行動を把握している熟れたものが伺える。
その理由が何故かは謎のまま、優しく傷の手当をしながらも荒れた猫へ穏やかな顔を向け「怖くないですよ〜」と声を掛ける彼女を見ていると、この嵐も笑ったままで抱き止めてしまうのだろうなと心底尊敬した。
本当に僕はずっと、彼女には勝てそうにない。
この数日後、この猫は彼女には完全に心を開き、そのお腹に抱えられるように一緒に眠っているのを見てしまった。
何か、色々釈然としない。
最後に #
ここまで読んでくださりありがとうございます。
《お祭り》は、伝統文化を思い切り捏造しました。イタリアのマスカレード、トルコの民族衣装、そして魔法を混ぜて、即興で出来る限りの整合性を付けて書いてみました。
仮面が外れる瞬間とラストが書きたかったとも言えます。舞台装置に力が入った日でした。
《嵐が来ようとも》は、捻りを入れた回です。預かったペットが暴れん坊ならどうなるか、が主軸でした。個人の好みと経験でどこまで行動に差が出るかが読み取れる物を目指しました。
実際他の動物もですが、猫は性格も様々なので誰にでも懐く子がいれば人見知りな子もいます。でも、どんな猫も可愛いです。
楽しんでいただけたでしょうか。
それでは、またお会いできますように。