読書の記録:「ロッコク・キッチン」
公開 2024/06/30 08:54
最終更新
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これ自体はリトルプレス扱い(発行部数500部)で、たとえばブクログにもなかったりするものなので、かわりにプロジェクトのnoteをリンクとして貼っておきますが、福島に住む者として読んでおきたい、と思い、取り寄せて読んでよかった1冊でした。
https://note.com/rokkokukitchen/portal
これ以前とこれ以後で時間軸が分断されるくらいの大きな出来事、というのがあります。たとえばコロナ禍がそうだろうなと思うのですが、もうその前の世界には戻れないというか。それと同じように、2011.3.11の東日本大震災より前か後か、というのも、福島に住む人間として、折々に突きつけられてきたなあ、と思います。わたしの住んでいるところは福島でも中通りと呼ばれる地域なので、津波と原発事故をもろに体験することとなってしまった浜通りの人たちとは深刻さが違うと思うものの、それでも。
この「ロッコク・キッチン」は、ロッコクこと南は東京、北は仙台から福島の浜通りを南北に貫く国道6号線沿いに住む人たちのくらしを、食やそのまわりのものをとおして紐解いていくプロジェクト、とのことです。
我が家でも昨年、2023年の春に国道6号線を南下して移動したことがありました。自宅から浪江町の「道の駅なみえ」に出て、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町と南下していわき市小名浜に行くという行程でした。道の駅なみえは道の駅の中に無印良品の店舗があったりして「おおー」とか思ったのでしたが、これが国道6号線に出ると、朽ちたままだったり出入り口が大きな板で封じられたりしたままの建物がたくさんありました。特に東電福島第一原発が立地してて人がまだ立ち入ることのできない箇所がたくさんある双葉町、大熊町に入ると誰も言葉を発せなくなるくらいそういうものばかりになるのでした。ちょうど藤の季節で、山は一面藤の色だったけど、それも山に人が入ることができず、荒れ放題になった結果だというのをあとから知りました。更に南下して富岡町に入るとようやく人の気配が出てきて、全員が「はああー」って大きな息をついたのが印象的だった。
双葉町では双葉駅周辺や震災の伝承館にも立ち寄りましたが、その周辺は整備されてきれいになってても、ちょっとそこを離れると人が立ち入ることのできない住宅や学校がありました。現在はようやく再開してるけど、当時は町で唯一の郵便局も入口が大きな板で封鎖されてて、とてもショックを受けたのを覚えています。
そこも踏まえつつ、でも一気に読んでしまいました。プロジェクト主宰の川内有緒さんも含めて11名12篇の言葉で紡がれた食とその周辺から見える、聞こえてくる風景が、どれもとてもリアルで引き込まれて。
ずっと思ってたことの中に、加減というものがあるよね、というのがありました。ある日突然住む場所を追われた挙げ句ずっと戻れない人もいる、それはたしか。でもいっぽうで、それでも前を向いてそこで生きていく術はないかと模索してきた人もたくさんいる。わたしの住んでいる中通りでも、農業は放射線を浴びて大変な打撃を受けたけど、それでもなんとか生業を取り戻せないかと様々に工夫を積み重ねてきたひとたちをたくさん見てきた。
こういうものを見てきてるから、個人的には原発と共存していくのは無理じゃないかと思ってるけど、原発なくせの運動をしている人の中にはこういう努力の部分まで踏みにじって、誰かを踏み台にしてでもというのが見える人も少なくなくて、それじゃついてこない反発される味方になってくれない…そりゃそうでしょひとのこと馬鹿にして、と思うこともとても多かったのでした。福島の農作物は「ベクレてる」って発言なんかがそうだけど。だからといって、あの事故はもう終わりです、って、必死になってなかったことにしようとするのも、それはないしもちろん違う、と、藤だらけになってしまった山の景色を思い出すのだけど。
荒れ果てた山、人の気配がまだないところもたくさんある、など困難な現実がまだあることも認めつつ、なおかつそれでもそこで生きていくことをきちんと選び取って、くらしを紡いでいく。そこに心打たれました。ひとりひとりの生身の暮らし、みえてますか。そんなことを思いました。
インドから来日していまは浪江町にお住まいのかたの、チャイを巡る話が出てくるんですが、本を閉じてちょうどチャイのティーパックが手元にあったので、おぼつかない感じでチャイを淹れてみました。成り行きで豆乳チャイになってしまったけど、牛乳でやるべきでした(そこ)。そうだ、双葉町にもまた行ってみたい。郵便局、どんな感じになったのかな。
https://note.com/rokkokukitchen/portal
これ以前とこれ以後で時間軸が分断されるくらいの大きな出来事、というのがあります。たとえばコロナ禍がそうだろうなと思うのですが、もうその前の世界には戻れないというか。それと同じように、2011.3.11の東日本大震災より前か後か、というのも、福島に住む人間として、折々に突きつけられてきたなあ、と思います。わたしの住んでいるところは福島でも中通りと呼ばれる地域なので、津波と原発事故をもろに体験することとなってしまった浜通りの人たちとは深刻さが違うと思うものの、それでも。
この「ロッコク・キッチン」は、ロッコクこと南は東京、北は仙台から福島の浜通りを南北に貫く国道6号線沿いに住む人たちのくらしを、食やそのまわりのものをとおして紐解いていくプロジェクト、とのことです。
我が家でも昨年、2023年の春に国道6号線を南下して移動したことがありました。自宅から浪江町の「道の駅なみえ」に出て、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町と南下していわき市小名浜に行くという行程でした。道の駅なみえは道の駅の中に無印良品の店舗があったりして「おおー」とか思ったのでしたが、これが国道6号線に出ると、朽ちたままだったり出入り口が大きな板で封じられたりしたままの建物がたくさんありました。特に東電福島第一原発が立地してて人がまだ立ち入ることのできない箇所がたくさんある双葉町、大熊町に入ると誰も言葉を発せなくなるくらいそういうものばかりになるのでした。ちょうど藤の季節で、山は一面藤の色だったけど、それも山に人が入ることができず、荒れ放題になった結果だというのをあとから知りました。更に南下して富岡町に入るとようやく人の気配が出てきて、全員が「はああー」って大きな息をついたのが印象的だった。
双葉町では双葉駅周辺や震災の伝承館にも立ち寄りましたが、その周辺は整備されてきれいになってても、ちょっとそこを離れると人が立ち入ることのできない住宅や学校がありました。現在はようやく再開してるけど、当時は町で唯一の郵便局も入口が大きな板で封鎖されてて、とてもショックを受けたのを覚えています。
そこも踏まえつつ、でも一気に読んでしまいました。プロジェクト主宰の川内有緒さんも含めて11名12篇の言葉で紡がれた食とその周辺から見える、聞こえてくる風景が、どれもとてもリアルで引き込まれて。
ずっと思ってたことの中に、加減というものがあるよね、というのがありました。ある日突然住む場所を追われた挙げ句ずっと戻れない人もいる、それはたしか。でもいっぽうで、それでも前を向いてそこで生きていく術はないかと模索してきた人もたくさんいる。わたしの住んでいる中通りでも、農業は放射線を浴びて大変な打撃を受けたけど、それでもなんとか生業を取り戻せないかと様々に工夫を積み重ねてきたひとたちをたくさん見てきた。
こういうものを見てきてるから、個人的には原発と共存していくのは無理じゃないかと思ってるけど、原発なくせの運動をしている人の中にはこういう努力の部分まで踏みにじって、誰かを踏み台にしてでもというのが見える人も少なくなくて、それじゃついてこない反発される味方になってくれない…そりゃそうでしょひとのこと馬鹿にして、と思うこともとても多かったのでした。福島の農作物は「ベクレてる」って発言なんかがそうだけど。だからといって、あの事故はもう終わりです、って、必死になってなかったことにしようとするのも、それはないしもちろん違う、と、藤だらけになってしまった山の景色を思い出すのだけど。
荒れ果てた山、人の気配がまだないところもたくさんある、など困難な現実がまだあることも認めつつ、なおかつそれでもそこで生きていくことをきちんと選び取って、くらしを紡いでいく。そこに心打たれました。ひとりひとりの生身の暮らし、みえてますか。そんなことを思いました。
インドから来日していまは浪江町にお住まいのかたの、チャイを巡る話が出てくるんですが、本を閉じてちょうどチャイのティーパックが手元にあったので、おぼつかない感じでチャイを淹れてみました。成り行きで豆乳チャイになってしまったけど、牛乳でやるべきでした(そこ)。そうだ、双葉町にもまた行ってみたい。郵便局、どんな感じになったのかな。
