対話
公開 2024/02/16 17:45
最終更新
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以前も書いたが私は昔から他人に悩みを打ち明けられたり相談されたりすることが結構ある。
ひとりが好きだし、ひと付きあいは得意ではない。が、周囲からはコミュニケーション能力を評価されることが多い。まあべつにコミュニケーションがきらいなわけではないし、人間がきらいなわけでもない(好きでもない)。ひとりが好きだけど、だれかといるのも(めったに気は乗らないが)楽しい。そこはそれなりに両立する。
しかし私のコミュニケーションというのは基本的に「相手の話を聞く」である。ひとの話を聞くのは面白いし、「これはネタになる」と思っていることもある。だが、それは半ば仕事みたいなもので、能力やら性格やらの問題というより役割の話だ。
働いていると、じぶんの話を聞いてほしいひとがいかに多いかよく分かる。患者は勿論だが、医者も看護師も、とにかく何か言いたがっている。私は彼らの話を聞いて、世のなかいろいろなひとがいるな、とアホ面して思う。感想はアホだが、まじめに聞いているし、つぎに話すときまでおぼえている。
家族や友人が相手でも同様だ。それが厭ではないが、仕事の延長に感じることもある。よくもわるくも役割意識がつよいのだ。好きでやってるから文句はないが、あまりにも多くのひとから話を聞いていると、世界は深刻な聞き手不足なのでは……という気がしてくる。
私には話し相手がいない。ひとと話したいことがないわけではないが、だれかと話すとついつい聞き役にまわってしまうので、ひとりでいるほうが楽だ。こいぬに話しかけることもあるが(犬は「聞いてますよ」という顔が上手い、ほんとうに有り難い生きものだ)大抵はひとりでジメジメと何か書いている。それは楽しい。
みんなも何かを書けばいいのにな、と思う。私のようなあこぎな人間に話したところで創作のネタにされるだけだ。だったら、じぶんで物語を書くほうがお得ではなかろうか。書くだけでは「聞いてもらう」ことにはならないかも知れないが、未来のじぶんが読み返して笑ってくれることもある。
ひとりが好きだし、ひと付きあいは得意ではない。が、周囲からはコミュニケーション能力を評価されることが多い。まあべつにコミュニケーションがきらいなわけではないし、人間がきらいなわけでもない(好きでもない)。ひとりが好きだけど、だれかといるのも(めったに気は乗らないが)楽しい。そこはそれなりに両立する。
しかし私のコミュニケーションというのは基本的に「相手の話を聞く」である。ひとの話を聞くのは面白いし、「これはネタになる」と思っていることもある。だが、それは半ば仕事みたいなもので、能力やら性格やらの問題というより役割の話だ。
働いていると、じぶんの話を聞いてほしいひとがいかに多いかよく分かる。患者は勿論だが、医者も看護師も、とにかく何か言いたがっている。私は彼らの話を聞いて、世のなかいろいろなひとがいるな、とアホ面して思う。感想はアホだが、まじめに聞いているし、つぎに話すときまでおぼえている。
家族や友人が相手でも同様だ。それが厭ではないが、仕事の延長に感じることもある。よくもわるくも役割意識がつよいのだ。好きでやってるから文句はないが、あまりにも多くのひとから話を聞いていると、世界は深刻な聞き手不足なのでは……という気がしてくる。
私には話し相手がいない。ひとと話したいことがないわけではないが、だれかと話すとついつい聞き役にまわってしまうので、ひとりでいるほうが楽だ。こいぬに話しかけることもあるが(犬は「聞いてますよ」という顔が上手い、ほんとうに有り難い生きものだ)大抵はひとりでジメジメと何か書いている。それは楽しい。
みんなも何かを書けばいいのにな、と思う。私のようなあこぎな人間に話したところで創作のネタにされるだけだ。だったら、じぶんで物語を書くほうがお得ではなかろうか。書くだけでは「聞いてもらう」ことにはならないかも知れないが、未来のじぶんが読み返して笑ってくれることもある。
車の運転と犬が好き
他人に話すほどでもなく日記に書くほどでもないメチャクチャどうでもいい話と過去の習作置き場です
「いま私は静かにしている」はいちおう連作ですが、それぞれの話につながりはないです
他人に話すほどでもなく日記に書くほどでもないメチャクチャどうでもいい話と過去の習作置き場です
「いま私は静かにしている」はいちおう連作ですが、それぞれの話につながりはないです
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