夏の少女
公開 2010/10/02 11:47
最終更新
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初めてお話を読んで泣いたのは小学四年生のときだったと思う。それ以前にもあったかも知れないのだが、鮮烈に記憶に残っているのはあの日、まだ九歳の、夏の初めだ。そのころ私は、病気でしんでしまう女の子のお話ばかりをえらんで読んでいた。どういういきさつがあってそうなったのかは、もうおぼえていない。同情するということを、おぼえたてで気に入っていたのかも知れないが、定かではない。とにかく、その日読んだのも大まかなところはそういうお話だった。明るくておてんばな少女が、しかし重い病をかかえており、めずらしく素直に薬を飲んだ翌朝にはもうしんでいた、というようなストーリーが少女の姉の目線で語られる。私は本を読み終えて、それを図書室の書架にもどし、足早に家路を辿った。埃っぽい白い道を、走るのはにがてだったので、可能なかぎり急いで歩き、当時住んでいた古いアパートの玄関を抜けて居間に倒れこんだ。そうしてその瞬間に、赤ん坊のような泣き声がじぶんの口からこぼれた。我に返ったのは、いつの間にか後ろに立っていた弟に呼びかけられたときだ。「どっか痛いの?」と弟は、案じると言うよりも怯えるような目つきで私を見た。事実、居間に倒れて大声で泣き喚いている家族を見るのは恐ろしかったにちがいない。なんとなく私は、本を読んで泣いたと話すのが恥ずかしかった。帰りにころんだけど、もう大丈夫だと答えると、弟は腑に落ちない顔のまま、それでも一つだけ頷いた。これが思い出せるすべてだが、ほんとうのところはどうだったか分からない。言葉そのものには、かたちもなく、力もなく、痕跡もない。想像は幻のようなもので、夢は現実ではなく、過去はしばしば捏造を含んで記憶される。だが、証がないからと言って「なかったこと」には出来ないように、はっきり見えなかったからと言って「見なかった」とは言えないように、お話は私の世界に現れる。あの夏の日に私は、病気の少女であり、その姉であり、友だちであり、父だった。少女の机であり、薬であり、血によごされた枕だった。少女の煙がのぼった空をこの目に見た。そのとき私は一人きりでその世界を見ていたし、思い出すあの夏の日は確かにいま私の目のまえにある世界とつづいていると、私は言うだろう。ひとは、だれ一人としておなじ世界を見ることは出来ないのだと、いつの間に気づいたのか。幾億もの人間が、それぞれべつの、幾億の夢を見ているということ。その途方もなさに茫然としながらも、そうしてお話を生み出すひとの、言葉の、夢の力が、過去の遺物ではないことの幸福に、いま私は再び泣いてしまう。
車の運転と犬が好き
他人に話すほどでもなく日記に書くほどでもないメチャクチャどうでもいい話と過去の習作置き場です
「いま私は静かにしている」はいちおう連作ですが、それぞれの話につながりはないです
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