愛の逃避行
公開 2010/08/05 18:27
最終更新
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さあ早く、と言われて頷いたはいいが私は大きな船を見あげて二の足を踏んでいた。ぐずぐずしてると追いつかれちゃうでしょ、と苛立ちを隠すことのない声が私を呼ぶ。ナオミは紺地に大きな花の散らばった派手なワンピース姿で、白い帽子に、ピンクのフレームの大きなサングラスをかけている。「訳あり、を絵に描いたようでしょ」と彼女は言うのだが、ほんとうに訳ありならばもっとひとめにつかない服装をするのではないだろうか。とは言え実際のところナオミはまさに訳ありで、というのも彼女と私は逃亡中なのだった。もっと遠くへ、もっと遠くへと言われてこの港まで辿り着いたが正直なところどこまで逃げても逃げ切れる気がしないのだ。この船はどこに行くの、と問うとナオミはほっそりとした腕を組んで「どこでもいいのよ」と答えた。「海がこわいの?」「そうじゃない。だけどナオミ、この星は有限なんだよ」大げさなんだから、とナオミは言う。だってナオミ、こうして逃げていたら、逃げられる場所はどんどん少なくなってしまうんだよ。「そうしたらもとの場所にもどればいいじゃない」鼻をフンッと鳴らして言うと、ナオミは二つのバッグをかかえた私の腕を思いきり引っぱった。それから私の背後にまわり、早く乗るのよ、と言って渾身の力で私の背に突撃してきた。「…………」痛いよナオミ、と言って肩越しに振り返るとパジャマ姿のナオミがウルトラマンみたいなポーズで私の背中にぶつかっていた。メレンゲの角みたいに小さな鼻の、愛らしい鼻の穴からフンフンと勢いのいい鼻息が洩れている。断続的に突撃されるのは痛いので避けたいのだが、ここを動くと彼女はそのままベッドからころげ落ちてしまうのだ。どんな夢を見ているだろう、もしかしたらまだナオミは、不甲斐ない私の手をひきながら追っ手と戦っているのかも知れない。なんだか申し訳なくなって、いま私は愛の鈍痛に殉ずる所存であります。
車の運転と犬が好き
他人に話すほどでもなく日記に書くほどでもないメチャクチャどうでもいい話と過去の習作置き場です
「いま私は静かにしている」はいちおう連作ですが、それぞれの話につながりはないです
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