ハロー
公開 2010/10/05 19:24
最終更新
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夕暮れ、かりかりとドアをひっかく音に気づいて玄関に出るとねこがいた。灰白の小さなねこで、目はびいだまみたいな青だ。くすんだ毛いろをしているのはよごれているせいで、もつれた毛並みの奥は真っ白だ。このあたりでは有名なねこで、生粋の野良には見えないからどこかのお屋敷から逃げ出してきたんじゃないかという噂だった。どこに行っても餌はもらえるだろうに、ここのところは頻繁に私のもとを訪れる。「可愛いですね」ふいに声をかけられておどろいた。隣の部屋の玄関を開けて、見知らぬひとが顔を出していた。「お宅のねこちゃんですか」「……いえ、近所の野良で」「へえ、そんなふうには見えない」デレッとした笑みを見せてねこに手を伸ばしかけ、ふと顔をあげて「あああ、いけない。Mと言います、引越してきたのです」と私に頭を下げた。そしてそのM何某は急に部屋のなかに引っこむと、また急に現れて何かを差し出した。どうやら洗剤か何かのようだ。朝からやけに賑やかだったのは、引越しのせいだったのか。「こちらこそ、どうぞ宜しく」不慣れな動作で頭を下げた私に、Mはなつっこく笑い、それからねこに「きみも、宜しく」と声をかけた。「この子、名前は?」「はあ……野良ですから」「でも、呼び名はあるのでしょ?」Mはなぜか確信めいた口調で私を見つめ、相変わらずにこやかに頷くので私もついつい「さい、と呼んでいます」と答えた。さいちゃん、とMは呼び、私はなんだか不思議な気分になった。さいというのは昔、幼い私が共に暮らしていたねこの名前だった。やって来る野良を、その名で呼んだことは、一度もなかったというのに……「さいちゃん、お近づきのしるしに」Mがどこからか取り出した煮干しを、ねこはぺろりと平らげた。それから一声鳴いて、私の足を踏んだ。Mがあっけらかんとした笑い声をあげ、いま私もつられて少し笑っていた。
車の運転と犬が好き
他人に話すほどでもなく日記に書くほどでもないメチャクチャどうでもいい話と過去の習作置き場です
「いま私は静かにしている」はいちおう連作ですが、それぞれの話につながりはないです
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