あたしが手に入れた最初のボルボのお話
公開 2024/06/29 10:31
最終更新
2024/06/29 10:49
ふと思い出す
あたしが手に入れた最初のボルボのお話。
当時私はFordのマイナーな車プローブに乗っていたのね。あのDAIGOさんのお爺さんが・・・笑、消費税を導入した。消費税は3%。そのかわりに物品税が無くなりました。そのときにやたらと安くなった隙を縫ってこのプローブを手に入れたのね。それは良いのですが・・・・・やはりアメリカ車は・・・・とどなたも持つイメージその通りの車で全く痛い目にあったねぇ。
時代背景を書き出しませう。
当時はまだinternetが存在していない。
だからJRで・・・(あ~まだこの頃は国鉄だったかな?JRになってすぐの頃かな。つまりこの時点であたしは浜松に住んでいるんだな。)
niftyのfcookが、初めてのoff(off会)を伊東で開催するということで出席を申し込み。
この時点で、車はそのoff会の翌々週というはなしだった。とっころが、突然電話が掛かってきて「豊橋港に届いちゃいまして・・・・・」というわけで、急遽納車。(だって取りに来いって言うからさぁ。来週でいいよっていうのに、来ちゃったから取りに来てくれないと困るといいだす。もぉ~)
時は5月の連休明けてからの最初の土曜・日曜。もう暑くってね。
エアコンかけたら、温風しか出ない。細かいことができないアメリカ人対応のアメリカ車だから、いくらマツダ・アトランタで作られていて、フォード採用の日本人設計者が設計したと言っても「簡単」に作られているだろう・・・・・納車された時点でエアコン壊れている。
週明けて修理で持ち込んだら「北極経由で部品取り寄せます。」とアメリカから部品調達だという。翌日夕方「できた?」と聞いたら「バラして新しい部品を納めようとしたらおさまりきらないんです。もう一日ください。」という。翌日行って「どれが北極経由なの?」と聞いたら「これです。」と指さした部分には「Made in Japan Mazda」と明記されている。あほんたれ。
それから延々と修理に悩まされたのが5年間だったね。
バブルが弾けてしばらくした1995年。知り合いの美容院のオーナーが、「もうあの車はやめたほうが良いぞ。事故起こしてからだと遅いぞ。バブルが弾けたので質の良い車・・・お前AUDIはどうだ?」と連れて行ってくださった外国車整備販売会社。「AUDIは今出払っておりまして・・・・」と言われたところ、そのオーナーが「お前ボルボはどうだ?」と言った時あたしの頭の中には、不動産屋の友人が乗っていた240セダン・ホワイトの美しさが頭に浮かんで・・・「あ~ボルボ、良いねぇ。」と言った一言を受けて外国車整備販売会社の社長さんは、ボルボの予約リストの一番上に私の名前を記入した。
そんな事があったのをすっかり忘れ去っていた・・・2ヶ月位経過した頃、外国車整備販売会社からの電話「ボルボ入りました。」
ということで見に行ったボルボは、240のセダンではなくエステートモデル。「プローブに乗られていらっしゃったので、ハンドルは右でも左でも大丈夫と思いまして。左だとダメとおっしゃられる方が結構いらっしゃいましてね。これは慣れの問題なのですが。」日本国内に3%しか存在していないと言われている左ハンドルのボルボ。
初めてであったのは、霧雨の夜。道路のカクテルライトに照らし出されたボディは、異様に大きく浮かび上がっていた。
「大きいね。セダンじゃないのね。」
「まぁ~今のボルボのイメージは、セダンではなくてエステートと呼ばれるステーションワゴンが主流です。」
っとそんなボルボの「ボ」の字も知らなかった私。
「実は、予約の方が12人いらしゃいまして。このリストのとおりです。もしやはりAUDIがお好みということでしたら、この場で言ってください。予約2番の方にすぐ電話しますので。まず、カギをお渡ししますので、運転席に座ってみてください。」
というわけで、運転席(左座席)に座ってみた。
なんだか包みこまれる感覚。
薄暗い運転席でエンジンなんか掛けずとも「あっこれ手放しちゃいけない。」っと車を降りてすぐ事務所に向かい「ボルボ買わせていただきます。」と言ったのを覚えている。
1995年の10月であったのを記憶してるね。
あたしが手に入れた最初のボルボは
740ターボエステート・エメラルドグリーンメタリック。左ハンドル。
名古屋港から上陸したディラー正規輸入の限定左ハンドル200台と後々ボルボのディラーで聞いた。
740(1990年モデル・ハンドル左)1995~2004 (エメラルドグリーンメタリック)
V70(2004年モデル・ハンドル右)2004~2015 (黒)
V70(2006年モデル・ハンドル左)2015~2023 (白)
V40(2017年モデル・ハンドル右)2023~ (ロウカッパーメタリック)
あれから、もう29年ボルボに乗っているのねぇ。
あたしが手に入れた最初のボルボのお話。
当時私はFordのマイナーな車プローブに乗っていたのね。あのDAIGOさんのお爺さんが・・・笑、消費税を導入した。消費税は3%。そのかわりに物品税が無くなりました。そのときにやたらと安くなった隙を縫ってこのプローブを手に入れたのね。それは良いのですが・・・・・やはりアメリカ車は・・・・とどなたも持つイメージその通りの車で全く痛い目にあったねぇ。
時代背景を書き出しませう。
当時はまだinternetが存在していない。
だからJRで・・・(あ~まだこの頃は国鉄だったかな?JRになってすぐの頃かな。つまりこの時点であたしは浜松に住んでいるんだな。)
niftyのfcookが、初めてのoff(off会)を伊東で開催するということで出席を申し込み。
この時点で、車はそのoff会の翌々週というはなしだった。とっころが、突然電話が掛かってきて「豊橋港に届いちゃいまして・・・・・」というわけで、急遽納車。(だって取りに来いって言うからさぁ。来週でいいよっていうのに、来ちゃったから取りに来てくれないと困るといいだす。もぉ~)
時は5月の連休明けてからの最初の土曜・日曜。もう暑くってね。
エアコンかけたら、温風しか出ない。細かいことができないアメリカ人対応のアメリカ車だから、いくらマツダ・アトランタで作られていて、フォード採用の日本人設計者が設計したと言っても「簡単」に作られているだろう・・・・・納車された時点でエアコン壊れている。
週明けて修理で持ち込んだら「北極経由で部品取り寄せます。」とアメリカから部品調達だという。翌日夕方「できた?」と聞いたら「バラして新しい部品を納めようとしたらおさまりきらないんです。もう一日ください。」という。翌日行って「どれが北極経由なの?」と聞いたら「これです。」と指さした部分には「Made in Japan Mazda」と明記されている。あほんたれ。
それから延々と修理に悩まされたのが5年間だったね。
バブルが弾けてしばらくした1995年。知り合いの美容院のオーナーが、「もうあの車はやめたほうが良いぞ。事故起こしてからだと遅いぞ。バブルが弾けたので質の良い車・・・お前AUDIはどうだ?」と連れて行ってくださった外国車整備販売会社。「AUDIは今出払っておりまして・・・・」と言われたところ、そのオーナーが「お前ボルボはどうだ?」と言った時あたしの頭の中には、不動産屋の友人が乗っていた240セダン・ホワイトの美しさが頭に浮かんで・・・「あ~ボルボ、良いねぇ。」と言った一言を受けて外国車整備販売会社の社長さんは、ボルボの予約リストの一番上に私の名前を記入した。
そんな事があったのをすっかり忘れ去っていた・・・2ヶ月位経過した頃、外国車整備販売会社からの電話「ボルボ入りました。」
ということで見に行ったボルボは、240のセダンではなくエステートモデル。「プローブに乗られていらっしゃったので、ハンドルは右でも左でも大丈夫と思いまして。左だとダメとおっしゃられる方が結構いらっしゃいましてね。これは慣れの問題なのですが。」日本国内に3%しか存在していないと言われている左ハンドルのボルボ。
初めてであったのは、霧雨の夜。道路のカクテルライトに照らし出されたボディは、異様に大きく浮かび上がっていた。
「大きいね。セダンじゃないのね。」
「まぁ~今のボルボのイメージは、セダンではなくてエステートと呼ばれるステーションワゴンが主流です。」
っとそんなボルボの「ボ」の字も知らなかった私。
「実は、予約の方が12人いらしゃいまして。このリストのとおりです。もしやはりAUDIがお好みということでしたら、この場で言ってください。予約2番の方にすぐ電話しますので。まず、カギをお渡ししますので、運転席に座ってみてください。」
というわけで、運転席(左座席)に座ってみた。
なんだか包みこまれる感覚。
薄暗い運転席でエンジンなんか掛けずとも「あっこれ手放しちゃいけない。」っと車を降りてすぐ事務所に向かい「ボルボ買わせていただきます。」と言ったのを覚えている。
1995年の10月であったのを記憶してるね。
あたしが手に入れた最初のボルボは
740ターボエステート・エメラルドグリーンメタリック。左ハンドル。
名古屋港から上陸したディラー正規輸入の限定左ハンドル200台と後々ボルボのディラーで聞いた。
740(1990年モデル・ハンドル左)1995~2004 (エメラルドグリーンメタリック)
V70(2004年モデル・ハンドル右)2004~2015 (黒)
V70(2006年モデル・ハンドル左)2015~2023 (白)
V40(2017年モデル・ハンドル右)2023~ (ロウカッパーメタリック)
あれから、もう29年ボルボに乗っているのねぇ。
禰󠄀子屋宇之助堂時川
我が家の先代御猫『宇之助』を置いたネーミング。
宇之助御猫様が創業御猫様でありますねぇ。
今は虹の向こうからお守り頂いております。
手代の福助お猫
丁稚の辰五郎お猫が御店を守っておりまする。笑
我が家の先代御猫『宇之助』を置いたネーミング。
宇之助御猫様が創業御猫様でありますねぇ。
今は虹の向こうからお守り頂いております。
手代の福助お猫
丁稚の辰五郎お猫が御店を守っておりまする。笑
最近の記事
タグ
