長野署の諸伏警部の漢文スペックが、ただの故事成語に詳しいじゃなくて大学で専攻してますよね?!の可能性があってビックリした件 後編
公開 2025/08/07 17:15
最終更新
2025/08/15 15:17
目次
注意書き(こちらは後編となります) #
こちらの記事は、「長野署の諸伏警部の漢文スペックが、ただの故事成語に詳しいじゃなくて大学で専攻してますよね?!の可能性があってビックリした件 前編」の続きとなります。
お手数ですが、以下の前編からお読みください。
https://simblo.net/u/WLEyHU/post/481942
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(7)「三顧の礼はなかった」は無かった #
とは言え。
「蜀が正義側だなんて古い」「劉備が聖人君子なんてフィクション」「諸葛亮は天才軍師なんかじゃない」「そんなストーリーの吉川英治なんてもう古い」
……とかなんとか、皆さんも一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか?
あと「三顧の礼はなかった」。これも一時期めっちゃ流行ったな~。「20代の無名の若者のところに、50過ぎの組織のリーダーが頭を下げに行くなんてありえない、後世の人が孔明をアゲるために書いたフィクションだ、実際には孔明の方が劉備のところに出向いて就職活動してたはずだ」……という言説。ほんと流行りました。
この説、一見もっともらしいし、確かにこっちの説明の方が、自然に思えます。
あれれ~、おっかしいな~。いまの日本と、大昔の中国って、ぜんぜん違ったはずだよね~?蘭ねえちゃんから、その頃の中国は、貴族とか、しだいふ、って言う人だけが偉い人になれる社会で、いまみたいに、誰でも学校に行って、試験に受かったら偉い役人になれる社会じゃなかったって聞いたことあるんだ。でも、なんで就職活動だけは同じなんだろうね~?
↑高山みなみさんのあの口調でお読みください
……そうなんですよ。「三顧の礼はなかった」説、すごくもっともらしいけれど、実は「今現在の常識で、今とは全く違った社会構造の時代を推量」してるので、実は出だしから考え方が間違ってるんですよ。
常識的に考えたら、同じ「いま現在」であっても、例えば外国と日本では風習も文化も違うから、こっちの常識で相手の行動を判断したら、めちゃくちゃトラブルになるじゃないですか。
それなのに1800年前の外国の出来事を、自分たちの常識で推測できると思うあたり、常識としてもアウトだし、史学として考えたら、完全に無い寄りの無い。もちろん「たまたま似た制度になった」こともあるにはあるけど、今回の場合は無いです。
まあこの話題については、ぶっちゃけ私も、三国時代の研究家の渡邉義浩先生の受け売りです。三顧の礼の意味あいについては、渡邉先生の説が読んで一番納得できたんで。
何より渡邉先生の「三顧の礼はかあった社会とは、どんな社会だったか?」という解析で中国の歴史を見ると、後漢末から晋朝から南朝まで、貴族勢力がめちゃくちゃ権力を持った理由が、すごくハッキリと見えてくるし、なんならその先の「そういう訳で科挙ができたんか!」まで、広く繋げて解析することができて、ものすごく射程距離が広い。
だから私は、渡邉先生の解析が、三国時代の社会を一番正確に分析してると思っているので、三顧の礼は当然ある派です。違うと思う人はぜひ渡邉先生に直接反論してください。論文誌とか、今は結構会費を払えば在野の投稿を受け付けてくれるところもあるんで。
渡邉先生の論が気になる方は、ぜひ先生の本を買ってください。お財布に余裕が無い場合は図書館がお勧め。少なくとも中公新書は必ずあると思うんで。
劉備は演義で描かれるような聖人君子ではなかったことは事実ですし、諸葛亮が演義で描かれるような天才軍師でなかったことも、事実です。
しかし逆が真にならないところが歴史の難しいところ。諸葛亮を天才軍師じゃないように描けば史実に近づくかと言うと、そんなことは全然ない。
なぜって、羅貫中はなんのかんの言ったって近代より前の中国人ですけど、最近の日本で出てる小説は、「現代の外国人」が、「自分の感覚」で書いちゃっているんですから。だから部分的に史実の事件を取り上げていても、ベースとなる世界観が三世紀中国ではないので、演義とは別方向のフィクションに向かっていると言えるでしょう。
(8)魔改造大国なのになんで棲み分けが無いんだろ #
とは言え、史実じゃないといけないのは、史学のはなしなんですよ。
小説だったら、別に史実に基づかなくても良いと、私も思うんですよ。だって小説は文学もしくは芸術なんですから。
シェークスピアの劇は史実と違うから良くないとは言いませんでしょ?通俗小説だって小説の仲間。羅貫中だって吉川英治だって北方謙三だって、小説である以上、別に史実を踏まえてなくていいと思うんですよ。
あと実は、日本って三国志演義のことを、江戸時代から和風アレンジしまくっていたんですよ。江戸時代後期、葛飾戴斗が挿絵を描いた「絵本三国志」はめちゃくちゃヒットしたけど、キャラデザは完全に歌舞伎でどこも中国じゃないし、なんなら女体化した浮世絵もある。さすがは世界に誇る二次創作文化を創造した俺達のご先祖、江戸時代にやらかし済みである。
ご先祖のやらかしを思えば、吉川英治が出だしいきなりオリジナルエピソードをぶっこんだり(劉備がお茶を買ってくるシーンは吉川オリジナルです)、北方謙三が自分の得意な「昭和のハードボイルド」のノリで押し切ったり(もはや中国でも古代でもない)、はたまた「いやそんな髪型の古代中国人いねーよ!」なマンガがあるのも、女体化ゲームがあるのも、ある意味納得。なんせ日本人は江戸時代から原作魔改造大好き民族なんで。
それに私も二次創作大好きなガチの腐女子なんで、原典と違うアレンジについては文句を言える立場じゃないです。むしろまず原作者に謝らないといけない側。ちなみにコナンでも腐を好んで摂取してます。敢高メイン高右固定、公式健全カプも別腹でいただく派だけど夢はたしなんでおりません。私の性癖はさておき。
だから腐女子が自分の好きなカプの同人誌を買うように、「三国志ものを読みたい」って時は、それぞれ好きなタイプの小説を選んで買えばいいんじゃないかと思うんですよ。
ところが歴史ジャンルって、何故かこの腐の棲み分け文化が無いんですよ‥。むしろ「全部買え」が推奨されてる。腐で例えるなら、逆カプも解釈違いも全部買えというようなもの。マジで無理と思いません?
別に解釈違いがあっても良いんですよ。買わない触れない関わらないで居れば良いんですから。そのための棲み分け暗号。ちなみに私は、個人的な好み問題として、北方作品とか曹操アゲ系の男性向けマンガとか超絶苦手です。史実うんぬんじゃなくて、純粋に作風が趣味に全く合わない。タイトル書くのも嫌なぐらい無理。リバ絶対無理腐女子にとってのリバカプ本以上にマジで無理。
なのに歴史ジャンルって棲み分けが全然無し。同じコーナーに普通に解釈違いが並んでる。大河ドラマ真田丸の時も、明らかに三谷幸喜の世界観とか解釈違いの池波正太郎の小説が関連商品で本屋で売ってるし、鎌倉殿の13人の時も完全に解釈違いの永井路子の小説が売ってある。
実はこの「解釈違いの棲み分け一切なし。同じ元ネタの派生作品なら、買えば買うほど良い」という、歴史エンタメの風潮が耐えられず、私は20年以上続けた歴オタをやめました。
私はほんとに吉川三国志が好きで、人形劇三国志が好きで、吉川英治の描く諸葛孔明が大好きで、故事成語の原典の中国古典を読むのも大好きで。
昔は私もファンなら全買いするもんだと思い込んでいたので、10年ぐらいは三国志関連の本を全買いしてたし(商業誌だけじゃなくてコミケの歴史創作の同人誌も買ってたなあ)。
中国語やりたくて大学は語学科に進んで、大学院ではやっぱり歴史研究をやって(三国時代は虚構の知識が頭にありすぎて無理だと判断し他の時代にした)、前にあった三国志検定は3級から1級まで取って(ほんとは4つある級全部取りたかったけど1級と4級が同じ時間の開催だったので4級だけ取れなかった)(ちなみ4級が初心者向けで1級が上級者向け)。
そんぐらい好きだったけど、いやそれぐらい好きだったからこそ。
「解釈違いも摂取するのが良いファン」という文化がどうしても無理になって、10年ほど前にすっかり辞めました。
そんな訳で、ここ10年はマジで今の三国志系エンタメの情報は持って無いです。多分現ファンの人は、「なんかこの人、情報古いな……?」と思ったかもしれませんが、そういう訳です。あともし棲み分けるようになっていたらごめん。
でも歴史エンタメって結局のところは「その時代の好みに合わせたフィクション(題材が歴史なだけ)」だと私は思ってるんで、私はもうパスです。
というか、実を言うと10年前からヅカオタしてまして、そっちの方が断然楽しいもんでして……(^^;)。同じエンタメなら自分が楽しい方一択ですよ。研究じゃないんだし。
(9)青山先生には感謝しかない(ので全巻買っちゃいました) #
コナンの映画を見に行ったのは、ほんとマジでたまたまで、実を言うと諸伏さんのことも全然知りませんでした。
自分と同じジェンヌさんを推しているフォロワーさんが、コナンの映画ですごい顔がタイプの気になるキャラがいると呟いていたので、このフォロワーさんが気になるってことは、自分も絶対好みのタイプだと思ったらまさにビンゴで、それで観に行ったという、完全に「顔が好み」というだけの理由で行ったんですよ……。
そしたら10年前、なんかすごくモヤモヤしてあがっちゃったジャンルの関連ネタに出くわして、そうしたら、10年前は判らなかった「なんでモヤモヤしてるのか」に、ハッと気付けた、という流れです。
もし青山先生がいなかったら。
青山先生が「漢文大好き故事成語大好きなハイスペックおもしろおじさん諸伏警部」というキャラを創造してくれなかったら。
もしかしたら私は、ずっと長年好きだったジャンルを離れることになった理由に気付くことなく、グズグズと未練をひっぱっていたかも知れなかった。
今はハッキリと理由も分かってめちゃくちゃスッキリしてます。いや〜やっぱり棲み分け文化は最高だね。リリンの生み出した文化の極みだよ。この文化の無いところにはちょっと住めないわ。
というわけで、お礼に青山先生に課金せねば!と思って、原作をちょっとずつ買おうと思っていたんですが、何故か一ヶ月で全巻買ってしまったでござる。だ、だって赤井さんが最新話でも無事かどうかが気になって……!(沼が増えてませんか自分)。
後半は諸伏さんの話題ではなく、半分ぐらい自分語りというか、「諸伏さんの漢文大好きを見て、自分も漢文大好きだったことを思い出した」という話になってすみません。
とにもかくにも青山先生には、こんなにも高潔な正義漢であると同時に、何かズレてるおもしろ故事成語おじさん諸伏高明を爆誕させた上に、映画という、まだファンでない人もアクセスしやすい媒体に登場させてくださり、本当にありがとうございます。爆誕した理由が「しょかつのこうめい」というダジャレなのも良い。そういう肩の凝らない創作理由、嫌いじゃないです。むしろ好き。
個人的な話ですが、宝塚歌劇の方が、いままさに自分が一番好きなトップスターさんの退団公演の真っ最中で、毎日「退団しないでほしいよ~(涙)」とメソメソしているところなんですが、新たな推しとの出会いで大分悲しみが紛れました。ほんとまじコナン映画見て無かったら、もっと悲しい気持ち一色になってましたよ‥。
ちなみに審神者もやってますが、審神者になったきっかけも「推しているトップスターさんの退団の悲しみを紛らわそうと手近なゲームに手を出したら沼った」だったんだよな……。推しが退団するたびに沼が増えてない?つうか推しの退団公演の最中にコナン一気買いして大丈夫なの……?(全然だいじょばない)(主にお財布が)
長々と書いていたら八月になってしまいました。それでは今から急いで長野県警の出ている映画、配信で見てきます〜\\\\٩( 'ω' )و ////(実は敢ちゃんと由衣ちゃんも好きになりました)(やっぱり沼が増えてるぞ自分)
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参考文献(いま手元にすぐ出てくる分しかなくてごめん) #
◎渡邉義浩著『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)
……渡邉先生の本はいろいろ出てるけど、これが一番手に入りやすいしお手頃価格と思ってます。
◎諸橋轍次選・著『中国古典名言事典』(講談社学術文庫)
……4800の中国の故事成語が収録されている文庫本。とりあえず文庫の厚みじゃない。
◎呉座勇一『戦国武将、虚像と実像』(角川新書)
……直接の参考文献ではないけど是非読んで欲しい1冊。いわゆる日本の戦国の三傑が小説で描かれていた姿は、ぶっちゃけ発行された時代の価値観に左右されており、最新研究が反映されたものでは決してないことを、ガチの歴史学者が論証。
歴史エンタメは歴史に興味を持つ切っ掛けにはなっても、所詮は作者の生きている時代の流行に合わせて描かれるので、歴史そのものに踏み込むことはできず、時には歴史そのものを知る弊害にもなりうる、という当たり前のしょっぱい事実を、これでもかと丁寧に突きつけてくる1冊です。
○三国志の劉備や関羽が、美女やマッチョにもなるというお話(太田記念美術館)
……例の江戸時代の浮世絵の所蔵先です。公式ブログ記事。URLはこちら。
https://otakinen-museum.note.jp/n/n8a7990f1ac52
○日本における『三国演義』の受容<前篇)-翻訳と挿図を中心に-
……明清期の小説の研究家である上田望先生の論文。江戸時代後期には、日本人は三国志演義を翻訳としてまじめに読むのでなく、和風化しまくっていたことを論証してます。
https://core.ac.uk/download/pdf/196701057.pdf
☆蛇足 姓名字について #
実は「諸葛亮孔明」って何カ所か書いてます。
もちろん「姓と名、もしくは姓と字がセットであって、姓名字はフルでは言わない」のが、当時の常識として正しいことは知ってます。
でもエンターテインメントの話をする時に、あまり史実や正確性に拘るのは野暮だなあ……と思って、今回は敢えてフィーリングで書きました。やっぱり自分は最初に出会った三国志が人形劇三国志なんで、エンタメとしての三国志の話となれば、「しょかつりょうこうめい」が一番馴染みある日本語表記なんですよ。
それに中国語出来る人として言わせてもらうと、「フルでは言わない。しょかつりょうこうめいと全部言うのは正しくない」は、ちょっとずるい言い方だな~、って思うんですよ。なぜって中国語だと、この「姓名字をいっぺんには言わない」問題、姓名と字の間に「字」を挟むだけで解決しちゃうけど、日本語ではそうはゆかないから。
向こうの歴史ドラマで初登場の人物が出てきた時に、テロップで「字」が挟まってたりするじゃないですか。劉備[字]玄徳、みたいに。
実はこの「字」は動詞で、このたった1文字で、「あざなは~である」の意味になるんですよ。発音するなら「ツー」。つまり「劉備字玄徳」で、「劉備、あざなは玄徳と言う」という文章になる。実にシンプル。
ところが日本語だとどうなるか。高明さんのファンなら説明は無用と思いますが、まあ文章が長くなる。まず「アザナハ」で四文字要るし、やはり末尾に「トイウ」とか「トモウス」という動詞も欲しい。最短でも「しょかつりょう、あざなはこうめい」。中国語なら「ツー」一文字なのに、日本語だと最低でも4文字、なんならもっと文字数が増えて、文章がもったりする。
あと日本語って中国語より発音の種類が圧倒的に少ないので(子音の種類も母音の種類も少ない上に四声も無い)、同音異義語が中国語より大量に発生しがちなんですよ。だから「姓名字」を全部いっぺんに言った方が、マジで誤解が少ない。
例えば「そんけん」(孫堅もしくは孫権)。中国語だと「けん」が全く別の発音なんで問題ないけど(堅はジェン、権はチュエン)、日本語だと同じ「けん」の発音になってしまう。だから「そんけんぶんだい」「そんけんちゅうぼう」と、字まで言った方が圧倒的に誤解が少ない。「けんパパ」なんていう、日本だけしか通じない業界用語をひねり出す必要もなくなるし。
そもそもからして、小説やマンガのようなエンタメというものは、山もり史実に反してるもの。むしろ史実に反することで、つまらない現実をエンターテインメントにしたてあげているものです。
そうであるなら、原語のルールから見た場合、正確だけど通じづらく誤解を招きやすい表現と、ルールは違反してるけどサクっと通じる表現の、どちらがより良いか。私はエンタメなら、やはり後者を選んだ方がいいんじゃないかなあ…… と、考えています。
