唐突な視界の変化に戸惑いまくった話
公開 2025/05/20 18:08
最終更新
2025/07/09 20:31
ここではお久しぶりです。夕緋です。
今回は2025年5月14日の夜に、私の脳内で唐突に起こった変化について書こうと思います。この変化が起こった時、あまりにも動揺してSNSに書き込んだりしていました。あれから時間が経ってもやっぱりこの変化は大きいものだと感じるので、自分のために書き残しておこうと思います。
毎度のことながら、このブログは今の私が未来の私に面白がってもらうために書き連ねるものですので、予めご了承ください。そして今回の内容はとても重くて長いです。その点についてもご理解いただいた上で読んでいただければ幸いです。
さて、私にいったい何が起こったのか。きっかけは自分の中からこんな言葉が出てきたことでした。
「これから得られる幸せもあるよ」
「まだ知らない幸せがあるよ」
この言葉が心の中から出てきて『そんなこと思えたの人生で初めてかもしれない』と思ったのです。
私は小学4年生頃から高校生まで、苦しい日々を送ってきました。小学生の頃は習い事で、中学2年生頃からは学校で、頑張りすぎて自分を追い詰めてしまいました。頑張りすぎた原因はこの記事(https://simblo.net/u/DcWpWF/post/168386)に書いたように、この頃の私が、人生の中心に他人の評価を置いていたからだと思います。
ざっくり数えても年数にして9年。頑張ることは辛いことだと勘違いするには充分な年数でした。
日々を苦しみながら生きた9年間は未来を不安でいっぱいにさせました。今は家族を含め、色々な人に支えられて過ごしていますが、『この輪の中から出たら苦しみが待っている』と信じて疑っていなかったように思います。”今”は信じられても”未来”が楽しいものだとはとても思えていなかった。
それなのに、「これから得られる幸せもあるよ」「まだ知らない幸せがあるよ」という言葉がポンと心の中に出てきたのです。
考えてみると原因はいくつかあると思います。9年間の傷が治りつつあること。私が人生の中心に他人の評価ではなく自分を置こうと決めてから時間が経ったこと。まだ知らないことを「これからの楽しみだね」と言ってくれた人がいたこと。実際に知らなかった楽しみを実感したこと。他にも私が気づいていない原因があるかもしれません。
急に未来にも幸せがあると感じられるようになってビックリしました。この感覚のおかげで、『自分は苦しみから逃げるために頑張っているのではなく、幸せを掴むために頑張っているんだ』と思えて、それにもビックリ。いきなり価値観が変わりすぎて戸惑っていました。たぶん例えるならメガネを変えた途端に視界がクリアになったような感じ。『え、世界ってこんな形だったの!?』みたいな驚きだったんじゃないかと思います。
時間が経って考えてみれば”未来に幸せを感じられない=苦しみばかりある”と思っていた私が大変な思いをしたくないのは当然だなぁと。報われることがないと思っていますから。先ほどリンクを貼った記事に書いていた『自分を否応なしに引っ張ってくれる光』が欲しかったのにも納得。未来は苦しい前提で考えているので、そういう考えに至ったのだろうと思います。
また、私には”今以上を求めないクセ”があったのですが、それも未来に幸せを感じられていなかったからなのかな、と思います。未来に期待することができないというか、最初からその選択肢の存在すら知らないといった感覚でしょうか。だからこれから徐々に自分の欲望が出て来るのかな、と思っています。
未来に幸せがあるように、私のまだ知らない苦しみもあるのだと思います。そのことは正直に怖いです。でも、それを乗り越える術がこの世にはあると信じることも少し出来ました。あの頃とは自分の状態が違うし、支えてくれる人がいることが見えるようになっているからです。こんな風に考えられる自分にまだビックリしていたりします。
まだ知らないことを楽しみに出来るようになった今の思考は明るくて幸せに近いものだと思います。でも私は以前の苦しみから生まれた思考も完全に手放したくはないなと思います。そもそも今の状態がずっと続くとは思っていません。徐々に元に戻っていく可能性も充分あると思っています。でもその思考を完全に悪いもの、排除すべきとは考えたくない。見える世界が歪まない程度に付き合っていきたいです。
……と、ここまでが2025/5/20に書いたまま放置していた文章です。長っ。でもあまりに大きな変化なので未来の私にちゃんと残そうとするとこうなってしまうのですね。
実は他にも書きたいことはあって
・その時共感できなくても色んな考えをインプットしておくとふとした時に繋がったりする
・「これは世間一般的に幸せとされている」という感覚から「これは幸せ」という感覚になった
・誰かに「未来にも幸せはあるよ」と言われるんじゃなく自分の心から出たのが大事
といったことも書こうとしていたのですが、あまりに長くなるのでメモ程度にとどめておきます。気が向いたら別の記事で書くかもしれないし、しれっとこの記事を更新しているかもしれません。
もしもここまで目を通してくださった方がいらっしゃるのなら、ありがとうございます。私の話が何かしらの感情を抱かせていたら嬉しいなと思います。
今日はここでおしまい。
今回は2025年5月14日の夜に、私の脳内で唐突に起こった変化について書こうと思います。この変化が起こった時、あまりにも動揺してSNSに書き込んだりしていました。あれから時間が経ってもやっぱりこの変化は大きいものだと感じるので、自分のために書き残しておこうと思います。
毎度のことながら、このブログは今の私が未来の私に面白がってもらうために書き連ねるものですので、予めご了承ください。そして今回の内容はとても重くて長いです。その点についてもご理解いただいた上で読んでいただければ幸いです。
さて、私にいったい何が起こったのか。きっかけは自分の中からこんな言葉が出てきたことでした。
「これから得られる幸せもあるよ」
「まだ知らない幸せがあるよ」
この言葉が心の中から出てきて『そんなこと思えたの人生で初めてかもしれない』と思ったのです。
私は小学4年生頃から高校生まで、苦しい日々を送ってきました。小学生の頃は習い事で、中学2年生頃からは学校で、頑張りすぎて自分を追い詰めてしまいました。頑張りすぎた原因はこの記事(https://simblo.net/u/DcWpWF/post/168386)に書いたように、この頃の私が、人生の中心に他人の評価を置いていたからだと思います。
ざっくり数えても年数にして9年。頑張ることは辛いことだと勘違いするには充分な年数でした。
日々を苦しみながら生きた9年間は未来を不安でいっぱいにさせました。今は家族を含め、色々な人に支えられて過ごしていますが、『この輪の中から出たら苦しみが待っている』と信じて疑っていなかったように思います。”今”は信じられても”未来”が楽しいものだとはとても思えていなかった。
それなのに、「これから得られる幸せもあるよ」「まだ知らない幸せがあるよ」という言葉がポンと心の中に出てきたのです。
考えてみると原因はいくつかあると思います。9年間の傷が治りつつあること。私が人生の中心に他人の評価ではなく自分を置こうと決めてから時間が経ったこと。まだ知らないことを「これからの楽しみだね」と言ってくれた人がいたこと。実際に知らなかった楽しみを実感したこと。他にも私が気づいていない原因があるかもしれません。
急に未来にも幸せがあると感じられるようになってビックリしました。この感覚のおかげで、『自分は苦しみから逃げるために頑張っているのではなく、幸せを掴むために頑張っているんだ』と思えて、それにもビックリ。いきなり価値観が変わりすぎて戸惑っていました。たぶん例えるならメガネを変えた途端に視界がクリアになったような感じ。『え、世界ってこんな形だったの!?』みたいな驚きだったんじゃないかと思います。
時間が経って考えてみれば”未来に幸せを感じられない=苦しみばかりある”と思っていた私が大変な思いをしたくないのは当然だなぁと。報われることがないと思っていますから。先ほどリンクを貼った記事に書いていた『自分を否応なしに引っ張ってくれる光』が欲しかったのにも納得。未来は苦しい前提で考えているので、そういう考えに至ったのだろうと思います。
また、私には”今以上を求めないクセ”があったのですが、それも未来に幸せを感じられていなかったからなのかな、と思います。未来に期待することができないというか、最初からその選択肢の存在すら知らないといった感覚でしょうか。だからこれから徐々に自分の欲望が出て来るのかな、と思っています。
未来に幸せがあるように、私のまだ知らない苦しみもあるのだと思います。そのことは正直に怖いです。でも、それを乗り越える術がこの世にはあると信じることも少し出来ました。あの頃とは自分の状態が違うし、支えてくれる人がいることが見えるようになっているからです。こんな風に考えられる自分にまだビックリしていたりします。
まだ知らないことを楽しみに出来るようになった今の思考は明るくて幸せに近いものだと思います。でも私は以前の苦しみから生まれた思考も完全に手放したくはないなと思います。そもそも今の状態がずっと続くとは思っていません。徐々に元に戻っていく可能性も充分あると思っています。でもその思考を完全に悪いもの、排除すべきとは考えたくない。見える世界が歪まない程度に付き合っていきたいです。
……と、ここまでが2025/5/20に書いたまま放置していた文章です。長っ。でもあまりに大きな変化なので未来の私にちゃんと残そうとするとこうなってしまうのですね。
実は他にも書きたいことはあって
・その時共感できなくても色んな考えをインプットしておくとふとした時に繋がったりする
・「これは世間一般的に幸せとされている」という感覚から「これは幸せ」という感覚になった
・誰かに「未来にも幸せはあるよ」と言われるんじゃなく自分の心から出たのが大事
といったことも書こうとしていたのですが、あまりに長くなるのでメモ程度にとどめておきます。気が向いたら別の記事で書くかもしれないし、しれっとこの記事を更新しているかもしれません。
もしもここまで目を通してくださった方がいらっしゃるのなら、ありがとうございます。私の話が何かしらの感情を抱かせていたら嬉しいなと思います。
今日はここでおしまい。
久遠厨・とと徒で、ディズニーが好きなヲタクです。久遠厨・とと徒としては切り抜きを作るなどしています。
また、物語を書くのも好きです。noteやカクヨムに登録しています。更新頻度は気まぐれです。
ここにはどんな話題でも書き込んでいい、という気持ちで、未来の自分に面白がってもらうために書き始めようと思いま…
また、物語を書くのも好きです。noteやカクヨムに登録しています。更新頻度は気まぐれです。
ここにはどんな話題でも書き込んでいい、という気持ちで、未来の自分に面白がってもらうために書き始めようと思いま…
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