”生きている意味”の中心は自分? 他人? ~過去の握力 未来の浮力 あしたを生きる手引書を読んで考えたこと①~
公開 2024/12/18 18:00
最終更新
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11月頃から「となりの雑談」というポッドキャスト番組にハマっています。毎週火曜日更新で2023年の2月から開始したようなので、私が聞き始めた頃には90回を超えていましたが、現時点で第53回まで聞いているほどのハマりっぷりです。聞いている内にパーソナリティさんの書籍が気になり、調べたところ番組の本が出ていました。それが「過去の握力 未来の浮力 あしたを生きる手引書」です。
この記事にはそこに書かれていた内容ではなく、それを読んで(もしくは「となりの雑談」を聞いて)私が考えたことを記します。このブログは私が未来の私に面白がってもらうために始めたので、今の私の考えを未来の私に見てもらおうという心づもりです。
また、普段はSNSに書き込まないような話をすると思います。もしこの記事を読んでくださっている方がいらっしゃるのなら予めご了承ください。
まず私が気づいたのは、『どうも私は”生きている意味”を他者に求めているのではないか?』ということです。いきなり重量級の話ですね。でも本を読む前に『自分の生きてる意味ってなんだろう』というような思考に陥ることがあったのです。
なぜそうなっていたのかは正直分かりません。ある日突然やってきたという印象です。そして、その時に考えていたのが『自分じゃなきゃいけないことって何だろう』です。自分に取って代わる存在はいるはずだと考えたわけですね。私がいなくなったら悲しんでくれる人は幸いにもいると思えるけれど、能力的なことを考えたら私である必要性ってなんだろう? と思ってしまったのです。
でもこれって『生きている意味を他者に求めていないか?』と。
話が変わるようですが、私はずっと『自分を否応なしに引っ張ってくれる光』に憧れていました。そのためなら頑張れる、苦しいことも乗り越えられると思える光。これは私の中にどうしようもなくこびりついていた『頑張る=辛い』の図式が大きく関係しています。頑張ることは辛いことだから、せめてそれでも良いと思えるような光に向かって頑張りたい、と考えていました。(『頑張る=辛い』についてはまた別の記事にするかもしれません)
話を戻します。『自分じゃなきゃいけないことって何だろう』という考え方は、『誰かに求められること』が前提の考え方だ、と気づいたのです。誰かに求められ、”私でなければいけない”と思わせるほど評価されなければならない、という考え方です。
でも本を読んでいて『そうやって生きている意味を他人に委ねるのは違うのでは?』と気づきました。
そこで思ったのが、ずっと求めていた”自分を否応なしに引っ張ってくれる光”が自分自身だったらそれって最強なのでは? ということです。生きている意味の中心に自分を置けたら強くないか? と。だってそしたら自分がいるだけで生きようと思えますから。
人によっては当たり前のように出来ていることかもしれません。でも私には、自分が生きている意味を他者に求めていることに気づくことが必要でした。
そして、これから必要なのは、自分で自分の価値を見出す・認める・上げることだと考えています。こう考えてから『だから自分を好きでいることって大事なんだ』と思いました。自分で自分の価値を信じることが出来なければ、また『生きている意味とは』という思考に陥ってしまうでしょうから。
これから先、考えがまた変わることもあるかもしれませんが、これが今のところの私の結論です。合っているかもしれないし、間違っているかもしれない。未来で修正するかもしれないし、このまま突き進むかもしれない。
いずれにせよ、一歩進んだのは確かです。
今日はここでおしまい。「過去の握力 未来の浮力」を読んで考えたことの記事はもう一つあげるつもりです。
この記事にはそこに書かれていた内容ではなく、それを読んで(もしくは「となりの雑談」を聞いて)私が考えたことを記します。このブログは私が未来の私に面白がってもらうために始めたので、今の私の考えを未来の私に見てもらおうという心づもりです。
また、普段はSNSに書き込まないような話をすると思います。もしこの記事を読んでくださっている方がいらっしゃるのなら予めご了承ください。
まず私が気づいたのは、『どうも私は”生きている意味”を他者に求めているのではないか?』ということです。いきなり重量級の話ですね。でも本を読む前に『自分の生きてる意味ってなんだろう』というような思考に陥ることがあったのです。
なぜそうなっていたのかは正直分かりません。ある日突然やってきたという印象です。そして、その時に考えていたのが『自分じゃなきゃいけないことって何だろう』です。自分に取って代わる存在はいるはずだと考えたわけですね。私がいなくなったら悲しんでくれる人は幸いにもいると思えるけれど、能力的なことを考えたら私である必要性ってなんだろう? と思ってしまったのです。
でもこれって『生きている意味を他者に求めていないか?』と。
話が変わるようですが、私はずっと『自分を否応なしに引っ張ってくれる光』に憧れていました。そのためなら頑張れる、苦しいことも乗り越えられると思える光。これは私の中にどうしようもなくこびりついていた『頑張る=辛い』の図式が大きく関係しています。頑張ることは辛いことだから、せめてそれでも良いと思えるような光に向かって頑張りたい、と考えていました。(『頑張る=辛い』についてはまた別の記事にするかもしれません)
話を戻します。『自分じゃなきゃいけないことって何だろう』という考え方は、『誰かに求められること』が前提の考え方だ、と気づいたのです。誰かに求められ、”私でなければいけない”と思わせるほど評価されなければならない、という考え方です。
でも本を読んでいて『そうやって生きている意味を他人に委ねるのは違うのでは?』と気づきました。
そこで思ったのが、ずっと求めていた”自分を否応なしに引っ張ってくれる光”が自分自身だったらそれって最強なのでは? ということです。生きている意味の中心に自分を置けたら強くないか? と。だってそしたら自分がいるだけで生きようと思えますから。
人によっては当たり前のように出来ていることかもしれません。でも私には、自分が生きている意味を他者に求めていることに気づくことが必要でした。
そして、これから必要なのは、自分で自分の価値を見出す・認める・上げることだと考えています。こう考えてから『だから自分を好きでいることって大事なんだ』と思いました。自分で自分の価値を信じることが出来なければ、また『生きている意味とは』という思考に陥ってしまうでしょうから。
これから先、考えがまた変わることもあるかもしれませんが、これが今のところの私の結論です。合っているかもしれないし、間違っているかもしれない。未来で修正するかもしれないし、このまま突き進むかもしれない。
いずれにせよ、一歩進んだのは確かです。
今日はここでおしまい。「過去の握力 未来の浮力」を読んで考えたことの記事はもう一つあげるつもりです。
久遠厨・とと徒で、ディズニーが好きなヲタクです。久遠厨・とと徒としては切り抜きを作るなどしています。
また、物語を書くのも好きです。noteやカクヨムに登録しています。更新頻度は気まぐれです。
ここにはどんな話題でも書き込んでいい、という気持ちで、未来の自分に面白がってもらうために書き始めようと思いま…
また、物語を書くのも好きです。noteやカクヨムに登録しています。更新頻度は気まぐれです。
ここにはどんな話題でも書き込んでいい、という気持ちで、未来の自分に面白がってもらうために書き始めようと思いま…
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