助けを求めたいけれど
公開 2025/01/03 14:08
最終更新
2025/01/05 18:00
新年早々に重い話題。
先日、散々ツイート内容を迷った挙句それを投稿することをやめました。
今日はその迷っていた内容をブログにぶちまけたいと思います。
ツイートを迷っていた日に「結構な不調というか、そんな言葉じゃ的確じゃないくらいの気持ちの沈み方をしていたけれど、どうにか復活した」という内容のツイートをしました。
この日は本当にかなり深いところまで気持ちが沈んでしまっていたのですが、自力で浮き上がってきたのです。
そしてその次にツイートしようとしていたのが、「助けてくれる人が欲しい」ということでした。
私は「人に助けてもらうためには自分がどうして欲しいのか説明する必要がある」と思っています。何の説明もしなければ、自分を理解してもらうことは出来ない。下手すると辛いという感情さえ分かってもらえない。そう思っています。
分かってもらえないと思っているからこそ、”察してくれる人”の幻想を抱いています。私がどうして欲しいのかを”察して”くれる人がいたらとても楽だろうなぁと思います。”説明しなければならない”というのが私の勘違いであったなら希望になるのですが、実際は人によるのだろうなぁとも思います。
そもそも私がきちんと「どうして欲しいのか説明する」ことが出来ているかと言えば、それは違うと思うのです。
こうして文章を考えながら気づいたのですが、私は”まだ気力が残っている時”は「自分で何とかできる」と思っており、”助けを求められる気力が残っていない時”は「自分でなんとかするしかない」状態になっています。これではいつになっても助けを求めていません。するべきだと思っているはずの説明をしていないことに今気づきました。
おまけに「どうして欲しいのか」もよく分かっていないのです。「辛い・しんどい状態から脱したい」という欲はありますが、具体的な方策については分からない。というか、だから悩んでいる。そういう状態だからこそ誰かに相談するべきなんだと書きながら思いました。人を頼るのが不得意な性質がよく出ていますね。自分で正解を出さないといけないと思い込んで、1人でグルグル悩んでしまう。正解を一緒に探してもらうという手もあるのに。
ただ、私が「人に助けてもらうためには自分がどうして欲しいのか説明する必要がある」と思っているのにも理由があります。
・察してくれるタイプの人が周りにおらず、辛いときは辛いと言わないとなかなか理解されないこと。
・言ったとしても自分が感じているより軽く見られがちなこと。
・実際、自分がどん底にいた時に「この人がこうしてくれたから立ち直れた」といった直接的な経験がないこと。
私の周りの人は決して非協力的ではないですが、理解があるかと言われると首を傾げてしまいます。(”理解があるか”というより”共感してもらえるか”かもしれません。)そして私は理解してもらうための説明が足りていない、と思い込んでいるわけです。
実際、言えていないことはあります。ただ、私にはその件について一度頼ろうとして受け入れてもらえなかった経験があるので、それが尾を引いて今でも人を頼ることが苦手なのです。
でもこうして書いていると、受け入れてもらえなかったから言えなくて、それなのに「説明できない自分のせいだ」と思い込んでいるのは、なんだか違う気がしますね。
しんどいからこそ助けを求めたい、でも手を伸ばせる気力はないし、自分でも正解は分からない。そんな時に手を差し伸べてくれる人がいたらいいなぁ、という話を長々と続けてしまいました。これは1つのツイートに収まるわけがないですね。
でも、例えば日常的に”理解・共感”が欲しくなる「お風呂に入るのがしんどい」を私の生活圏内の人が分かってくれたら全然違うだろうなぁ、という想像はしてしまいます。あれ説明できないんですよね。私にとってはひたすらハードルが高いのですが。
未来の自分がこの記事を読んだ時に「こんなことで悩んでたか」と思うくらい解決してるといいなぁ、と思いつつ、今日はここでおしまい。
先日、散々ツイート内容を迷った挙句それを投稿することをやめました。
今日はその迷っていた内容をブログにぶちまけたいと思います。
ツイートを迷っていた日に「結構な不調というか、そんな言葉じゃ的確じゃないくらいの気持ちの沈み方をしていたけれど、どうにか復活した」という内容のツイートをしました。
この日は本当にかなり深いところまで気持ちが沈んでしまっていたのですが、自力で浮き上がってきたのです。
そしてその次にツイートしようとしていたのが、「助けてくれる人が欲しい」ということでした。
私は「人に助けてもらうためには自分がどうして欲しいのか説明する必要がある」と思っています。何の説明もしなければ、自分を理解してもらうことは出来ない。下手すると辛いという感情さえ分かってもらえない。そう思っています。
分かってもらえないと思っているからこそ、”察してくれる人”の幻想を抱いています。私がどうして欲しいのかを”察して”くれる人がいたらとても楽だろうなぁと思います。”説明しなければならない”というのが私の勘違いであったなら希望になるのですが、実際は人によるのだろうなぁとも思います。
そもそも私がきちんと「どうして欲しいのか説明する」ことが出来ているかと言えば、それは違うと思うのです。
こうして文章を考えながら気づいたのですが、私は”まだ気力が残っている時”は「自分で何とかできる」と思っており、”助けを求められる気力が残っていない時”は「自分でなんとかするしかない」状態になっています。これではいつになっても助けを求めていません。するべきだと思っているはずの説明をしていないことに今気づきました。
おまけに「どうして欲しいのか」もよく分かっていないのです。「辛い・しんどい状態から脱したい」という欲はありますが、具体的な方策については分からない。というか、だから悩んでいる。そういう状態だからこそ誰かに相談するべきなんだと書きながら思いました。人を頼るのが不得意な性質がよく出ていますね。自分で正解を出さないといけないと思い込んで、1人でグルグル悩んでしまう。正解を一緒に探してもらうという手もあるのに。
ただ、私が「人に助けてもらうためには自分がどうして欲しいのか説明する必要がある」と思っているのにも理由があります。
・察してくれるタイプの人が周りにおらず、辛いときは辛いと言わないとなかなか理解されないこと。
・言ったとしても自分が感じているより軽く見られがちなこと。
・実際、自分がどん底にいた時に「この人がこうしてくれたから立ち直れた」といった直接的な経験がないこと。
私の周りの人は決して非協力的ではないですが、理解があるかと言われると首を傾げてしまいます。(”理解があるか”というより”共感してもらえるか”かもしれません。)そして私は理解してもらうための説明が足りていない、と思い込んでいるわけです。
実際、言えていないことはあります。ただ、私にはその件について一度頼ろうとして受け入れてもらえなかった経験があるので、それが尾を引いて今でも人を頼ることが苦手なのです。
でもこうして書いていると、受け入れてもらえなかったから言えなくて、それなのに「説明できない自分のせいだ」と思い込んでいるのは、なんだか違う気がしますね。
しんどいからこそ助けを求めたい、でも手を伸ばせる気力はないし、自分でも正解は分からない。そんな時に手を差し伸べてくれる人がいたらいいなぁ、という話を長々と続けてしまいました。これは1つのツイートに収まるわけがないですね。
でも、例えば日常的に”理解・共感”が欲しくなる「お風呂に入るのがしんどい」を私の生活圏内の人が分かってくれたら全然違うだろうなぁ、という想像はしてしまいます。あれ説明できないんですよね。私にとってはひたすらハードルが高いのですが。
未来の自分がこの記事を読んだ時に「こんなことで悩んでたか」と思うくらい解決してるといいなぁ、と思いつつ、今日はここでおしまい。
久遠厨・とと徒で、ディズニーが好きなヲタクです。久遠厨・とと徒としては切り抜きを作るなどしています。
また、物語を書くのも好きです。noteやカクヨムに登録しています。更新頻度は気まぐれです。
ここにはどんな話題でも書き込んでいい、という気持ちで、未来の自分に面白がってもらうために書き始めようと思いま…
また、物語を書くのも好きです。noteやカクヨムに登録しています。更新頻度は気まぐれです。
ここにはどんな話題でも書き込んでいい、という気持ちで、未来の自分に面白がってもらうために書き始めようと思いま…
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