例のやつ
公開 2024/03/02 23:48
最終更新
2024/03/04 11:14
高校生の頃、地元のセッションで知り合った年上のアニキたちと組んだバンド(ギロチン和尚)でギターを弾き始めた。
まだまだバンドマンの自覚も薄く、文化祭や地元ライブハウスの内輪イベントしか知らなかったイモ高校生は、そのバンドで初めて東京のライブハウスってやつに出始めた。
特に印象に残っているのが、
今はなき高円寺GEAR。
何度か出たと思うけど、絵に描いたようなパンクスが集まるライブハウスだった。
そこかしこから色んな匂いが漂ってくる雑多な商店街。
その中でもひときわ汚いビルの細く急な階段を降りる。
ポスターで埋め尽くされた壁に囲まれた薄暗くて窮屈な『ハコ』。
先に入ってサウンドチェックを済ませている『対バン』のお兄さんお姉さんたち。色とりどりの髪をツンツンにセットして、革ジャンにチェーンやらスタッズをキメている。
そんなおっかない人達が「おはようございま〜す!」なんて笑顔で挨拶してくれるのだ。
あ、ネズミ! 床の隅っこネズミが走ってった!
「ちょ、ネズミいますよ!」
すぐそこのバーカウンターでせかせかと開店の準備をしているドリンクスタッフのお姉さんに伝えると、
「あ〜、飼ってるんですよ」
作業の手も止めずにそう言い放ったが、お姉さんは少しニヤリとしていた。
もはやバンド名を思い出すすべも無いけど、自分達の次の出番の女性3ピースパンクバンドのギターの人が凄くカッコよくて悔しかった記憶がある。
自分にとって、『カッコよさは演奏技術だけじゃない』っていう例のやつを体現して見せてくれた、初の生身の人間だったんじゃないだろうか。
とにかく、あの頃は体験するすべての事が刺激的だった。
数年後には死者を出す火災に巻き込まれ、思い出のハコは消滅したけど。
あのコッテコテのパンクスだったお兄さんお姉さん達は元気かな〜。
まだまだバンドマンの自覚も薄く、文化祭や地元ライブハウスの内輪イベントしか知らなかったイモ高校生は、そのバンドで初めて東京のライブハウスってやつに出始めた。
特に印象に残っているのが、
今はなき高円寺GEAR。
何度か出たと思うけど、絵に描いたようなパンクスが集まるライブハウスだった。
そこかしこから色んな匂いが漂ってくる雑多な商店街。
その中でもひときわ汚いビルの細く急な階段を降りる。
ポスターで埋め尽くされた壁に囲まれた薄暗くて窮屈な『ハコ』。
先に入ってサウンドチェックを済ませている『対バン』のお兄さんお姉さんたち。色とりどりの髪をツンツンにセットして、革ジャンにチェーンやらスタッズをキメている。
そんなおっかない人達が「おはようございま〜す!」なんて笑顔で挨拶してくれるのだ。
あ、ネズミ! 床の隅っこネズミが走ってった!
「ちょ、ネズミいますよ!」
すぐそこのバーカウンターでせかせかと開店の準備をしているドリンクスタッフのお姉さんに伝えると、
「あ〜、飼ってるんですよ」
作業の手も止めずにそう言い放ったが、お姉さんは少しニヤリとしていた。
もはやバンド名を思い出すすべも無いけど、自分達の次の出番の女性3ピースパンクバンドのギターの人が凄くカッコよくて悔しかった記憶がある。
自分にとって、『カッコよさは演奏技術だけじゃない』っていう例のやつを体現して見せてくれた、初の生身の人間だったんじゃないだろうか。
とにかく、あの頃は体験するすべての事が刺激的だった。
数年後には死者を出す火災に巻き込まれ、思い出のハコは消滅したけど。
あのコッテコテのパンクスだったお兄さんお姉さん達は元気かな〜。