My 幻想郷について! ♯3
公開 2024/01/17 22:07
最終更新
2024/01/17 22:07
お久しぶりでーす。
今日も幻想郷考察参りましょう!
今回は第3回講演。テーマは
文化の進化
です。
元号を帰流に改め、博麗の巫女も博麗流情(1813〜1891)に事実上受け継がれた1866年以降、幻想郷は文化の発展が乏しくなった。しかしながら、同時期には人間の幻想入りが相次ぎ、一時期人口は30万人を突破した。これを大混幻(人)という。それに伴って流行となったのは、かつて1400年代前半にアフリカで誕生したとされる八幡野球だった。学校のみならず、社会人にまで知れ渡った八幡野球は、幻高野球、幻社野球として大会が開催されるようになった。1870年には全郷高等学校野球選手権大会が夏に行われた。この大会は60回まで開催され、その度に名場面を生み出し、人々の娯楽の一つとなった。第一回大会は39校が参加し、妖怪の山三合目に建てられていた古鈴ヶ宮学園が頂点に立った。特に話題を呼んだのは、2年生ピッチャー暮潮卓斗の『三試合連完封勝利』であり、この連続記録は最後まで破られることはなかった。このような娯楽が幻想入りした中で住民が不安視したのは、子供を作らない博麗の巫女であり、住民の不安をよそに流情は1875年に博麗の巫女を引退した。時期を同じくして、当時大天狗の側近であった飯綱丸惠(23〜1789〜)が、スペルカードの全身に当たる能符を完成させ、幻想郷内での戦闘はさらなる革命がもたらされようとしていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〈人物紹介〉
博麗流情(ハクレイ-リュウジョウ)
平和を作り続けた巫女
能力は「生物の気を鎮める程度の能力」
絆奈の妹にあたる。彼女が博麗の巫女だった時代は、文化にさほど変化が起こらなかったためか、業務内容は平和を取り戻すよりも、平和を維持することが殆どだった。病気で亡くなることが多かった先代の巫女を省みて、健康的な生活を心がけることが多く、紫には勤務怠慢と疑われることもあった。巫女を引退した後は四度の結婚も子宝に恵まれず、養子を引き取って生活した。1891年12月8日、老衰で死去。養子が成人するまでは紫や華扇が巫女の役割を埋め立てた。
飯綱丸惠(イイヅナマル-メグミ)
革命を起こす鴉天狗
能力は「夜を操る程度の能力」
大天狗の飯綱丸龍の片親にあたる。天狗社会に入るとすぐに実力を買われ、僅か3年で大天狗の側近に上り詰めるスピード出世を果たす。その後は複数の大天狗の側近を変わる変わる勤め、1855年に事実上の定年退職。現在は龍と共に同棲生活を続けながら、度々龍に助言をすることも。典は常に嫉妬している。
大天狗にならなかった理由について本人は「どこの大天狗とも馬が合わなかった」と話しているが、当時惠を雇ったことがある大天狗は「元からあっちが私を嫌った」と話しており、いまいち結論が出ていない。
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以上です。公式のではスペカルールとかは霊夢発祥らしいですが、ここでは龍の片親である惠が、スペカの原型を産んだことが始まりのようですね。
神幻革命も落ち着きを見せ、歴史的にはここから文明は一時的な停滞を見せます。この後に出てくる時代まではとりあえずこの時代のままだと考えて良いでしょう。現在の幻想郷の人口が19万強らしいので、当時の30万がいかに膨大であったかがよく分かります。
八幡野球と聞くと、今の野球と何処か差異があるのでは?と思いがちですが…結論から言ってしまうと、何一つ変わりはないですね。幻想入りした人が野球をする姿を見て、「野球やってるの?」と聞くと「八幡野球だよ。」と帰ってくるのはお約束のようです。また初代優勝の古鈴ヶ宮学園は、後に運営法人が変わって蝦倉秀英高校になりました。どうやら理系色強い自称進との噂です。因みに初代出場の39校のうち、のちに優勝した高校は古鈴ヶ宮を含めて全部で17校もあり、当時から強豪がひしめき合っていたことがなんとなく窺えます。なおこの大会で登板したピッチャーの暮汐選手の子孫に当たる暮汐學ノ助は、卓斗と同じの蝦倉秀英高校のピッチャーです。
幻想郷の住民は流情が子供を作らないことを不安がっていましたが、当時の時代を鑑みると仕方ないのかもしれません。二十日戦争が発生した結果、幻想郷のこれからが無意識に心配されるようになりました。おまけに博麗の巫女の後継がいないとなると余計に心配が増してしまいますよね。おまけに博麗の巫女は代を重ねる度に少しずつ強くなっているという見方もあるらしく、博麗の血がないと巫女とは呼び難いという考えもあって、多くの人が余計に心配や危惧をする羽目になりました。で、流情は子供を作ることは…ありませんでした。その理由は正確には分からず、問いただしても言葉巧みに答えを濁らし続け、ちゃんとした答えは得られなかったようです。なお本人曰く、養子は案外適当に選んだそうですよ?
一方その頃、飯綱丸惠は能符を生み出し、戦闘はより高度なものとなりました。当然ですがその昔は当然弾幕という概念すらも無かったので血みどろの殴り合い然り戦闘など当たり前でした。惠は誰も傷付かず、勝敗の優劣が分かりやすい戦闘スタイルを探った結果、「神枷ノ郷」が使用した技符に目をつけ、改良を加えて完成させたのが能符でした。これがまあ画期的なもので、これまで幻想郷の民が繰り出していた技を遠隔で発射できるようなものであって、この郷独特の成分の魔力と妖力を用いて再現されています。相手の視界からはこれらが幕のように視界を覆うことから、弾幕という語が作られたと言われています。
今日はここまで。
第4回もどうぞご期待ください。
今日も幻想郷考察参りましょう!
今回は第3回講演。テーマは
文化の進化
です。
元号を帰流に改め、博麗の巫女も博麗流情(1813〜1891)に事実上受け継がれた1866年以降、幻想郷は文化の発展が乏しくなった。しかしながら、同時期には人間の幻想入りが相次ぎ、一時期人口は30万人を突破した。これを大混幻(人)という。それに伴って流行となったのは、かつて1400年代前半にアフリカで誕生したとされる八幡野球だった。学校のみならず、社会人にまで知れ渡った八幡野球は、幻高野球、幻社野球として大会が開催されるようになった。1870年には全郷高等学校野球選手権大会が夏に行われた。この大会は60回まで開催され、その度に名場面を生み出し、人々の娯楽の一つとなった。第一回大会は39校が参加し、妖怪の山三合目に建てられていた古鈴ヶ宮学園が頂点に立った。特に話題を呼んだのは、2年生ピッチャー暮潮卓斗の『三試合連完封勝利』であり、この連続記録は最後まで破られることはなかった。このような娯楽が幻想入りした中で住民が不安視したのは、子供を作らない博麗の巫女であり、住民の不安をよそに流情は1875年に博麗の巫女を引退した。時期を同じくして、当時大天狗の側近であった飯綱丸惠(23〜1789〜)が、スペルカードの全身に当たる能符を完成させ、幻想郷内での戦闘はさらなる革命がもたらされようとしていた。
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〈人物紹介〉
博麗流情(ハクレイ-リュウジョウ)
平和を作り続けた巫女
能力は「生物の気を鎮める程度の能力」
絆奈の妹にあたる。彼女が博麗の巫女だった時代は、文化にさほど変化が起こらなかったためか、業務内容は平和を取り戻すよりも、平和を維持することが殆どだった。病気で亡くなることが多かった先代の巫女を省みて、健康的な生活を心がけることが多く、紫には勤務怠慢と疑われることもあった。巫女を引退した後は四度の結婚も子宝に恵まれず、養子を引き取って生活した。1891年12月8日、老衰で死去。養子が成人するまでは紫や華扇が巫女の役割を埋め立てた。
飯綱丸惠(イイヅナマル-メグミ)
革命を起こす鴉天狗
能力は「夜を操る程度の能力」
大天狗の飯綱丸龍の片親にあたる。天狗社会に入るとすぐに実力を買われ、僅か3年で大天狗の側近に上り詰めるスピード出世を果たす。その後は複数の大天狗の側近を変わる変わる勤め、1855年に事実上の定年退職。現在は龍と共に同棲生活を続けながら、度々龍に助言をすることも。典は常に嫉妬している。
大天狗にならなかった理由について本人は「どこの大天狗とも馬が合わなかった」と話しているが、当時惠を雇ったことがある大天狗は「元からあっちが私を嫌った」と話しており、いまいち結論が出ていない。
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以上です。公式のではスペカルールとかは霊夢発祥らしいですが、ここでは龍の片親である惠が、スペカの原型を産んだことが始まりのようですね。
神幻革命も落ち着きを見せ、歴史的にはここから文明は一時的な停滞を見せます。この後に出てくる時代まではとりあえずこの時代のままだと考えて良いでしょう。現在の幻想郷の人口が19万強らしいので、当時の30万がいかに膨大であったかがよく分かります。
八幡野球と聞くと、今の野球と何処か差異があるのでは?と思いがちですが…結論から言ってしまうと、何一つ変わりはないですね。幻想入りした人が野球をする姿を見て、「野球やってるの?」と聞くと「八幡野球だよ。」と帰ってくるのはお約束のようです。また初代優勝の古鈴ヶ宮学園は、後に運営法人が変わって蝦倉秀英高校になりました。どうやら理系色強い自称進との噂です。因みに初代出場の39校のうち、のちに優勝した高校は古鈴ヶ宮を含めて全部で17校もあり、当時から強豪がひしめき合っていたことがなんとなく窺えます。なおこの大会で登板したピッチャーの暮汐選手の子孫に当たる暮汐學ノ助は、卓斗と同じの蝦倉秀英高校のピッチャーです。
幻想郷の住民は流情が子供を作らないことを不安がっていましたが、当時の時代を鑑みると仕方ないのかもしれません。二十日戦争が発生した結果、幻想郷のこれからが無意識に心配されるようになりました。おまけに博麗の巫女の後継がいないとなると余計に心配が増してしまいますよね。おまけに博麗の巫女は代を重ねる度に少しずつ強くなっているという見方もあるらしく、博麗の血がないと巫女とは呼び難いという考えもあって、多くの人が余計に心配や危惧をする羽目になりました。で、流情は子供を作ることは…ありませんでした。その理由は正確には分からず、問いただしても言葉巧みに答えを濁らし続け、ちゃんとした答えは得られなかったようです。なお本人曰く、養子は案外適当に選んだそうですよ?
一方その頃、飯綱丸惠は能符を生み出し、戦闘はより高度なものとなりました。当然ですがその昔は当然弾幕という概念すらも無かったので血みどろの殴り合い然り戦闘など当たり前でした。惠は誰も傷付かず、勝敗の優劣が分かりやすい戦闘スタイルを探った結果、「神枷ノ郷」が使用した技符に目をつけ、改良を加えて完成させたのが能符でした。これがまあ画期的なもので、これまで幻想郷の民が繰り出していた技を遠隔で発射できるようなものであって、この郷独特の成分の魔力と妖力を用いて再現されています。相手の視界からはこれらが幕のように視界を覆うことから、弾幕という語が作られたと言われています。
今日はここまで。
第4回もどうぞご期待ください。
