はい11
公開 2024/08/14 18:45
最終更新
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お疲れ様です。
カート・ヴォネガットジュニア「スローターハウス5」を読みました。
SF小説の形を取ったヴォネガットの戦争体験記です。
第二次世界大戦の悲劇「ドレスデン爆撃」を主軸としたお話です。
恥ずかしながら私はドレスデン爆撃について無知で、日本への原爆投下と並んで語られる程の死傷者が出た作戦であった事を今日に初めて知りました。
主人公のビリーは「けいれん的時間旅行者」であり、自身の人生のあらゆる時点へ無作為に、ビリー自身の意思に関係なく4次元的移動を繰り返します。
ビリーは壮年の折、飛行機事故に会い脳に損傷を受けます。
そしてその時トラファマドール星人によるアブダクションを受け、宇宙人にトラファマドール的思想をもたらされました。
「そういうものだ」
トラファマドール的思想では全ての出来事を四次元的に俯瞰して捉えており、人の悲しみや死は「一部分の状態」であり、そこに焦点をあてて悲しむ必要などはなく、ただ当然の物として考えます。
ビリーの人生における悲しみは淡々と「そういうもの」として語られています。
戦争の惨劇、近しい人の死、全ては「そういうものだ。」
けいれん的時間旅行により、ビリーの人生、ビリーの悲しみが連続性を無視して語られていきます。
耐えられようもない悲しみが通り過ぎていく中で、ビリーはそれらを「そういうものだ」と受け入れていきます。
序盤、ヴォネガットは自身をロトの妻に喩えています。
旧約聖書の創世記、ソドムとゴモラを神が滅ぼす事を決めた折に預言者ロトは妻と子を連れてソドムを離れる様にと勧告を受けます。
その際に受けた言いつけは、「決して後ろを振り返ってはいけない」
ロトの妻は言いつけを破りソドムとゴモラを顧みた事で塩の柱となります。
「私はロトの妻を愛する、何故ならそれが人間だから。」
「(この本を書く事により)私は塩の柱となった。」
私は人の死を「そういうものだ」で片付けられるほど悲しみに慣れていません。
口でそう言う事は出来るけれど、人の死や悲しみに出会うと当然のように動揺します。
ヴォネガットは人の死に慣れ過ぎています。
悲しみを悲しみとして捉えない事が自我の礎を守る為の方法だったとするのならあまりにも物悲しすぎる。
これは私の勝手な感想なのですが、ヴォネガットは「そういうものだ」と「考えたい」、そうすれば楽になると思っていて、でもやはり悲しみは乗り越えられるものではなく「振り返ってしまった」のではないかと思います。
上記、読書直後に書き、4ヶ月以上経った今自分の感想を読み返し、書き足し、整えました。
読書感想文。いいじゃんね。
現在なんと、まだ旧約聖書(口語訳)を読んでいます。読み始めて何ヶ月経ったと思っている?
まだ半分も読めていませんが、慣れてきたのか少しずつ読むのが楽しくなってきています(中間報告)。
ゆっくり通読出来ればいいね。
間で読んだ本は2冊だけで、「人形の家」それと「夜と霧」。
2冊ともとてもいい本でした。いずれちゃんと感想を記録出来ればと思います。
それでは、お疲れ様でした。
カート・ヴォネガットジュニア「スローターハウス5」を読みました。
SF小説の形を取ったヴォネガットの戦争体験記です。
第二次世界大戦の悲劇「ドレスデン爆撃」を主軸としたお話です。
恥ずかしながら私はドレスデン爆撃について無知で、日本への原爆投下と並んで語られる程の死傷者が出た作戦であった事を今日に初めて知りました。
主人公のビリーは「けいれん的時間旅行者」であり、自身の人生のあらゆる時点へ無作為に、ビリー自身の意思に関係なく4次元的移動を繰り返します。
ビリーは壮年の折、飛行機事故に会い脳に損傷を受けます。
そしてその時トラファマドール星人によるアブダクションを受け、宇宙人にトラファマドール的思想をもたらされました。
「そういうものだ」
トラファマドール的思想では全ての出来事を四次元的に俯瞰して捉えており、人の悲しみや死は「一部分の状態」であり、そこに焦点をあてて悲しむ必要などはなく、ただ当然の物として考えます。
ビリーの人生における悲しみは淡々と「そういうもの」として語られています。
戦争の惨劇、近しい人の死、全ては「そういうものだ。」
けいれん的時間旅行により、ビリーの人生、ビリーの悲しみが連続性を無視して語られていきます。
耐えられようもない悲しみが通り過ぎていく中で、ビリーはそれらを「そういうものだ」と受け入れていきます。
序盤、ヴォネガットは自身をロトの妻に喩えています。
旧約聖書の創世記、ソドムとゴモラを神が滅ぼす事を決めた折に預言者ロトは妻と子を連れてソドムを離れる様にと勧告を受けます。
その際に受けた言いつけは、「決して後ろを振り返ってはいけない」
ロトの妻は言いつけを破りソドムとゴモラを顧みた事で塩の柱となります。
「私はロトの妻を愛する、何故ならそれが人間だから。」
「(この本を書く事により)私は塩の柱となった。」
私は人の死を「そういうものだ」で片付けられるほど悲しみに慣れていません。
口でそう言う事は出来るけれど、人の死や悲しみに出会うと当然のように動揺します。
ヴォネガットは人の死に慣れ過ぎています。
悲しみを悲しみとして捉えない事が自我の礎を守る為の方法だったとするのならあまりにも物悲しすぎる。
これは私の勝手な感想なのですが、ヴォネガットは「そういうものだ」と「考えたい」、そうすれば楽になると思っていて、でもやはり悲しみは乗り越えられるものではなく「振り返ってしまった」のではないかと思います。
上記、読書直後に書き、4ヶ月以上経った今自分の感想を読み返し、書き足し、整えました。
読書感想文。いいじゃんね。
現在なんと、まだ旧約聖書(口語訳)を読んでいます。読み始めて何ヶ月経ったと思っている?
まだ半分も読めていませんが、慣れてきたのか少しずつ読むのが楽しくなってきています(中間報告)。
ゆっくり通読出来ればいいね。
間で読んだ本は2冊だけで、「人形の家」それと「夜と霧」。
2冊ともとてもいい本でした。いずれちゃんと感想を記録出来ればと思います。
それでは、お疲れ様でした。
