酒と飯 その一
公開 2026/02/16 01:06
最終更新
2026/02/16 01:08
歩くために歩いた釈尊のように、呑むために呑むのが本当の酒好きと、前に書いた。私はどこかで酒を、食欲増進のための燃料扱いしているところがある。飯が主で、酒は従である。すすんでバーに入ったりはしない。チョコレートやナッツだけでは物足りない感じがする。一度、魯肉飯とカレーを出すバーへ行って、たいへん美味しかったけれども、上品盛りで値段も高かった。ともかく腹いっぱい飲み食いしたいのである。自然、足は居酒屋へ向かうこととなる。
とはいえ居酒屋もめし屋ではない。軽くつまんで、二三杯引っかけて河岸を変えるのが、特に狭い店などでは粋な作法であろう。私はなかなかそれが出来ず、長っ尻になってしまう。既に入店していた人よりも早く帰ることは、基本的にない。後から来た人さえいなくなっているときもある。そのぶん量を頼んでいるので、許していただきたいところではあるが……。
経済的には、家系ラーメンなり、やよい軒なりで好きなだけ白飯をお替りしたほうが得である。そんなことは承知のうえだ。酒肴をたらふく食いたいから居酒屋へ行く。
親から聞くに、物心つくかつかぬかの頃は菓子をそれほど好まず、おやつ代わりに漬け物を食べていたそうである。松前漬けやいか黄金(いかの細切りに数の子をあわせたもの)が好きだったし、寿司屋では甘いからという理由で玉子は頼まなかった。小学生の時分から握りはサビ有りであった。塩辛やサンマの肝などは臭みがあって苦手であったけれども、いわゆる子ども舌でなかったことは確かである。
四文屋という、東京の西側を中心に展開する焼きとん屋へよく行く。質がよく、価格も控えめで、メニューもツボを押さえている。大箱の、学生が飲み会で利用するような全国チェーンの安居酒屋は、あまり好きではない。不味くはないが美味くもない。その手の店で(名前は挙げぬが、鶏を主軸とした所である)カンピロバクターにあたり、三日三晩下痢をした苦い思い出もある。独り暮らしをしていた頃、横着して生煮えの鶏肉を食ったことが何度かあるが、中りはしなかった。かの店は、よほど衛生管理が悪いのであろう。
さて四文屋では、当然ながら飲み物は緑ハイとして、長芋たまり漬け、大根酢醤油、このあたりから始める。醤油なんぞを入れるものより、ひと回りほど大きな、金属製の小皿に載って出てくる。ひと口で食おうと思えば、食えてしまう量である。次にレバー、タン、ハツ、獅子唐の串物と、冷製三点盛りを頼むことが多い。三点盛りの内訳はその日の在庫状況によって変わり、いちおう説明もしてくれるのだが、大概早口なので箸をつける頃にはどれが何だか忘れている。ただしカシラ脂という部位は甘くて美味いので、これだけは有無が分かるようになった。
その後はチレだのシロだの、耳馴染みのないものを珍しがって注文する。何がどの部位かをいっこうに覚えないから、幾度も通っているのに珍奇に思える。覚えておきたいほど好みの味ではないのだ、とも言える。
以上の品々にセンマイ刺しを加えて、あとは流動的になる。白板に書かれたその日のお薦めや、ガツキムチ、栃尾揚げ(ぶ厚い油揚げで、食感はやや固い。ネギとおろし生姜を添えて、醤油をかけて食べる。油揚げをフライパンで乾煎りすると、似たような感じになる)、エシャロット、豚足煮込みあたりを気分で選ぶ。引き続き酒は緑茶ハイ、冬ならば熱燗である。〆は焼きおにぎりと決めていて、串と同じ焼き台で作るから、表面が香ばしく美味である。付け合わせの汁物もよく、ネギ油の効いた塩味で、焼肉屋で出るワカメスープに近い味がする。しめて三千円後半から四千円である。腹六分から七分、ラーメン一杯は食べられるくらいで店を出る。
難しいところで、ここでラーメン屋へ行ってしまうと、一日で五千円弱使うことになる。財布の紐が緩むほどの酔いでもない。結局ケチな根性がはたらいて、コンビニでカップ麺を買うこともせずに、物足りなさを抱えたまま家に帰る。寝れば忘れると自分に言い聞かせる。
冷製三点盛りや栃尾揚げのように、〆の焼きおにぎりも大小が選べればよいと思う。晩飯に来ている以上どうしても、居酒屋でも米か麺か、主食をたっぷり摂ってお開きとしたいのである。おにぎり、お茶漬け、焼きそばや焼きうどんを出してくれる店は多いが、量が少ない。田舎のおっ母の握ったような大きなおむすびを、私は求める。(続く)
とはいえ居酒屋もめし屋ではない。軽くつまんで、二三杯引っかけて河岸を変えるのが、特に狭い店などでは粋な作法であろう。私はなかなかそれが出来ず、長っ尻になってしまう。既に入店していた人よりも早く帰ることは、基本的にない。後から来た人さえいなくなっているときもある。そのぶん量を頼んでいるので、許していただきたいところではあるが……。
経済的には、家系ラーメンなり、やよい軒なりで好きなだけ白飯をお替りしたほうが得である。そんなことは承知のうえだ。酒肴をたらふく食いたいから居酒屋へ行く。
親から聞くに、物心つくかつかぬかの頃は菓子をそれほど好まず、おやつ代わりに漬け物を食べていたそうである。松前漬けやいか黄金(いかの細切りに数の子をあわせたもの)が好きだったし、寿司屋では甘いからという理由で玉子は頼まなかった。小学生の時分から握りはサビ有りであった。塩辛やサンマの肝などは臭みがあって苦手であったけれども、いわゆる子ども舌でなかったことは確かである。
四文屋という、東京の西側を中心に展開する焼きとん屋へよく行く。質がよく、価格も控えめで、メニューもツボを押さえている。大箱の、学生が飲み会で利用するような全国チェーンの安居酒屋は、あまり好きではない。不味くはないが美味くもない。その手の店で(名前は挙げぬが、鶏を主軸とした所である)カンピロバクターにあたり、三日三晩下痢をした苦い思い出もある。独り暮らしをしていた頃、横着して生煮えの鶏肉を食ったことが何度かあるが、中りはしなかった。かの店は、よほど衛生管理が悪いのであろう。
さて四文屋では、当然ながら飲み物は緑ハイとして、長芋たまり漬け、大根酢醤油、このあたりから始める。醤油なんぞを入れるものより、ひと回りほど大きな、金属製の小皿に載って出てくる。ひと口で食おうと思えば、食えてしまう量である。次にレバー、タン、ハツ、獅子唐の串物と、冷製三点盛りを頼むことが多い。三点盛りの内訳はその日の在庫状況によって変わり、いちおう説明もしてくれるのだが、大概早口なので箸をつける頃にはどれが何だか忘れている。ただしカシラ脂という部位は甘くて美味いので、これだけは有無が分かるようになった。
その後はチレだのシロだの、耳馴染みのないものを珍しがって注文する。何がどの部位かをいっこうに覚えないから、幾度も通っているのに珍奇に思える。覚えておきたいほど好みの味ではないのだ、とも言える。
以上の品々にセンマイ刺しを加えて、あとは流動的になる。白板に書かれたその日のお薦めや、ガツキムチ、栃尾揚げ(ぶ厚い油揚げで、食感はやや固い。ネギとおろし生姜を添えて、醤油をかけて食べる。油揚げをフライパンで乾煎りすると、似たような感じになる)、エシャロット、豚足煮込みあたりを気分で選ぶ。引き続き酒は緑茶ハイ、冬ならば熱燗である。〆は焼きおにぎりと決めていて、串と同じ焼き台で作るから、表面が香ばしく美味である。付け合わせの汁物もよく、ネギ油の効いた塩味で、焼肉屋で出るワカメスープに近い味がする。しめて三千円後半から四千円である。腹六分から七分、ラーメン一杯は食べられるくらいで店を出る。
難しいところで、ここでラーメン屋へ行ってしまうと、一日で五千円弱使うことになる。財布の紐が緩むほどの酔いでもない。結局ケチな根性がはたらいて、コンビニでカップ麺を買うこともせずに、物足りなさを抱えたまま家に帰る。寝れば忘れると自分に言い聞かせる。
冷製三点盛りや栃尾揚げのように、〆の焼きおにぎりも大小が選べればよいと思う。晩飯に来ている以上どうしても、居酒屋でも米か麺か、主食をたっぷり摂ってお開きとしたいのである。おにぎり、お茶漬け、焼きそばや焼きうどんを出してくれる店は多いが、量が少ない。田舎のおっ母の握ったような大きなおむすびを、私は求める。(続く)
