酒 その二
公開 2026/01/12 18:10
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先日、学生時代の友人らと集まって、そう呑むつもりもなかったのに、日本酒三合ちかくと緑茶割りを二杯干してしまった。往時に比べればどうということのない量である。
朝から始めて夜中の三時頃まで、店をはしごして、電車のなかでも呑んで、歩きながらでも呑んで、それでも意識はしっかりしていた。夕方から次の日の朝まで酒をかっ喰らい、公園のベンチで少しだけ休んで大学へ行き、講義のあとは机を寝台として、また夕方から居酒屋へ繰り出す日もあった。学生の特権であろう。

深酒は胃が痛むし、眠りも浅くなって何一つ良いことがない。嫌で仕方なくなった。だが、昔より胃腸が弱ったわけではないと思う。明日の仕事やら起床時間やらを念頭に置いて呑むようになった、その結果、不調に目が向きはじめた。小さくまとまってしまった気もするが、考えるべき明日があるのは幸せなことだ。
禁酒・節酒の意識もない。この頃は、呑みたいという気持ち自体が減ってきている。仲間たちの多くが就職を契機に大学の近くを離れ、もっとも濃密な時間を過ごした一人は、地元である遥か北の大地へ帰ってしまった。呑む理由がなくなったのだ。社会人として初の年の瀬を迎えて、いつもならばこの時期は仲間の家で朝まで酒盛りしていたのにと思うと、差し込むものがあった。

大学二年時に、呑む楽しさを覚えた。新型コロナウイルスの影響で、ほとんどの講義がオンラインで行われていた。対面が許されたのは週一度のゼミナールだけであった。わが家の経済が、抜き差しならぬ状況となったのもこの時期で、出口の見えない話し合いが連日連夜行われていた。大学の講義と、週三回のアルバイトの時間だけ、家庭の行き詰まった雰囲気から逃れることができた。
結局、一家は離散することになり、郷里へ帰る母を東京駅のホームまで見送った。発車を知らせる音が、これ程に辛く響くとは想像もしなかった。新幹線がゆっくりと動き始めてなお、母は扉の前に立って私を見つめていた。映画の一場面のように走って追いかけはしなかったが、追いつけぬほど遠くへゆくのだと感じた。今生の別れに思えた。その日の午後に、ゼミナールがあった。大学を辞めるようなことになれば、自分の人生は終わる、そのくらいのつもりでいたが、いざ母と別れてみると、家族の繋がりよりも己を優先した罪深さが迫ってきた。

講義のあと、その日対面で参加していた三人(オンライン会議ツールを使い自宅で受講する学生もいた)で食事をしないか、という話が出た。私はすぐ誘いにのった。このまますぐ狭い単身寮の一室へ帰るのは、あまりに寂しかった。午前中のできごとも、わが家の窮状も、誰にも打ち明けていなかったから、友人が気を遣ってくれたわけではなく、偶然、そうした流れになったのだった。
機嫌よく酒を呑む二人につられて、私も杯を重ねた。失態を恐れて呑みすぎないようにしていたのだが、どうやら自分は酒に強く、醜態をさらす憂いもないのだと、この日気づいた。友人たちの記憶からはいつか消えてゆくとしても、私にとっては忘れがたい一日である。どうということのない彼らとの会話によって、私は助けられた。人を頼るということを学んだ。爾来、仲間との呑み道楽が始まったのである。
親が苦労している裏で酒に溺れる道楽者と、非難されても仕方がない。当時の私は、他に辛さ淋しさを埋める術を知らなかった。深夜まで呑まねば打ち明けられぬ心の重荷があった。呑み会と称してはいたが、苦しみを分かちあう互助会でもあったのだ。こんにち健やかに生きているのは、あの日々のおかげである。
呑み仲間の大半と、今も交流が続いている。集えば自然に呑む流れとなるが、酒の力を借りずとも踏み込んだ話のできる仲となった。酒で潤さねばならぬ心の渇きもなくなった。

昨年の十月、母から誕生祝いが届いた。芋焼酎、果実酒、日本酒、ビールなど、瓶六本の詰め合わせである。まだ現役だと思われているらしい。今の私には大変な量なので、気が向いた折に少しずつ口をつけている。


……今回は辛気臭い中身になってしまった。次回は、酒と食いものについて、取るにたらぬ話しをしようと思う。
二十代後半、男性、都民です。
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