酒 その一
公開 2025/12/21 16:38
最終更新
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十二月をむかえた。このブログの公約は、さっそくやぶられた。立ち消えとはならず、こうして記事を載せているから、まあよしとしたい。
どうにも書くのは苦痛である。あれこれ頭を使って、時間もかかる。どうにもなァと思ううち、日々は流れた。なんとか楽しく書きたいものだ。
長らく文章を、心の傷の軟膏、解毒剤として用いてきた。効果はあったし評価もされたが、そのストイシズムも卒業すべき頃あいになった。
前の記事を読みかえしてみると、文章が硬い。肩に力が入っていて、すこし喉のあたりが詰まった。継続への心のこわばりが、筆に出ていた。ひと月に一本ならば量より質で、読みごたえも長さもある記事を出さねばのいう気負いが、書き渋りにつながった。ひとつの内容を何回かに分けて書こうが何をしようが、私のブログなのだから自由である。
まあ、そのような具合で、これから酒について気のすすむところまで書いてみるつもりである。
とはいえ、社会人になってから飲む機会は減った。仕事がら拘束時間が長いので、なるたけ身体の調子はよくしておきたいし、退勤後に先輩がたと一杯引っかけることもない。学生の頃に掲げていた呑み助の看板は下ろすことにした。体調なぞどうでもいいから呑みたいのが本当の酒好きであろう。先日も友人とドイツ居酒屋へ行ったが、ビール一杯で済ませてしまった。
それでも呑むとなると、こだわりがある。ドイツ居酒屋やビアバーを除いたふつうの酒場では、基本的にビールは頼まない。「スーパードライ」とか「黒ラベル」とかの日本の有名どころと胃の相性が悪いのである。腹が膨れてしまって、飯も酒も入らなくなる。
厳密に言うと、膨満感を覚えるのはラガータイプのビールで、一般的な店の生とか瓶はほとんどこれにあたる。大手製造であっても、「プレミアムモルツ 香るエール」や近ごろ出た「キリン グッドエール」などのエールタイプのものは、問題なく食事にあわせられる。ドイツビールもビアバーで呑むクラフトビールも、エールタイプだけ注文する。ラガーとエール、二種の製法について、詳しいことは分からない。舌と胃袋で違いが分かっているので、頭のほうは後まわしにしている。
そんなであるから、大勢の飲み会にありがちな、「とりあえず生」「生の人挙手」の流れには口を挟むことになる。足並をそろえて杯が進まぬより、好きなものを勢いよく呑んだほうが座も温まるし、何より自分が楽しい。呑むと決めたらとことん呑みたい。何を呑むかといえば緑茶割りである。
緑茶割りにも一家言ある身である。他の割りものにも言えることだが、まず、薄くてはいけない。大箱の店で、濃いめオプションのない所はたいがい駄目である。水のようなものが出てくる。杯の底に焼酎がモヤモヤと漂って、甲類特有の甘さととろみと、アルコールの痺れとがあって、瞳孔の開く感じのする、そのくらいが好ましい。玉袋筋太郎氏言うところの、「カテぇ」やつである。不案内な土地での店選びで、そこの酒が濃いか否か分かるサイトなぞあれば、ずいぶん重宝するだろう。
このごろは、ほうじ茶割りや紅茶割り、麦茶割りやルイボス茶割りなど、ずいぶん選択肢が増えてきたが、緑茶割りがもっともクセが少なく、どんな食事にも合わせやすいように思う。子ども時分にはウーロンハイを頼む大人が多かったように記憶しているが、今はあまりいない気がする。提供する店自体が減ったのではあるまいか。渋みが勝ちすぎるし、喉のあぶらを落とす作用があるそうだから、私はあっても頼まぬようにしている。
緑茶割りの味については、すし屋の粉茶を用いたのが、もっとも好みにあう。母校の近くのすし屋で出てくるのは、酒も濃くて申し分ない。たいていの店はペットボトルで済ませているようだけれども、メーカーによるのか、ヘンに茶の味が薄いときがある。綺麗な緑色をしたのよりも、すこし酸化したような、茶色っぽいものを使ったほうが、適度な渋みで飲みごたえがある。
店以外では、宝酒造の「やわらかお茶割り」を愛飲している。上手く淹れた緑茶の後味は甘いが、焼酎甲類のテイストが何となくそれを思わせて、ペットボトルの緑茶単体よりもずっと美味しいのである。コーヒーが飲めぬぶん茶にもこだわりがあって、緑茶と紅茶は切らさぬようにしているし、どちらもティーバッグではなく茶葉を買っているが、それらを酒で割ったことはない(冬、紅茶にラムやウイスキーを垂らすことはある)。高級な緑茶割りを出す店があったとして、もちろん行ってみたくはあるけれども、けっきょく安居酒屋かタカラ缶へ戻ってゆきそうな気がしている。佳い茶は単体で愉しみたい。緑茶と緑茶割りは別物であるというのが、わが感覚である。
――今回はひとまず、ここで筆を措く。
どうにも書くのは苦痛である。あれこれ頭を使って、時間もかかる。どうにもなァと思ううち、日々は流れた。なんとか楽しく書きたいものだ。
長らく文章を、心の傷の軟膏、解毒剤として用いてきた。効果はあったし評価もされたが、そのストイシズムも卒業すべき頃あいになった。
前の記事を読みかえしてみると、文章が硬い。肩に力が入っていて、すこし喉のあたりが詰まった。継続への心のこわばりが、筆に出ていた。ひと月に一本ならば量より質で、読みごたえも長さもある記事を出さねばのいう気負いが、書き渋りにつながった。ひとつの内容を何回かに分けて書こうが何をしようが、私のブログなのだから自由である。
まあ、そのような具合で、これから酒について気のすすむところまで書いてみるつもりである。
とはいえ、社会人になってから飲む機会は減った。仕事がら拘束時間が長いので、なるたけ身体の調子はよくしておきたいし、退勤後に先輩がたと一杯引っかけることもない。学生の頃に掲げていた呑み助の看板は下ろすことにした。体調なぞどうでもいいから呑みたいのが本当の酒好きであろう。先日も友人とドイツ居酒屋へ行ったが、ビール一杯で済ませてしまった。
それでも呑むとなると、こだわりがある。ドイツ居酒屋やビアバーを除いたふつうの酒場では、基本的にビールは頼まない。「スーパードライ」とか「黒ラベル」とかの日本の有名どころと胃の相性が悪いのである。腹が膨れてしまって、飯も酒も入らなくなる。
厳密に言うと、膨満感を覚えるのはラガータイプのビールで、一般的な店の生とか瓶はほとんどこれにあたる。大手製造であっても、「プレミアムモルツ 香るエール」や近ごろ出た「キリン グッドエール」などのエールタイプのものは、問題なく食事にあわせられる。ドイツビールもビアバーで呑むクラフトビールも、エールタイプだけ注文する。ラガーとエール、二種の製法について、詳しいことは分からない。舌と胃袋で違いが分かっているので、頭のほうは後まわしにしている。
そんなであるから、大勢の飲み会にありがちな、「とりあえず生」「生の人挙手」の流れには口を挟むことになる。足並をそろえて杯が進まぬより、好きなものを勢いよく呑んだほうが座も温まるし、何より自分が楽しい。呑むと決めたらとことん呑みたい。何を呑むかといえば緑茶割りである。
緑茶割りにも一家言ある身である。他の割りものにも言えることだが、まず、薄くてはいけない。大箱の店で、濃いめオプションのない所はたいがい駄目である。水のようなものが出てくる。杯の底に焼酎がモヤモヤと漂って、甲類特有の甘さととろみと、アルコールの痺れとがあって、瞳孔の開く感じのする、そのくらいが好ましい。玉袋筋太郎氏言うところの、「カテぇ」やつである。不案内な土地での店選びで、そこの酒が濃いか否か分かるサイトなぞあれば、ずいぶん重宝するだろう。
このごろは、ほうじ茶割りや紅茶割り、麦茶割りやルイボス茶割りなど、ずいぶん選択肢が増えてきたが、緑茶割りがもっともクセが少なく、どんな食事にも合わせやすいように思う。子ども時分にはウーロンハイを頼む大人が多かったように記憶しているが、今はあまりいない気がする。提供する店自体が減ったのではあるまいか。渋みが勝ちすぎるし、喉のあぶらを落とす作用があるそうだから、私はあっても頼まぬようにしている。
緑茶割りの味については、すし屋の粉茶を用いたのが、もっとも好みにあう。母校の近くのすし屋で出てくるのは、酒も濃くて申し分ない。たいていの店はペットボトルで済ませているようだけれども、メーカーによるのか、ヘンに茶の味が薄いときがある。綺麗な緑色をしたのよりも、すこし酸化したような、茶色っぽいものを使ったほうが、適度な渋みで飲みごたえがある。
店以外では、宝酒造の「やわらかお茶割り」を愛飲している。上手く淹れた緑茶の後味は甘いが、焼酎甲類のテイストが何となくそれを思わせて、ペットボトルの緑茶単体よりもずっと美味しいのである。コーヒーが飲めぬぶん茶にもこだわりがあって、緑茶と紅茶は切らさぬようにしているし、どちらもティーバッグではなく茶葉を買っているが、それらを酒で割ったことはない(冬、紅茶にラムやウイスキーを垂らすことはある)。高級な緑茶割りを出す店があったとして、もちろん行ってみたくはあるけれども、けっきょく安居酒屋かタカラ缶へ戻ってゆきそうな気がしている。佳い茶は単体で愉しみたい。緑茶と緑茶割りは別物であるというのが、わが感覚である。
――今回はひとまず、ここで筆を措く。
