名前にあまりコダワリがないなって話
公開 2023/10/02 19:17
最終更新
2023/10/02 19:22
さっきはてなブログの記事を読んでいたら、また見つけた。「X(旧Twitter)」と書いている人。昨日SNSでも見かけたな。いつ外すんだろう?
Twitterの名前が変わってしばらく経った。ラジオをつけても「Xでの投稿もお待ちしております」ってな感じで喋っている。まぁ口頭で「Xカッコ旧Twitterカッコトジでの投稿も」とは言わないよね。めんどくさいし。
いいねではなく「ふぁぼ」と呼ばれていた時代に掠らないまま、呟いていた人も多くいただろうけれど、もう半年くらいすれば「ついったー」という単語を使っていた時代を知らない人だって出てくるのか。
カッコ書きで「(旧Twitter)」とわざわざ書くのってめんどくさいと思うんだけど、それでも付けているってことは、何かしらの理由があるのかな。どんな理由なんだろう。
企業とかなら「誰かが勘違いしないように」と配慮して…という理由があるんだろうけど。それだけじゃないかもしれないし。個人はどうなんだろう。
いつかその人たちも、ただの「X」と言うようになるのかな。
私は(旧Twitter)と使ったことはまだない。Xとも呼ぶし、Twitterとも呼ぶからだ。いいねとも、ふぁぼとも呼ぶ。別のSNSでマストドンってのがあるんだけど、その中でもツイートとかトゥートとか投稿とか呟きとか、そのとき思いついた名称で呼ぶ。名へのこだわりが全くない。
自分は作家の梨木香歩さんの書く文章が好きで、色々と読む。でも作家さんの名前をまったく覚えていない。今も「ある本のタイトルを思い出す→検索して作者名を知ってコピペ」して梨木さんの名前を入力した。ちなみに検索窓に入力した本のタイトルも間違えていた。
私はポケモンというゲームの実況プレイ動画を投稿しているんだが、自分がつけたニックネームも覚えていない。ゲームの液晶画面に付けたニックネームが表示されるまで、そのポケモンの名を呼ぶことが出来ない。
名前をすぐに忘れてしまう、というわけではない。第8世代までのポケモンなら名前は一応ぜんぶ覚えているからね。
対象への愛が無いから名を覚えられないのかなーと考えたこともあるんだけど、どうやらそうでもないらしい。
私は、自分が飼っているペットの名前を、1つに絞らなかったりする。例えば亀に対して「カメ五郎・カメオ・コーラ・Q太郎」など、複数の名前をつけて呼んでいた。呼ぶときは気分だ。お母さんにだって「おっかあ・おかあさん・ねぇ・(母の名前)様・マミー・母」なとなど呼び分ける。ちなみに私は、母の実名の漢字も覚えていない。
ものの名を知り、必要に応じて使い分けられるとむちゃくちゃ便利だよと、あちこちで聞くし、私もそう実感するときがある。ただ、出来なくても意外となんとかなってきたなーとも思う。アイツはバカだなーと陰口を叩かれることはあったかもしれないけど、とりあえずこーやって生きていけてはいる。
名前を呼んだり付けたりするのって、こわいなって思ってもいるんだ。モノの名を呼ぶ・名を付けるというのは、自分の力の及ぶ範囲にまで、その存在をうまく丸め込もうとする行為だと私は感じているから。ある意味暴力的と言うかさ。
名を付けることで削ぎ落とされるものも出てくるが、削ぎ落とされたものの名を知ることは出来ないので、それは存在しないものとして認識されたりとか。
リンゴ味のみかんを食べずに「コレはみかんです」と名付けてしまうように、個を見ずして名付けることも、かなり危険な行為だとも思うし。ここらへんのことはあんまり書きすぎるとケンカになっちゃうかもしれないから、ここまで。でも一つ言いたいのは、名前に縛られてそこから手足や視点を伸ばせないでいる人は、現実世界でもSNSでも割と見かけているよ。
名を覚えてなくてもなんとかなるということ。名を付けるということは結構こわいこと。その2つの理由から、自分はあまり名前や名称にあんまり拘りを持たなくなったのかもしれないな。名前を何一つ覚えていなければ、言葉を喋ることも出来ないけど。そう考えると、こうやって文を書いたり口で喋ったりしているこれらの行為は、世にあふれる大量の名を出力する行為とも取れるのかな。
ここまで書いてみると、Xの後ろに(旧Twitter)と付ける個人は、どんな人なんだろうって余計興味が湧いてくる。おわり。
Twitterの名前が変わってしばらく経った。ラジオをつけても「Xでの投稿もお待ちしております」ってな感じで喋っている。まぁ口頭で「Xカッコ旧Twitterカッコトジでの投稿も」とは言わないよね。めんどくさいし。
いいねではなく「ふぁぼ」と呼ばれていた時代に掠らないまま、呟いていた人も多くいただろうけれど、もう半年くらいすれば「ついったー」という単語を使っていた時代を知らない人だって出てくるのか。
カッコ書きで「(旧Twitter)」とわざわざ書くのってめんどくさいと思うんだけど、それでも付けているってことは、何かしらの理由があるのかな。どんな理由なんだろう。
企業とかなら「誰かが勘違いしないように」と配慮して…という理由があるんだろうけど。それだけじゃないかもしれないし。個人はどうなんだろう。
いつかその人たちも、ただの「X」と言うようになるのかな。
私は(旧Twitter)と使ったことはまだない。Xとも呼ぶし、Twitterとも呼ぶからだ。いいねとも、ふぁぼとも呼ぶ。別のSNSでマストドンってのがあるんだけど、その中でもツイートとかトゥートとか投稿とか呟きとか、そのとき思いついた名称で呼ぶ。名へのこだわりが全くない。
自分は作家の梨木香歩さんの書く文章が好きで、色々と読む。でも作家さんの名前をまったく覚えていない。今も「ある本のタイトルを思い出す→検索して作者名を知ってコピペ」して梨木さんの名前を入力した。ちなみに検索窓に入力した本のタイトルも間違えていた。
私はポケモンというゲームの実況プレイ動画を投稿しているんだが、自分がつけたニックネームも覚えていない。ゲームの液晶画面に付けたニックネームが表示されるまで、そのポケモンの名を呼ぶことが出来ない。
名前をすぐに忘れてしまう、というわけではない。第8世代までのポケモンなら名前は一応ぜんぶ覚えているからね。
対象への愛が無いから名を覚えられないのかなーと考えたこともあるんだけど、どうやらそうでもないらしい。
私は、自分が飼っているペットの名前を、1つに絞らなかったりする。例えば亀に対して「カメ五郎・カメオ・コーラ・Q太郎」など、複数の名前をつけて呼んでいた。呼ぶときは気分だ。お母さんにだって「おっかあ・おかあさん・ねぇ・(母の名前)様・マミー・母」なとなど呼び分ける。ちなみに私は、母の実名の漢字も覚えていない。
ものの名を知り、必要に応じて使い分けられるとむちゃくちゃ便利だよと、あちこちで聞くし、私もそう実感するときがある。ただ、出来なくても意外となんとかなってきたなーとも思う。アイツはバカだなーと陰口を叩かれることはあったかもしれないけど、とりあえずこーやって生きていけてはいる。
名前を呼んだり付けたりするのって、こわいなって思ってもいるんだ。モノの名を呼ぶ・名を付けるというのは、自分の力の及ぶ範囲にまで、その存在をうまく丸め込もうとする行為だと私は感じているから。ある意味暴力的と言うかさ。
名を付けることで削ぎ落とされるものも出てくるが、削ぎ落とされたものの名を知ることは出来ないので、それは存在しないものとして認識されたりとか。
リンゴ味のみかんを食べずに「コレはみかんです」と名付けてしまうように、個を見ずして名付けることも、かなり危険な行為だとも思うし。ここらへんのことはあんまり書きすぎるとケンカになっちゃうかもしれないから、ここまで。でも一つ言いたいのは、名前に縛られてそこから手足や視点を伸ばせないでいる人は、現実世界でもSNSでも割と見かけているよ。
名を覚えてなくてもなんとかなるということ。名を付けるということは結構こわいこと。その2つの理由から、自分はあまり名前や名称にあんまり拘りを持たなくなったのかもしれないな。名前を何一つ覚えていなければ、言葉を喋ることも出来ないけど。そう考えると、こうやって文を書いたり口で喋ったりしているこれらの行為は、世にあふれる大量の名を出力する行為とも取れるのかな。
ここまで書いてみると、Xの後ろに(旧Twitter)と付ける個人は、どんな人なんだろうって余計興味が湧いてくる。おわり。
