隠れた場所にでかでかと
公開 2024/06/27 21:36
最終更新
2024/06/27 21:51
💎商 2部以降3部未満時空 エトラ左右なし
東京・社宅
「ぅゎぁぁ」
少し離れたバスルームから、くぐもった叫び声とも呻き声ともつかない声が響いてきたのは、リチャードが出張から帰宅した日の夜のこと。羽田に到着する時間に合わせて、車でおよそ三時間の距離にいたはずの専属秘書がはるばる迎えに来たのにはリチャードも少々呆れたものだが、帰路を久しぶりに二人でゆっくりドライブしたかった、などと言われては文句をつけづらい。
浴室の壁にでも響いたのか、なんとも情けない音としてリチャードの耳に届いた声は間違いなく突然のドライブを決行した正義のものであったし、その声には切羽詰まったような鋭さはなかった。何か身の危険があって発せられた叫びではないだろう。そう判断し、リチャードは髪の水滴をタオルで拭いながら手元のモバイルで見ていたニュースに視線を戻した。
画面に表示されているのは交通事故の記事だ。事故付近の高速道路のインターチェンジは現在も通行止め。周辺の一般道路はその影響から各所で渋滞が発生している。渋滞の完全な解消にはまだ時間がかかる見込み。
「ほい」
リチャードが目を留めたニュースとその関連記事を眺めていると、突然、背後から声と共に何かが差し出された。顔を上げれば、カラン、と軽やかにグラスの中で氷が揺れるのが見える。
「フレッシュなレモン水。まだ水分、摂ってないんだろ」
「ありがとうございます、正義」
「どーいたしまして」
にしし、と笑う様子がわかるような声音が返るのを振り向いて見ようとして、しかしリチャードの目はグラスに吸い寄せられる。
正確には、そのグラスの先に伸びている、手に。
自分のものより少し大きく、骨張った、けれどきちんと手を入れていることがわかる指先。
グラスを持った手の形のまま筋の浮いた甲。
普段は時計に隠されている手首のライン。
そこに、いつもと違うものを見つけた。
いや、違うものというか。
つい、心惹かれて。
リチャードは持ち上げた指を、正義が持ったままのグラスではなく、その手首に浮き上がる白にすうっと這わせる。
「ぅわっ!?」
反射的にだろう、びくりと跳ねた手の中にあったグラスの水が揺れて、それを持った指が濡れる。よく見ればその指も、リチャードの記憶とは少し色が異なるようだ。
指の指の第二関節から手の甲、手首を通って腕を少し上りかけたところまで、こんがりと肌に色がついている。
驚くだろう、とか先にグラスを取ってくれよ、などと文句を言っているのを聞き流しつつ手首を掴んで引き寄せると、正義は何を思ったのかむぐ、と口を噤んだ。
「いつの間にか、随分と日に焼けたのですね」
「……昨日まではこうじゃなかったんだけどな。見苦しかったら仕事中は手袋付けてるよ」
「ふっ、確かにこれは、ハーフグローブでもつけたような焼け方ですが」
器用に焼けたものだ、としげしげとリチャードが正義の手を眺めていると、正義は深々とため息をつきながら失敗した、と大仰に漏らした。
曰く、本日の往路三時間はともかく、予定外の復路が問題だったのだとか。順調であればせいぜい三、四十分程度と見ていたはずが、高速道路に乗った途端の事故渋滞で全く動かなくなったのが痛かった、と。
「油断してたんだよなあ。無意識にシャツの腕捲りしてたんだと思う。ほら、この焼け方見ろよ。完全にハンドル持ってた形で焼けてる」
「そうですね。小指側や指先は元のままのようです」
「俺もさっき風呂で気付いてさあ。あーあ、変な焼け方したー!」
「ああ、先ほどのあの叫び声はそれでしたか」
「うえ、それも聞こえてた?」
「しっかりと」
「うわー」
頭を抱えるようにして呻く正義の手から汗をかいてきているグラスを抜き取り、レモンのさりげない酸味を感じる水を呷ると、リチャードはふう、と一つ息をついた。冷たいものが喉を落ちていく感触が心地いい。しかし、グラスを傾けながらも正義の香ばしく焼けた手はリチャードの白い手が捕まえたままだ。
大人しく捕まっている正義は、きっとわからないだろう。
この手の中に、リチャードが何を捕まえているのかなんて。
「さて」
「さて?」
グラスを置いて、代わりにリチャードが手に取ったのは油性のマジックだ。
きょとんと瞬く正義は、まだその意図に気付かない。
気付かないのなら、それでも構わないとリチャードは思う。
無防備に焼けた肌に、腕時計の幅の分だけ白く残された白。元々の肌が特別白いわけではないが、日に焼けた色とのコントラストは正義の身体の一部分をくっきりと浮かび上がらせている。普段意識したことなどほとんどないオープンな箇所であるにも関わらず、日常的に時計を着用しているそこだけは人の目から隠されていただろう、その部分。それが妙に艶めかしく目を惹くのだ。
そして、そんな正義の肌を見ることができるのは、共に暮らしている者の特権だろう。
きゅぽん、と軽い音を立てて蓋を取ったマジックを手にしても、正義はまだ反応しなかった。
それならそれで好都合、とリチャードは正義の手が逃げないようにしっかりと掴んで、腕にはっきりと残る白の上に流れるようにマジックを滑らせる。
まるでリチャードのためにあるとでも言わんばかりのミルクチョコレートの色に挟まれた白い空欄に書き込むのは、何百何千と書いてきたリチャード自身のサインだ。
さっと事を終えて、ちらりとリチャードが正義の顔を窺うと、彼はぽかんと自分の腕に書かれた名前とリチャードの顔を見ていた。
「は……? な、おま、なに……え??」
「これは、私のものですので」
「わたしの、って、ちょっ、それ油性っ!」
「他の人には見せないように。どうか」
「~~っ、見せられるわけないだろう!?」
「それはよかった」
「~~~っっ」
その反応に楽しくなってしまって、リチャードが笑う。手を取り戻そうとする正義の腕を引き留めて、書き込んだ自身の名前の上に唇を寄せると、息を飲む音が大きく聞こえた。
いまだ迂闊で無防備なところのあるこの専属秘書が、うっかり他所でこれ以上の魅力を振り撒いてこないように。
大切なものには、大きく、しっかり、はっきりと、名前を書いてみるのもいい。
それを彼自身が大切にしてくれたなら、なおのこと。
-----
一昨年くらいから時計焼けの話が書きたかったのです。
服で隠れているわけでも、隠している場所でもないはずの腕の一部。
けれど、日常的に腕時計をしている人なら、時計の下の肌は『人目に触れない』箇所なわけで。
時計焼けすることによって浮かび上がる『隠されていないはずの場所にあった秘密の箇所』を、独り占めしたいリチャードさんが見たかったのです。
現在連載中のインコで盛り上がっているのだろう💎商界隈ですが、今後の展開も楽しみですね!
私も早くインコ読みたいです!
でも、まだ我慢……!読むのは資格試験に受かってから……!!
東京・社宅
「ぅゎぁぁ」
少し離れたバスルームから、くぐもった叫び声とも呻き声ともつかない声が響いてきたのは、リチャードが出張から帰宅した日の夜のこと。羽田に到着する時間に合わせて、車でおよそ三時間の距離にいたはずの専属秘書がはるばる迎えに来たのにはリチャードも少々呆れたものだが、帰路を久しぶりに二人でゆっくりドライブしたかった、などと言われては文句をつけづらい。
浴室の壁にでも響いたのか、なんとも情けない音としてリチャードの耳に届いた声は間違いなく突然のドライブを決行した正義のものであったし、その声には切羽詰まったような鋭さはなかった。何か身の危険があって発せられた叫びではないだろう。そう判断し、リチャードは髪の水滴をタオルで拭いながら手元のモバイルで見ていたニュースに視線を戻した。
画面に表示されているのは交通事故の記事だ。事故付近の高速道路のインターチェンジは現在も通行止め。周辺の一般道路はその影響から各所で渋滞が発生している。渋滞の完全な解消にはまだ時間がかかる見込み。
「ほい」
リチャードが目を留めたニュースとその関連記事を眺めていると、突然、背後から声と共に何かが差し出された。顔を上げれば、カラン、と軽やかにグラスの中で氷が揺れるのが見える。
「フレッシュなレモン水。まだ水分、摂ってないんだろ」
「ありがとうございます、正義」
「どーいたしまして」
にしし、と笑う様子がわかるような声音が返るのを振り向いて見ようとして、しかしリチャードの目はグラスに吸い寄せられる。
正確には、そのグラスの先に伸びている、手に。
自分のものより少し大きく、骨張った、けれどきちんと手を入れていることがわかる指先。
グラスを持った手の形のまま筋の浮いた甲。
普段は時計に隠されている手首のライン。
そこに、いつもと違うものを見つけた。
いや、違うものというか。
つい、心惹かれて。
リチャードは持ち上げた指を、正義が持ったままのグラスではなく、その手首に浮き上がる白にすうっと這わせる。
「ぅわっ!?」
反射的にだろう、びくりと跳ねた手の中にあったグラスの水が揺れて、それを持った指が濡れる。よく見ればその指も、リチャードの記憶とは少し色が異なるようだ。
指の指の第二関節から手の甲、手首を通って腕を少し上りかけたところまで、こんがりと肌に色がついている。
驚くだろう、とか先にグラスを取ってくれよ、などと文句を言っているのを聞き流しつつ手首を掴んで引き寄せると、正義は何を思ったのかむぐ、と口を噤んだ。
「いつの間にか、随分と日に焼けたのですね」
「……昨日まではこうじゃなかったんだけどな。見苦しかったら仕事中は手袋付けてるよ」
「ふっ、確かにこれは、ハーフグローブでもつけたような焼け方ですが」
器用に焼けたものだ、としげしげとリチャードが正義の手を眺めていると、正義は深々とため息をつきながら失敗した、と大仰に漏らした。
曰く、本日の往路三時間はともかく、予定外の復路が問題だったのだとか。順調であればせいぜい三、四十分程度と見ていたはずが、高速道路に乗った途端の事故渋滞で全く動かなくなったのが痛かった、と。
「油断してたんだよなあ。無意識にシャツの腕捲りしてたんだと思う。ほら、この焼け方見ろよ。完全にハンドル持ってた形で焼けてる」
「そうですね。小指側や指先は元のままのようです」
「俺もさっき風呂で気付いてさあ。あーあ、変な焼け方したー!」
「ああ、先ほどのあの叫び声はそれでしたか」
「うえ、それも聞こえてた?」
「しっかりと」
「うわー」
頭を抱えるようにして呻く正義の手から汗をかいてきているグラスを抜き取り、レモンのさりげない酸味を感じる水を呷ると、リチャードはふう、と一つ息をついた。冷たいものが喉を落ちていく感触が心地いい。しかし、グラスを傾けながらも正義の香ばしく焼けた手はリチャードの白い手が捕まえたままだ。
大人しく捕まっている正義は、きっとわからないだろう。
この手の中に、リチャードが何を捕まえているのかなんて。
「さて」
「さて?」
グラスを置いて、代わりにリチャードが手に取ったのは油性のマジックだ。
きょとんと瞬く正義は、まだその意図に気付かない。
気付かないのなら、それでも構わないとリチャードは思う。
無防備に焼けた肌に、腕時計の幅の分だけ白く残された白。元々の肌が特別白いわけではないが、日に焼けた色とのコントラストは正義の身体の一部分をくっきりと浮かび上がらせている。普段意識したことなどほとんどないオープンな箇所であるにも関わらず、日常的に時計を着用しているそこだけは人の目から隠されていただろう、その部分。それが妙に艶めかしく目を惹くのだ。
そして、そんな正義の肌を見ることができるのは、共に暮らしている者の特権だろう。
きゅぽん、と軽い音を立てて蓋を取ったマジックを手にしても、正義はまだ反応しなかった。
それならそれで好都合、とリチャードは正義の手が逃げないようにしっかりと掴んで、腕にはっきりと残る白の上に流れるようにマジックを滑らせる。
まるでリチャードのためにあるとでも言わんばかりのミルクチョコレートの色に挟まれた白い空欄に書き込むのは、何百何千と書いてきたリチャード自身のサインだ。
さっと事を終えて、ちらりとリチャードが正義の顔を窺うと、彼はぽかんと自分の腕に書かれた名前とリチャードの顔を見ていた。
「は……? な、おま、なに……え??」
「これは、私のものですので」
「わたしの、って、ちょっ、それ油性っ!」
「他の人には見せないように。どうか」
「~~っ、見せられるわけないだろう!?」
「それはよかった」
「~~~っっ」
その反応に楽しくなってしまって、リチャードが笑う。手を取り戻そうとする正義の腕を引き留めて、書き込んだ自身の名前の上に唇を寄せると、息を飲む音が大きく聞こえた。
いまだ迂闊で無防備なところのあるこの専属秘書が、うっかり他所でこれ以上の魅力を振り撒いてこないように。
大切なものには、大きく、しっかり、はっきりと、名前を書いてみるのもいい。
それを彼自身が大切にしてくれたなら、なおのこと。
-----
一昨年くらいから時計焼けの話が書きたかったのです。
服で隠れているわけでも、隠している場所でもないはずの腕の一部。
けれど、日常的に腕時計をしている人なら、時計の下の肌は『人目に触れない』箇所なわけで。
時計焼けすることによって浮かび上がる『隠されていないはずの場所にあった秘密の箇所』を、独り占めしたいリチャードさんが見たかったのです。
現在連載中のインコで盛り上がっているのだろう💎商界隈ですが、今後の展開も楽しみですね!
私も早くインコ読みたいです!
でも、まだ我慢……!読むのは資格試験に受かってから……!!
