光の道を渡りゆく
公開 2023/10/27 00:00
最終更新
2023/10/31 21:16
💎商3部時空 『少年と螺鈿箪笥』より 正義・みのる
まるで、星空に向かって駆け上がっていくみたいだ。
みのるがそう思ったのは、初めて正義の車で夜のあの場所を走った時のことだ。あの日、鶏のから揚げとフライドポテトの食べ放題に誘われて乗り込んだ青い車で、見たことのない景色を見た。
遠くから、時々はもっと近くでも、何回、何十回なんて数えることなどできないくらい見てきた場所だったのに、そこがまるで違う世界へ繋がる魔法の道のように思えた。
横浜ベイブリッジ。
深い色の海と青い空の間にかかるその橋は、昼間はもちろん夜は全体をライトアップされて、美しい白を海の向こうに伸ばしている。横浜港を臨むこの場所で生まれてからずっと、晴れた日も雨の日も、海の景色として見てきた場所だった。
「ああ、そうか。みのるくんはここを通ったことがないのかな」
そう、運転席の方から声をかけられて、口から「うわあ……!」と声が出てしまっていたことにみのるは気付く。慌てて口を押えると、右隣からは楽しそうな笑い声が聞こえた。親戚だという正義は、いつでも不思議なくらい楽しそうだ。
「そのまま左の方を見てごらん。横浜港だよ。横浜港は、海側から船が入ってきたときに一番美しく見えるように設計されてるんだって。本当ならこの橋も、上を通るより下を船で通ってみた方がきれいに見えるのかもしれないけど、一番上から見るのもきれいだろ?」
「はい……すごく、すごくきれいです。キラキラして、船の明かりも」
「うんうん。運転席にいると、横をあまり見れないのがもったいないんだけどね」
話しているうちに、橋は最高点を過ぎて緩やかな下りに転じる。
普段の生活圏から眺める範囲では、ベイブリッジはそこまで急な上り下りがあるようには見えなかったのに、不思議だ。上るときには、本当に目の前に空しか見えない。
地上から離れているからだろうか。それとも海の上を通っているからか。フロントガラスの向こう、まるで飛び込むように見える空には想像よりもたくさんの星が見えた。
ずっと、知っている場所だった景色でさえ、知らないことばかりだ。
自分は、自分が思っているよりもずっと、何も知らないのかもしれない。
そう思うと、怖さとも、不安とも、逆に安心感とも言えないような、うまく言葉にできない心地になって、みのるは瞬く間に後ろに流れていく港の景色から、もう一つの橋に移った正面の景色に顔を向け直した。
黒々とした塊にたくさんの赤い光が灯っている。背の高いビルにつけられている明かりなのだとどこかで聞いた気がするが、赤い光がありすぎて、どれがどのビルなのかわからなくなったりしないのだろうかと思う。
この橋の向こうも、みのるにとっては知らない世界だ。
名前に聞くだけの地名、正義の職場のあるところ、行ったことのない街。
「この橋は、もっと眩しいんだと思っていました」
「え?」
「あの、夜は光っているので」
「ああ、ライトアップされてるからか。道路自体が光ってるわけじゃないから、走っている分には眩しくはないかなあ。でも、遠くから見ると、海の上に光の道があるみたいだよね」
「光の、道」
そうかもしれない。夜の中に浮かぶ海の上の橋は、いつも静かに暗闇を光でつないでいる。
ただ、まっすぐに。
行く先を示すように。
「俺も、横浜に来てこの橋を見て、まるで天国に続くみたいな橋だなって思ったよ」
「正義さんも?」
「うん」
ねえ、みのるくん。そうみのるに声をかける正義の目線は、橋を越えてスピードが上がったらしい周りの車を気にしてか前を見たままだ。
頷いただけではわからないと思って、みのるが「はい」と口でも応えれば、ちらりと笑った目がみのるに向いた。
「その光の道を、みのるくんも通ったよ」
正義のその一言は、まっすぐみのるの真ん中を通っていった気がした。
それは車に乗って道路を走った、という意味ではないのだろうと思った。
空に駆け上がる、天国に続く光の道。
そこから見えた、宝石箱のような景色。
「それじゃあ、この先は天国ですか?」
「そうだなあ。から揚げとポテトフライ食べ放題の?」
「それはとっても楽しみです」
「よかったよかった」
悪戯っぽく笑う笑う正義が走らせる車は、いつの間にかビルとビルの間をすり抜けるような道に入っている。きっと、先ほど橋から見た赤い光の林の中に入り込んでいるのだろう。
流れていく眩しいほどの看板から目を逸らすように、みのるはそっと目を閉じてみた。
暗くなったみのるの瞼の裏に広がるのは、先ほど見たばかりの景色だ。
美貌の幽霊が見せてくれたブレスレットのように、キラキラと煌めく空と地上の光。
その真ん中を、みのるを乗せた車は走っていく。
空も海も真っ暗で、辿り着く先が見えなくても。
光の道を、まっすぐに。
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3部になって初めて、改めてじっくり横浜ベイブリッジを車で走って驚きました。
名港大橋も、瀬戸大橋も、鳴門海峡大橋も走ってきたけれど、やはりどこの橋もそれぞれ違うと感じます。
横浜港という大きな港を抱える湾をつなぐ橋だというのに、高速側を走ると、最高点までは驚くほど空が見える……というよりも、まるで空に向かって駆け出しているかのようにまっすぐ視界が上に向かって開けていく感覚でした。
初めて走った時は、私も思わず声が出てしまったほど。空が美しかった。
そして、ベイブリッジ走行中に見る横浜港は、とてもきれいでした。
ベイブリッジは上が高速・下が国道ですが、この景色は高速側を通らないと見られないものだと思います。
みのるくんは、きっと正義くんが銀座に向かって連れだしたあの時まで、ベイブリッジを通ったことはないだろうという想像のもと書いています。
私はあの景色に感動したし、横浜という町に興味を持つに十分な光景を見せてもらったと思っているので、そういう何がしかをみのるくんが感じていたらいいなと勝手に思っています。
そうして、いつか。
みのるくんが、車の免許を取った時に……ゆらさんを乗せて、この光の道を走ってくれたらいいと、思っていたりします。
まるで、星空に向かって駆け上がっていくみたいだ。
みのるがそう思ったのは、初めて正義の車で夜のあの場所を走った時のことだ。あの日、鶏のから揚げとフライドポテトの食べ放題に誘われて乗り込んだ青い車で、見たことのない景色を見た。
遠くから、時々はもっと近くでも、何回、何十回なんて数えることなどできないくらい見てきた場所だったのに、そこがまるで違う世界へ繋がる魔法の道のように思えた。
横浜ベイブリッジ。
深い色の海と青い空の間にかかるその橋は、昼間はもちろん夜は全体をライトアップされて、美しい白を海の向こうに伸ばしている。横浜港を臨むこの場所で生まれてからずっと、晴れた日も雨の日も、海の景色として見てきた場所だった。
「ああ、そうか。みのるくんはここを通ったことがないのかな」
そう、運転席の方から声をかけられて、口から「うわあ……!」と声が出てしまっていたことにみのるは気付く。慌てて口を押えると、右隣からは楽しそうな笑い声が聞こえた。親戚だという正義は、いつでも不思議なくらい楽しそうだ。
「そのまま左の方を見てごらん。横浜港だよ。横浜港は、海側から船が入ってきたときに一番美しく見えるように設計されてるんだって。本当ならこの橋も、上を通るより下を船で通ってみた方がきれいに見えるのかもしれないけど、一番上から見るのもきれいだろ?」
「はい……すごく、すごくきれいです。キラキラして、船の明かりも」
「うんうん。運転席にいると、横をあまり見れないのがもったいないんだけどね」
話しているうちに、橋は最高点を過ぎて緩やかな下りに転じる。
普段の生活圏から眺める範囲では、ベイブリッジはそこまで急な上り下りがあるようには見えなかったのに、不思議だ。上るときには、本当に目の前に空しか見えない。
地上から離れているからだろうか。それとも海の上を通っているからか。フロントガラスの向こう、まるで飛び込むように見える空には想像よりもたくさんの星が見えた。
ずっと、知っている場所だった景色でさえ、知らないことばかりだ。
自分は、自分が思っているよりもずっと、何も知らないのかもしれない。
そう思うと、怖さとも、不安とも、逆に安心感とも言えないような、うまく言葉にできない心地になって、みのるは瞬く間に後ろに流れていく港の景色から、もう一つの橋に移った正面の景色に顔を向け直した。
黒々とした塊にたくさんの赤い光が灯っている。背の高いビルにつけられている明かりなのだとどこかで聞いた気がするが、赤い光がありすぎて、どれがどのビルなのかわからなくなったりしないのだろうかと思う。
この橋の向こうも、みのるにとっては知らない世界だ。
名前に聞くだけの地名、正義の職場のあるところ、行ったことのない街。
「この橋は、もっと眩しいんだと思っていました」
「え?」
「あの、夜は光っているので」
「ああ、ライトアップされてるからか。道路自体が光ってるわけじゃないから、走っている分には眩しくはないかなあ。でも、遠くから見ると、海の上に光の道があるみたいだよね」
「光の、道」
そうかもしれない。夜の中に浮かぶ海の上の橋は、いつも静かに暗闇を光でつないでいる。
ただ、まっすぐに。
行く先を示すように。
「俺も、横浜に来てこの橋を見て、まるで天国に続くみたいな橋だなって思ったよ」
「正義さんも?」
「うん」
ねえ、みのるくん。そうみのるに声をかける正義の目線は、橋を越えてスピードが上がったらしい周りの車を気にしてか前を見たままだ。
頷いただけではわからないと思って、みのるが「はい」と口でも応えれば、ちらりと笑った目がみのるに向いた。
「その光の道を、みのるくんも通ったよ」
正義のその一言は、まっすぐみのるの真ん中を通っていった気がした。
それは車に乗って道路を走った、という意味ではないのだろうと思った。
空に駆け上がる、天国に続く光の道。
そこから見えた、宝石箱のような景色。
「それじゃあ、この先は天国ですか?」
「そうだなあ。から揚げとポテトフライ食べ放題の?」
「それはとっても楽しみです」
「よかったよかった」
悪戯っぽく笑う笑う正義が走らせる車は、いつの間にかビルとビルの間をすり抜けるような道に入っている。きっと、先ほど橋から見た赤い光の林の中に入り込んでいるのだろう。
流れていく眩しいほどの看板から目を逸らすように、みのるはそっと目を閉じてみた。
暗くなったみのるの瞼の裏に広がるのは、先ほど見たばかりの景色だ。
美貌の幽霊が見せてくれたブレスレットのように、キラキラと煌めく空と地上の光。
その真ん中を、みのるを乗せた車は走っていく。
空も海も真っ暗で、辿り着く先が見えなくても。
光の道を、まっすぐに。
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3部になって初めて、改めてじっくり横浜ベイブリッジを車で走って驚きました。
名港大橋も、瀬戸大橋も、鳴門海峡大橋も走ってきたけれど、やはりどこの橋もそれぞれ違うと感じます。
横浜港という大きな港を抱える湾をつなぐ橋だというのに、高速側を走ると、最高点までは驚くほど空が見える……というよりも、まるで空に向かって駆け出しているかのようにまっすぐ視界が上に向かって開けていく感覚でした。
初めて走った時は、私も思わず声が出てしまったほど。空が美しかった。
そして、ベイブリッジ走行中に見る横浜港は、とてもきれいでした。
ベイブリッジは上が高速・下が国道ですが、この景色は高速側を通らないと見られないものだと思います。
みのるくんは、きっと正義くんが銀座に向かって連れだしたあの時まで、ベイブリッジを通ったことはないだろうという想像のもと書いています。
私はあの景色に感動したし、横浜という町に興味を持つに十分な光景を見せてもらったと思っているので、そういう何がしかをみのるくんが感じていたらいいなと勝手に思っています。
そうして、いつか。
みのるくんが、車の免許を取った時に……ゆらさんを乗せて、この光の道を走ってくれたらいいと、思っていたりします。
