妖精の悪戯
公開 2023/08/19 17:23
最終更新
2023/10/24 19:25
💎商3部時空 エトラ左右なし エトラ家
大きいお風呂に、たっぷりのお湯。
数種類並ぶ入浴剤は、一番風呂の人が選ぶことになっている。
この日の一番手はみのるだった。ふんわりといい香りのするお湯でほかほかにあたたまると、気持ちのいい眠気に誘われるのが最近の常だ。
今日もほかほかになった身体で、自室へ下がる前に兄たち二人に声をかけようとみのるがあくびを噛み殺しながら廊下に出れば、リビングの扉から明かりが漏れているのが見える。
ひょいと窺った室内には、ソファーの上に金と黒の頭が二つ。
二人一緒にいるなら丁度いいと思ったみのるは、何気なくドアのノブに手をかけた。
「リチャードさん、正義さん、お風呂——」
先に頂きました、といつものように声をかけようとしたみのるの言葉は、しかしソファーでくるりと振り返った片方を見て、途中で止まってしまった。
そっと立てられた白い人差し指と、その人が浮かべた少しいたずらめいた笑み。
みのるが慌ててぱくんと口を閉じると、それに笑った白い手の主にやわらかく手招かれる。
近寄るのを許されて、みのるがなるべく足音を立てないようにそっとソファーを回り込めば、先程みのるに見えていた二つの頭のうち、一つはどうやら夢の住人だったようだ。みのるを招き寄せたその人に凭れかかって、しっかりとソファーに沈み込んだまま寝息を立てている姿を、ついまじまじと見てしまう。
珍しい。
みのるは、こんな風に無防備に寝入ってしまっている兄の顔を見たことがなかった。
ここしばらくは兄も、その隣に座っているもう一人の美しい同居人も、とても忙しくしているようだった。夜遅く帰ってくることもあれば、帰宅はしていても深夜まで明かりが漏れていることもあった。そんな日が何日も続いているのだ、きっと疲れていることだろう。みのるにも、それはよくわかる。
けれど、みのるがついその姿を眺めてしまったのは、滅多に寝顔を見せることがない兄が眠り込んでいるということだけが理由ではなかった。
「あのう……」
「はい」
「何を、してるんですか」
「妖精の悪戯を、少々」
「妖精の、いたずら」
「ええ。疲れて寝てしまうと、目が覚めた時に何かがこっそり変わっているという、妖精の悪戯です」
みのるの目線の先、兄の少し日に焼けた大きな手は白い手に捕まえられていた。正確には、その指が。悪戯をしているのだと言うリチャードは、掴んだ指の爪先にサリサリと半透明のスティックを当てているようだ。一定に動くそれは爪やすりなのだそうで、爪切りを使うよりも綺麗に爪先を整えることができるのだとか。
手を止めないままのリチャードが眠りの中の人を起こさないように静かな声で話すので、みのるもつられて静かに応える。
「みのるさま、このことはどうぞ本人には内緒に」
「は、はい」
「なにせ、秘密の悪戯ですので」
「わかりました。それなら正義さんが起きてしまわないうちに、僕も寝ます」
「おやすみなさい、みのるさま。良い夢を」
「おやすみなさい」
ふわりと笑った密やかな声に背中を押されて、みのるは足音を立てないようにそっと元来たドアからリビングを出る。
ドアを閉める時、ふと振り返ったリビングの内側には、何かあたたかくて優しいものが満ちているように見えた。
『妖精の悪戯』
2023/3/21 Twitter投稿:再掲
大きいお風呂に、たっぷりのお湯。
数種類並ぶ入浴剤は、一番風呂の人が選ぶことになっている。
この日の一番手はみのるだった。ふんわりといい香りのするお湯でほかほかにあたたまると、気持ちのいい眠気に誘われるのが最近の常だ。
今日もほかほかになった身体で、自室へ下がる前に兄たち二人に声をかけようとみのるがあくびを噛み殺しながら廊下に出れば、リビングの扉から明かりが漏れているのが見える。
ひょいと窺った室内には、ソファーの上に金と黒の頭が二つ。
二人一緒にいるなら丁度いいと思ったみのるは、何気なくドアのノブに手をかけた。
「リチャードさん、正義さん、お風呂——」
先に頂きました、といつものように声をかけようとしたみのるの言葉は、しかしソファーでくるりと振り返った片方を見て、途中で止まってしまった。
そっと立てられた白い人差し指と、その人が浮かべた少しいたずらめいた笑み。
みのるが慌ててぱくんと口を閉じると、それに笑った白い手の主にやわらかく手招かれる。
近寄るのを許されて、みのるがなるべく足音を立てないようにそっとソファーを回り込めば、先程みのるに見えていた二つの頭のうち、一つはどうやら夢の住人だったようだ。みのるを招き寄せたその人に凭れかかって、しっかりとソファーに沈み込んだまま寝息を立てている姿を、ついまじまじと見てしまう。
珍しい。
みのるは、こんな風に無防備に寝入ってしまっている兄の顔を見たことがなかった。
ここしばらくは兄も、その隣に座っているもう一人の美しい同居人も、とても忙しくしているようだった。夜遅く帰ってくることもあれば、帰宅はしていても深夜まで明かりが漏れていることもあった。そんな日が何日も続いているのだ、きっと疲れていることだろう。みのるにも、それはよくわかる。
けれど、みのるがついその姿を眺めてしまったのは、滅多に寝顔を見せることがない兄が眠り込んでいるということだけが理由ではなかった。
「あのう……」
「はい」
「何を、してるんですか」
「妖精の悪戯を、少々」
「妖精の、いたずら」
「ええ。疲れて寝てしまうと、目が覚めた時に何かがこっそり変わっているという、妖精の悪戯です」
みのるの目線の先、兄の少し日に焼けた大きな手は白い手に捕まえられていた。正確には、その指が。悪戯をしているのだと言うリチャードは、掴んだ指の爪先にサリサリと半透明のスティックを当てているようだ。一定に動くそれは爪やすりなのだそうで、爪切りを使うよりも綺麗に爪先を整えることができるのだとか。
手を止めないままのリチャードが眠りの中の人を起こさないように静かな声で話すので、みのるもつられて静かに応える。
「みのるさま、このことはどうぞ本人には内緒に」
「は、はい」
「なにせ、秘密の悪戯ですので」
「わかりました。それなら正義さんが起きてしまわないうちに、僕も寝ます」
「おやすみなさい、みのるさま。良い夢を」
「おやすみなさい」
ふわりと笑った密やかな声に背中を押されて、みのるは足音を立てないようにそっと元来たドアからリビングを出る。
ドアを閉める時、ふと振り返ったリビングの内側には、何かあたたかくて優しいものが満ちているように見えた。
『妖精の悪戯』
2023/3/21 Twitter投稿:再掲
